2016年1月11日月曜日

西側による戦争で4百万人ものイスラム教徒が殺害された。これは集団虐殺と呼ぶべきではないのか?



戦争は相手を殺すことを第一の目的とする。敵軍をことごとく殺害することによってのみその戦争を自分たちの勝利に導くことができる。数千年の人類の歴史を振り返ってみても、この命題を反証する事実は、一騎打ちの場合を除いては、ないのではないか。

また、近代戦においては戦争によってもっとも過酷な状況を強いられるのは、相手を殺害することを職業とし、最悪の場合は殺されるかも知れない軍人を除けば、一般庶民である。

昨年は、イスラム国の武装勢力による残虐極まりない暴力から自分や家族の生命を守ろうとして、イラクやシリアから夥しい数の難民がヨーロッパ、主としてドイツを目指して移動した。この動きは第二次世界大戦以降ではもっとも大規模なものとなった。2016年の夏も同じことが起こるだろうと多くの人たちが予測している。

イラクやシリアおよびアフガニスタンから100万人もの難民をヨーロッパへ移動させた根本的な原因は何なのか?

イラク戦争はその象徴的な存在である。西南アジアや中東において10年以上も続いている戦争は破綻国家をいくつも生み出した。それに伴って、数多くの犠牲者が出た。今も、新たな犠牲者が毎日報告されている。その結果、現時点での最大級の問題は中東ではこれが「新しい正常な状態」であるかのようにすっかり日常化してしまっていることだ。

昨年の夏報じられた記事 [1] ではあるのだが、今日はこのような状況に関するひとつの考察を読者の皆さんと共有したいと思う。これは集団虐殺を論じたものである。集団虐殺や戦争犯罪に関してより正確に、より多く理解しておきたいと思う。


<引用開始>

西側が中東で展開している戦争によってもたらされた犠牲者の数を正確に把握することはできそうにない。その数は4百万人、あるいは、それ以上になるのかも知れない。殺害された市民の大多数はアラブ系であり、ほとんどがイスラム教徒であることから、米国やその同盟国にこの集団虐殺の責任を公正に告発することができるのはいったい何時になるのだろう?

社会的責任を果たす医師団2015年の3月に報告書を発表した。イラク戦争における死者数は130万人になる、もしかすると200万人に達するかも知れないと報告している。しかしながら、中東の戦争で殺害された人々の数は実際にはもっと多くなりそうだ。2015年の4月、調査報道を専門とするジャーナリストのナフェーズ・アーメド実際の死者数は400万人に達するかも知れないと報告した国連の推計によるとイラクに対する経済制裁は170万人の犠牲者を出し、その半数は子供たちであった。ナフェーズ・アーメドの数値はこれらを含めた場合の死者数である。 

ラファエル・レムキンと集団虐殺の定義: 

「集団虐殺」(genocide)という用語は1943年よりも前には存在しなかった。あの年、ポーランド系ユダヤ人の弁護士、ラファエル・レムキンがこの言葉を作り出した。レムキンは「民族」とか「種族」を意味するギリシャ語の語幹「geno」、および、「殺す」を意味するラテン語由来の言葉「-cide」とを組み合わせて、この新語を作った。

非人道的な犯罪のかどでナチ政権の最高指導者らを告発するニュルンベルグ裁判は1945年に始まったが、これはレムキンによる集団虐殺という概念に基づくものであった。「集団虐殺に終止符を打つための団結」と称する団体によると、この概念はその翌年には国際法となった:
1946年、国連総会は集団虐殺は国際法の下では犯罪行為であるとする決議を採択したが、この犯罪に関する定義付けはしなかった。」 

米国の代表者からの支援を受けて、レムキンは「集団虐殺の防止と処罰に関する条約」 [訳注:この条約は「ジェノサイド条約」とも呼ばれる] に関して最初の草案を国連に提案した。国連総会は1948年にこの条約を採用した。この条約に署名をする国々の数が十分に多くなるにはさらに3年を要したが、この条約は批准された。

本条約によると、集団虐殺は次のように定義される: 

