2014年5月22日木曜日

隠された米国の対外政策

ウクライナの暫定政府は結局のところ米国によるロシアの孤立化作戦を実行する単なるひとつの実行部隊に成り下がってしまったように感じられる。国民を率いて国民の生活を守ろうとするのが普通であるが、ウクライナ政府は軍隊を使って政府の政策に反対する東部の市民に向けて銃を向けている。対話をしようとはしない。ウクライナは政治的に二分されて、この騒乱を通じての総死者数はすでに250人を超したと報道されている。 

しばらく前に「ウクライナでのNGO活動(副題: 米国の富豪、ピエール・オミダイアが米国政府と共にウクライナ革命グループを財政支援)」と題するブログを掲載した(2014310日)。

そのブログでは、米国の富豪が支援するNGO活動が米国政府の下部組織と共にウクライナで「民主主義」とか「人権の擁護」あるいは「教育プログラム」といったお題目の下で米国政府の対外政策の先兵として活動して来た状況を報告した。ここで言う米国の対外政策とはウクライナについて言えば、同国を政治的な混迷状態に陥れることを意味する。これが現実の姿だ。 

このブログに引用する「隠された米国の対外政策」という表題の記事 [1] は、米国政府がどのようにしてこうした活動をするに至ったのかに関して歴史的な検証を行っている。ウクライナ危機を背後から操っている米国政府の深層には何があるのかを理解する上では格好の情報であるかも知れない。 

それはそうと、まずは断っておきたいことがある。 

2003年、米国主導によるイラクへの軍事侵攻が始まった。あの時、米国や英国の大手メデアはこの侵攻が如何に正当なものであるかを毎日のように喧伝した。しかし、結果としては、あれだけの長い年月と大量の人員を投入しながらも、戦争の理由として挙げられていた大量破壊兵器の存在は確認することができなかった。そればかりではなく、あれから10年以上にもなるというのに、イラクでは政情がまったく混乱したままである。何よりも不幸なことに、イラクでの民間人の死亡者は百万人に達していると言われている。 

昨年の夏、シリアのダマスカス郊外で千数百人の市民が毒ガスで殺害されるという悲惨な出来事が起こった。多くの子供たちの死骸が並んでいる映像が世界中のメデアを駆け巡った。 

米国政府はこの出来事に関してその責任をシリア政府に押し付けようとした。外部から導入された武装集団によってすでにすっかり翻弄されていたシリア政府に対して米国政府は「空爆するぞ」と言って脅しをかけた。シリア政府は米国の言いがかりに抵抗し続けた。一方、ロシアはシリアが所有する化学兵器を国際的な監視団による監視のもとで全面的に破棄するとの約束をシリア政府から取り付けた。これによって、オバマ政権のシリア空爆は意味をなさなくなり、米国政府は空爆を取りやめることになった。この時、誰が化学兵器を使ったのかは素人の私たちにさえも明白であった。反政府派の武装ゲリラの仕業であった。そして武装ゲリラを支援していたのは米国の盟友であるサウジ・アラビアやカタールであった。 

私たち素人が知ることができる国際政治の裏側にはそれこそ思いもよらない程多くの秘密が隠されている。少なくとも、私にはそう思えてならない。多くの場合、そうした秘密が公知の事実となるには相当の時間を必要としたものだ。ニューヨークタイムズやワシントンポストあるいはBBCといった大手のメデアだけを頼りにしていては、世界の政治的動きの理由や因果関係がまったく分からない。こうして、われわれ一般市民は誰かの筋書きに都合がいい宣伝戦に洗脳されてしまうのが落ちだ。 

しかし、幸運にも、インターネットの普及によって、旺盛なジャーナリズム精神を持った非営利的なジャーナリスト組織が数多く出現している。米国政府の対外政策に大きな影響力を持つネオコンがどのような目標を抱いているのかをわれわれ素人でも知ることができる環境が今や整ってきているのだ。 

日本では、若い世代がノンポリ傾向を示しているとか、保守化しているといった報道がある。私自身も若いころはノンポリそのものだったので、私は今の若い世代をとやかく批判する積りは毛頭ないし、そのような資格もない。 

