副題:ドイツは平和を仲裁することができるか?
ウクライナ東部ではキエフからの政府軍と地元の自警団との間で武力衝突を起こしている。5月2日のRTの報道 [注1] によると、ウクライナ東部のスラヴィアンスクでは住民が「人の鎖」を形成してウクライナ軍の兵員輸送装甲車の前進を止めた。この地域では住民総ぐるみの様相を呈している。その記事に掲載されている写真2枚をここに転載してみよう。
Photo-1: ウクライナ軍の真ん前で女性が掲げるプラカードには「われわれは平和的な国民」と記されている。2014年5月2日、スラヴィアンスクでの場面 (Reuters / Baz Ratner)
Photo-2: スラヴィアンスクの中心から約7キロ離れたアンドレエフカ村の検閲所でウクライナ兵に話しかける住民たち。2014年5月2日 (AFP Photo)
その後1週間余りが過ぎた。ウクライナ軍と地域住民たちとの間ではさまざまな衝突が連日起こっている。死者も出ている。
そして、5月2日の同じ日、南部のオデッサでは親ロシア派のデモ参加者の中から数十人の死者が出た。
これはその後の専門家の分析によると、ウクライナ政府が操っている極右派勢力による自作自演だったと見られている。要するに、その目的はロシア軍をウクライナ領内へおびき寄せるエサをまいたもののようだ。前からこのブログでも書いているように、ウクライナ紛争の背後にはロシアとEU・NATOとを戦争に引っ張り込もうとする勢力があって、あの手、この手が毎日のように繰り返されているのが現実だ。
こうした中でドイツからは平和を追求する非常に建設的な意見が提出されている。
5月10日、「第二次世界大戦の教訓を忘れたのか: ドイツは平和を仲介することができるか?」と題する記事 [注2] が配信された。ウクライナ東部で進行しているウクライナ軍と地元住民との間の衝突がいつ何時次のレベルに移行するかは誰にも分からない。神のみぞ知るという状況だ。ノーベル平和賞を貰っている米国のオバマ大統領が「止めろ!」と一言言えば直ぐにでも収まるのだろうが…
♞ ♞ ♞
早速、その記事を覗いてみよう。仮訳を下記に示して皆さんと共有したいと思う。
<引用開始>
Photo-3: 米国の第173歩兵旅団の戦闘チームの兵隊がボーイングC-17グローブマスターIIIから降下。これはNATO主導の共同訓練「オーゼル・アラート」中の一場面。カナダの第3大隊、プリンセス・パトリシア軽歩兵隊、および、ポーランドの第6空挺旅団が参加。2014年5月5日、南ポーランドのオルクーツ近郊のブレドウフスカ砂漠にて。 (Reuters / Kacper
Pempel)
ヨーロッパにおけるNATO軍最高司令官のフィリップ・ブリードラブ将軍が、5月9日の数日前に、NATO連合軍は東ヨーロッパへ軍隊を常駐させることを考えていると発表しなければならなかったということはすこぶる皮肉な話である。
ロシアや元ソ連邦の各国においては、この日は「ナチ・ドイツに対する戦勝記念日」としての祝日であるからだ。
第二次世界大戦中、ロシア人や米国人および英国人は生存のために一緒になって歴史上稀に見る怪物のような独裁者に抗戦し、勝利をものにした。当時の西側の指導者として、特にウィンストン・チャーチルはナチズムやファシズムに対する勝利のためにロシア人や赤軍が担った役割と彼らが被った甚大な犠牲を全面的に、かつ、公に認知した。
今冬われわれはキエフとウクライナの中央部とをナチスの独裁者から解放してから70周年を祝ったばかりであることから、この皮肉は一層大きくなる。民主的な方式や合法的な選挙によるのではなく、暴力的なクーデターを通じて樹立されたキエフの暫定内閣は1991年以降、右寄りだろうが左寄りであろうが、歴代のウクライナ内閣によって順守されてきたナチズムの表現を禁止する法律をすでに廃止しようとしているのだ。
オデッサで起こった5月2日の悲惨な出来事は多数のウクライナ市民に1943年3月22日にべラルースのカチン村で起こった悲劇を思い起こさせた。第118ナチス補助警察旅団によって村全体が抹殺されたのだ。この旅団は1942年7月にキエフで編成され、そのほとんどがウクライナ西部のウクライナ国粋主義者たちとその協力者たちで構成されていた。
