米国の大手メデイアの報道姿勢は政府べったりで、真実を掘り起こそうとする本来のジャーナリズム精神はすっかりどこかに置き忘れてしまったかのようだとの批判が多い。「プレス」と「プロステイチュート」のふたつの言葉を結合した新語を使って、その姿はまるで「プレステイチュート」のようだと揶揄されている。
余談になるが、1976年のハリウッド映画「大統領の陰謀」では、駆け出しのワシントン・ポストの新聞記者(ロバート・レッドフォード)が先輩(ダステイン・ホフマン)と組んで、民主党本部に忍び込んだ5人の男たちを調査する。これは秋の大統領選挙を共和党に有利になるようにする工作であった。ふたりはニクソン大統領の再選委員会の選挙資金の流れに何か異常なものを嗅ぎ取った。そこから真相に迫っていく....しかしながら、政権側はCIAやFBIを通じて、担当記者だけではなく新聞社側にも圧力をかけようとする。それでも、ワシントン・ポストの編集主幹は合衆国憲法で保障されている「報道の自由」に基づいて真正面から戦い続ける。この辺りがこの映画のもっとも印象的な場面だった。そして、ニクソン大統領は再選を果たしたものの、議会による罷免を回避するために大統領の職を辞任した。
イラク戦争に入って行った2003年の米国のメデイアの様子を思い起こせば、大手メデイアがプレステイチュートと呼ばれるようにった状況は多くの人たちにとっても容易に合点が行くことだろう。さらには、この8月ダマスカス近郊での化学兵器による住民の虐殺を契機に、化学兵器を使ったのはシリア政府軍だと強弁し、米国やフランスがシリアを空爆すると脅かした際に見られたメデイアの報道振りもまったく同様だった。企業利益を優先する大手メデイアの節操のなさが頻繁に目に付いた。残念ながら、米国では、「大統領の陰謀」に描かれているようなジャーナリズム魂を見ることはできなかった。少なくとも、私の目にはふれなかった。
ところで、その米国にシーモア・ハーシュ(1937年生まれ)という記者がいる。
調査報道記者として若い頃から頭角を現してきたハーシュにとって、大手メデイアの報道姿勢はとうの昔から気に食わなかったようである。ウィキペデイアによると、ハーシュは報道の自由を追求したことから編集者とのけんかを度々経験した。たとえば、これは彼がアメリカ最大の通信社であるAPに勤務していた頃の逸話だ。米国がベトナムで使用している生物兵器や化学兵器に関する彼の記事について、編集者が語調をもっと和らげるようにと彼に要求してきた。ハーシュはそれには応じなかった。結局、彼はAPから飛び出すことになった。
編集者からの要求は、憲法に定められた報道の自由を考えると、彼にとっては論外だったのではないか。しかし、トップに報道の自由を遵守する気風がないかぎり、下っ端の記者はその新聞社を去るしかない。
彼が調査報道記者として広く世間に認められるようになったきっかけは1969年11月に遡る。それはベトナム戦争中に起こったソンミ村虐殺事件(1968年3月)を暴露した記事だった。当時、彼は小さな個人通信社の記者であった。借金をしながらも証言者を求めて全米を廻り、その記事を完成させた。無名であったハーシュの記事が評判となり、全米で33もの新聞に転載された。ソンミ村(人口507人)では米軍によって無抵抗の民間人が504人も殺害され、3人だけが奇跡的に生き残ったという。この報道は米国だけではなく国外にも非常に大きな衝撃を与えた。一方、この虐殺事件が公表されるとベトナム戦争に対する世論の支持はとても維持することができないだろうとの懸念から、米軍はこの虐殺事件を隠蔽しようとしていた。ハーシュの報道をきっかけに、米国内では反戦運動が激化した。
ハーシュの調査報道記者としての才能が開花した。この報道によって、ハーシュは1970年度のピューリッツアー賞を受賞。
もちろん、ハーシュのソンミ村虐殺事件の報道だけがベトナム戦争の方向性を変えたとは言えない。