しかし、911同時多発テロ事件、アフガニスタン戦争、イラク戦争、アラブの春、シリア紛争、そして、ウクライナ紛争と続く一連の出来事を見ていると、ノンポリではとてもいられないという気持ちが高まるばかりとなった。日本国内では、福島原発事故を通じて表面化した「安全神話の崩壊」を契機に、日本の政治に対して心の中のどこかに持っていた、あるいは、持ちたいと思っていた信頼感は完全に破壊されてしまった。それに代わってわれわれを襲ったのは政治に対する不信感あるいは絶望感である。しかし、これを新たなノンポリ症候群として放置しておいてはならないと思う。 

結局、ノンポリで過ごしていたことの「つけ」が今になって私たちに回ってきたと言えるのではないだろうか。それは自分たち自身の責任であって、誰かの責任にすることはできない。どこへも持って行きようがないのだ。これは自覚の問題である。こういった自覚は多くの人たちと共有できるのではないかと思う次第だ。 

 

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<引用開始>

米国民主主義基金(NED)は30年も前にロナルド・リーガンが対ソ宣伝戦の中核を成す組織として設立したものであった。同組織は今や1億ドルもの政府資金を裏金として使うまでとなり、一般的にはオバマ政権の対外政策と多くの場合矛盾するようなネオコンの計画さえも支えている。
米国の政権が何故に民主的に選出されたウクライナやベネズエラの指導者を追い出す政策に加担するのかに関して理解しようとすると多くの混乱がつきまとうが、NEDの存在が混乱の理由のひとつとなっている。国務長官のジョン・ケリーや他の政府高官らはこれらの反政府運動には関係がないとは言うものの、反政府活動を支援する非政府組織(NGO)のいくつかは元を辿って行くと、NEDと米国政府からの資金に辿りつく。 
バラク・オバマ大統領が特にイランやシリアといった紛争地域に関してロシアのウラジーミル・プーチン大統領との間に建設的な関係を育もうとしていた折、NEDはロシアの隣人であるウクライナでいくつものプロジェクトへ資金を提供していた。これらのプロジェクトは2010年の選挙(国際監視団は、この選挙は正当に実施され、ウクライナ市民の過半数を代表するものと判断した)で選出されたヴィクトル・ヤヌコヴィッチ大統領を政権から追い出してしまった、あの暴力的な反政府運動を大きく刺激した。 
こうして、「民主主義」を推進すると称する米国の支援組織は、2015年に予定されていた次回の選挙を待たずに、暴力的な手法で選挙で選出された一国の指導者を大統領府から追い出してしまった。
NEDや米国のネオコンにとっては、ヤヌコヴィッチが選挙によって選出されたという正当性は彼がヨーロッパが求めている新たな「通商協定」に署名し、IMFが要求してている経済的な「改革」を実施する限りにおいてはそのまま継続したことだろう。ヤヌコヴィッチがこれらの協定について交渉をしている間、彼は賞賛を受けていた。しかしながら、ウクライナにとっては代償が余りにも大きいと彼が判断し、ロシアから提案されたもっと寛大な取引を選択した途端に、彼は「政権変更」の目標にとなったのだ。
昨年の9月、NEDで長い間トップの座を占めているカール・ガーシュマンはネオコンの旗艦的な存在であるワシントン・ポストの社説の対向ページに論説を掲載し、ヨーロッパはウクライナや以前ソ連邦の一員であった国々との間で「自由貿易」を推進し、それらの国と近しい関係を維持しようとしているロシアに対抗するべきだとアジった。ガーシュマンによると、最終的な目標はロシアのプーチンを孤立化させ、その政権を崩壊させることだとした。このグローバルなチェスゲームではウクライナが鍵を握ると述べた。
「ウクライナは最大級の賞金だ」とガーシュマンは書いている。「これによって創出される機会はすこぶる大きい。ワシントンがこれを支援することができる方法はいくつもある。米国はウクライナやグルジアおよびモルドバの政府と関係を維持し、各国の市民社会との繋がりを保って、改革プロセスがより大規模な通商や開発を推進するだけではなく腐敗がより少なく、それぞれの社会に対して説明責任を果たすような政権の樹立を確かなものにする必要がある。EUとの協定はそれ自体で終わりとするのではなく、より徹底した改革やより純粋な民主主義を確立するための出発点とするべきである。」 
「ロシア国内の民主主義もこのプロセスから学ぶことができるだろう。ウクライナのEUへの参加の選択肢はプーチンが代表するロシア帝国主義の終焉を早める。ロシア人たちもこの選択肢に直面し、プーチンは近隣諸国を失うだけではなく、国内でも失墜するかも知れない。」