オデッサでの悲劇の数日前、シューマス・ミルンは4月30日に英国ガーデイアン紙への寄稿の中で高まるばかりの衝突に潜在的な危険性を予見していた。「内戦の危険が高まっており…、外部の強国がこの衝突に巻き込まれる可能性がある…」と、彼は警告した。「街頭においてだけではなくウクライナの新政権にも見られるファシストの役割はプーチン派による宣伝の言葉としてほとんどの報告から排除されてきた」という事実をミルンは明確に見て取った。
多くの人たちが予見したように、ウクライナは国内の秩序を完全に失い、全面的な内戦へと向かっているかのようである。何百人もの死傷者はアフガニスタンやイラク、リビアあるいはシリアにますます似通ってきており、長期にわたる流血沙汰がこれから始まろうとしていることを示しているのかも知れない。そして、これはロシアとUS/NATOとの直接対決というもっと恐ろしいシナリオに発展するかも知れない。
69年程前、世界は人類の歴史の中でも最も暗い勢力から解放されたことを祝った。少なくとも2700万人のロシア人やウクライナ人および他のソ連邦国家の市民、ならびに、数十万人のアメリカ人や英国人の将兵があの怪物のような勢力を駆逐するために歴史上見たこともないような戦闘で命を失った。
しかし、今日、かってウクライナの人々をひどく苦しめたナチの協力者を大っぴらに崇拝する暴力的な勢力を守ろうとして、われわれは自分たちの国が潜在的にはロシアとの破滅的な戦いに発展するかも知れない衝突に引き込まれるのを止めようともしないでいる。
ホワイト・ハウスや議会ならびに国務省から発せられる声明から判断すると、これらの上層部には譲歩する考えがあるとは思えない。ロシア経済に損害を与える新たな経済制裁の要求しか聞こえてはこないからだ。
大概の場合冷笑が支配的な対外政策において倫理の原則を訴えることは極めてナイーブな企てであるかも知れないが、ウクライナにおける昨今の恐怖はそれよりも遥かに破壊的な出来事のほんの始まりであるということを認めざるを得ないとすると、「この世の終り」というシナリオに対して何らかの出口を提供することができる人物が何処かに居ないだろうか、と思ってしまう。
ドイツの経済研究所所長のハンス・ワーナー・シンが5月2日のウオール・ストリート・ジャーナル紙で記述しているように、「現在進行している危機は西側が作り出したものだということをしっかりと念頭に置かなければならない。第二次世界大戦では何百万人ものロシア人を死亡させた後、また、東西ドイツの平和的な統合はロシアの支援があったからこそ可能となり、ドイツは繁栄を謳歌した後ではこのロシアとの危機を鎮静化することは殊のほかドイツの使命である」と、言えよう。
われわれは、今、アリスの不思議な国に住んでいる。つまり、理性や常識はどこかへ飛び去ってしまい、歴史の教訓は外へ投げ捨てられてしまった。われわれ自身の無知や愚かさからわれわれをいったい誰が救うことができるのだろうか?
今のところオバマ大統領から聞く言葉は単にロシアに対する制裁、制裁、またも制裁である。それはあたかもとてつもない危機の瀬戸際のダンスに誘われているかのようだ。
そんなことをしでかすことが出来るのがドイツのアンゲラ・メルケル首相であるとしたら、何という歴史の皮肉であろうか?少なくとも、彼女の名前(アンゲラ、つまり「天使」)は平和への誘いのように感じてならないのだが…
エドワルド・ロザンスキーおよびマーチン・シーフ
エドワルド・ロザンスキーはモスクワのアメリカン大学の創立者で同校の総長。
マーチン・シーフ はポスト・イグザミナー・オンライン紙のコラムニストであり、モスクワのアメリカン大学の上級特別研究員。
この記事に表明されている意見や見解は著者のものであって、必ずしもRTの意見や見解を代表するものではありません。
<引用終了>
ここに引用した記事には歴史から何かを学び取りたいという著者の真摯な姿勢を感じ取ることができると思う。
こういう姿勢にわれわれはひとつの価値を見出したいものだ。基本的に言って、戦争を引き起こし、武器を売り、戦争の仕方を訓練することによってお金を儲けようとする国とはとても価値観を共有することはできそうもない。少なくとも、私にはそう思える。多くのひとたちがそう思っているのではないだろうか?