たとえそれが全体的あるいは部分的であるにせよ、国民的、民族的または宗教的な集団を壊滅させようとする下記のような行為は如何なる場合も集団虐殺と見なされる:
  • (a) 特定の集団のメンバーを殺害すること、
  • (b) 集団のメンバーに対して身体的あるいは精神的な危害を及ぼすこと、
  • (c) たとえそれが全体的あるいは部分的であるにせよ、ある集団を物理的に壊滅させようとしてその集団の生活状態に対して故意に苦難を与えること、
  • (d) 集団内での出生を妨げようとする手段を押し付けること、
  • (e) 特定の集団に属する子供たちを他の集団に強制的に移動させること。
この条約の下では集団虐殺という概念は殺害という意図的な行為を指すだけではなく、これには非常に広範な危害を与えかねない行為も含まれる: 

「特定の集団を物理的に壊滅させようとしてその集団の生活状態に対して故意に苦難を与える行為にはその集団の物理的な生存に必要とされるさまざまな資源、たとえば、清潔な飲料水、食糧、衣料品、住居、医療サービス、等を故意に枯渇させる行為も含まれる。生活を持続するために必要な手段を枯渇する行為には収穫された作物の没収、食料品の禁輸、収容所における拘束、強制移住または砂漠地帯への放逐、等が含まれる。」 

また、この定義には強制的な不妊や断種措置、妊娠中絶、結婚の禁止または子供たちを親元から引き離すことも含まれる。2008年には、国連はこの定義を拡大して、「レイプやそれ以外の性的暴力も戦争犯罪、非人道的犯罪あるいは集団虐殺を構成する行為と見なされる」と定義した。  

中東における集団虐殺: 

集団虐殺条約の中の重要な文言は「相手の集団を故意に壊滅させようとする行為」である。だが、アラブ系の住民やイスラム教徒の大量虐殺を示す事実が山程あったとしても、それらの行為が「国民的、民族的あるいは宗教的な集団」を故意に壊滅させようとして実行されたと論じることにはより大きな困難さが伴うことであろう。

しかしながら、この条約を執筆した人たちはあることに気付いていた。それは、大量虐殺を犯す連中は、ナチがそうであったように、自分たちの政策を文書で残すようなことはしないということである。とは言え、ジェノサイド・ウオッチ2002年に記述しているように、「彼らの意図は声明とか命令から直接証明することが可能だ。しかし、多くの場合、協調動作の中に見られる組織だった形態からそのことを推論しなければならない。」 

911同時多発テロの後、ジョージ・W・ブッシュ大統領はある演説の中で非常に不可思議な、議論を呼ぶ表現を用いた。彼は、ウオール・ストリート・ジャーナルの記者、ピーター・ワルドマンが下記に述べているように、歴史的かつ宗教的な紛争を引用することによってあることについて警鐘を鳴らしたのである: 

『ブッシュ大統領は「邪悪な行為をする連中を我々の世界から排除する」と断言し、「この聖戦、つまり、このテロに対する戦いはしばらく続くことになるだろう」との警告を発した。』 

聖戦だって?厳密に言うと、この言葉は聖地をイスラム教徒の手から奪還するためにキリスト教世界の軍隊が千年も前に行った軍事的な遠征を指すものだ。ほとんどの米国人にとっては理解しがたいことではあるが、歴史や宗教が日々の生活をすっかり覆っているイスラムの世界では、ほとんどの場合、この言葉はまったく別の事柄を表現する。つまり、これはイスラム教徒が恐れている西側による文化・経済的な侵略を意味することになる。さらには、これは自分たちを従属させ、神聖なイスラムを汚すものとなる。

イラクやアフガニスタンにおいて遂行された戦争では、米国は何百万もの市民を殺害しただけではなく、それらの国の市民が健康に過ごし、生活を豊かにするのに必要なインフラを組織的に破壊した。その後、インフラ復興の努力は占領下にある住民たちに職場を与えるのではなく、自分たちの利益のために活用したのである。集団虐殺の行動パターンに加えて、拷問を行ったことを示す証拠はふんだんにあり、イラク政府が陥落してからは性的暴力に関する噂が途絶えることはなかった米国が「イスラム国」の誕生を支援し、紛争地域における反政府勢力のすべてに対して武器を供給することによって米国はこの地域で不安定化を図り、殺害を助長したことは確かである。

