2014年2月6日木曜日

地球温暖化の提唱者にとっては大きな恐怖 - 地球の寒冷化が始まっている

「地球の温暖化」が叫ばれ、京都議定書が作成された(1997年)。多くの国がこの考え方に賛同し、それを批准した。当時、「日本の京都は素晴らしいことをしているな」と、妙に感動したものだ。
しかしながら、経済発展が損なわれることを嫌って、米国はこの枠組みには参加しないと表明した。また、この京都議定書は中国やインドを始めとして発展途上国側からの執拗な抵抗にも見舞われた。先進国は今までの温室効果ガスの放出に関して責任を取るべきだとして、発展途上国の環境問題の改善に対して資金的な援助をしなければならないとの論理がIPCCの会議の大勢を占めるまでになった。
コペンハーゲンで開催されたCOP152009年)ではそれまでにはなかった新しい状況が出現した。そのひとつは、従来は各国の代表はせいぜい環境担当の閣僚が出席するのが常であったが、COP15では各国の首脳が集まり、米国のオバマ大統領、中国の温家宝首相、日本からは鳩山総理大臣が出席したことだ。
そして、もうひとつ大きな出来事があった。先進国が発展途上国の温暖化対策を支援するために資金提供をすると約束したことだ。これを受けて、コペンハーゲン・グリーン基金の設立が提案されたが全会一致の賛成を得るには至らなかった。しかし、このグリーン気候基金は翌年カンクンで開催されたCOP16では採択された。こうして、先進国と発展途上国との間で綱引き状態にあった資金援助の問題に関してひとつの合意を見ることになった。
地球温暖化という概念は人類の活動そのものが温室効果ガスを排出し、産業革命以降それが地球を取り巻く大気の平均気温を押し上げているとする、いわゆる、「人為温暖化説」に基づいている。その性格から、国際的な枠組みで新たな政策が開始されると世界中の人たちを何らかの形で巻き込んでしまう。個人的なレベルでは無駄に電灯を点けておくのは止めようといった行動を引き起こし、企業レベルでは省エネ技術のひとつとしてLED照明へと発展した。そして、国家レベルでは、日本を始めとして、多額の予算が割り当てられ、さまざまな省エネ対策が採用され、研究開発が推進されている。
しかしながら、「地球温暖化という現象は実際に起こっているのか」という非常に根源的な問い掛けが成されている。最近の10数年間は平均気温の上昇が止まり平坦になってしまったことから、この声は強まるばかりである。そればかりではなく、「地球の寒冷化」という見方さえも出てきている。
最大の皮肉は「世界規模の地球温暖化対策は先進国が発展途上国に対して技術支援を行い、さまざまなインフラを構築し、設備を輸出することができるような環境を整えるためのものではないのか」という懐疑的な見方があり、先進国の信頼感はすっかり揺さぶりを受けている。増してや、最近の10数年間は地球の温暖化のスピードが衰え、上昇一辺倒だった傾向が平坦になったままであり、指導的な立場にあった研究機関や気候変動の専門家がこれを説明できないでいるという現状がある。いままで喧伝されてきたコンピュータ・シミュレーションの威力はどこへ行ってしまったのか。人為温暖化説を唱える専門家にとっては非常に不都合な状況だ。
議論の一部を覗いてみよう。たとえば、地球の平均気温を算出するには気温測定の定点がある。何十年とこれらの定点で測定されたデータに基づいて地球規模の平均気温が算出され、そのデータに基づいて報告書が作成される。しかしながら、これらの定点の幾つかは地域的な気候を示すけれども、全地球レベルで行わなければならない気温測定としては不適切であるという指摘がある。それは定点が都市化、ヒートアイランド現象、等の影響を受けて余りにも局地的な気温を示し、過度に高い温度を示しているという指摘だ。
今日のブログではこの地球の温暖化が止まってしまったという報告についておさらいをしてみたい。
 

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昨年の5月に報道された記事[1]を覗いてみよう。この記事は史実をふんだんに使用して解説を行っているので理解しやすい。その仮訳を下記に示す。

<引用開始>

西暦1250年頃の歴史的な資料によると、北大西洋では通常よりも南側で氷塊が観察された。グリーンランドでは氷河も広がり始め、島の北部に住んでいた住民には脅威となった。氷河の進展によって死滅した樹木について行われた放射性炭素による年代測定の結果は1275年から1300年にかけて氷河がより広範な範囲に拡大していったことを示している。こうして、今日では「小氷河期」として知られている期間が始まった。

