2015年1月15日木曜日

ベートーベンの曲はなぜ心の琴線に触れるのか - このドイツの作曲家の音楽のリズムは冠動脈疾患から来ているのかも知れない

ベートーベンの「田園」とか「熱情」あるいは「クロイツル・ソナタ」を聴くとその素晴らしさに聞き惚れてしまう。交響曲では田園と並んで「第7番」も好きな曲のひとつだ。また、ピアノ曲では「皇帝」の壮大さは実に凄いと思う。ブカレストに住み始めた小生としては、ルーマニア出身のラド・ルプが弾く「皇帝」には特別な感慨を覚える次第だ。いろいろと書いてみたいところではあるが、残念なことに素人の私には形容の言葉がとても続かない。

専門家であれ素人であれ、巷ではベートーベンの偉大さや素晴らしさを讃える言葉は後を絶たない。専門家の評論は音楽的な構成とか歴史的な意義といった学究的な側面に関心が集まるが、私自身も含めて素人の評価は感じ取ったことを率直に伝えようとすることが多い。
そんな中、つい最近英国のインデペンデント紙にいささか異色の論評が掲載された [1]
今日のブログではその記事を仮訳して、皆さんと共有したいと思う。
ところで、このブログのタイトルに流用している同記事の表題には言葉の遊びがちょっと感じられる。「心の琴線」と言う場合、英語では「心」には文字通り「ハート」が充当される。また、臓器のひとつとしての心臓も、もちろん、「ハート」である。心臓の鼓動が心の琴線に触れるということはごく自然なことではないかと言いたいらしい。 

<引用開始>
 

Photo-1: ベートーベンの楽譜では、テンポが突然変化することがある (Getty/AFP) Getty/AFP 

ベートーベンの音楽は実際に心臓から来ていたのかも知れない。この作曲家は不整脈を患っていたのかも知れないのだ。それが彼の作品に反映されていたのではないだろうか、と研究者らが述べている。ベートーベンは自分の乱れた心拍を感じとっていただろうし、難聴となってからは余計に感じやすくなっていたことからも、実際にはこれこそが彼の作品の中核を形作っていた可能性がある。il
 
「心臓疾患によって心拍が乱れる時、その乱れ方はある程度予想できることが多い」と、本研究を指導した心臓専門医のザカリ―・ゴールドバーガー博士は言う。「まったく同じパターンを彼の音楽の中に聴くことができるのです。」 

「ベートーベンは自分自身が肉体的に感じ取った内容を曲の中に反映していたのではないかと考えられます。換言すると、彼は、ある意味では、不整脈を音楽にしたのです。」 
ルードウィッヒ・ヴァン・ベートーベンが患った疾患の幾つかは、悪化する一方の難聴も含めて、十分に研究しつくされているが、それら以外の疾患や彼の死の原因は依然として不明のまま残されている。これらの研究者によると、彼自身のせいにされているある種の状況が彼を心臓病の危険に晒したのではないかと見られる。
医学専門誌の「Perspectives in Biology and Medicine への投稿で、研究者らはベートーベンは不整脈を患っていたようだという推測を復活させている。不整脈とはどんなものかと言うと、心臓の鼓動があまりにも速くなったり、遅くなったり、あるいは、不規則になったりする状況を指す。
ベートーベンの時代にはこの状況を診察する術は何もなかった。何らかの糸口を見つけるために、研究者らは彼の音楽そのものを診察の道具として用いた。幾つもの曲においてリズムのパターンに注目したところ、ベートーベンの曲では突然、思いがけない形でテンポが変わったり、移調されていることが分かった。これらは不整脈の不均衡なパターンと良く一致する。 
たとえば、ベートーベンの弦楽四重奏曲変ロ長調作品130の終楽章では、ベートーベンがいみじくも言っているように感情を山盛りにしたこの作品は、突然、変ハ長調に移調する。それに続いて現れるバランスを欠いたリズムは「息切れ」を呼び起こし、これはまさに不整脈を連想させる。
自分の作品を演奏してくれる演奏者に向けてベートーベンが与えている指示のひとつに「beklemmt」という言葉がある。これはドイツ語で(直訳すると)「重い心臓」という意味だ。しかしながら、それとは違った言外の意味もあって、「心臓が縮んだ」とか「心臓が圧迫された」といった意味にも解され、これは心臓病とよく関連した感覚である、と研究者らは言う。
ピアノソナタ変ホ長調作品81aの始まりの部分にはふたつの短い音符とひとつの長い音符から成る不規則に点と点をつなぐようなリズムのパターンがある。「このソナタはベートーベンがひどく感情的なストレスの下にあった時期に作曲されている」と、研究者らは言う。「ストレスの一因はナポレオンの治下にあるフランスを相手にオーストリアが宣戦布告をしたことにありました」と、シアトルに所在するワシントン大学医学部のゴールドバーガー博士は言う。「誰でも静かにしていると自分の心拍を感じ取ることができます。完全難聴に陥った人に比べると、より以上に完璧な静寂なんてあり得ません。」 同博士はこの研究成果を「音楽的な心電図」と称して、それは心電図の装置が読み取る内容と聴覚的にはまったく同等なものであると見なしている。
<引用終了> 

