2021年1月19日火曜日

2021年には何が待ち受けているか? - 狂気や大騒ぎ、世論操作ならびに更なる独裁だ

 

2020年は近年にも稀な一年となった。新型コロナ騒動で全世界が大騒ぎ、都市閉鎖で経済が大打撃を被った。そして、コロナ禍は1年経った今でさえも収束してはいない。その上、2020年は米大統領選を巡って、トランプ対バイデンあるいは共和党対民主党の戦いが熾烈を極め、正と邪あるいは善と悪との対決へと移行。また、それと同時に民主主義と中国共産党との対決が表面化して来た。

これはあくまでも個人的な印象に過ぎないけれども、同様に感じている人々は決して少なくはないと思う。

そもそも、ワシントンDCの沼を排水しようとすれば、それは単なる政治倫理上の正と邪の戦いではなく、他にも重要な側面がある。米国社会には深い闇がある。それは持てる者(トップの1%あるいは0.1%)と持たざる者との間の不公平であり、それが故の戦いである。また、隆盛を極めている巨大なハイテック企業は今後の独占を維持するためにあらゆる策を動員している。大統領のツイッターさえをも永久停止にしてしまった。常識的にはなかなか受け入れられない出来事だ。グローバルビジネスの行動規範は伝統的な価値観をたやすく越してしまった。

ここに、「2021年には何が待ち受けているか? - 狂気や大騒ぎ、世論操作ならびに更なる独裁だ」と題された記事がある(注1)。身近な人たちとの話の中で、2021年は2020年よりもさらに悪くなるのではないかと心配していると私は言った。この1年がそのような年にはならず、平凡な1年であってくれれば最高に幸せである。

本日はこの記事を仮訳して、読者の皆さんと共有したいと思う。

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2021年には何が待ち受けているか?

当面言えることは、この年は2020年を席巻した狂気や大騒ぎ、世論操作、独裁によってさらに苦しめられることになりそうだという点だ。

率直に言って、私はこれらの状況には辟易としている。我が国の歴史のほとんどを通じて、政治や政治家はわれわれの悩みの種であったことを思うと、偽善主義や二重基準、そして、政治や政治家は国家を患わすことに対する答えであるという幅広い政治的志向の中のひとつの点だけを取り上げてそれに信奉しようとする幻想には嫌気がさす程だ。 

次のことを考えてみよう。今までの数年間、米国人はまさに羊のような平穏さで政府が市民に課したあらゆる形態の不当行為や嫌がらせを許容して来た(非武装の市民に対する警察官による発砲、暴力行為、腐敗、汚職、盗み、完全武装の警察官による家宅侵入や占拠、道路脇で全裸にまでしてしまう捜索、利益を得るための投獄、富を収奪するための戦争、とんでもなく酷い監視、実際的な説明もなく行われる課税、人々の生活を何から何まで口やかましく干渉する過保護国家、都市閉鎖、余りにも多い犯罪、等)。

米国人は、今になって初めて、それらの不当な行為について組織だって行動を起こしたいと考える程に十分に立腹しているようだ。しかしながら、何の目的で?もちろん、政治である。彼らは次の4年間国民に奉仕することになる豚共に対して満面に笑みを浮かべて対応する企業の操り人形に対しては全力を挙げて戦う準備ができている。

妄想に関する話である。

余りに馬鹿げていて、まさにカフカ的な世界だ。

米国における生活が如何に茶番劇風であり、天と地がひっくりかえっており、不条理なものとなってしまったかを示す格好の事例がある。つまり、トランプ大統領は自由という大義をさらに発展させる上では何の貢献もしなかった政治的取り巻きの連中に対して恩赦を与えた。その一方で、米国政府の戦争犯罪を暴いたジュリアン・アサンジは刑務所で朽ち果てようとしている。

トランプが排水すると約束したあの泥沼に絶望的な形で迎合することについては米国人は誰もが激怒していると皆さんはお思いであろう。だが、実は、右派と左派との間で激論が交わされているのはそのことではない。まったくそうではないのだ。彼らは最近の大統領選で死者が投票をしたのかどうかについて依然として議論をしている。

いずれにせよ、どちらの候補者が負けたとしても、そのことにはまったく関係なく、勝者は何時も決まってディープステーツなのである。

そして、あなた方はこんな状況に陥るであろう。つまり、細かい解釈に拘泥し、魔術師の詐欺に気をそらされ、もっとも美しい女性が王冠を射止める美人コンテストのように事前に細かく計画され、周到なシナリオに沿って決定される競争にうつつをぬかし、われわれの身の回りで今崩壊しようとしている世界に関しては何らかの救命策を見い出すことには見事に失敗したのである。