1300年以降、ヨーロッパ北部の夏は寒冷化し始めた。これは作物の生育期に悪影響を与え、1315年から1317年の「大飢饉」を招いた。氷河の拡大と氷雪に埋もれた地域の拡大によって古代スカンジナビア人はグリーンランドから脱出せざるを得なかった。困難な中で何とか生き長らえていた古代スカンジナビア人の様子を記録した資料の中で最古の記録は1408年の結婚に関するもので、この記録は古代スカンジナビア人の廃墟の中では今日もっとも良好に保存されているハヴァルセー(Hvalsey)の教会で発見された[訳注:ハヴァルセーはグリーンランド島の最南端に位置する]

冬は寒冷化し、英国やオランダならびにフランス北部では川や運河が定常的に結氷し始め、ロンドンではテームズ川、パリではセーヌ川が毎年凍結するようになった。第一回目のテームズ川のフロスト・フェアーは1607年に開催された。1607年から1608年にかけて、北アメリカへ移動した初期の移住者はスペリオル湖では6月まで氷が観察されたと報告している。16581月には、スウェーデン軍が氷雪の中をコペンハーゲンに侵攻した。17世紀の末までには、飢饉はすでに北フランス、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドおよびエストニアにまでも広がっていた。

南半球はどうだったかと言うと、「小氷河期」の影響は南半球でも見られた。アフリカ南部のマラウィ湖から採取された堆積物コアは1570年から1820年まで気候が寒冷化していたことを示している。南アフリカの洞窟において成長した石筍は年ごとに違った成長度を示しているが、3000年間にわたる気温を再構築したところ、1500年から1800年の期間は寒冷化していたことが判明した。1997年には南極西部の氷床とグリーンランドの氷床とを比較する研究が行われ(GISP2プロジェクト)、これらの氷床はふたつ揃って小氷河期の影響を受けていたことが分かった。

長さが約100キロ、幅が100キロもある氷のサイプル・ドームは南極のサイプル海岸の東約100キロに位置しているが、これも、南極半島のブランスフィールド海盆から採取された堆積物コアと同様に、GISP 2と同期した形で小氷河期の影響を示している。太平洋諸島で行われた酸素同位体の分析は1270年から1475年にかけて1.5Cの気温の低下があったことを示している。

ニュージーランド南アルプスの西側にあるフランツ・ジョセフ氷河は小氷河期の期間中に顕著に拡大し、事実、1700年代の初期には雨林帯にまで押し寄せた。ニュージーランド南アルプスの東側にあるミューラー氷河も同じ時期に最大規模に達した。

南米のアンデス山脈から採取された氷床コアは寒冷化した期間が1600年から1800年にかけてあったことを示している。南米パタゴニアから採取された年輪データによると、寒冷期は1270年から1380年まで、ならびに、1520年から1670年までのふたつの期間に見られた。スペインからやってきた探検家たちは1675年から1766年にかけてチリのサン・ラファエル氷河が拡大していることを記録している。この氷河は19世紀まで拡大し続けた。

小氷河期の最盛期は一般的に1650年から1850年までだったと言われている。ジョージ・ワシントン将軍の傘下にあったアメリカ革命軍はバレー・フォージで1777年から1778年の冬期には極寒に悩まされ、ニューヨーク港は1780年の冬には凍結した。 1665年、1744年および1886年と、歴史的にも稀な吹雪がポルトガルの首都リスボンを襲った。 モンタナ州のグレーシャー国立公園では氷河が拡大し、18世紀末あるいは19世紀始めまで続いた。テームズ川で最後のフロスト・フェアーが開催されたのは1814年だった。この小氷河期は19世紀の後半にはすっかり鎮静した。

西暦950年頃から1250年前後まで続いた「中世の温暖期」の後、小氷河期は太陽活動の自然なサイクルを反映して起こったものとして説明され、特に、太陽の黒点と関連付けられている。太陽の黒点が急激に少なくなった「ウルフ極小期」は1280年に始まり1350年まで70年間も続いた。その後、黒点活動がさらに衰え、これは1460年から1550年までの90年間続き、「シュペラー極小期」と名付けられている。1645年から1715年までの期間は小氷河期の期間中でもっとも厳しい寒さとなり、太陽の黒点数はこの間ゼロとなった。この期間は英国の天文学者ウルター・マウンダーの名前を冠して「マウンダー極小期」と名付けられている。その後も、黒点の数が通常よりも遥かに少ない期間、「ダルトン極小期」が1790年から1830年まで続いた。