隠された構造:
NEDの最近の報告書によると、これらの目標を推進するためにNEDはウクライナで65にものぼるプロジェクトに資金援助を行っている。これらのNGOに対する資金援助はそれぞれが数万ドルから数十万ドルで、ウクライナ政府が望ましい行動をとらない場合には反政府行動を起こすために配置することができるようなメデイアや活動家グループを育成した。
このNEDの隠された構造が国内の反政府勢力と団結すると、選挙で選ばれたヤヌコヴィッチ政権の意思決定にさえも影響を与える力があった。最近のクーデターがその好例である。暴力的なネオナチが大統領を追い出してしまった。多分、NEDは、ネオナチの要素を含めないで、「政権変更」を狙っていたのかも知れない。しかしながら、ヤヌコヴィッチを追い出し、IMFが要求する「改革」を軌道に乗せるクーデターには武装勢力が必要であった。
ウクライナではNEDによって直接支援されている数多くのプロジェクトの枠外でも、他のNEDの受益者、たとえば、「自由の家」はウクライナでの反政府活動に相当な注力をしている。最近の「自由の家」による資金集めのキャンペーンは、「自由のために闘っているウクライナの市民を保護し、支援するためにはあなたの支援が直ぐにでも必要です」と訴えている。「自由の家」にとっては、選挙で選出された政権に反対を唱える市民が「自由のために闘っている市民」なのである。
先週の末、ウクライナはEUの通商に関する要求を受け入れるべきか、それとも、モスクワからのもっと寛大な150億ドルの融資を受け入れるべきかという政策上の論争が街頭での暴力的な衝突に発展し、最終的にはキエフの政府ビルを占拠したネオナチ突撃隊員によるクーデターとなった。 
ヤヌコヴィッチやその側近たちは大統領府から追い出され、反対派で埋め尽くされた議会は多くの場合全会一致で一連の過酷な法律を通過させた。その一方、米国のネオコンたちはこれに拍手喝采を送り、米国の報道陣は誰ひとりとして実際の出来事の非民主主義的な性格に注意を払う者はいなかった。[Consortiumnews.comCheering a ‘Democratic’ Coup in Ukraine.”を参照]