米国のジャーナリズムの世界には、「アメリカの良心」として名声を博していたCBSテレビのアンカー役を長年務めていたウオルター・クロンカイトの存在がある。ハーシュの暴露記事が報道される前年、1968年2月、クロンカイトは「民主主義を擁護すべき立場にある『名誉あるアメリカ軍』には、これ以上の攻勢ではなく、むしろ交渉を求めるものであります」と厳しい口調で発言して、ベトナム戦争の継続に反対を表明した。この発言はアメリカの世論に大きな衝撃と影響を与えたと言われている。当時のジョンソン大統領は二期目の大統領選に出馬することはとても無理だと判断せざるを得なかった。
これらのジャーナリストの発言が時代の流れを変えた。少なくとも、加速させた。この事実は特筆すべきことだと思う。
そして、その背景には、たとえ政府や官庁にとって都合が悪いことであっても、政治の潮流を変えるような議論を提示することを許す寛容さがその社会にあって、多くの国民がそれぞれ違った意見や思想に接することができる社会環境が基本的に存在していることが最低の前提条件である。これは、その対極にある独裁的な社会体制ではあり得ないことだ。議論を提示する過程ではメデイアが専門的な立場から個々の課題について存分に取材できることが最低の前提条件である。いわゆる透明性が維持されていなければならない。政治の世界では政府や官庁はメデイアの取材に対して十分に解放的で、説明責任を履行しなければならない。これは自明の理である。
これらのことを考えた場合、米国では憲法の存在が非常に大きいと私には思える。憲法がどーんと米国社会のど真ん中に座っており、メデイアは憲法に記述されている「言論の自由」をひとつの基本的な政治姿勢としている。あるいは、上述の映画に描写されているように、憲法に謳われている「報道の自由」を取材活動の行動規範として正面に据え、政府からの圧力に対して挑戦している。
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そのハーシュが最近興味深い意見を述べている。これは9月27日付けの英国のガーデイアン紙に紹介されているものだ[注1]。その内容を仮訳し、下記に示したいと思う。仮訳の部分は段下げして示す。
ジャーナリズムを在るべき姿に修復するために、ハーシュは次のような強烈な考えを披露した。「ABCやNBCのニュース局を閉鎖し、編集者の90%程を解雇し、外部からジャーナリストを導入して基本的な報道の仕事を復活させるべきだ」と。
1960年代から米国大統領の敵で在り続けて来た調査報道記者、ハーシュを燃え上がらせるには多くを必要としない。かって、彼は共和党によって「米国のジャーナリズムの世界ではもっともテロリストに近い存在だ」と言われていたほどである。
ここで、「米国のジャーナリズムの世界ではもっともテロリストに近い存在だ」という文言についてその背景を確認しておきたい。
イラク戦争が開始されたのは2003年3月20日だった。その11日前、CNNテレビは今にも始まりそうなイラクへの派兵について特集番組を放映していた[注2]。上記の文言はこの番組で使われた言葉だ。CNNの司会役を務めるウオルフ・ブリッツアーのもとに、国務長官や上院議員、元国防次官補、元下院議員、等が討論の相手や論客として登場する。国務長官のコリン・パウエルが最初に登場。その後も様々な政治家が登場し、イラク戦争について賛成や反対の意見を表明し、議論が展開されていた。
論客の一人として、かって国防次官補を務めたこともあるリチャード・パールも登場する。彼はイラク戦争をもっとも精力的に推進していたネオコンの一人で、サダム・フセイン政権を数ヶ月で倒すことができると主張していた。彼は政敵からは「暗黒の君」と称されていた。このCNNの特集番組の記録を見ると、リチャード・パールはシーモア・ハーシュを「米国のジャーナリズムの世界ではもっともテロリストに近い存在だ」と形容した。
イラク戦争を何としてでも遂行させようとしていたリチャード・パールにとっては、歯に衣を着せずに記事を書く調査報道記者としてのハーシュはあたかもテロリストのような存在だったのだろう。
このあたりで、ハーシュに関するガーデイアン紙の記事に戻ろう。