ベートーベンは社会における自分自身の位置については非常にユニークな考えを抱いていたようだ。それが当時の社会においては突拍子もない考え方や行動となって現れたとも言える。そんな場面のひとつとして下記のエピソードが伝えられている [2]1812年の7月のことだ。
…ベートーベンが42歳、ゲーテは63歳の頃に二人は出会った。ファウストの第1部は4年前にすでに発表されていた。この二人の会合の際に次のような一場面が出現したのである。ベートーベンとゲーテは散歩をしていたが、大勢の側近を従えた某貴族と出逢った。ゲーテは慇懃に脇へ退いて、貴族たちに向けて恭しく頭を下げた。ところが、ベートーベンは、何時ものように両手を後ろに組んで、挑戦的にも彼らのど真ん中を通過した。貴族たちの存在にはまったくの無関心を装って通過したので、貴族たちは彼に道を開けてやる以外にはなす術もなかった。ゲーテがベートーベンに「いったいどうして貴族に向けてあのような横柄な態度をとることができるのかね?」と質問したところ、この作曲家はこう言った。実に彼らしい答えである。「貴族なんて世間には数えられないほどたくさんいるが、われわれ二人はふたりだけだ。」 
彼との個人的な関係においては、正直で直接的な付き合い方だけが可能だった。面と向かって他人との関係を築くことは、彼の場合、極端に難しかった。彼の倫理観には多いに矛盾するところがあった。抽象的には、自分の音楽の中では人間性をこよなく愛した。現実には、つまり、毎日の生活のレベルでは、周囲の人たちを嫌っていた。特に、貴族を毛嫌いしていた。「周囲の者たちよりも抜きんでている者の倫理感は強さとなる。それこそが私の強さだ」と、彼は友人に向けて書いた。また、日記にはこう記している。「私は次のように感じており、このことを十分に理解している。人生は神によって与えられた最高の恵みではないが、罪悪感は最大の悪だ。」 これらの言葉はシラーのものであるが、そこに込められた感情はベートーベンのものである…
難聴がひどくなり、周囲との交渉はおのずから疎遠になり、作曲に精魂を注ぎ込めば注ぎ込む程、ベートーベンは心に浮かぶ曲想を楽譜に翻訳していくしかなかったのだとも言えよう。彼の心中に去来する音楽は彼の心臓の鼓動やリズムを忠実に伝えていたとしてもおかしくはない。ありそうな気がする。経験知として言えることは、特殊な才能に恵まれた人は普通の人には想像もつかないようなことを容易く実現してしまうことがあるからだ。
上記に引用した記事の中には「彼自身のせいにされているある種の状況が彼を心臓病の危険に晒したのではないか…」という文章がある。晩年は、ベートーベンはワインを飲み過ぎて、アル中になっていたと言われており、この文章はそのことを指しているのではないだろうか。一説には、当時の安物のワインには甘味を強調し新鮮さを維持するために、砂糖の代替品として鉛の酢酸塩が使用されていたらしい。ベートーベンの毛髪を分析した結果、通常の100倍にもなる鉛の含有量が検出されたという。鉛中毒が起っていたと推測されている。ある学術雑誌の記事は下記のような要旨を掲載している [3]
ベートーベンの死体解剖の際には中耳部分について詳しい調査が行われたが、耳硬化症の病巣は発見されなかった。耳硬化症の証拠はないのである。彼の難聴は緩慢に進行するタイプであって、数か月のうちに急速に進行する自己免疫による難聴とは異なっている。また、自己免疫による炎症性腸疾患では出血を交えた下痢症状を伴うのが普通であるが、彼の場合にはそれはなかった。ベートーベンの毛髪や骨を分析した結果、水銀は検出されてはいない。このことは、当時は淋病の治療には水銀が多用されていたことから、彼の難聴は淋病に起因するものではないと結論することができる。骨にはかなり高いレベルの鉛が検出されており、これは彼の死の直前に短期間だけ鉛に暴露されたということではなく、長い年月にわたって繰り返して鉛に暴露されていたことを物語っている。死体解剖の際には収縮した蝸牛神経が発見されているが、これは鉛のような重金属による軸索変性が起こっていたこととも良く一致する。低濃度の鉛への慢性的な暴露は緩慢な進行性難聴を引き起こし、亜急性中毒の場合には運動神経障害としての古典的な下垂手が起こるものだが、彼の場合はそのような状況ではなく、むしろ、感覚系や自律神経系に障害をもたらした。ベートーベンの主治医は彼はアルコール依存症であると判断していた。彼は特に鉛で汚染されているワインが好きだった。
結論:ベートーベンはたまたま鉛で汚染されているワインを好んで消費していた。他の様々な説明に比して、鉛で汚染されたワインの慢性的な消費こそが彼の難聴を説明するのにぴったりである。 

