2016年2月23日火曜日

「1インチたりとも東方へは拡大しない」 - どのように西側はNATOに関するロシアとの約束を破ったのか?



「新冷戦」はとうに始まっている。

1991年の12月のソ連邦の崩壊に続いて、「旧冷戦」は終結した。当時、米国側の一人勝ちが自他ともに認められていた。「これで世界は平和になる」と、多くの人たちは思った。しかし、近年、米ロ関係は急速に悪化している。今や、米ロ関係は最悪の状態にある。「新冷戦」が定着したのだと言われている。

この新冷戦を読み解こうとする時どうしても通り抜けなければならない歴史的通過点がある。それは東西ドイツの再統一に関して米国とソ連とが交渉をしていた際に両国の指導者は何を考えていたのかという点だ。米国はNATOを「1インチたりとも東方へは拡大しない」と、ソ連側に約束していたと言われている。

ここで、歴史を遡ってみよう。

1989年の秋に、ヨーロッパの社会主義圏に猛烈な速度で全情勢を根本的変化にみちびく事件が展開した。初の自由選挙の結果、ポーランドとハンガリーで共産党が政権を失った。ホネッカーは引退した。ベルリンの壁が崩壊した… 

上記の斜体で示した部分は「ゴルバチョフ回想録、下巻(工藤精一郎・鈴木康雄訳、新潮社、1996年刊)」の「ベルリンの壁崩壊」という節の冒頭部分から転載したものだ。当時、米国のブッシュ(シニア)大統領とソ連のゴルバチョフ書記長は東西ドイツの再統一について話し合っていた。この回想録を読むと、結果としては、米国にとってはNATOを存続させることが最大の政治的課題であったことがうかがえる。一方、ソ連側は1991年にNATO軍に対抗するワルシャワ条約機構軍を解散した。

米ソ両国の首脳は交渉の過程(例えば、198912月のマルタ島での会談)でいったいどのような考えを抱いていたのだろうか? 

特にNATO軍についてはどのような議論がされたのか、あるいは、どのようにして東西ドイツの再統一が実現したのか、という点は多くの人にとってもっとも興味深いテーマではないだろうか?

上記のゴルバチョフ回想録をもう少し辿ってみよう。

「・・・もしもドイツが中立化すれば」、とベーカー(国務長官)は私を説得しようとして言った。「かならず非軍国主義になるとはかぎらない。反対に、アメリカの抑止力に頼るかわりに、独自の核潜在力を創り出す決定をすることも大いにあり得ることです。あなたに質問したいのですが、これはかならず答えていただかなければというのではありません。統一が成立すると予想して、あなたはどちらを選びます? NATO外の、完全に自主的な、アメリカ軍の駐留しない統一ドイツですか、それともNATOとの関係は保つが、管轄権あるいはNATOの軍は現在の線から東へ広がらないことを保証された統一ドイツですか?

実際、ベーカー発言のこの最後の部分が、後にドイツの軍事的・政治的地位に関する妥協案の基礎となる公式の核となったのである・・・」

ゴルバチョフは回想録で上記のように述べている。これは歴史的にも非常に重要な証言だ。「実際、ベーカー発言のこの最後の部分が、後にドイツの軍事的・政治的地位に関する妥協案の基礎となる公式の核となったのである」というくだりは両首脳が交渉の過程でこの点が交渉全体の中核であることをお互いに十分に認識していたことを示唆している。そういう意味で、この部分は非常に重要だと思う。また、米国が結局のところこの約束を破ってしまったことを考えると、これは国際政治の非情さ、あるいは、米国政府の傲慢さを示す好例であるとも言えようか。

ヨーロッパにおいては数多くの平和条約が結ばれてきたが、その平均寿命はたった3年に過ぎなかったとある歴史家は言う。新しい状況が生まれ、新しい指導者によって新たな決断が成される。その繰り返しである。

現代においても似たような状況が起こったのだ。たとえこの約束は二国間を律する条約ではなかったにしても、1インチたりとも東方へは拡大しない」という約束は実際にあった。しかし、その約束は破られたのだ。

当時の米国(ブッシュ大統領)とソ連(ゴルバチョフ書記長)の指導者がNATOの存在についてどのように考えていたのかを知ることは間違いなく今の世界をより正しく理解する上で多いに役立つと思う。

この約束に関して詳細に論じた記事 [1] がある。これは2014113日に発行されたものだ。それを仮訳して、読者の皆さんと共有したい。 


<引用開始>


Photo-1: 米国は「NATO管轄権あるいはNATO軍は東へ広がらないことを保証する」と約束した。この約束に何が起こったのか?