19世紀の後半からは全世界で気温の上昇が起こり、小氷河期の終焉を告げた。それ以降の気温の上昇は二酸化炭素濃度の上昇ではなく、「太平洋10年規模振動」(PDO)ならびに「大西洋数十年規模振動」(AMO)と称される海洋の温度サイクルに追従してきた。20年あるいは30年毎に、太平洋や大西洋の深海にある冷たい水が海表面に上昇し、太陽が海水を温めるまではこの冷たい海水が世界的なレベルで冷却効果を及ぼし、次のサイクルが始まるまでは、温められた海水が世界的なレベルでの気温の上昇に寄与し続けることになる。

これらの大洋の温度サイクル、ならびに、小氷河期から完全に回復したことのふたつのファクターが二酸化炭素の排出が現在よりも遥かに少なかった1915年から1945年の期間に世界の平均気温を上昇させた主要因である。その後は、戦後の工業化が全世界で展開して、二酸化炭素の排出が急上昇したにも拘わらず、主としてPDOによる太平洋の海水温がより冷たい温度サイクルに変化したことが1945年から1970年代の後半まで世界の平均気温を低下させた主要因である。

20年から30年の間隔で変化する大洋の温度サイクルが1970年代後半から1990年代の後半までの期間はより暖かい海水温に変わった。これこそがこの期間においては全世界が温暖化した主要因である。しかし、この温暖化の期間は15年前に終わりを告げ、この期間中二酸化炭素の放出はさらに拡大したにもかかわらず、それ以降世界の平均気温の上昇は止まったままである。「2000年から2010年の期間、全世界の二酸化炭素の排出量は1000億トンにもなった。この量は1750年以降人類が排出した総量の約1/4に匹敵する」とエコノミスト誌がこの3月に報告した。しかしながら、同期間には気温の上昇は見られなかった。何故かと言うと、自然に起こる世界レベルでの温度変化に比較して、二酸化炭素が及ぼす温室効果は弱く、わずかでしかないからだ。

先ずは、世界レベルでの温暖化の傾向が消えてしまったのは大洋の温度サイクルがより冷たい海水へと変わったからである。しかし、もっと不吉な予兆がこの期間中に出現した。太陽の黒点は短期サイクルでは11年毎に変化し、長期的なサイクルでは90年毎に、さらには、200年毎に変化する。その前の20年間に平坦になった後、最近の11年間は太陽の黒点数は非常に低下した。そして、現行のサイクルでは黒点の活動は激減している。NASAのサイエンス・ニュースは201318日に下記の報告をした。

「確かに、太陽は今やミニ・マウンダー極小期に入ろうとしているかのようだ。現行のソーラー・サイクル24(現在進行中の11年のサイクル)は過去50年以上の期間ではもっとも弱い。その上、黒点の磁場の強度が長期的にも弱い傾向を示す証拠もあり、目下論争の的になっている。国立太陽天文台のマット・ペンおよびウィリアム・リヴィングストンは次のソーラー・サイクル25が来る頃には太陽の黒点は非常に弱くなり、黒点が現れるとしてもせいぜい数個程度であろうと予測している。日震学や太陽表面の磁場を研究する他の独立した研究機関の見方も彼らの結論を支持している。」

NASAの気候科学は、地球温暖化の熱狂的な推進者である ジェームス・ハンセン がNASAに何年も君臨していた事実を考慮すると、この報告はより以上に意味深である。ところで、ジェームス・ハンセンは最近引退を表明した。

しかしながら、上記の懸念は世界的な反響を呼ぶことになった。ヴォイス・オブ・ロシアは2013422日に下記を報告した。

「近年、地球の温暖化は数多くの議論の対象となっていたが、これは地球の寒冷化に道をゆずることになるかも知れない。サンクトペテルブルクにあるプルコヴォ天文台の科学者たちによると、太陽活動は終わりに近づいており、年間平均気温もそれにともなって低下する。地球の寒冷化は決して根拠がないというわけではないとの主張については英国や米国の科学者たちも頷いている。」

同報告はプルコヴォ天文台のユーリ・ナゴヴィツィンの次の言葉を引用している。「明らかに、太陽活動は鈍化している。11年周期のサイクルは気候変動には余り関与しない。せいぜい1-2%だ。しかし、200年周期のサイクルはより大きな影響を与え、50%にもなりそうだ。われわれは200年から250年程継続する寒冷期に入っているのかも知れない。」換言すれば、これは小氷河期だ。