内戦の初期的な様相:
水曜日には、ヤヌコヴィッチは依然として正当に選出された大統領であると主張し、彼の支持者たちは東部の政府ビルを占拠した。ウクライナの東部はロシア語が使用されている地域であり、内戦の初期的な様相を示し始めた。
その一方で、米国政府もウクライナの市民たちとほぼ同様に二分されている。国務省内のネオコンの残留者たち、とりわけ、欧州担当のヴィクトリア・ヌーランドはウクライナ危機を引き起こす一方、オバマ大統領はプーチンの協力を得てシリア危機や瀬戸際にあったイランを何とか抑制した。あの協力ぶりはすでにワシントン・ポスト紙上やメデア各社を通じて影響力のあるネオコンたちによって攻撃されている。
昨年の12月、ネオコンの実力者ロバート・ケイガンの妻であるヌーランドは、ウクライナが「ヨーロッパへの加入の望みをかなえる」のを支援するようにとビジネス・リーダーたちに向かって述べた。そして、「われわれはすでに50億ドルを注ぎ込んでいる」ことを思い起こすようにとも言った。米国の目標は「ウクライナをウクライナに相応しい将来に導く」ことだと彼女は言った。これはロシアの領域から離脱し、西側の領域へ移行することを意味する。 
128日、 ヌーランドは電話で駐ウクライナの米国大使であるジオフレイ・パイアットと如何にしてウクライナの緊張を和らげるか、誰をウクライナの指導者に据えるかに関して話しをした。この会話は盗聴され公開されたが、それによると、ヌーランドは反政府派のひとりであり、人々の間では非常に人気が高いヴィタリ・クリチコは経験に欠けるのでウクライナのリーダーには相応しくはないとして彼を除外した。
ヌーランドは調停役としてはEUではなく国連を推奨してもいた。この会話の途上で彼女は「くたばれ、EUめが!」と叫び、これに対してパイアットは「その通りだ」と返答した。 [Consortiumnews.comNeocons and the Ukraine Coupを参照]
ところで、米国人にとってもっと大きな質問点となるのはNEDとその裏金が世界の多くの国々でそういった隠された政治的構造を作り出すことに使われてきたということよりも、米国には今もなおそうした構造が存在しているのかどうかという点であろう。NEDは他国で何をするのかに焦点を当てることによって常にその予算を正当化することに務めて来たが、膨大な額になる金をワシントンDC内で使っている。政治的な工作員のサラリーはNGOから支払われ、これらの工作員は多くの場合ネオコンや介入主義者的な観点に基づいた論説を新聞の社説の対向ページに掲載する。
確かに、あのイラク戦争が大失敗に終わった後、何故ネオコン勢力が転覆することもなく生き残ったのかを理解することはNEDや他のネオコンの資金源によって注入されたバラスト資金を配慮に入れない限り非常に困難だろう。NEDからの絶え間のない資金の流れは1億ドルにも達し、他の対外政策の視点が示されない中、ネオコンの活動に持久力を与えてきた。

冷戦時代の遺物:
NED1983年に当時CIAの長官であったウィリアム・J・ケーシーを含むリーガン政権内の冷戦強硬派の提案によって設立された。本質的には、反ソ連であり親米の立場をとる外国の政治的動きに資金を流すのはCIAの活動領域であったが、NEDがそれを横取りした。 
リーガン政権の擁護者たちはこの「民主主義」プロジェクトはケーシー長官に報告するものではないと主張するけれども、公開されたリーガン政権時代の文書によると、ケーシーがこの作戦の中心的な推進者であったことを示している。この作戦も極右翼の億万長者たちからの資金供給を活用し、これらの活動を増やそうとした。
当時ホワイトハウスの弁護士であったエドウィン・ミースに宛てたメモで、ケーシーは「小さな作業部会がこの提案をさらに磨き上げ、世界中で自由な組織を設立することに支援を与える機関、諮問委員会、あるいは、基金を設けることの利点を大統領に推奨する」案に賛成すると述べた。」 
ケーシーのメモはCIA専用の用紙に書き留められており、さらには、「明白なことではあるが、われわれはそういった組織の設立に当たっては正面には出ないで、スポンサーとか擁護者としても表面に現れるべきではない。作業部会や委員会のメンバーに関しては喜んで推奨したいと思う。」 
この取り組みを組織化するために、ケーシーはCIA内でもっとも有能な宣伝の専門家のひとり、ウルター・レイモンド・ジュニアを国家安全保障会議(NSC)へ送り込んだ。レイモンドをNSCへ送り込み、外国の政府を転覆するためにこの新しい組織を使うこと、ならびに、米国の政策の論議に影響を与えるような国家レベルのオピニオン・リーダーに対して資金を提供すること(これはCIAの憲章には違反する)に関してはCIAからの非難を封じ込めた。その代り、その責任はせべてがNEDに託され、NEDはケーシーが思い描いていたことを正確に実行し始めた。
この「開かれた外交」作戦に関する数多くの文書は「心理作戦」をも包含するが、すでに30年以上にもなる今日までこれらの文書は国家の安全保障を理由に機密扱いとなっていた。しかし、カリフォルニア州のスミ・バレーにあるリーガン大統領図書館の公文書保管人によって公開され、あちこちに散在する文書からは、レイモンドを世界的なネットワークの中心に据えて、目まぐるしいほどの活動が行われていたことが垣間見られる。