もしもロシアがドイツの再統一に賛成するならばNATOを東方へは拡大しないと米国が1990年にロシアと約束した。米国では、この事実を否定しようとする記事が、最近、相次いで発行されている。米国の学者によって執筆された本稿はそうした約束が実際にされていたことやその約束が破られてしまったこと、等が西側に対するロシアの政策をよく説明していると指摘している。本稿は最初にフォーリン・アフェアーズ誌に掲載された。

1990年のドイツ再統一の交渉において、NATOは東欧へは拡大しないと米国はソ連に約束したのか?その答えは目下熱を帯びた論争となっている。NATOロシアの裏庭からは離れた位置に留まるという約束を破ってしまった と主張することによって、今日、モスクワはウクライナへの侵攻を弁護している。その一方で、懐疑論者らはロシア側の主張は他国への侵略のための言い訳に過ぎないと反論している。彼らの見方によると、ワシントンとその同盟国はNATOの拡大を差し控えると公式に約束したことはないと主張する。

NATO軍が将来東欧圏に駐留することに関しては両陣営の間で書き物で取り決めしたという事実はないとする懐疑論者らの主張は正しい。しかし、彼らは1990年に年間を通じて行われた交渉の正確な意味合いをまったく取り違えている。学者や為政者らは国際政治においては非公式な約束は重要であることを以前から認識している。特に、冷戦の時代においてはそうだった。歴史学者のマーク・トラクテンバーグが示したように、冷戦の解消は1950年代の後半から1960年代にかけてヨーロッパやソ連および米国において外交的なイニシアチブがとられたが、約10年後に至るまでは公なものとはならなかった。

西側の最近の振舞いがいかに問題を含んでいようとも、モスクワには西側が約束を破ったと主張する理由がある。機密扱いを解除された米国の文書によると、ジョージ・HW・ブッシュ政権とその同盟国はヨーロッパの冷戦解消後の秩序は相互にとって受理可能なものとする、NATOは現在の位置に留まるとしてソ連の指導者を説得することに懸命であった。しかし、米国の為政者はこの将来像を現実のものとして捉えようという気はなかったようだ。たとえ最近のロシアの振舞いには批判をすべき理由が多く存在するとしても、約束が破られたとロシアが主張する時、ロシアは決して嘘をついているわけではない。結局のところ、米国が将来こうすると約束していたシステムを米国が自らの手でひっくり返してしまったのである。

西側が提示する保証がどのような性格を持つのかを理解するには短い年代記を見るだけで十分だ。この物語はベルリンの壁が崩壊してから数か月のうちに始まった。つまり、為政者は分断されたドイツを再統一すべきか、再統一するとしたらどのように実施するのかについて判断しようとしていた。1990年の当初、米国と西ドイツの政府高官らは再統一を選択した。ソ連が果たして東ドイツから撤退する意思があるのかどうかに関しては確信を持てないまま、彼らは交換条件を提示することにした。  

131日、西ドイツのハンス・ディートリッヒ・ゲンシャー外相は「再統一後、NATOは東方へは拡大しない」と公言した。その二日後、米国のジェームス・ベーカー国務長官はゲンシャー外相と会い、この案を討議した。ベーカーは公に ゲンシャーの計画を支持したわけではないが、この会合は後にベーカーとゴルバチョフ大統領およびシュワルナゼ外相との間で開催された会合の露払いとなった。これらの討議においては、ベーカーは繰り返して非公式な取引を持ちだして、その重要性を強調した。まず、「NATOの管轄権は東方へ拡大することはない」とシュワルナゼに告げ、その後、ゴルバチョフには「NATOの現行の管轄権を東方へ拡大することはないことを保証する」と申し出た。ゴルバチョフが「NATO圏の拡大は受け入れられない」と主張した時、べーカーは「我々はそのことについて同意する」と返答した。機密扱いが解かれた国務省の記録によると、29日にシュワルナゼとの間で持たれた会合はもっとも明白で、ベーカーは「NATOの管轄権あるいはNATO軍が東方へ拡大しないことについて鉄壁の保証を与える」と約束した。この点を力説して、ヘルムート・コール西ドイツ首相は、翌日、モスクワでの会合においてまったく同一の約束をした。 