ベートーベンは自分の音楽が持つ意味を的確に理解し、意識していたようだ。上記に示したように、散歩の最中に某貴族と出逢った時のエピソードはそのことを雄弁に示している。
また、ベートーベンにはさまざまな奇行があったと伝えられているが、それでもなお、ベートーベンの葬儀には2万人ものウィーン市民が参列したという。音楽家としての彼の人気は大変なものだったと言えよう。
ベートーベンが活躍していた頃からすでに200年もの歳月が経過しているが、ウィーンではクラシック音楽の衰退とも思えるような光景を目にする。すでに大分前からひとつの傾向が観察されていた。私の場合、ルーマニアのブカレストと日本との間を往復する場合はほとんどがウィーン経由である。たとえば、ウィーン空港では、20年前には、クラシック音楽のCD売り場が結構大きくて、あれこれと手に取って見ることができた。乗り継ぎの際の時間つぶしにはもってこいの場所であった。私もCDの売店に寄って、当時多数のCDを世に送り出していたメゾソプラノのチェチリア・バルト―リのCDを物色したものだ。そのCD売り場は今はもう十分の一位に、あるいは、それよりもずっと小さくなってしまっている。これはクラシック音楽そのものの衰退を直接的に物語っているのか?それとも、インターネットの普及によって単にCDというメデアの形態が他の形態に移行したことから来たものであって、必ずしもクラシック音楽の衰退ではないのか? 私にはどちらとも断定できそうにはない。
 

参照:
1Why Beethoven tugs at the heart strings: The rhythms of the German composer's music may have been prompted by a coronary disorder: Roger Dobson, THE INDEPENDENT, Jan/04/2015
2The Beethoven Mystique: By Jeffrey Dane, art-bin.com/art/abeethoven.html
3Lead and the deafness of Ludwig van Beethoven: Stevens MH et al. Laryngoscope. 2013 Nov;123(11):2854-8

 

 

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