白川静さんが著した「常用字解」あるいは「字統」をひもとくと、日頃何気なく使っている個々の漢字の由来を知ることができる。古代中国の人たちがどんな世界観を持って毎日を生活していたのかを垣間見ることができるとも言える。たとえば、私ら翻訳者は毎日のように「訳」という仕事に従事し、他国語の文章を日本語に訳したり日本語の文章を他国語に訳したりすることを生業としている。
白川静さんは「訳」の語源をどのように説明しているのだろうか。下記に引用してみよう。
「訳」のもとの字は譯と書き、その音符は睪(えき)。「睪」は獣の屍体の形を表し、その屍体をばらばらにして解きほぐすことを「釈」という。睪はある言語を一つ一つに解体し、別の言語に改めること、他国語の意味を伝えることをいう。中国の周辺には言語が異なる多くの民族がおり、古くから伝訳(他国語に移しかえて伝えること)が行われ、当時の周の国の言語では伝訳の職は「舌人」と呼ばれた。
解釈の「解」は牛と角と刀で構成されている。牛の角を刀で切り取ることをいう。解と釈は、獣の角を切り取り、肉を取り分けてばらばらにするのがもともとの意味である。
「言」と「睪」とを組み合わせて「訳」のもとの字「譯」が作られたのだという。この「譯」という文字は、文字そのものの発展の歴史上からは「篆文」の時期に起源するそうだ。篆文は群雄が割拠していた戦国時代(紀元前403年~紀元前221年)に発達し、その戦国時代を制した秦王朝がそれぞれの地方の国で使われていた様々な様式の文字を廃して、そのうちのひとつである「篆文」(厳密には「小篆」)に統一したと言われている(秦王朝は紀元前221年に始まる)。
小篆の文字様式の時代から二千数百年を下った今、この「訳」という文字の成り立ちには21世紀初頭を生きる我々には、上記の引用が示すように、想像を超えた世界が隠されている。また、白川静さんの「訳」の解説文には解釈の「釈」が解説の一部として登場してくる点も非常に興味深い。実際に「訳」の作業を行うに当たっては、翻訳者はまず言葉を正しく解釈しなければならない。「訳」と「釈」の二つの漢字にはそれぞれの旁が同一であることから容易に推測されるように、これらは互いに密接な関係を持っていることは明らかだ。しかし、我々素人にとってはそれらがどのように関係していたのかはなかなか推測できない。
上記の白川静さんの書籍には甲骨文字の時代である三千数百年前にまで遡って語源を説明した漢字がたくさん掲載されている。日頃使っている漢字のもともとの意味は「こういう意味だったんだ」、「こんな風に考えていたんだ」と初めて納得することができる。象形文字から表意文字に変化していく過程やそこに秘められた論理もまた非常に興味深く、実に見事である。
戦いに赴く兵士らは戦勝を祈願してご先祖様にお供えした「肉」を携行し、軍が行動する間はこの肉を軍の守護霊として用いていたという。「道」という漢字では「首」が主要な構成要素となっているが、これには異族の首を手にぶら下げて邪霊を祓い清めながら道を進む行為そのものが反映されているという。嫁いできた新婦が夫の家の先祖の霊にお参りし、そうすることによって夫の家の人たちにも受け入れられ、その結果やすらかで平穏な家庭生活を送ることができた。これが「安」のもともとの意味であるという。
ところで、日本語における漢字の使い方については常日頃気にかかっている点があります。少しばかりそれを反芻してみたいと思います。
日常の会話やマスコミを注意して見ると、カタカナで表現した外来語が非常に多い。しかも、それらは増えるばかりだ。漢字の論理性や語源について少しでも注意を向けると、この趨勢が果たして好ましいものかどうかという疑念が強まってくる。
例えば、「趨勢」とか「動向」という立派な言葉があるにもかかわらず、どうして「トレンド」と言わなければならないのだろうか。テレビのニュースを聞いていても、最初にカタカナ文字で喋り、その後で『いわゆる「何々」』と漢字に置き換えている場面に遭遇することがある。新聞でも同じような状況であって、カタカナ文字の後に括弧内に漢字を挿入している。あたかもマスコミの人たちは漢字をカタカナ言葉に置き換えようとしているかのごとく見えてくる。
これらは一体何を意味するのだろうか。好意的に見れば、われわれ日本人が持つある種の精神構造が背景にあるような気もしないではない。日本が中国の漢字を書き言葉として導入し続け(日本で最も古いとされる漢字は埼玉県の稲荷山古墳で出土した鉄剣に刻まれている115文字だそうだ。これらの文字はX線検査で初めてその存在が明らかになった。この鉄剣は471年に制作されたもので、古代国家の成立の過程が記録されている。これより以前にも日本で漢字が使用されていたのかも知れないが、確認はされていない)、千数百年にもわたって漢字の恩恵に浴してきた歴史的背景から、日本人には外来語を容易に(あるいは、安易に)受け入れる行動様式が確立されているということではないだろうか。
