2015年5月22日金曜日

ロシアの戦勝記念日パレードを見て私は何故か泣いてしまった



西側諸国では、日本も含めて、59日にモスクワで行われた「対ナチ・ドイツ戦勝記念日」でのパレードに関する報道はそれほど大きな関心を呼ばなかったのではないかと思う。それは少なくとも我々のような一般人にとっては、はっきり言って、優先順位が非常に低いテーマであるからだ。

昨年来状況が悪化し拡大する一方のウクライナ紛争を身近な脅威として感じ始めていた私は、ロシア特有の文化とかロシア人の行動様式を少しでも知りたいと思った。今、私はルーマニアのブカレストに住んでいる。隣国ウクライナでの内戦の現場は数百キロしか離れていないという地理的環境から、ウクライナ内戦が潜在心理的にも大きな負担になっていたのではないかと思う。

最近、ロシアに関する歴史の本を読むことにした。第二次世界大戦中のレニングラードの900日間にもわたる包囲戦とか、ソ連がナチドイツを押し返す上で歴史的な分岐点となったスターリングラードでの攻防戦についてだ。それと並行して、インターネットで検索するニュースも、好むと好まざるとにかかわらず、ウクライナやロシアに関するもの、米国の地政学的な対外戦略、対ロ戦略、あるいは対中戦略、等が中心的な地位を占めるようになってきた。ロシア文化を論じたものやロシ人気質をくわしく説明したものも幾つか含まれている。

主流メデアがこの戦勝記念日のパレードをどのように受け止めているのかは正確にはとても描写しきれないが、私の注意を引いた幾つかの記事を総合してみると、今回のロシアの戦勝記念パレードは単にプーチン大統領の政治的なスタンドプレーとか宣伝の場ということではなくて、むしろロシアという国あるいはロシア文化の持つ特徴について西側の人たちに今まで以上により多くの事を伝えることに成功したと言えそうだ。マスコミ的に言えば、今回のパレードはまさに国際政治の現状を一変させるかも知れないとさえ受け止められている。それほどに衝撃的だったようだ。個人的な希望としては、いい意味で是非ともそうあって欲しいと思う。

さらには、逆説的に言えば、ウクライナ紛争が険悪になる一方であることから、現段階ではこれはあくまでもウクライナの内戦であるとは言え、米国に支えられているキエフ政権を背景にウクライナでは東部2州の反政府派に対するロシアの政治的ならびに軍事的な支援の存在を切り離しては論じられない現実が目の前にある。そのような環境にあったからこそ、今年の戦勝記念日パレードは今まで以上に西側の注意を引いたのではないかとも言えよう。

今日は、そういった情報を中心におさらいをしてみたい。

「ロシアの戦勝記念日パレードを見て泣いてしまった」と題された記事 [1] がある。この記事には米国人の目から見た著者の個人的印象が驚くほど率直に記述されている。これを仮訳して、皆さんと共有したいと思う。


<引用開始>


Photo-1: 父親の遺影を抱えて多くの市民と共に行進するプーチン大統領

何か凄いことがロシアで起こっていた。これが我々の混乱した世界を平和に向かって大きな第一歩を踏み出させることになるのかも知れない。これが第三次世界大戦の瀬戸際にあった我々を大きく後退させてくれるのかも知れない。第二次世界大戦で生還することがなかった推定で27百万から3千万にもなるロシアの人々についての追悼の式典が全国規模で挙行された。しかし、これに関して精神的な面から記述できることは何かと言えば、ロシアの各地で催された対ナチ・ドイツ戦勝記念日のパレードはただ単に194559日に終わった戦争の70回目の記念日であるということには留まらないという点である。通りを埋め尽くしたパレードからは何か精神的なものを見る思いがした。著者にとっては、これは全生涯を顧みても経験したことがないような特別の感慨であった。 

今年の行事はあらゆる観点から群を抜いていた。参加者たちの間には言葉では言い表せないような形で皆が歴史のひとこまを築き上げようとしている気分がみなぎっていた。何時ものような59日の軍事パレードとは何かが違う。ロシアの最新式の武器が観客の前を通過した。新型のT-14アルマータ戦車、S-400対ミサイル仰撃システム、Su-35スホイ・ジェット戦闘機、等を目にした。非常に印象的だった。