あの時点で、新しい戦略的風景の概略を見ることはいとも簡単であった。つまり、ドイツは再統一され、ソ連軍は撤退し、NATOは現在の位置に留まる。この「東方」という言葉に関しては通常の受け止め方の何れを採用したとしても、NATOが後に拡大して行った東欧の国々はそのすべてが西側の領域の外に留まっていた筈である。1本の公電がベーカーの会合を総括している。つまり、「国務長官は[ドイツの]再統一の目標を何年にもわたって支持して来たことを明確に示した。再統一後のドイツはNATO内に留まるが、我々はNATO軍はさらに東方へ拡大することはないことを保証する覚悟ができている。」 モスクワは容易に推論することができよう。ドイツを再統一することにソ連側が同意すると、それは西側には制約をもたらすと。ソ連の高官がドイツの再統一に関する交渉に同意する時、彼らは間違いなくこの明白な交換条件を受け入れると考えたのである。

そうした冷戦後の体制が暗に示されたという出来事に挑戦するために、懐疑論者らはふたつの争点を持ち出してきた。第一の争点は、2月の会合はもっと狭い意味で解釈するべきだと主張する。何故かと言うと、ベーカーならびにコールおよび彼らの仲間たちはドイツの将来だけに焦点を当てていたからだ。したがって、2月始めの議論はせいぜい限度を持った約束に過ぎず、NATOの東欧諸国への拡大について述べたのではなく、むしろ、それは東ドイツへは移動しないと述べたものだ、と。

二番目の争点はもっと一般的なものである。モスクワは交渉のテーブル上に提示された取引を明確には受け入れなかったとして、この理由づけは展開していく。だから、西側の為政者にとっては自分たちが示した条件を変更することは自由なんだ、と。そして、この論点は2月の会合後に東ドイツへ「特別な軍事的地位」を与えたことによってまさに彼らの行動と一致するのである。(東ドイツの特別地位は、最終的には、NATO軍が東ドイツへ移動する前に4年間待つことを意味した。)しかしながら、3月には、NATOを除外することについては何の話し合いもなかった。西側においても、ソ連側においても、このテーマを再度切り出そうとする指導者はいなかった。この視点からは、1990年の終わりまで何らの合意点も浮かび上がっては来なかった。モスクワはNATOの下にある統一ドイツを受け入れ、その代わりに、NATOは東ドイツへの駐留を遅らせることに同意した。モスクワの主張とは裏腹に、2月の取り決めを記録に残さなかったのはソ連側の大失敗であった。東方への拡大をしないという約束があったとする主張は当てにはならないものにしてしまったのだ。

これらのふたつの反論は何れに関しても異論を唱えることが可能である。ひとつには、ソ連と米国の指導者は決してうぶではなかった。彼らはふたつのドイツがNATOにとってもワルシャワ条約機構にとっても重要であることを十分に承知していた。そして、統一ドイツをコントロール下に収める陣営はヨーロッパを制することになるだろうと彼らは随分前から理解していた。たとえこの2月の会合が単に東ドイツ内におけるNATOの役割について論じたものだったとしても、米国の申し出は機能的には「NATOは東方へは拡大しない」と約束したこととまったく同等である。ソ連のもっとも重要な衛星国へNATOが進駐しなかったとすれば、NATOは他の重要度の低い国へ進駐することはないだろう、と気の利いた分析専門家は誰だって想定するに違いない。東ドイツへ「特別軍事的地位」を与えることはこの論理を覆すものではなかった。代わりに、これはソ連のもっとも重要な同盟国のことになると、西側の指導者らは自らの手を縛り上げることを潔く受け入れることを示唆している。

さらには、ワシントンは1990年いっぱい作業を続け、2月始めの会合の前提を補強することに努めた。つまり、モスクワは孤立化することにはならないこと、ワシントンは君臨する積りはないこと、等。ブッシュ政権が認めていたように、NATOが身近に迫って来るという恐怖、よみがえるドイツのパワー、自尊心の喪失、制約が増えた行動の自由、等がソ連に被害妄想をもたらした。