ホワイトハウスに挑戦しようともせず、真実を伝えるという嫌われ役に徹することもない米国の大多数の臆病なジャーナリストに対してハーシュは立腹している。
彼に話の糸口としてニューヨークタイムズを取り上げてくれと言おうとしたわけではないが、ニューヨークタイムズはオバマに奉仕するために想像以上に莫大な時間を費やしている、と彼の方から切り出した。また、オサマ・ビン・ラーデンの死に関しても然りだと言う。「あの政府発表のスト-リーには何も見るべき内容がなかった。あれは大嘘だ。ひとかけらの真実もない」と、彼は米海軍のシール部隊がオサマ・ビン・ラーデンの拠点を急襲した2011年の劇的な出来事についても言及した。
ハーシュは、今、国の安全保障に関して本を書いているところだ。ビン・ラーデンの殺害についてもひとつの章を充当している。彼が言うには、「パキスタンの独立検証委員会にが提出した最近の報告書にはビン・ラーデンが隠れ家として使用していたアボッタバードの邸宅における生活振りが記述されているが、あの内容はとても検証に耐えられるような代物ではない。」 パキスタン政府は報告書を公開した。それについて今何か喋ってくれとは言わないで貰いたい。まあ、言い方を変えれば、あの報告書は内容のほとんどは米国からの入れ知恵だ。あれはでたらめだ、と彼は言う。あたかも新しい事実が自分の本によって暴露されるとほのめかしているかのようだ。
「オバマ政権は組織を挙げて嘘をついている」と、彼は主張する。「それにも拘わらず、米国のメデイア、テレビ局、あるいは大手の新聞は彼に向かって挑戦しようともしない。」
「情けないほどにひどい状況だ。彼らは単にオバマにへつらっているばかりではなく、この人物について論評することを怖がってさえもいる」と、彼はガーデイアン紙とのインタビューで語った。
かっては、何か途方もない出来事が起こると大統領やその側近は説明内容を十分に把握し管理していたものだ。政府は事の顛末を率直に伝えるべく全力を傾けるだろうと多くの人たちは期待していたものだ。ところが、今や、そういう展開にはならない。そのような機会が到来すると、この時とばかりに大統領の再選のためにはどうするべきかについて知恵を絞るのが落ちだ。
つい最近暴露された国家安全保障局(NSA)によるスパイ事件の深刻さやその広がりに関する新事実が今後長く[米政府やNSAに対して]影響を与えることになるのかどうかについては彼は確信を持ってはいない。
上記の最後の段落に示されたNSAに関するハーシュの理解は何を意味しているのだろうか。たとえ、オバマ政権が事態の深刻さに気づいてNSAによるスパイ活動を規制し、縮小させたとしてもそれは一時的な解決にはなるかも知れないが、政権が変わればまたもや元に戻ってしまうのではないかとでも言いたいのだろうか。
プレステイチュートという言葉で形容されているように、米国のメデイアの現状は大きな問題となっている。それでもなお、自由闊達な意見が一部のジャーナリストから提言されているという事実が厳然としてあり、それを可能にする社会的環境が依然として根強く存在しているようだ。太平洋のこちら側から米国を眺めていると、勇気付けられる気がする。勇気のあるジャーナリストは、確かに、少数しかいないのかも知れないが、決してゼロではない。それが大きな救いである。
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また、9/11テロ以降の米国におけるジャーナリズムについて言えば、ジェレミー・スカヒルに触れずにおくことはできないと思う。
彼の新著「Dirty Wars: The World Is A Battlefield」に関してTomDispatch.comの編集者であるトム・エンガーハートが次のように彼を評価している[注4]。