この催しの軍事的な面では、初めての試みとして、中国の人民解放軍の兵士らがロシア兵と並んで行進を行った。そのこと自体がEUやワシントンのネオコンならびに好戦派の背筋には冷たいものを走らせたのではないだろうか。ユーラシア大陸の2大巨人であるロシアと中国との間の同盟関係は全世界の経済動学を変更しかねないような新たな姿に向かって類を見ない速さで進行している。負債や不景気および戦争で象徴される今の世界は、我々がそれを望み、うまく対処しさえすれば、繁栄の到来や発展が期待される世界へと生まれ代われる筈だ。

モスクワを訪問した際、ロシアの戦勝記念行事にお祝いの言葉を述べ、中国にとっても特別な意味があることを伝えるだけではなく、中国の習近平首席は別個にプーチン大統領との会談を持ち、新シルクロード高速鉄道プロジェクトをロシアがベラルーシやカザフスタン、アルメニアおよび参画を期待しているその他の幾つかの国々との間で推進している「ユーラシア経済同盟」と統合することにも合意した。これは明示的な第1歩であるとは言え、現時点に至るまでは必ずしも確信できるほどのものではなかった。

ユーラシアの2大巨人は今や両国間で石油や天然ガスの売買契約を締結し、貿易や軍事面での協力についても合意書を交わし、両国の経済インフラを完全に統合しようとしている。習主席との会談の後、プーチン大統領は記者団に向けてこう述べた:「ユーラシア経済同盟と新シルクロード・プロジェクトとの統合は両国の提携関係が新しい水準へ到達したことを意味し、実際にはこの大陸における共通した経済空間を示唆するものだ。」

これはブレジンスキーが唱えた、例の最悪の地政学的悪夢が結実したものだとも言える。あの馬鹿げた、しかも、近視眼的なブレジンスキーの地政学的戦略やワシントンの好戦派のお蔭で、北京やモスクワは、自分たちの主権を発展させ、ワシントンとウールストリートとによって運営されている世界帝国の覇権から自由になるにはドルの世界とは独立した通貨や経済空間を作り出すしかないと痛感したのである。

善良な市民のパレード:

この一日中続いた催しのもっとも特別に思える部分は、NATOがロシアに対して戦力を見せびらかしているばかりではなく、ロシアを何らかの戦争に引き込もうとしてウクライナへの軍事介入をしている昨今であるにもかかわらず、ロシアはそのようなNATOに対して自分たちの戦力を見せつけようとはしなかった点にある。

59日の戦勝記念パレードで特別な感慨を引き起こしたのは市民による追憶の行進、つまり、「不滅部隊の行進」として知られている例の象徴的なパレードであった。これはモスクワの幾つもの通りからかの有名な非常に美しい「赤の広場」に向けて行われる行進である。この広場は、西側の多くの人たちが信じているかも知れないが、赤軍によってそのように命名されたわけではない。この名称は17世紀中ごろの皇帝アレクセイ・ミハイロヴィッチの時代に今では「赤い」という意味を持つようになったロシア語のひとつの言葉に由来するものである。モスクワでの行進と同じように、「不滅部隊の行進」は東のウラジオストックから西のザンクト・ペテルスブルグまで、南は今やロシア領となったクリミアのセヴァストーポリに至るまでロシアの多くの都市で催され、参加者総数は千二百万人にもなった。

崇敬の念と静けさが支配する雰囲気の中、30万人もの市民のほとんどが戦地から二度と帰って来ることはなかった家族の写真や肖像画を胸に抱えて、美しく晴れ上がった春の陽射しを浴びてモスクワの中心部を行進し、赤の広場へと向かって歩いた。ここには、クレムリンとして良く知られている大統領の官邸もある。

