2011年9月12日月曜日

レデイが「No」と言っても、それは「多分」くらいの意味にとった方がいい

 
[2007] 
ボスニア・ヘルツゴビナ紛争(1992-1995)による死者はBBCの報道(2007621日)によると少なくとも97,207とされている。これはノルウェー政府の援助のもとで3年間を費やして行った最新の調査の結果だ。しかし、当事者の話によると、まだ調査は継続されており、最終的にはさらに一万人程は増加するだろうとの予想だ。数多くの集団墓地が未調査のままだという。一家全員が死亡してしまって申告する人がいない場合さえもあるからだ。

[2009]
RT.COM(ロシアのテレビ局)の報道(20091117日)によると、戦いはまだ続いている。今度は死者の数についてだ。死者の数も政治に振り回されていたのだ。ボスニア紛争の傷跡は癒えてはいない。歴史的に見ると、このような状況は日本が絡んだ南京虐殺やユダヤ人が体験したホロコーストでもまったく同じ構図が見られる。当事国の政治的エゴが絡んだ場合だ。他にもたくさんの例がある。

[2011]
2011330日の報道によると、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷はボスニア・ヘルツゴビナ紛争での最終的な死者の数を104,732と結論付けた。どこかの時点で死者の数に終止符を打たざるを得ないのだ。

✍ ✍ ✍ ✍ ✍


旧ユーゴスラビア連邦の崩壊の動きのなか、構成国家であったスロベニアやクロアチアが次々と独立した。ボスニア・ヘルツゴビナも独立した。しかし、ボスニア・ヘルツゴビナは1992年から1995年までは激しい内部紛争に明け暮れた。それはセルビア人(オーソドックス系キリスト教徒)、クロアチア人(カトリック系キリスト教徒)ならびにイスラム系勢力の三者間の紛争であった。これら三者は外観だけでは識別できない。同じヨーロッパ人なのだ。

当時、「民族浄化」という言葉が日本のマスコミでも頻繁に現れるようになった。

元国連事務次官の明石氏が交渉事の中で最も印象に残った事例のひとつは19944月のゴラジュデでの出来事だったそうだ。

ボスニアのセルビア人武装勢力がイスラム系住民の多いゴラジュデを攻撃。国連はセルビア人武装勢力に対してNATO軍による空爆で対応しようとしていた。国連を代表する明石氏は彼らを何とか説得しようとした。NATOによる空爆が開始される予定時刻が刻々と迫る中、一人でも多くの市民の安全を確保するために明石氏はセルビア人勢力の指導者であるラドヴァン・カラジッチとの交渉を続けていた。合意はなかなか得られず、マラソン交渉となった。

明石氏は相手のカラジッチを「政治家ではあるが詩人でもあったし、日本の三島由紀夫の文学を好む、ちょっとお茶目なところのある熊のように大柄な男だった」と形容している。11時間にも及んだこのマラソン交渉によって、NATO軍による空爆開始予定時刻の10分前ぎりぎりになって最悪の事態を回避することができたという。

明石氏としては、「この交渉が妥結しないならば、NATO軍の空爆によってセルビア系住民は全部殺されることになるかも知れない。あなたたちは自分たちの歴史的責任を考えてもいいんじゃないか」と、率直にカラジッチに問いかけ戦闘を中断するよう促した。

レデが「No」と言ったら、それは「多分」くらいの意味にとった方がいい。
レデが「多分」と言ったら、それはほとんど「OK」だ。
レデが「OK」と言ったら、彼女はもはやレデではない。

外交官が「Yes」と言っても、それは「多分」くらいの意味にとった方がいい。
外交官が「多分」と言ったら、それはほとんど「No」だ。
外交官が「No」と言ったら、彼はもはや外交官ではない。

上記に引用した言葉は「爆笑問題」の二人が明石康氏をインタビューした際に明石氏が交渉事について語った言葉である。
(NHKの「爆笑問題の日本の教養(ファイル105):戦場の交渉人」、20104月放映)

ジョークとしての面白さだけではなく、表現が巧みであり、そのリズム感が秀逸だ。それだけではなく、奥の深ささえも感じさせてくれる。「外交官とはどういう人か」という問いにもうまく答えているような気もする。

『あなたは外交官なんだから、ツズラ空港の開港の問題について僕に「No」と言うはずはないと確信している』と言ったら、カラジッチはカラカラと笑った。『ミスター・アカシは俺に「No」とは言わせなかった』と、カラジッチは側近に明石氏の交渉姿勢を打ち明けたという。

明石氏にとっては、ツズラ空港の開港を迫った際、「Yes」は貰えなかったけれども、「No」でもなかったことから交渉の余地が残っていたのだという。

✍ ✍ ✍ ✍ ✍


このインタビュー、実に示唆に富んでいた。
再度じっくりと反芻してみたい内容だ。

ボスニア紛争の当事者についてここでどちらが悪でどちらが善であると言う積りは毛頭ないし、それを言おうとしたらあの国が持つ歴史をどれだけ勉強したらいいのか想像もつかない。もちろん、素人にとってはそれを言えるだけの材料は持ち合わせてはいない。このボスニア紛争の根はとても深いのだ。お互いが加害者であると同時に被害者でもある。