現在起こっているウクライナ東部での武力を伴った衝突は見るからにおどろおどろしい。しかも、このような場面は人類史上初めてのことではない。過去10年間を振り返ってみるだけでも、イラクやアフガニスタン、リビア、ソマリア、イエメン、シリアと続いている。そして、今、ウクライナでも始まろうとしている。この状況は、東京では銀座通り、ニューヨークではフィフス・アヴェニュー辺りでまるで音楽に合わせて人間の愚かさが行進している様子を見ているかのようだ。
2011年11月4日には「米国は歴史的教訓を学びとることができるか」と題するブログを掲載した。こういう思いを誰かが持ったとすると、多くの人間が、言い換えると、われわれ自身がなかなか歴史的教訓を学びとれない現実があるからこの警鐘として聞こえてくる。残念なことには、目先の利益の方が最優先となり、判断を誤ることが多い。
一国の将来を左右する立場にある政治家は次回の自分の選挙の成り行きを考えてしまって、国を支える一般大衆の次世代の幸せを考える余裕などはまったくないかのようだ。そして、選挙民自身にも非常に大きな責任があると言わなければならない。そもそも、将来を展望する際に歴史的教訓を学びとることができないような器量の狭い政治家は選んではならないのだ。
ドイツに関しては引用記事が十分に述べてくれている。
日本について言えば、やはり、太平洋戦争と言う悲劇を招いたのは日本人自身であったという歴史的事実を一人一人が率直に認めることができるかどうかは、まさに、日本人が日本と言う国だけにこだわらず普遍的な見識を持って世界を相手にしていけるのかどうか、日本が国際社会の中で独り立ちができる大人になったかどうかを試されているようなものだと思う。日本だけの利益を優先すると、当然、周囲の国々と摩擦を引き起こす。韓国や、中国、東南アジアの国々でそうした行動をとったからこそ、結局、日本は敗戦を迎えることになったのだ。
日本人は第二次世界大戦の教訓を忘れてはならない!
こうした観点からウクライナ危機を見ると、やはり、ネオナチに牛耳られているウクライナの暫定政権が行っているウクライナ東部の住民に対する武力弾圧は断じて許せない。違った意見を持った住民に対してはあくまでも対話を通じての解決を推進しなければならない。そう努力をしなければならない。主義・主張は何といっても選挙によって世論に問うことが基本原則であり、もっとも大事なことではないだろうか。
そういう意味では、選挙で選出された前政権を暴力で追い出し、クーデターによって政権の座についたウクライナの現暫定政府は非常に基本的な部分で政治的には不健全極まりない性格を持っていると言えよう。
ヨーロッパの良識に期待するしかない。英国は米国との二人三脚が得意で、一人歩きができるかどうかは疑わしい。フランスはと言えば、前にも書いたように(2013年6月7日付けのブログ「シリア内戦での毒ガス使用のミステリー」)、カタールからの資本流入によって経済を回しているような国である。カタールにとっては、ロシアが潰れてくれればそれに代わってヨーロッパへの天然ガスの輸出を急増させることができる。それぞれが目先の利益しか考えてはいないように見える。
今の英国やフランスは無理なようだから、やっぱり、ドイツの良識に期待するしかなさそうだ。
♞ ♞ ♞
ドイツの良識を期待する人たちが存在することを学んだ。
余談になるかも知れないが、世界にも類稀な平和憲法を持っている日本の良識を期待する人が一人も現れないことはいささか寂しいことではある。日本が和平の調停の場面で他国に頼りにされるようになるのは一体何時のことだろうか?これもわれわれ自身の歴史認識と大きく関係しているようだ。
参照:
注1:Human chains of E. Ukrainian
residents block Kiev troops, APCs near Slavyansk (VIDEO): By RT, May/02/2014, http://on.rt.com/khtez6
注2:Lessons of World War II forgotten: Will Germany be the peacemaker?:
By RT, May/10/2014, http://on.rt.com/atp52f
0 件のコメント:
コメントを投稿