行進をしている多くの市民の顔を見ると、彼らの表情には将来についての楽観的な姿勢が感じられる。若者たちや非常に年配の市民、あるいは、ロシア人には大祖国戦争と呼ばれている戦争を生き抜いて来た退役軍人らが歩く姿は私を感動させ、私はひそかに涙を流した。行進する何千人もの人たちの微笑や眼差しが伝えるているのは戦争の恐怖や悲痛を思い起こすことではなく、はっきりと伝わって来るのは、むしろ、このパレードは今日のロシアを生み出すために自分たちの命を捧げた人たちに対する尊敬と感謝の念であり、それは新たな将来を希求するロシアの姿である。それは本質的にはペンタゴンによる全面的な優越性の下での世界規模の専横体制に対抗し、莫大な借金や詐欺行為で息の根が止まりそうになっているドル・システムに対して実行可能な代替案を見い出そうとするロシアである。ロシア国家全体が自分たちは善であり、勝利したのだという認識を滲み出していた。今日の世界では、このような認識を抱ける国や市民は非常に少ない。

テレビカメラが行進に加わって歩いているウラジミール・プーチン大統領を大写しにした時、プーチン大統領は、戦争に従軍し1942年に負傷し今は亡き父親の写真を掲げて、何千人もの市民に交じって自由に、開けっぴろげな気分で歩いていた。1963年のケネデ暗殺事件以降、米国の歴代大統領は防弾措置を施したリムージンで身の周りを固めているが、プーチンはそんなものに防護されることもなく、むしろ民衆の中に溶け込もうとさえしていた。プーチンの近くには3-4人の警護要員がついていただけであったが、今日の世界でもっとも影響力のある指導者のひとりであるプーチンの周りには手が届くような近傍に何千人もの一般市民がいた。何らかの恐れを感じさせるようなものは皆無であった。

私の涙:

静かに進む行進や市民の間に交じって歩くプーチンの姿を見た時の私の涙は、今想い起こしてみると、無意識の反応であった。それは、「我が国、つまり、今日の米国はこのように平和で、静穏な追悼行進に匹敵するようなものからは何と縁遠いのだろうか」という実感だった。米軍がイラクを壊滅させた後には「戦勝」パレードはなかった。アフガニスタンの後でも戦勝パレードはなかった。リビアの後でも戦勝パレードはなかった。米国人は、今日、死と破壊の戦争に没頭し、追悼すべきものは何もない。退役した軍人らは心的外傷や放射線障害を抱えて帰郷する。しかも、自分たちの政府はそういった障害を無視し続けている。

ヒトラーや第三帝国を打ち負かすために米ソが肩を並べて闘った戦争の終結から70年、この間に、米国におけるこの変貌はロシアにおける戦後の70年とまったく同じ期間に起こったのである。今日、米国政府はロシアを挑発するべくウクライナのネオナチの側に立ち、彼らを支援してさえいる。

私の国の人たちはこの数十年の間に何と多く変わってしまったのだろうかと驚くばかりだ。世界でもっとも裕福であった国から、発明や創意工夫、最新技術、繁栄の国から、我々はこの70年間にロックフェラーやゲーツあるいはバフェットならびにブッシュ家といった愚かではあるが超金持ちの新興成金集団の指導によって我が国を破滅させてしまった。これらの自己陶酔的な新興成金たちは米国の一般市民の立派さについて気に掛けることはなく、我々のことは世界を制覇するという病的な夢を実現するための単なる踏み台としてしか見てはいなかったのだ。

我々がそうさせてしまった:

これからあなた方にひとつの秘密を開示しようと思う。これは最近見つけたものだ。米国の新興成金はそれほど強力であるというわけではない:彼らは誰かが言うような新種の啓蒙主義者でもなければ、決して神さまでもない。全知全能というわけではないのだ。彼らは殺人をしても、何の罰も受けない。何故ならば、我々が彼らを許しているからだ。我々は彼らの権力のオーラによって催眠術をかけられているのだ。

しかし、もしも我々が立ち上がって、「皇帝の座を狙っているこれらの愚か者は裸だ!」と言えば、彼らの権力は熱い湯の中に投げ込まれた綿あめのように一瞬のうちに消えてしまうことだろう。

このような状況こそが彼らがもっとも恐れていることだ。このような理由から、米国の一般市民たちとの戦争ゲームを演出するために、彼らはテキサス州へ連邦軍を送り込んだのである。このような理由から、911の後、彼らは憲法や市民権法に背いたのである。このような理由から、彼らは国土安全保障省を新たに設けたのである。このような理由から、市民を怖がらせるために必要な試験も完了してはいないようなエボラやその他のワクチンを市民に接種しようとしているのである。このような理由から、彼らはインターネットで政治的意見を表明する自由を抑えようと躍起になっているのである。