日本以上に中国文化の影響を受けたと思われるお隣の韓国ではどんな様子だろう。韓国では1948年に漢字の使用を止めた。その後も中学校では漢字教育が容認されてはいたが、漢字教育は低調だったとのことである。1990年代以降は漢字復活の動きが出てきたと聞く。漢字教育推進総連合会が結成され、その主要な三つの主張のひとつが「朝鮮語でも、日本語並みに漢字を使用すべきである」としているという。その一方、「ハングル文字は韓国が誇る科学的文字である」あるいは「ハングル専用で不便を感じる韓国民はいない」、「漢字を使う必要はない」といった主張も根強いそうだ。
韓国は日本に負けず劣らずの貿易立国である。近年、韓国の人たちの間では国際競争力の観点から漢字教育を見直したいとする意見もあるそうだ。漢字を読み書きできれば、中国はもとより、日本、台湾、シンガポール、等ではお互いの筆談も可能になってくる。中国は2010年には日本を抜いて世界第二の経済大国となり、国際経済の中でその地位を急速に高めている。政治的にも中国は米国と共にG2と見なされている今、韓国では漢字教育のニーズが高まるばかりであるという。就職試験に漢字試験を課すといった例も出てきており、民間ではこの趨勢を先取りしているようである。韓国での今後の展開を注視していきたいと思う。
日本語と韓国語はお互いに非常に近い言語であるとは言え、これら二つの言語はその特性が違うのでこれらを直接比較することはすべきでないと思う。しかし、仮に漢字とひらがなを混用することが基本となっている日本語をある日突然ひらがなだけの表記に移行したとしたらわれわれの言語生活はどんなことになるのだろうか。察するに、殆どの人たちは「ひらがなだけでは読みにくい」とか「ひらがなだけでは誤解してしまう」あるいは「メリハリがない」といった反応を示し、社会生活はかなり混乱するのではないだろうか。
言語学の専門家にとっては「言語は常に流動している」といった考えが基本的な見方のようだ。「ツナミ」や「カラオケ」あるいは「テリヤキ」を挙げるまでもなく、日本の言葉が英語圏で採用されている事例もたくさんある。また、フランスでは「かわいい」がもてはやされている。英語にはラテン語、ギリシャ語、イタリア語、スペイン語、フランス語、ドイツ語、等、たくさんの外来語が取り入れられている。要するに、ふたつの異なる文化が交流すると、相手の言語が外来語として取り込まれるという現象が多かれ少なかれ起こる。
しかし、伝統を守るという観点からはお国柄が出てくる。ドイツ語圏では、ある専門家の話によると、たとえば現代人が200年、300年も前の人たちと会話をしたとしても、お互いに容易に分かりあえるそうだ。それに比べると、日本語の変化の度合いは余りにも急激だと言う。仮にあなたが200年、300年前の日本人と話をする機会があったとしても、即座に理解しあえるかどうかは全く期待できないのではないか。町人文化が花開いた元禄時代(今から300年程前)に大阪で初演され、大いに受けたと言われる「曽根崎心中」を我々が今理解しようと思っても、一筋縄では行かない。ここに、ドイツと日本の大きな違いがあるような気がする。ドイツ語圏の人たちはそれなりに努力を重ね、自分たちの言葉を守り続けてきたのではないだろうか。
日本語の現実を見ると、残念ながら、そういった努力をあまり目にすることはできない。変化こそが日本語の特質だと一言で片づけてしまってもいいのだろうか。
安易に外来語を多用することなく、日本語においては漢字をもっと大切にして行くべきではないかとの思いが強まってくるのだ。伝統的な言葉には無いような外国の言葉であって日常生活にどうしても必要な言葉であれば、それは導入すればいい。しかし、「趨勢」や「動向」といった既に確立されている言葉を「トレンド」という外来語で置き換えるような行為は行き過ぎで、はしたないと思う。このような思いにかられるのは小生だけではないだろう。
一方、ここまで述べてきた小生の思いは、大きな時代の流れの中での些細な抵抗みたいなものかも知れない。古代ギリシャでも「最近の若い者は・・・」と嘆く年配者の様子がアリストテレスの著書にも出てくるそうだ。今から200年、300年後には、今日の日本人が持っている外来語に対する「偉大なる寛容さ」については何らかの評価が成されるのかも。
「ふたつの漢字」から大分脱線してしまったようです。悪しからず!
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