米国中を対象とした全面的な盗聴や無人機によるテロリストの殺害に関する事実が発覚している。これらは米国社会のより大きな病弊の兆候であるとも言えよう。9/11同時多発テロ以前は米国はいわゆる「ならず者国家」と呼ばれた国々に対して世界の関心を促していた。しかし、あの日以降、地球上の多くの地域では永遠に続くのかと思われるほどの長い戦争に没頭し、人目を避ける個人的な居場所を誰からでも奪ってしまうような盗聴プログラムに莫大な資源を投入してきたことから、否が応でも抵抗意識を高め、安定さを欠くようになった世界にとっては、今や、米国は「超ならず者大国」としてしか目に映らないのではないか。ワシントンは如何にして戦争を秘密裏に遂行してきたか、戦争当事国では米国に対する反感や憎しみがどのようにして生まれたのか、超大国にとってはそうした悪事はいったいどのように機能するのか。イエメンにおける無人機によるミサイル攻撃、ソマリアにおけるCIAの秘密刑務所、アフガニスタンにおいては特殊部隊が民家を襲撃し市民を殺害する、といったニュース報道ではジェレミー・スカヒルを凌ぐようなジャーナリストはおいそれとは見つからない。彼のベストセラーとなっている書籍 (Dirty Wars: The World is a Battelefield) は米国流の21世紀の戦争について秘密の歴史を暴露した。
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日本では秘密保護法案の国会への提出が閣議決定された(10月25日)。この閣議決定はさまざまな異論や反論あるいは不安を巻き起こしている。
共同通信が26日、27日に行った世論調査[注3]によると、「政府が今国会に提出した特定秘密保護法案に反対が50.6%と半数を超えた。賛成は35.9%だった。今国会にこだわらず、慎重審議を求める意見は82.7%に達し、今国会で成立させるべきだの12.9%を上回った。」
また、政府は9月にこの秘密保護法案に関してパブリックコメント(意見公募)を求め、その結果が発表された。東京新聞の報道[注4]によれば、
政府が行った法案の概要に対するパブリックコメントでは約八割の国民が法案に反対したにもかかわらず、自らがその結果を無視し、閣議決定に踏み切った。政府は9月に意見公募を実施。わずか15日間の公募期間中に90,480件の意見が寄せられ、反対が77%にも上った。賛成はわずか13%だった。反対の主な理由は「国民の知る権利が脅かされる」、「特定秘密の範囲が不明確」という当然の指摘だった。政府が法案などを閣議決定する前に行う意見公募で、約9万件の意見が寄せられたのは極めて異例の多さ。この法案に対する国民の不安が浮き彫りになった。菅義偉(すがよしひで)官房長官は記者会見で、反対意見が圧倒的多数を占めたことについて「しっかり受け止めるべきだ」と語っていたが、反故にした。
これらの世論調査やパブリックコメントが意味することはいったい何か。
それは国民の大多数が秘密保護法案に反対している、あるいは、不安を感じているということだ。国民は議論がしつくされたとはまったく思っていないことを示している。
こういった現状にあるにもかかわらず、政府は今国会へこの法案を提出しようと決めた。日本は民主国家の顔をしてはいるが、それは上辺だけの話だ。実際は、国民に対する政府の姿勢は国民を愚民扱いにしているとしか考えられない。その実態が、今回、民意に逆らって秘密保護法案を成立させようとしている現内閣の姿勢に見て取れる。
「愚民扱い」と言えば少々聞こえが悪いかも知れない。しかし、私の個人的な印象では、この法案では行政機関が非公開にできる理由のひとつとして「国民に混乱を生じさせる恐れ」という項目がある。この文言こそが曲者だ。法律の運営の段階になって、政府あるいは官庁にとって不都合な状況が到来した場合、その情報を公開するか、それとも、非公開とするかは政府や官庁側の解釈次第とすることができる。この法律は不都合な真実を恣意的に隠蔽するための強力な武器となることだろう。
♘ ♘ ♘
政府が国民を愚民扱いにしたもっとも端的な例は2011年3月に起こった福島原発のメルトダウン事故だ。あの事故以来、日本政府に関する理解の仕方が180度も変わった人たちが非常に多い。少なくとも、政府の言動を懐疑的に見るようになっている。