ロシアと比較して今日の米国の真の姿をじっくり考えようとすると、涙が出て来る。今や、米国の経済は壊滅状態だ。米国経済はフォーチュン誌が掲げる世界企業500社やウールストリートの銀行によってすっかり「グローバル化」されてしまった。米国産業の仕事は過去25年間ほどにわたって中国やメキシコあるいはロシアに外注されている。我が国の若者の教育に対する投資は政治的には正しいものの、病的とも言えるような冗談の域に達してしまった。大学生は民間銀行から大きな借金をしなければならない。今日、在りもしない職を求めるために、学位と称される一枚の紙切れを取得するために、それは1兆ドルにも達するのだ。

我々のワシントン政府は、リンドン・ジョンソン大統領以降、常習嘘つき犯と化してしまった。ベトナム戦争当時、ジョンソン大統領は経済の実態について誤魔化しをした。国内経済の腐敗を隠ぺいするために、商務省や労働省に対して数値を改ざんするよう命じたのである。その結果、この手法はそれ以降の大統領のすべてに引き継がれ、主流メデアからは「経済の改善は6年目に入った」とか、失業率はたった5.4%であるとの報道が流され、我々はまさにお伽話の世界に住んでいるというわけだ。しかし、現状はどうかと言うと、23%以上もの米国人が一日8時間の仕事からは失業状態にあるのだが、統計数値から定義される狡賢い誤魔化しによってそれは隠ぺいされている。 93百万人もの人たちはフルタイムで働く職場が無いのだ。これはオバマの失策というわけでも、前任者のブッシュ、さらには、クリントン、ブッシュ、リーガン、あるいは、ジミー・カーターの失策でもない。これは受身的なままでいた我々自身の失敗である。我々は自分自身を十分に信じなかったが故に、彼らに権力を与えてしまった。我々は自分たちがうまくやれることをもはや誰も信じようとはしかったので、億万長者らに我々の次の大統領には誰がなるかを決めて貰っていたのだ。

ロシア人は、今日、西側による残酷な経済制裁や金融戦争に曝されている。ウクライナでは百万を超す住民が身の安全を求めてロシアへ逃げ込んだ。このNATOの戦争のさ中にあって、西側のメデアではロシアがすっかり悪者扱いされているにもかかわらず、ロシアの市民は自分たちの将来については新たな楽観的な雰囲気を漂わせている。ウラジミール・プーチンは83%という驚異的な支持率を得ている。何故にそれだけの人気を勝ち得たのかと言うと、それは彼が善良、公正で、道徳的に正しい今日の大部分のロシア人が持っているロシア人の魂を代表するという感覚に身を投じようとしている点にある。

この59日の行進に参加した市民の表情にこれをありありと認めることができたのである。演台に立ったプーチンが大群衆に目を向けた時、プーチンがそのことを感じ取っていたことをあなた方自身も気が付いたことだろう。モンゴル系ロシア人で、ツヴァン生まれの仏教徒でもあるショイグ国防大臣がプーチンの側の席に向かうためにクレムリンの救世主塔の下を通過し、恭しく謙虚に頭を下げ、正教方式で十字を切った時、それは明らかであった。著名なロシア人ジャーナリストであるヴィクトル・バラネッツはこう描写している:「あの瞬間、彼はあの単純なジェスチャーによってロシア人のすべてを彼の足もとに引き寄せた。あのジェスチャーには心底からの親切心や希望ならびにロシア人の神聖な気分がこの上なく盛り込まれていた。」 この59日、伝説的なロシアの魂は一目瞭然であり、それは今も健在である。感謝したい。

これこそが私が59日に涙を流した理由であった。何十万人ものロシア人が首都を平和裏に行進していた。モスクワはかってナポレオンの軍隊やヒトラーの軍隊がこの首都を征服することに失敗する様子を観ている。ワシントンのホワイトハウスは今やコンクリート製の障害物や有刺鉄線で囲まれ、さらには、武装した警護要員で防護されているが、ロシアでは大統領官邸に接する赤の広場に向けて市民がゆっくりと時間をかけて行進している。彼らの姿を眺めて、私はひどく感動してしまった。