ドイツのヘラルド紙は2013331日に下記の通り報道した。

「ドイツの気象専門家たちは、2013年は、目下、過去208年間でもっとも寒冷な年だと言っている。ドイツのメデアはサンクトペテルブルクのプルコヴォ天文台のハビブロ・アブドッサマトフ博士が、以前、われわれは小氷河期に向かいつつあると述べたが、これはその証拠であるとして同博士を引用した。2005年にこの予測を始めて公開した同博士はドイツのメデアに対して、黒点を研究し地球の気候との関連性を詳細に調べた結果、われわれはかなり大きな温度低下に向かって進行しており、避けられそうもない、と述べた。」

地球温暖化に対する信仰は以前はその信仰に忠実であったヨーロッパで崩壊しつつある。ヨーロッパは今まで以上に厳しい冬を何年も経験し、今、春を迎えようとしている。クリストファー・ブッカーは2013427日のサンデー・テレグラフ紙上で下記の内容を説明した。

「ここ英国では、立て続けに5年も厳しい冬となった。米国の科学専門のブログ、Watts Up With Thatの専門家による分析の結果によると、イングランド中央部の気温は、今世紀においては、冬季の平均気温は1.45C低下し、この低下の度合いは1850年から1999年の期間中の温度上昇に比較すると2倍以上にもなる。さらには、20世紀に記録された世界レベルでの温度上昇の2倍にもなった。」

インドからのニュース(2013422日)によると、「ロシアではこの3月、中央部では-25Cに下がり、過去50年来で最も厳しい寒さだった。北部では-45Cを記録した。モスクワは過去半世紀中で最も寒い春となった。気象の専門家たちは、ロシアでは春の到来は丸1ヶ月遅れだと報告している。」そして、このニュースの締めくくりは下記のような具合だった。

「ロシアは厳しい寒さではよく知られているが、今年は異常なほどに寒冷化した気候がヨーロッパ、米国、中国およびインドのほとんどの地域を襲った。ウクライナの首都、キエフでは記録的な降雪となり、3月の末だというのにすべてが停止状態となり、英国では道路が閉鎖され、北アイルランドでは6メートルにもなる雪の吹だまりに何千頭もの羊が埋まってしまった。また、ポーランドでは百万所帯以上もが停電となった。英国政府は1910年にまで遡る記録の中で2番目に寒い3月だったと報告した。中国では最近の30年間でもっとも厳しい冬となり、ニューデリーではこの1月、44年来でもっとも寒い1月を記録した。」

加えるに、ブッカ-は、「先週、米国では3,318箇所のいて観測が始まって以来最低の気温を記録した。カナダでもすべての州でもっとも低い気温を経験した。ロシアの冬は非常に厳しいものとなり、134年間の観測史上最大の降雪量になった」と述べている。

英国の気象庁は地球温暖化の熱狂的なチアリーダーの国際的な本拠となっていたが、ついに昨年の12月、少なくとも2017年まではさらなる温暖化はないと認めた。これは合計すると20年間は温暖化がないことを意味する。これは新たに展開している傾向を嫌々ながらも認めたということでもある。さらには、これは実世界における気温の現実と国連の「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)が唱える地球の温暖化を支える基礎を形成する気候モデルが示す予測値との間には大きなギャップが広がっていることを反映している。これらの気候モデルが正しく機能するかどうかは検証されてはいないので、もはや科学とは言えず、それらのモデルは幻想を作りだしたに過ぎない。それ故、「2001年以降、気象庁が行った世界の気温の予測は12回の内で11回もが余りにも高い数値となった。実際よりも低いことは一度もなかった」と、この1月にBBCの気候担当記者、ポール・ハドソンが書いている。