まったくその通りだ。

われわれの経済(経済エリートたちとは違って、米国人の少なくとも大部分は経済の悪化によって甚大な影響を被る)は今最悪だ。インフラは崩壊している。政府は権力欲に旺盛な連中や寄生者らによって占領されている。そして、自分自身の生命を守らなければならないわれわれの能力や基本的権利は、われわれの生命や自由とは無縁のまま、強欲な政府の手先によって奪われようとしている。

われわれの政府という名の船は烏合の衆の船に変わろうとしているのだ。

人工頭脳や至る所に見られる監視によってもたらされる技術革新を前にして、われわれは驚く程に無防備である。この技術革新は、われわれにもそれと分かるように、世界が歩むべき方向を変えようとしている。われわれの権利に向かって襲おうとする山のように聳え立つハイテック企業が迫って来ているにもかかわらず、われわれを防護するための立法や司法の動きは微々たるものでしかない。確かに、株式会社「米国」はわれわれが持っているよりも遥かに多くの権利を有しているのである。

企業による過負荷の調べに合わせて踊る政府の官僚や選出された議員を前にして、われわれは恐ろしい程に無力であり、彼らが望むものは何でも行い、彼らが望む時にはいつでも実行し、納税者の負担で彼らが望む者とは誰とでも一緒に、彼らが代表している筈の一般市民の苦境には何らの関心も払わず、何の思いも持たずに作業をこなす。権力者エリートにとっては「われわれ市民」はたったふたつのことにしか価値を持ってはいないのだ。それはわれわれが支払う税金であり、われわれが行う投票である。換言すると、彼らは単にわれわれの金が欲しいだけなのだ。

国内や海外に課される政府による暴力を前にして、われわれは驚く程無力である。実際に、政府の関係省庁によって実行され、戦場で特訓を受けた特殊部隊や軍隊化された警察が投入され、先ず銃を発射しその後で質問をする官僚的な政府のエージェントによって行使される非武装市民に対する組織的な暴力は米国市民や彼らの自由に対して行われる如何なるテロ行為よりも、また、数多くの市民に対して行われる発砲事件よりも遥かに甚大な集団的危害をもたらしている。

政府や企業の検閲官ならびに自分たちに合致しないと思われる見解は何でも葬ろうとするキャンセル・カルチャー行為を前にして、われわれは奇妙なほどに沈黙している。こうして、政治的公正はより陰湿な形態の集団思考や暴民支配に道を開いて来たのである。

国民を新しい環境に慣れさせるために発せられる新型コロナに関する指令や規制、旅行禁止、罰金を前にして、われわれは都市閉鎖の環境に驚く程甘んじている。その結果、政府の専横には何の質問もせずにいる。さらには、それが如何に極端であっても、あるいは、理不尽であってさえもそれに従っている。

警告法やテロ監視リスト、接触先追跡プログラム、許容ゼロ政策、ならびに、それ以外のわれわれを恐怖に陥れ、従順にさせる警察国家のさまざまな施策を前にして、われわれは驚く程に小心である。

政府は「われわれ市民」を代表するものであるとする集団的信念にわれわれは驚く程洗脳されてしまっている。政府は汚職や共謀、機能不全、倫理観の欠如、無能といったパターンを長い間露呈しいぇおり、それらの状況に関わって来たにもかかわらず、われわれは依然としてそのままの状況にある。 

このような現状にあるにもかかわらず、そして、われわれは単に権力者エリートの悪魔的な目的のために酷使され、虐待され、操作されるだけの存在であることが明白であるにもかかわらず、われわれは彼らの謀略の真の姿をはっきりと見定めることには何故か失敗してしまうのである。彼ら自身の権力や富を拡大するために我が共和国ならびに市民を投げ出そうとする試みは薄いベールに包まれているだけであるというのに・・・ 

新年に当たってこのような光景を見るのは非常に辛いことではあるが、まったく希望が無いわけではない。

もしも希望を見出したいならば、悪い状況にある事柄を解決すると言いながら自分自身のためだけに行動する政治家には依存しないことだ。地方において悪い状況を修正し、壊れたものを修復しようとするわれわれ自身の間にこの希望は見い出されるのである。私が言及したいのは物を作り、物事を考え、周囲の人たちを支援し、癒し、教育をし、新しいことを行う人たちのことであり、芸術家、活動家、職人、食品の流通に携わる人たち、物事を破壊するのではなく構築することに関与するその他諸々の人たちのことである。

自著「Battlefield America: The War on the American People(戦場のアメリカ - 米国民に対する戦争)の中でも明らかにしているように、「われわれ市民」こそがより良い年を実現するための希望なのである。トランプではない。バイデンでもない。また、米国を警察国家にしようとする立案者やそれを支援する者たちでもない。