通りを行き交うロシア人の目にそれを認めることが可能だ:自分たちが正しいことを彼らは知っていた。彼らの父親や祖父がナチを撃退したから彼らが正しかったというわけではない。自分たちがロシア人であることを誇りに思い、最近の数十年間痛ましい程の辛酸を舐め、特に1990年代のイルツン政権の時代にはハーヴァードのショック療法 [訳注:これは資本主義経済への移行を目指す手法であったが、結果的にはロシアにハイパーインフレを引き起こし、国民生活に大混乱をもたらした] によって米国主導の略奪に遭遇しながらも、自分たちの国を誇りに思うことができたからこそ彼らは正しかったのである。

私はこれらのロシアの一般市民を眺めて涙を流し、我が国ではすっかり破壊されてしまった物事についても涙を流した。我々米国人は自分たちは正しいんだ、あるいは、ふたたび正しい姿に戻れるんだという感覚を失くしている。我々は自分たちが間違っていることを理解した。我々は世界中で殺しまくっている。自分自身や隣人を憎んでもいる。我々は人種戦争の中に生きており、恐れを感じている。こうして、我々は世界中で軽蔑されているのだ。

我々は自分たちは決して善良ではないと感じている。それは我々が自己陶酔的な新興成金たちによって誘導された一種の催眠状態の中にいるからである。しかしながら、適切な環境下においてはその催眠状態は打ち破られる。我々がそう決意しなければならないだけの話である。

後書き:

私が最後に公の出来事を見て涙を流したのは1989年にベルリンの壁が崩壊した時だった。東西ドイツの市民が冷戦の象徴であった壁の上で一緒に踊り、ベートーベンの歓喜の歌が鳴り響いた。ドイツの首相が連邦議会で演説をして、ベルリンとモスクワを結ぶ高速鉄道の建設を提案した。当時のドイツは米国からの反対を浴びて、世界大戦での罪悪感からまだ解放されてはおらず、十分に強力でもなく、米国からの圧力を跳ね返すことはできなかった。上記の提案を企画したアルフレッド・ヘルハウゼンはバージニア州ラングレーの「赤軍派」によって暗殺された。ロシアはIMFのショック療法や犯罪者的なイルツン一派によって意図的に無秩序状態に放り込まれた。今日、世界はまったく新しく、美しい可能性を秘めており、ヘルハウゼンの夢を実現することが出来そうだ。ロシア、中国、ならびにユーラシア全体が結ばれる。59日のパレードが素晴らしかった理由はこのことにあるのだ。

著者のFウィリアム・エングダールは戦略的リスクに関するコンサルタントであり、講演者でもある。プリンストン大学で政治学の学位を取得。彼の石油と地政学に関する著書はベストセラーのひとつである。New Eastern Outlookの専属寄稿者でもある。

<引用終了>


どうだろうか。米国人の中にはこのような率直さで自分の思いや考えを公表する人がいる。この著者はネオコンや戦争屋とは対極にいる人であることは確かだ。

YouTubeには上記のモスクワや他の都市で催された戦勝記念日パレードの様子が動画として多数掲載されている。2時間近くになるパレードの様子が https://youtu.be/FcFMuLr7TRs に収録されている。残念ながらロシア語だけではあるが、ロシア語が丸っきり分からない我々でもこのパレードの雰囲気は十二分に読み取ることができる。

参考までに言うと、このビデオの中では4面の大きな時計が装備されている救世主塔は何回も現れるが、450秒辺りからその素晴らしい映像を見ることができる。また、ショイグ国防大臣が十字を切るのは1115秒辺りである。19分辺りからプーチン大統領の10分間の演説が始まり、祝砲と国歌で終わる。この辺りで、プーチン大統領の側に座っている習近平主席夫妻の姿も見られる。各国の儀仗兵の行進が続く。その中には主賓級である中国の人民解放軍の一団もある。

この引用記事の著者が述べていることを参考にしながら上述のビデオを見ていただくと、世界政治の中でこのパレードが何を意味するのかについてより多くのことを理解することができるのではないだろうか。



参照:

1Why I Wept at the Russian Parade: By F. William Engdahl, May/13/2015, journal-neo.org/2015/05/13/why-i-wept-at-the-russian-parade/




2 件のコメント:

  1. ブログ主様

    貴重な論文をご紹介いただきありがとうございます。小生、日本の片田舎在住でロシア語を趣味としている者です。パラボラアンテナでロシア極東向けのテレビを長年視聴しています。5月9日は当方も休みの日で、1日中テレビの中継を見ていました。朝の軍事パレード、昼の第2次大戦従軍者を称える市民行進、晩の赤の広場での「大祖国戦争」をテーマとする大がかりな劇と有名歌手の歌、最後は花火と続き、全て大変面白く内容の濃いものでした。しかし今年の場合何と云っても特筆すべきは、昼間のプーチンも参加した「市民行進」でした。この行事のロシア語を直訳すれば「不死身の部隊」となり、この場合意味するところは、家族、父親、祖父、曾祖父の戦争での功績を称え、永遠に語り継ぐという意味で「不滅」ということです。自分の家族の「英雄」の写真をプラカードに貼りゲオルギーリボンというロシアでは勝利のシンボルとされる模様であしらい、気持ちを共にする人々と歩きます。7年前にトムスクというシベリアの町の新聞社の呼び掛けで始まった運動らしく、各地に広まりついに今年はモスクワでも行われました。終戦後の歳月により風化する記憶を如何に止めておくかはロシアでも問題になっており、その対策のひとつですが、その参加者の多さと熱気には彼ら自身もかなり驚いていました。中継では参加者のインタビューを盛んに流していました。共通するのは彼らの家族への誇りと、現在のロシアに導いてくれた感謝の念です。批判的な論調も少しはありましたが、後日の討論番組を見ていても、反体制派の論者ですら、この行進は素晴らしかったということ云っていました。

    ロシアでは第2次大戦を「大祖国戦争」と呼び、これはソ連崩壊後も変わらないのですが、この体験の重さを「西側」の人間は少しでも理解する必要があると思います。お書きになっているように今年の戦勝記念日は例年になく重要視されました。僕が思うには、これはウクライナ問題で明らかになってきたロシア国外の歴史認識の問題が大きいのではないかと。ウクライナではナチス協力者のバンデラ主義者が英雄になり、赤軍はテロリスト扱いという逆転にロシア人は驚いています。更に英仏独の世論調査でも第2次大戦終結、つまりヒトラーナチスを打ち破る最大の功労者は誰かという質問に「アメリカ」という人が大半で「ソ連」は少数だということが報じられています。これに対する反応としてロシア愛国主義が盛り上がっていると思います。5月9日はロシア最大の祝いの日ですが、今年は国際環境から特に愛国的に盛り上がったという感じです。

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  2. 石井鶏児様

    貴重なコメントをいただき、有難うございます。

    ロシア語が堪能でいらっしゃる様子、羨ましい限りです。当方はせいぜい「こんにちは」とか、「お名前は?」とかいった片言だけです。

    ロシア語の記事をどうしても読みたい場合は、Google Translateで英語に翻訳して読んでいます。日本語へ直接変換するよりも露英翻訳の方が誤りが少なくて済むのではないかという私の勝手な期待からそうしています。でも英文を読んでみますと、これはおかしいと思わせる箇所が沢山出てきます。機械翻訳の精度はまだその程度ですが、修正を加えますと実用には十分です。私の方では、ロシア語ではそんな苦労があります。

    歴史の風化という問題は一般庶民の間だけではなく、この1年間ウクライナ紛争との関連で周辺諸国の政治家や政府上層部の発言を見ていましたが、とんでもない発言が幾つかありました。我が耳を疑うような場面がありました。意外であったからこそニュースになったのかも知れませんが、政治家の発言にしては発言の内容が歴史を無視したものであって、余りにもひどいと言わざるを得ません。文脈上からは問題の発言は発言者がそう思って発言したものであって、故意にそう発言したものではないのです。例を挙げると、ポーランドでのアウシュビッツ強制収容所を開放したのはウクライナ軍であったとか… しかも発言の主はポーランド政府の元閣僚だという。当然ながら、この主張に対してはロシア政府からすかさず厳しい反論がありました。

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