ベーカーが簡潔に述べているように、「ソ連は敗者のようには見られたくはない」のだ。西側の指導者らはソ連の心配を和らげるために全欧安全保障協力会議を拡張し、ヨーロッパにおける軍隊の存在を制限し、NATOをもっと政治的な組織へと変革する、等の約束を含めて、幾つかのイニシアチブを提示した。シュワルナゼがドイツにおける展開についてだけではなく東ヨーロッパにおける展開の背景についても何らかの補償を求めたように、ソ連側の指導者の求めに対しては、これらの申し出はギフトのように見えた。東ドイツがNATOに加盟したとしても、これらの約束は新たな安心感を与えてくれた。結局、このような幾層にも絡み合う同意が「新ヨーロッパ」において「米国もソ連もそれぞれの正当な居場所を有する」ことを保証してくれるならば、NATOの東方への拡大はもはや議論の対象からは外されることになろう。

要するに、米国のイニシアチブは公然とソ連の利益に狙いをつけた。モスクワはNATOの手を縛る機会を逸したと論じたり、この交渉はドイツに照準を当てたものだと狭義に解釈しようとする分析専門家はより大きな絵を見失っている。19902月以降の米国の政策は相互に受け入れることができる秩序を現出させ、ソ連を東方に撤退させるものだ。また、これはNATOを東欧圏の外に留めることを意味する。

しかしながら、ワシントンが不誠実な行為をしたことにより罰を犯したのでモスクワの最近の行動は正当化できると結論付けるのは拡大解釈である。外交においては、取引は実施できる場合においてのみ有効である。ロシアの国力は1990年までにはすっかり低下していたことに伴い、米国はヨーロッパにおけるソ連の存在を押し戻し、外交官のジョージ・ケナンが中欧の「工業力と軍事力の中心」と呼んだ地域を統合するという強力な動機を手にした。その後、東欧における戦略の真空状態に直面し、ワシントンはかっての約束を成り行きに任せ、NATOの拡大は戦略的にも必要であると見なすように期待された。これは二枚舌という話ではない。通常に見られる国際政治そのものであった。 

と同時に、ロシアの指導者がウクライナにおけるロシアの行動は安全保障に不安を覚え、恐怖を感じた結果だと主張する時、彼らは本当のことを喋っているのかも知れない。NATOの東方への行進はロシアが孤立化し、包囲されたと感じさせ、信頼できる交渉のパートナーもいないと感じさせたことはきわめて理解可能である。ウクライナ政府が西側の国々から同情を集める革命によって崩壊するなんて誰も予期し得なかった。モスクワの反応については非難することができるとしても、彼らの反応は意外だったと見るべきではない。 

ウクライナ危機に関する解決策のほとんどは何らかの形でロシアの協力に依存することになることから、為政者は1990年の中核的な教訓にもっと注意を払うべきである。もしもワシントンがモスクワとの緊張を和らげたいと望むならば、ワシントンは東欧におけるNATOの存在を意味のある形で制限しなければならない。この目標のためには、NATOの指導者は東欧圏における軍事同盟の役割を強化し、ロシアとの現行の軍備競争のために準備して欲しいと迫ってくる要求には抵抗するべきである。そうすることによってのみ、NATOはロシアに対して自らの意図について信ぴょう性のある保証を与えることができる。1990年がそうであったように、行動が無ければ、言葉だけでは何も意味しない。 

<引用終了>


以上で、仮訳は終了した。

この記事は東西ドイツの再統一とそれに絡むNATOの存在を巡る交渉の過程を詳しく説明している。米ソ両国は「NATOを東方へは拡大しない」という約束を文書では残さなかったものの、機密を解かれた米国の政府文書とか公電によると両国の指導者の間で約束があったことをはっきりと読み取ることができる。

これを読んだところ、ゴルバチョフの回想録で知った内容はここに引用した記事の情報と非常によく一致することが分かった。この引用記事で議論されているように、一部の報告には書きもので残されなかったから約束はなかったと論じる向きもあるようだ。しかしながら、交渉の過程全体を観察すると、約束は間違いなく交わされていたことが判明する。しかも、ドイツの再統一を実施する上でもっとも中核的な交換条件であった。