政府は東電と共に2ヵ月半もの間、「国民に混乱を生じさせる恐れ」があるとして、福島原発のメルトダウンを認めようとはしなかった。メデイアは「炉心溶融」あるいは「メルトダウン」の可能性を事故の2-3日後には大きく報道していた。そしてその炉心溶融の規模はチェルノブイリの事例にも匹敵するかも知れないとの報道を当初からしていた。それにもかかわらず、政府は「メルトダウンはしていない」、「ただちに人体に影響の出るものではない」と言い続けた。そして、事故の規模についても過小評価をし続けた。
そして、事故から2年半の今、人体への影響に対する不安は解消されるどころか、事態はより深刻になり、影響を受けている地域も想像以上に広がりを見せているのが現状だ。非常に深刻な状況である。
例えば、ある週刊誌の10月4日号[注5]によると、尿検査で予想以上に多くの人たちからセシウムが検出された。これは常総生活協同組合(茨城県守谷市)が、松戸、柏、つくば、取手など千葉、茨城の15市町に住む0歳から18歳までの子どもを対象に実施した尿検査の結果である。
初めの10人を終えたとき、すでに9人からセシウム134か137を検出していました。予備検査を含めた最高値は1リットル当たり1.683ベクレル。参考までに調べた大人は2.5ベクレルという高い数値でした。いまも検査は継続中ですが、すでに測定を終えた85人中、約7割に相当する58人の尿から1ベクレル以下のセシウムが出ています。(常総生協の横関純一さん)
検査を始めたのは、原発事故から1年半が経過した昨年11月。検査対象全員の146人を終える来年明けごろには、セシウムが検出される子どもの数はさらに膨れ上がっているだろう。
セシウム134と137はウランの核分裂などにより生じ、自然界には存在しない物質だ。福島から近い関東の子どもたちが、原発事故で飛び散ったセシウムを体内に取り込んでいるのは間違いないだろう。副理事長の大石光伸氏が言う。
「子どもたちが食べ物から常時セシウムを摂取していることが明らかになりました。例えば8歳の子どもの尿に1ベクレル含まれていると、1日に同じだけ取り込んでいると言われます。内部被曝にしきい値はないので、長い目で健康チェックをしていく必要があります」
関東だけではない。放射能汚染による体内被曝が、東海や東北地方にまで及んでいることも分かった。福島を中心に200人以上の子どもの尿検査を続けている「福島老朽原発を考える会」事務局長の青木一政氏が、実例を挙げて説明する。
検査を始めたのは、原発事故から1年半が経過した昨年11月。検査対象全員の146人を終える来年明けごろには、セシウムが検出される子どもの数はさらに膨れ上がっているだろう。
セシウム134と137はウランの核分裂などにより生じ、自然界には存在しない物質だ。福島から近い関東の子どもたちが、原発事故で飛び散ったセシウムを体内に取り込んでいるのは間違いないだろう。副理事長の大石光伸氏が言う。
「子どもたちが食べ物から常時セシウムを摂取していることが明らかになりました。例えば8歳の子どもの尿に1ベクレル含まれていると、1日に同じだけ取り込んでいると言われます。内部被曝にしきい値はないので、長い目で健康チェックをしていく必要があります」
関東だけではない。放射能汚染による体内被曝が、東海や東北地方にまで及んでいることも分かった。福島を中心に200人以上の子どもの尿検査を続けている「福島老朽原発を考える会」事務局長の青木一政氏が、実例を挙げて説明する。
.... 体内にセシウムを取り込むと、どういう影響が出るのか。内部被曝に詳しい琉球大学名誉教授の矢ケ崎克馬氏が解説する。
「セシウムは体のあらゆる臓器に蓄積し、子どもの甲状腺も例外ではありません。体内で発する放射線は細胞組織のつながりを分断し、体の機能不全を起こします。震災後、福島や関東地方の子どもたちに鼻血や下血などが見られたり甲状腺がんが増えているのも、内部被曝が原因です。怖いのは、切断された遺伝子同士が元に戻ろうとして、間違ったつながり方をしてしまう『遺伝子組み換え』で、これが集積するとがんになる可能性があります」