ウオルト・レイモンドとは何者?
最近リーガン図書館から公開されたひとつの文書によると、リーガンのホワイトハウスは報道陣がレイモンドはCIAにおけるプロパガンダの専門家であったという背景を持っていることに焦点を絞るかも知れないとして非常に神経質になっていたので、彼らは質問に対する指針さえも用意した。リポーターが質問をした場合、ホワイトハウスは「開かれた外交」プログラムにはCIAは関与しないと主張する、あるいは、「CIA従業員のウオルト・レイモンドは全面的に関係するのか?」という問いには、前もって準備された指針によると、「レオモンドはCIAで働いてはいたが、もはやそうではない」と答える…といった具合だ。 
「この取り組みの組織を形作る段階においてウオルト・レイモンドは数多くの有用な考えを提供したのは事実である。彼は、このプログラムにはCIAは関与するべきではないともっとも強く主張した連中のひとりであったことは皮肉としか言いようがない。
CIA職員の役割に関しては、同指針は「彼らはこれらのプログラム運営に関与することは希望してはいないし、そうさせるべきでもない」と主張している。また、「隠すべきものは何もない」とも。もしリポーターに「以前働いていた場所は?」と聞かれた場合には、答えは「彼はCIAを辞めた。」 もし「彼の任務は何だったのか?」と聞かれた場合には、「彼の任務は機密扱いだ」と答える。確かに、消息通に言わせると、レイモンドはCIAでもトップクラスの宣伝や心理作戦の専門家であった。
NEDが形を成して来るにつれて、世界規模の宣伝工作や心理作戦の戦略を実施する省庁横断型のタスクフォース・ネットワークを監督するレイモンドに対してガーシュマンの接触が頻繁になっていった。記録文書によると、レイモンドはプロジェクトの展開に関して定期的にケーシーCIA長官に報告をしていたことが明らかだ。
実質的に、NEDCIAが所掌していた多くの活動分野を公然と手中に収めた。米国政府はNEDが標的国家から抵抗を受けることがないようにと対策を講じた。NEDの存在を拒否する国々は反民主主義的であると見なされ、他のさまざまな圧力が掛けられた。 
しかし、NEDの存在を認めた国々は多くの場合NEDが資金を提供するNGOから政治的圧力を受け、各国は「社会主義的」であると見なされる政策を排除することによって政策を右派寄りに移行した。さらには、国際的な銀行からの「改革」の要請を順守することになるが、これは自国の主権をIMFまたは国際機関へ割譲することを意味した。 [レイモンドの作戦に関するさらなる詳細に関してはRobert ParryLost Historyを参照]

施し物:
リーガン図書館によって公開された文書によると、米国政府の気前良さを示す最初の施し物のひとつは「自由の家」であった。これは自称「人権」組織である。
たとえば、198289日に「自由の家」の常任理事であるレオナード・R・サスマンは、資金問題の故に二種類の出版物を整理統合するはめに陥ったとしてレイモンドに苦情を述べた。彼はこう言った。「われわれは、もちろん、このプロジェクトを再度拡大してみたいのだ。資金がありさえすればね。プロジェクトから派生するあれこれが新聞や雑誌、書籍あるいは放送を通じて国内や海外で取り上げられる。このプロジェクトは実に立派で、たぐい稀なコミュニケーション・チャンネルだ。」
1983年にNEDが立ちあげられ、運営されると、「自由の家」は頻繁に米国の宣伝のテーマにうまく同調したことから、ふんだんに資金を受け取ることができる主要な組織となって行った。一般市民は舞台裏にある関係を知る術もなかった。
ケーシーとレイモンドが設立したこのネットワークは二人よりも長生きしただけではなく、冷戦よりも長生きをした。それにしても、NEDNEDから資金を受ける諸々の組織は仕事を続け、前副大統領のデック・チェイニーのような強硬派の戦略を実践した。デック・チェイニーはソ連を解体したいと思っていたばかりではなく、米国の覇権に対する一種の対抗勢力として存在するロシアを排除したいとも思っていた。
確かに、この設立以来30年にもなる「開かれた外交」運動は成果をあげた。NEDにとっても、公的なワシントン政府内の重要な地位に居座るさまざまなネオコンたちにとってもだ。しかし、その達成の勢いに乗って、今やこの隠された対外政策を実行する組織は米国大統領の対抗勢力になってしまった。バラク・オバマはイランやシリアにおける危機を解決するためにはウラジミール・プーチンと協力してもよいと考えているようであるが、オバマ政権自身の下部組織や米国政府によって資金を提供されている一団はプーチンに対して国境近辺に危機的状況を作り出そうとしてあらゆることを実施している有様だ。 