現代史の中でも特別に重要であると見なされるひとつの章をかなり詳細に学ぶことができた点は大きな収穫ではないだろうか。一般論的に言えば、これは大手の新聞を読んでいるだけではなかなか正確には掴めない歴史的真相でもある。

しかし、私個人としてはこの引用記事には一点だけ気になる箇所がある。それは「ウクライナ政府が西側の国々から同情を集める革命によって崩壊するなんて誰も予期し得なかった」と記述している部分である。

ウクライナのマイダン革命は米国のNGOが長い年月にわたって活動し、米国の莫大な資金を投入し続けた結果引き起こされた「色の革命」であると言える。このことを考えると、ウクライナ政府が革命によって崩壊することなんて誰も予期し得なかったなどとは決して言えない。米国の政府機関や大富豪が運営するNGOから豊富な資金を得てウクライナ国内で活動していた地元のNGOの目的はそもそも何だったのかと言うと、それは表向きには汚職追放ではあったが、当時の政権を転覆することにあったのだ。彼らの最終目的は実に明確であった。資金を提供していた側にとってはなおさらのことではないか。

なお、ウクライナにおける米国のNGO活動、すなわち、ウクライナにおける反政府活動に関しては小生も1本のブログを掲載している。2014310日付けのブログ、「ウクライナでのNGO活動」を参照されたい。当該ブログが引用した原典は2014228日に発行された記事である。つまり、本日のブログが引用している原典(Nov/03/2014)よりも10カ月も前の記事であることから、米国のNGOとウクライナのマイダン革命との関連性は当時すでにさまざまな形で公知の事実となっていた筈である。

それとも、引用記事の著者が言わんとしていることはまったく別の事柄なのだろうか?


      

New Eastern Outlookへ寄稿する常連の著者の中にWilliam Engdahlがいる。彼は政治学で学位を取得しており、地政学の分野や原油市場、ならびに、遺伝子組み換え作物に関してさまざまな投稿をしている。

この著者の最近の記事はシリアにおけるワシントン政府の狡猾な行動を論じている [2]。その中に米国政府の外交政策を辛辣に批判した記述がある。本日のテーマとの関連から、その部分を下記に抜粋してみよう:

「・・・何年にもわたって米国政府の外交政策を観察してきた結果、私は自分が行う評論の中にはある種の尊敬の念を含ませることを学んだ。この尊敬の念は決して賛美ではなく、それはむしろ評価である。つまり、この世界でもっとも強力なスーパーパワーが卓越した技や狡猾さ、あるいは、相手に納得して貰えるような嘘をつき、相手を騙し、的を外さずに相手の弱点につけこむといった秀でた能力を持っていなかったとしたら、この国はその地位を築くことはできなかったに違いない。

相手をだますという技は1945年以降その全期間において米国の外交政策に顕著に見られる特徴であり、1989年のソ連のミカエル・ゴルバチョフとの交渉の際もそうであった。当時、ゴルバチョフは、西側はNATOを東方へ拡大することは決してしないと厳かに約束する米国側の交渉相手を信用した。相手を騙すことは1944年のブレトン・ウッズ体制以来の米国の経済政策においてもその特徴となっており、これは米ドルを基軸通貨とし、準備通貨としての米ドルの支配に挑戦する可能性を完全に潰した。このような動きは米国の軍事力と並んで米国のパワーを支えるもっとも戦略的な柱となった・・・」

この記事を読んでみると、さまざまな分野を横断して幅広く俯瞰しようとする著者の姿勢を見ることができる。事実、総括的に網羅することに成功している。そして、その中のひとつのエピソードが米国がNATOに関してゴルバチョフと交わした約束である。

余談になるかも知れないが、米国が自国の経済と軍事的な覇権を維持するためには相手国をだますことを厭わないというこの著者の論点は我々素人にも合点がいく。今締結されようとしているTPPにも、戦後70年を経ても未だ日本を半独立状態に拘束している安保条約にもこの手法がそっくりそのまま当てはまることは今さら指摘するまでもないだろう。



参照:

1"Not an Inch East”: How the West Broke Its Promise to Russia: By Joshua Shirinson (Foreign Affairs), Nov/03/2014, russia-insider.com › Russia Insider › Germany

2Washington’s Machiavellian Game in Syria: By F. WWilliam Engdahl, New Eastern Outlook, Feb/17/2016






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