地球の温暖化は、西洋の科学の心を引きずりおろしたルイセンコ学派のような連中が「それは存在する」とうそぶいてきたので、問題になる筈はなかった。人間活動による二酸化炭素の排出量は自然に起こる理由も入れた総排出量のたった4%5%を占めるだけである。そのほとんどは400ppmを超す大気中の二酸化炭素である。しかし、そのことを熱狂的に報告したBBCの間抜けの担当記者に「400ppmって、一体大気のどれほどを占めるの?」と尋ねたとしよう。彼女はあなたの質問に率直には答えられないかも知れない。大気の1%10,000ppmである。遥かかなたの過去には、大気中の二酸化炭素の濃度は今日の濃度よりもはるかに高かった。しかし、生命は生き長らえ、熱狂者たちが主張するような破滅的な状況は何ら記録されてはいない。多分、それは二酸化炭素濃度の上昇による気温に対する影響の度合いは対数的に減少するからではないだろうか。そうだとすると、それは二酸化炭素がどれほど増加したら地球を間違いなく温暖化するかについては自然の限界が存在することを意味する。その限界は、資本主義の繁栄を中断させるために地球の温暖化を信奉する熱狂者たちが主張してきた破滅的状況よりも十分に低いのではないだろうか。

先週のことだった。ワシントンポストのコラムニスト、ユージン・ロビンソンは下院の科学・宇宙および技術小委員会の議長を務めるテキサス州選出のレーマー・スミス共和党下院議員を説得しようとしてこう述べた。「はっきり言うと、これはもう何度目かになるのだが、地球が温暖化するかどうかについては大きな不確実性なんて存在しない。何故か?もし、あなたが読み書きができて、私のコラム記事を十分な程に読んでくれていたとしたら、ロビンソンの無知はあたかもワシントン・ポストが改めてもう一度憲法に示されている言論の自由を乱用しようとするみたいなものだ。ロビンソン氏よ、あなたを地球温暖化の「科学」を熱烈に支持する英国気象庁に紹介しよう。「20年も続く温暖化なしの期間の3/4をわれわれはすでに過ごした」と、その気象庁もついに公に認めることになった。

ブッカ-は、書こうとさえ思えば、サンデー・テレグラフ紙での解説を終了する前にロビンソンに関して次のように書くことができたのではないだろうか。「観測が可能な現実と理性的な議論には鈍感な政治エリートの幻想との間に歴史上これほど大きなかい離が存在したことがあっただろうか?」 と。

しかし、気候科学が政治学とぶつかり、異論が多いこの期間の温度記録には根本的な問題がある。陸上の温度記録は英国の気象庁やハドリー・センターの気候研究ユニット、NASAのゴッダード宇宙研究所、米国大洋大気庁(NOAA)にて地球温暖化をことさらに騒ぎ立てる連中の管理下にあり、政治には関与しない高潔な衛星による大気温度データよりもはるかに高い値を示している。これらの衛星データは大気中に放たれた気象バルーンによっても追認されている。しかし、地上データは改竄や歪曲を受けかねないのだ。

<引用終了>

 

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最後の段落では、衛星データと比べると地上データははるかに高い値を示しており、陸上データには改竄があったのではないかとも著者は述べている。

2009年、英国のイースト・アングリア大学の気候研究ユニットから研究者たちの電子メールの流出があり、気候データの改竄があったのではないかとして世界中のメデアで大騒ぎになった。しかし、公的機関の調査の結果、不正な事実は何も見当たらなかった。渦中にあった研究者は、問題となった電子メールは「文脈が無視されており、正直な意見の交換を単に反映したものだ」と述べた。結局、この事件では改竄の事実は肯定されることもなく終わったが、あれは一体何だったのだろうかと改めて反芻せざるを得ないような嫌な感じを私は覚えた。

ここに引用した記事が言わんとしていることはわれわれ素人にとっては非常に啓蒙的であり、地球温暖化の科学をめぐる推進派と懐疑派との間の暗闘や政治的かけ引きを見る思いがする。太陽黒点がゼロになってしまうかどうかは次のソーラー・サイクル2511年の期間が来るまでは断定的なことは言えないだろうが、海洋が与える影響と相俟って、最近10数年間すっかり停滞してしまった地球温暖化の現実をより正確に解説してくれているように思える。

また、地球温暖化説には最初から冷めた目で見ていた米国政府は、純粋な科学的な知見や理性的な判断があったのかどうかは別として、政治的な次元からは地球温暖化説が現在置かれている状況を見て、ほくそ笑んでいるのではないだろうか。

短期的なゴールを目指した行動はどこかで破たんする。まだまだ時期尚早かも知れないが、人為的地球温暖化説もそのひとつとして歴史に刻まれるのかも知れない…

これからも新たな知見が次々と報告されることだろう。注意深く見守って行きたいと思う。

 
 

参照:

1To The Horror Of Global Warming Alarmists, Global Cooling Is Here: By Peter Ferrara, May/26/2013, www.forbes.com/.../to-the-horror-of-global-warming-alarmists

 

 

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