まさにそのような真実を手にすることができるようになるまでは、つまり、われわれが自由が再び何らかの意味を持つような世界に復帰するための道順を指し示すことが出来るようになるまでは、大衆主義者の怒りや些末な政策、われわれに穴を穿ち、ボロボロにしてしまう破壊に満ちた虫食い穴の中にわれわれは閉じ込められていることであろう。

このシナリオにおいては勝者はいない。

ソーシャルメデイアでは今ひとつのミームが流行っており、それは次のような具合だ: 

100匹の赤蟻と別の100匹の黒蟻を捕まえ、それらを瓶に入れる。当初は何も起こらない。しかしながら、瓶を激しく振って、蟻を地上に戻してやると、蟻たちはお互いを殺し合う戦闘を開始する。要は、赤蟻は黒蟻は敵であると考え、その逆も真なりの状況となる。しかしながら、現実には、真の敵は瓶を振った人物なのである。これはまさにわれわれの社会で今日起こっていることそのものだ。リベラル派対保守派。黒人対白人。マスク推進派対マスク反対派。ここで、もっとも現実的な質問はいったい誰が瓶を振っているのか、そして、それは何故かという点である。

赤蟻が黒蟻を一匹残らず殺してしまうかどうかは生物学者にぶつけるべき質問であろうが、これはわれわれの目の前の政治の舞台で繰り広げられていることに関係する非常に優れたたとえであり、社会工学における身も凍るような教訓であるとも言える。あなたがまさにサーカスであるかのような政治や都合のいいタイミングで行われる興行、等に深入りし過ぎてしまって、あなたの関心の的が政府による権力の拡大から逸れてしまう前に、まずは自分自身が問いを発してみるべきだ。「実際問題として、誰が瓶を振っているのか?」と。

著者のプロフィール: 憲法弁護士であり作家でもある著者のジョン・W・ホワイトヘッドは「Rutherford Instituteの創設者であり所長でもある。彼の新著「Battlefield America: The War on the American People」はアマゾンにて入手可能。ホワイトヘッドとはjohnw@rutherford.orgにて交信できる。

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これで全文の仮訳が終了した。

赤蟻と黒蟻の話は実に秀逸である。「実際問題として、誰が瓶を振っているのか?」という問いかけは実にいい。今回の米大統領選における不正行為やトランプ大統領に対する二回目の弾劾について熟考したい際にもよく当てはまりそうである。

そして、さらに重要な点はこういった状況は米国だけに限られていると早合点してしまうことは愚の骨頂であると思う。いつの日にか日本にも上陸してくる可能性が高い。歴史が示しているように、人の考え方や行動の多くは高いところから低いところへと確実に流れて来るからである。問うべき点は「何が?」ではなく「何時か?」であろう。

世の中の動きについて謎解きを行う際に注目するべきもうひとつの鍵は誰の利益になるのかという点だ。これは古くから言い尽くされているが、今も文字通りに当てはまる。卑近な例は新型コロナのPCR検査だ。PCR検査で実際に患者であると推定される人は陽性者の中のごく一部であると指摘されている。それでもなお、現行のPCR検査の実施要領について改善をする兆しは見られない。誰が瓶を振っているのか?

最大の課題は、著者が指摘しているように、われわれ一般大衆は真実を学んだ後にさえも依然として沈黙を守っている点であろう。2020年の状況を繰り返したくはない。今年こそは政治的に目覚めたいと思う。多くの読者の皆さんもそう感じておられるのではないだろうか。


参照:

1What to Expect in 2021: Madness, Mayhem, Manipulation and More Tyranny: By John W. Whitehead, Information Clearing House, Jan/05/2020




2 件のコメント:

  1. 「実際問題として、誰が瓶を振っているのか?」
    いい質問ですね。私たち、わかっているようで、実は赤蟻だったり黒蟻であったりすることがあります。その意味で怖い質問ですね。誰が瓶を振っているのかを見極める観察者の立場でありたいし、マス(大衆)としての個人ではなく、自覚した独立した個人でありたいものです。いい質問は真理をあぶりだしますね。

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  2. kiyoさま
    コメントをお寄せいただき有難うございます。
    確かに、この言葉は現状を捉える上では実に効果的であると思います。むしろ、これ以上説得力のある言い回しはちょっと思い当たりません。2020年はわれわれ一般大衆にとっては非常に根源的な問いかけをしてくれたという事実を改めて反芻しておきたいと思います。そういう意味では、誰が正で誰が邪であったのかは別の議論であるとしても、しばらく経ちますと2020年は歴史的な一年であったと気が付くかも知れませんよね。

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