矢ケ崎氏は、尿中に含まれるセシウム137がガンマ線だけ勘定して1ベクレルだとすれば、ベータ線も考慮すると体内に大人でおよそ240ベクレルのセシウムが存在し、それに加えてストロンチウム90もセシウムの半分程度あるとみる。
体に入ったセシウムは大人約80日、子ども約40日の半減期で排出されるが、食物摂取で体内被曝し、放射線を発する状態が続くことが危険だと言う。
常総生協が昨年度、食品1788品目を調査した資料がここにある。結果を見ると、280品目からセシウムが検出されていた。米74%、きのこ63%、お茶50%、それに3割近い一般食品にもセシウムが含まれていたのだ。
上記の報道は福島県に隣接する茨城県およびさらに南の千葉県での話である。素人目から見てさえも、福島県ではこの報道内容以上に遥かに深刻であると思う。「セシウムは体のあらゆる臓器に蓄積し、子どもの甲状腺も例外ではありません。体内で発する放射線は細胞組織のつながりを分断し、体の機能不全を起こします。震災後、福島や関東地方の子どもたちに鼻血や下血などが見られたり甲状腺がんが増えているのも、内部被曝が原因です。怖いのは、切断された遺伝子同士が元に戻ろうとして、間違ったつながり方をしてしまう『遺伝子組み換え』で、これが集積するとがんになる可能性があります」
矢ケ崎氏は、尿中に含まれるセシウム137がガンマ線だけ勘定して1ベクレルだとすれば、ベータ線も考慮すると体内に大人でおよそ240ベクレルのセシウムが存在し、それに加えてストロンチウム90もセシウムの半分程度あるとみる。
体に入ったセシウムは大人約80日、子ども約40日の半減期で排出されるが、食物摂取で体内被曝し、放射線を発する状態が続くことが危険だと言う。
常総生協が昨年度、食品1788品目を調査した資料がここにある。結果を見ると、280品目からセシウムが検出されていた。米74%、きのこ63%、お茶50%、それに3割近い一般食品にもセシウムが含まれていたのだ。
この現状は、事故の直後、政府が「ただちに人体に影響の出るものではない」と言っていたことを思い出させる。当時の政府の言い様が如何にその場凌ぎであったかが今となっては良く分かる。つまり、政府の関心は、あの未曾有の原発事故においてどのようにして当面の混乱を避けるかだけに集中していたのであって、真理を伝えようとする姿勢、あるいは、地域住民がもっとも必要としているものは何かといった問いかけは皆無に等しかったことを示している。
そして、その後2年半が経った今も政府の姿勢はその延長線上にしかない。上記の週刊誌の記事が伝える現状はそのことを雄弁に物語っているみたいだ。
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行政が保有する文書を閲覧したい時ジャーナリストや一般市民は情報公開請求を行政の長に送付し、情報の公開を求めることができる。
大手新聞社のひとつが政府に対して特定秘密保護法案の検討過程について情報公開請求をした[注6]。ところが、政府が開示した情報の一部は下記に示すように「真っ黒」だったという。
タイトルや見出し以外は真っ黒に塗りつぶされていた。
政府が立案を進めている特定秘密保護法案の検討過程について、毎日新聞が関係省庁に情報公開請求をしたところ、法案の内容に触れる部分は「不当に国民の間に混乱を生じさせる恐れがある」として、ほとんどが黒塗りだった。官僚がどう法案を練り上げたかのプロセスが秘密にされており、主権者である国民が法案について十分に知り、深く議論することが難しい状況になっている。
なぜこのようなことが起こるのか?同記事は次のように続いている。
情報公開請求は、法案を担当する内閣情報調査室(内調)のほか、防衛、外務両省や警察庁、内閣法制局など関係する13の政府組織に対して行った。
....不開示について内調は「公にすることにより、国民の間に未成熟な情報に基づく混乱を不当に生じさせる恐れがある」ことを第一の理由とし、他省庁も同様だった。
