福島第一原発事故 - 独メデイアが日本に伝えたかったこと
福島第一原発での事故の直後、読売新聞によると当時のドイツでは日本政府の対応については次のような感じを持っていたという。
<引用開始>
独メディア「日本政府は事実を隠蔽、過小評価」
2011年3月16日(水)17時48分配信
【ベルリン=三好範英】ドイツでは、福島第一原発の爆発や火災などに関する日本政府の対応について、不信感を強調する報道が目立っている。
被災地で救援活動を行っていた民間団体「フメディカ」の救援チーム5人は14日、急きょ帰国した。同機関の広報担当者シュテフェン・リヒター氏は地元メディアに対し、「日本政府は事実を隠蔽し、過小評価している。チェルノブイリ(原発事故)を思い出させる」と早期帰国の理由を語った。
メルケル首相も記者会見で「日本からの情報は矛盾している」と繰り返した。ザイベルト政府報道官は、「大変な事態に直面していることは理解している。日本政府を批判しているわけではない」と定例記者会見で釈明したが、ドイツ政府が日本政府の対応にいらだちを強めていることは間違いない。
<引用終了>
ここに引用した記事の表題は「日本政府は事実を隠蔽、過小評価」となっており、非常に手厳しい。どうしてそういう言い方になるのか、当時の私には正確に理解することができなかった。
事故後4カ月、5カ月と時間が経過し、初期状態に関する様々な情報が遅ればせながらも公表されるにつれて、事故後5日目の時点でのドイツのジャーナリストやドイツ政府の判断は正しかったことが明白になってきた。まったくの驚きである。これは、むしろ、敬意を表するに値するのではないか。
菅政権は福島第一原発事故に関する対応の拙さによって国民の間の信頼感を失ってしまった。昨日(8月26日)首相の座を辞任した。
毎日新聞の全国世論調査(8月20、21日実施)によると、「月内にも退陣する菅内閣に対する厳しい世論が鮮明になった。東日本大震災後の取り組みについて「評価しない」との回答が7割」とのこと。(1)
でも、あの時点でドイツのジャーナリストや独政府はなぜあれほどまでに的を射た物の見方ができたのだろうか。もちろん、日本政府は原発事故の真っただ中にあって、当事者の立場。好意的に見れば、情報の収集や分析にすべての時間を投入していたものとも推測される。
しかし、ドイツのジャーナリストや独政府は日本政府の対応は事実を隠蔽していると判断し、原発事故の重大さを余りにも過小評価し過ぎていると感じた。彼らの行動規範や思考の論理から見ると十分にそう判断されたのだ。
小生が思うに、ドイツでは脱原発に関して日本よりもはるかに真面目に議論してきたのではないか。
ドイツにおいても原発の事故はゼロではない。
最近の事例では、クリュンメル原発において2007年6月28日に変圧器に短絡が発生し、火災事故にまで発展した。この事故の対応にはその後2年間もの時間を費やし、3億ユーロ(330億円に相当)もの設備改善を実施して、2009年6月21日にようやく再稼働となった。しかしながら、またもや変圧器の短絡による故障で、再稼働の直後運転を停止せざるを得なくなった(2009年7月4日)。それ以来、現在も停止のままである。(2)
この2009年の2度目の事故の際、クリュンメル原発の運転を行っていた発電事業者(スウェーデンのヴァッテンファル社。同社は50%の出資者でもある。福島第一原発における東京電力に相当。)による情報の出し渋りや消極性が指摘され、批判されていた。事故後9日目にはドイツで最も定評のあるシュピーゲル誌が詳細な報告を行っていた。(3) 2009年7月13日付けの「シュピーゲル・オンライン・インターナショナル」はこの二度目の事故は想像以上に深刻な事故だったと伝えている。メルトダウンの一歩手前だったという。
ドイツでは何年も前から環境志向型の市民運動が活発で、国民の啓発が進んでいた。マスコミもそれに応えて、情報の提供をしてきた。マスコミ本来の役目である。
そして、ある州の選挙では脱原発を掲げた野党が躍進し、本年、ドイツ政府は脱原発に舵を切った。ドイツのアンゲラ・メルケル(Angela Merkel)首相は5月30日、国内にある17基すべての原子力発電所を2022年までに停止すると発表した。(4)
一方、日本の福島第一原発事故に目を転じてみよう。
東京電力は1号機に「メルトダウン」があったことを5月12日に始めて公式に認めた。これは、3月11日の東関東大震災から実に丸2カ月後のことだ。
米国の研究者、クリス・アリソンが行った原発事故のシミュレーション結果によると、原子炉の緊急炉心冷却装置が停止してから1時間20分後には燃料棒が溶け始め、3時間半後には溶けた炉心が圧力容器の底部に落下したとのことだ。このシミュレーション結果は3月末には国際原子力機関(IAEA)にも報告されている。(5)
つまり、3月末にはこの方面を専門にする人たちや行政関係者は誰でも福島第一原発でメルトダウンが起こったこと(あるいはその可能性が高いこと)をすでに認識していた。当然、米国政府は知っていた。ウィーンの国際原子力機関も知っていた。IAEAの事務局長は日本から派遣された天野之弥氏であるから、この情報は、即、事故の当事国である日本の政府へも通報されていたものと思われる。各国から派遣されているIAEAの幹部も皆知っていた。彼らの出身国の政府も皆知っていたと思われる。知らなかったのは日本の国民だけである。
エネルギー総合工学研究所の内藤正則氏によると、「東京電力は初期の段階に同種のシミュレーションを行い、メルトダウンを想定することができた筈」だとしている。(5)