ただ、さまざまな資料を読んでみて、このボスニア紛争について記憶に留めておきたい点がひとつある。あれは情報戦でもあった。

ボスニア・ヘルツゴビナのイスラム系勢力は米国の広告代理店(ルーダー・フィン社)の専門家の助言を求めて、情報戦を展開した。そして、これが効を奏したのだ。残酷な響きを持つ「民族浄化」という言葉はこの広告代理店が世界のマスコミに浸透させたと言われている。結果として、イスラム系勢力は一国の国内紛争を国際的な政治課題へと昇格させ、国際世論を上手に自分たちの味方にすることに成功した。

こうして、一国の内政問題が国際問題に変身したのだ。ボスニア勢力のために国連やNATOの介入が始まった。

情報戦の内容を見るために「ドキュメント戦争広告代理店」という本の書籍紹介の一部を引用してみよう。


<引用開始>

・・・彼らのやり方はじつに巧みだった。セルビア人を悪人に仕立てるため、マスコミが喜びそうな情報をつぎつぎに流して、米国議会を動かし、米政府を動かし、国連を揺さぶる。担当者のジム・ハーフはボスニア政府代表団として国際会議にも出入りし、ボスニア大統領の演説草稿まで書いてしまうというのだから驚きだ。
 そのPR戦略の要となったキャッチコピーが「民族浄化」と「強制収容所」だった。欧米人のトラウマともいえるナチスを想起する言葉を並べ連ね、マスコミを動かし、ミロシェビッチ大統領を悪の権化に仕立てあげたのである。
 彼らが利用したデマ情報に 、「タイム」誌の表紙がある。セルビア人に捕らえられ鉄条網ごしにやせ衰えた上半身をさらすムスリム人。鉄条網は、カメラマンの背中の側にあった倉庫や変電設備を囲うためのもので、やせた男を収容するためのものではなかったことが、後日明らかになった。・・・

<引用終了>


この写真を見た人は多いと思う。小生もその内の一人だ。問題の写真をここに掲載できないのは残念だが、その写真を大雑把に描写するとこんな具合だ。鉄条網が一番手前に横断している。これは強制収容所を彷彿とさせる情景だ。その鉄条網の向こう側には何十人もの男たちがこちらを見て佇んでいる。中央にはやせ衰えた、長身の男の姿。あばら骨が浮き出ている。

しかし、このやせ衰えた男は若いころに結核を病んで、ボスニア紛争以前からこのような姿をしていたのだという。この写真を見て誰もが強制収容所を連想したことだろう。鉄条網の向こう側にいる男たちは全員が虐殺されたのではないかと連想させるには十分な内容だ。

この例に見るように、我々がテレビや新聞で知った内容が如何に虚偽に固められていたか、どのように作り上げられていったのかが良く分かる。国際世論を作りだすために、こういった「デマ情報」や「やらせ」が多く活用されたのだ。また、上述の例は氷山の一角に過ぎない。


✍ ✍ ✍ ✍ ✍


最後に、国際世論とは何かという点だ。

例えば、イラク戦争についてももう一度考えてみたい。当初、国際世論は大量破壊兵器を保有しているとしてサダム・フセインを悪の権化として扱った。日本政府もイラク戦争を支持した。イラク戦争が末期になると、イラクへ侵攻する際に大義名分として唱えられていた大量破壊兵器の存在そのものが疑問視されるようになった。そして、大義名分は崩壊した。

あの当時の国際世論とは一体何だったのだろうか。
          
国際世論が持つ底の浅さや不確実性が白日の下に曝され、国連の安保理事会の承認を受けた軍事行動の背景がこのように脆弱であるとは当初誰が予測できただろうか。結果としては、またもや、一握りの戦争屋の利益のために国際世論が動員され、国際世論という魔物がものの見事に作りだされていったのだ。

国際世論と一口に言ってもその正当性は千差万別であることに注目する必要がある。「時には国際世論が途方もない間違いを犯すこともあるのだ」と肝に銘じておくべきだ。歴史から多くを学びとっておきたいと思う。しかも、歴史的教訓が何百年もの昔ではなく、自分たちの世代の歴史の中に題材があるのだ。このことは非常に重要ではないだろうか。

今や、イラク戦争は政治家ばかりではなく、一般の多くの人たちにとっても反省の念を感じさせるテーマとなった。イラク戦争を支持した日本国民の一人として考えさせられる点ではないか。

国際世論の操作という観点で見ると、ボスニア紛争での情報戦とイラク戦争での情報戦では全体の流れや情報操作のやり方が奇妙な程に似通っている、と私の眼には写った。


✍ ✍ ✍ ✍ ✍

そして、戦争や内戦ばかりではなく、情報戦は至る所でさまざまなテーマで進行しているのだ。インターネット時代にあって身の回りには情報が余りにも多い。情報を取捨選択することが難しい時代でもある。日常生活が情報戦の真っただ中にあるとしたら、今一番重要なことは正しい情報に接しているのかどうか、情報が歪曲されているのではないかと疑ってみることだ。





 


0 件のコメント:

コメントを投稿