これは情報公開法に定められた不開示理由の一つで、特定秘密保護法案以外でも国会提出前の法案については同様の扱いがなされている。
しかし、民主党政権が2011年4月に提出した情報公開法改正案では、この不開示理由は削除された。有識者会議で「(封建的な)『よらしむべし、知らしむべからず』を連想させる」などの意見が出たためだ。だが、改正案は昨年末の衆院解散で廃案となったため、当面は今の運用が続くとみられる。
秘密保護法案関連の公文書を数多く収集するNPO「情報公開クリアリングハウス」の三木由希子理事長は「法案の作成過程を国民が議論するのは当然であり、正当なこと。何が『不当』かを行政が主観的に決められる現行の規定は不適切だ」と指摘している。
政府は「真っ黒」に塗りつぶした文書を公開したのだ。その理由は「公にすることにより、国民の間に未成熟な情報に基づく混乱を不当に生じさせる恐れがある」とのこと。行政側の恣意的な判断で開示する情報の内容が決められてしまう。このような状況を許すこと自体が現行の情報公開制度には致命的な欠陥があることを示している。
政府は誰のためにあるのかと問いたい。政府が保有する文書は国民全体の財産である。政府や官僚だけが独占するようなことがあってはならない筈だ。
この毎日新聞の記事でも、政府が国民を如何に愚民扱いにしているかが手に取るように分かると言えよう。
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政府権力は、映画「大統領の陰謀」の段落で示したように、権力側に不都合なことを隠蔽するために強引な姿勢をとることが多い。政権が変わっても、政党が変わっても、時代が変わっても、この傾向は厳然と存在する。権力が持つ宿命かも知れない。このような事態は洋の東西を問わず、いつでもどこでも起きるのだ。それは歴史が証明している。そのような異常な事態を防ぐために、どこの国でも政府の透明性が今まで以上に求められているのだ。そして、多くの国が政府の透明性を高める努力をしている。
日本政府が提案する秘密保護法案が予定通りに何らの訂正や改善もなく成立した場合、今でさえも大手メデイアのジャーナリズム精神の存在が危ぶまれている日本では、その存在理由に完全な止めを刺されてしまうのではないか、と私は危惧している。日本のメデイアも近い将来プレステイチュートになり下がってしまうのではないだろうか。
また、憲法の条文が行動規範となっている米国とはまったく異なり、日本の場合は、憲法の条文そのものが一般市民の間で行動規範として用いられることは非常に稀だ。それは、日本では、憲法が政権、政党、時代を超越した普遍的な存在ではなく、時の政権にとって都合のいい解釈によって右へ行ったり左へ行ったりするという摩訶不思議な存在になっているからであろう。非常に残念なことである。
ジャーナリストだけではなく、一般市民がものを自由に発言できないような社会になったら、あるいは、正しい情報を知ることができないような社会になったら、それは日本が100年も後退することを意味する。上述の世論調査やパブリックコメントの結果は国民の大多数がこのことを懸念しているということではないだろうか。
参照:
注1: Seymour Hersh on Obama, NSA and the 'pathetic' American media: www.theguardian.com
> ... > Investigative
journalism, Sep/27/2013
注2: CNN LATE EDITION WITH WOLF BLITZER, “Showdown: Iraq”: CNN, March
9, 2003 - 12:00 ET
注3: 秘密保護法反対が半数超、慎重審議求める声82% 共同通信世論調査: 産経ニュース、2013年10月27日
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