調査報道に専念するロバート・パリーは1980年代にイラン・コントラの実態を数多く暴き、AP通信やニューズウィークへ寄稿した。彼の新刊「America’s Stolen Narrative」あるいは プリントはここから または 電子書籍 (アマゾン barnesandnoble.comから)を入手することも可能。期間限定で、ロバート・パリーの「ブッシュ・ファミリー」とさまざまな右翼工作員との繋がりに関する三部作をたった34ドルで提供。この三部作には「America’s Stolen Narrative」も含まれる。この売り出しについての詳細に関しては ここをクリック。

<引用終了>
 

この引用記事は冷戦の落とし子である「米国民主主義基金」という機関がどのようにして生まれ、どのように成長してきたかを詳細に伝えてくれている。冷戦構造が崩壊してから20年以上にもなっているというのに、冷戦時の遺物である同基金の存在が今や米国大統領の政策に対してさえも大きな抵抗勢力となってしまっているという。これは大きな皮肉である。ここに描かれている内容を考えると、米国政府が外交政策でしばしば見せる二重性、つまり、ある時はハト派的な政策を行い、別の時には同一政権がタカ派的な政策をとるという現実をうまく説明できるような気がする。つまり、米国政府の内部では常に綱引きが行われており、時には右へ、時には左へと振れるのだ。 

官僚組織がその構造を利して独善的あるいは利己的に動き出すことはどこの国でもよく見られる現象である。「Change!」とか「Yes, we can!」と言って党員の心を掴み、見事に大統領に当選したオバマ大統領が政府内の抵抗勢力の存在によって今や自分の政策や理想を思うように実現できないとしたら、オバマ大統領にとっては大きな皮肉であると言えよう。 

ここで、日本のことも考えてみたい。日本ではかって民主党が自民党から政権を奪い、3年間も政権についていたにもかかわらず、最も中心的な争点であった年金問題を解決することはできなかった。何故だろうか?幾つかの要因が挙げられてはいるが、素人の私には民主党政権は官僚機構を掌握することができなかったということが全てを物語っているように思えてならない。逆説的に言えば、日本の官僚機構もその構造を利して独善的にあるいは利己的にしか動かなかったからだと思う。いわゆる、組織の論理と言われているヤツだ。 

米国のネオコンの隠れた組織ならびにそれが果たして来たさまざまな出来事が今世界中を毒しているように見える。シリアでも、ウクライナでも、そして、ベネズエラでも。さらに言えば、この勢力は決して衰えを見せてはいないようだ。結局、米国政府の外側では、メデアとか批評家たちは自分たちが描いた、あるいは、誰かから指示されたシナリオに都合のよい方向へと世論を導き、その背後にある巨大資本はさまざまな形で資金を提供しているということのようだ。もしそうではないとしたならば、どういった説明が可能なのだろうか? 

ある事情通はウクライナで起こっていることに関して一喜一憂していてはダメだ。その背後にあるものを見つめる必要があると言っている。しかし、それについては別の紙面をかりることにしたいと思う。 

 

参照:

1A Shadow US Foreign Policy: By Robert Parry, Feb/27/2014,

 

 

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