また、原子力関連の専門家が集まる日本原子力学界は東京電力と政府を批判して、「原発事故の評価結果や評価のもとになるデータの情報開示が遅れた事について、強く遺憾で、早急な改善を求める。国民の抱く不安に拍車をかけた。専門家による解明や提言に支障を生じさせた責任は重い。」と述べている(7月5日付け朝日新聞)。ここには外部の専門家による批判をかわそうとする東電の姿勢が読み取れる。
福島第一原発1号機の反応炉の内部を見た者はいない。計測器が停止してしまったので計測記録も無く、何時何が起こったのかを詳細に確定することは困難だ。
しかしながら、さまざまな証拠をかき集めてみると、この事故の全体像が浮かび上がってくる。佐藤前福島県知事が何故に「原発事故は人災だ」(6)と言ったかが良く分かるような気がする。
東京電力と政府は少なくとも3月末以降5月12日までメルトダウンの事実を隠蔽していたと言わざるを得ない。もし、東京電力が事故の発生後直ちにシミュレーションを実施し、何らかの結論を得ていたとすれば、上記よりももっと長い期間にわたってメルトダウンの事実(あるいはその可能性)を隠蔽していたことになる。
日本とドイツの二つの国の間には多くの違いがある。あっても不思議ではない。しかしながら、国民の生命が絡んでくる原発事故の対応に関してはそんなに大きな違いがあってはならない。
ひとつにはマスコミが陰に陽に係っていたのかも知れない。マスコミはその人的資源を最大限に活用して、国民にとって真の意味で有益な情報を提供することができた筈だ。国民の生活を守るために正確な情報発信を行うことがマスコミの最大の役目であることを考えた時、なぜか日本のマスコミはその役目を放棄してしまったようだ。
「マスコミは決して政府の情報管制下にはない。日本には言論の自由がある」とマスコミが言い張れるほど国民はうぶではない。マスコミが政府の情報管制下に置かれている現実は洋の東西を問わず何処でも見られる。恰好の事例として米国の911同時多発テロ事件をめぐる米国のマスコミの対応振りを思いだして欲しい。
ある評論家によると、日本のマスコミは政府の情報管制下にあって各社とも事なかれ主義で毎日を過ごしている。福島第一原発事故に関しては最後までその論調を緩めなかったのは東京新聞だけだったと。
過去の海外での原発関連の事故についても日本国内へは十分に報道されてはいないとのことだ。どこかでスクリーンにかけられていたのだ。
スウェーデン(2006年7月、メルトダウン寸前となる事故)やドイツ(上記に引用した2007年および2009年のクリュンメル原発での事故)ならびにフランス(使用済燃料の再処理施設での事故)、等における原発関連の事故は日本では殆ど紹介されなかったという。報道されてもベタ記事扱いで、掘り下げがまったくない。
技術的にリスクをはらんだ原発に人的なエラーが加わる。そして、事故は繰り返して起こる。この構図は日本でもスウェーデンでもドイツでも同じことである。外国における事故例を学ぼうと思えば、日本はそこからさまざまなことを学ぶことができた筈である。しかし、日本政府と電力業界が作りだした日本独特の「安全神話」の存在がそういった機会を活用しないままにしてしまった。
最終的には、日本国民が覚醒しているかどうかの問題だ。個人個人が十分に目覚めてさえいれば国政選挙の度に脱原発に向かって歩を進めることはできるだろう。自分の家族の次の世代を考える時、つまり、20年先30年先を考える時、大きな方向性をしっかりと政治に反映させることは非常に大事だと思う。
少なくとも、今までノンポリであった小生自身は今回の福島第一原発事故で目が覚めた。眼を覚まされたのだ。
福島第一原発事故は原発の「安全神話」を根底からくつがえした。世論は目覚めさせられた。原発に対する考え方は大きく変化した。今後の安全な生活を確立するためにわたしたち一人一人がどのように行動するべきか、今皆が個人レベルで試されていると言える。
菅直人首相は昨日(8月26日)辞意を表明した。日本の国民は福島第一原発事故を通じてここ数カ月の間に体験した不安や将来に対する不透明感を払しょくできないでいる。誰が次期首相になろうとも、そういった不安や不透明感を払拭できるような政治を行なって欲しいものだ。そして、我々庶民は一人一人が選挙民としてそうした政策を要求し続けて行くことが必要だ。
原子炉を廃棄するには20年~30年もの長い年月を必要とすると言われている。非常に息の長い政策が必要となる。個人レベルでも、この分野についてもっともっと勉強して行きたいものだ。
もうひとつの重要な論点は、生命の危険性に関して言えば「原発も原爆もとどのつまりは同じことではないか」という点だ。何らかの理由で原発を制御できなくなったらどういうことになるかに関して、福島第一原発事故は日本の国民にその答えを明確に示してくれた。炉心冷却装置が停止すると3時間半後には原発は原爆に豹変するのだ。それが今回の原発事故で分かった。
この続きは別の機会にしたい。
参照:
(1) 毎日世論調査:菅内閣の震災対応「評価しない」が7割 (2011年8月21日)
(2) Krümmel Nuclear Power Plant (Wikipedia)
(3) Atomic Nightmare - Krümmel Accident Puts Question Mark over Germany's Nuclear Future (Jul/13/2009)
(4) ドイツの脱原発政策、各国の反応 (AFP、2011年5月31日)
(5) Nuclear Power Plant Suffered a Nuclear Meltdown with 3.5 hours of the Japan Earthquake and Was Hid From the Public (Aug/25/2011)
(6) 原発事故は人災~佐藤前福島県知事インタビュー(時事ドットコム)
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