911同時多発テロの後、米国は世界規模の「対テロ戦争」を宣言した。これによって、終わることのない不安定化のプロセスや中東で既に進行している戦争を確保したのである。そして、急進的なテロリストが西側を攻撃するのではないかという不安が増大し、一部の米国人はブッシュが発した例の論議を呼ぶ宗教戦争に共鳴し、イスラム教徒を強制収容せよと要求し、さらには公に集団虐殺を求めている程である

 <引用終了>


国連の定義にしたがうとすれば、南西アジアや中東で10年も20年もの間続いてきた市民の虐殺は集団虐殺と呼ぶのが妥当であろう。そこには議論の余地はないのではないか。一方、これを集団虐殺と呼ぶことはできないとするならば、その根拠はいったいどこにあるのだろうか?

そして、集団虐殺と呼ぶことが妥当であるとすれば、この犯罪を犯した当事者を告発することが現実の課題となってくる。

私は20111123日には「米国は歴史の教訓を学びとることができるか」と題するブログを掲載した。その翌年の112日には同じ表題で「その2」を追加した。これは「マレーシア法廷、イラク戦争でブッシュとブレアーを有罪判決に」というロシアのテレビ局(RT ニュース)の報道を紹介したものだ。しかし、マレーシア法廷は何らかの法的管轄権を持っているわけではないことから、この判決は象徴的な意味合いを示しているだけである。

しかしながら、国連の定義にしたがって国際法廷がイラク戦争に伴う集団虐殺を裁くとするならば、マレーシア法廷の象徴的な意味合いは急遽現実のものとなって来る。ただ、どう見ても、その前途は非常に長いと言えよう。


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昨年の10月、英国に歴史的な瞬間がやってきた。トニー・ブレア―元首相がイラク戦争に関してついに謝罪したのである。

20151024日のMailOnlineの記事 [2] の冒頭部分を引用してみよう。(引用個所を斜体で示す。)

トニー・ブレア―はイラク戦争に関してついに謝罪し、イスラム国の台頭に関して彼自身は部分的に責任があることを認めた。

元首相によるこの告白は特別なものだ。これはイラク戦争に関して謝罪することを12年間拒否し続けてきたあげくの告白でもある。

ブレア―はテレビのインタビューで彼とジョージ・ブッシュがサダム・フセインを政権の座から排除する決定をしたことについて「罪は私にあります」と劇的な宣言をした。

トニー・ブレア―はCNNとのインタビューでイラク戦争に関してついに謝罪したが、そのインタビューの模様が本日放映される。 

インタビューでのやり取りの中で、ブレア―は自分の行為については度々謝罪の意を述べ、イラクへの侵攻は戦争犯罪であるとの主張にも言及したが、自分が何らかの戦争犯罪を犯したかどうかについては否定した。

CNNとのインタビューでブレア―は「イラク戦争はまちがいだったのか?」と質問され、彼はこう答えた。「我々が受け取った諜報は間違っていたという事実について私は謝罪する。また、計画の段階における間違いについても謝罪し、特に当時のイラク政権を転覆した後でいったい何が起こるのかについては我々の理解に間違いがあったことを謝罪したい。」

イスラム国の台頭に関してはイラク戦争が主要要因であったのではないかとの問いに対して、彼はこう言った。「その指摘には真実の要素が含まれていると思う。」

「もちろん、2003年にサダム・フセインを排除した我々は2015年における今日の状況について何の責任もないとは誰も言えない。」

「テレビ法廷」において、米国では著名な政治関連番組のホスト役を務めるファリード・ザカリアは、ブレア―がイラクへの侵攻に関してブッシュ大統領の「プードル」でしかなかったことを責めたてた。このブレア―の告白は、ブレア―とブッシュのふたりはイラク進攻の1年前には「血の取引」に同意していたとするホワイトハウスのメモがメール紙の日曜版によって始めて公開されてから1週間後に実現した。

・・・

こうして、トニー・ブレア―元首相とのインタビューの詳細が続くのだが、重要な部分はすでにご紹介できたと思われるので、重複を避けるためにこれ以降の部分は割愛したいと思う。

トニー・ブレア―元首相がどんな気持ちでイラクへの侵攻について謝罪したのかは我々には知る由もないが、要するに、ホワイトハウスでのメモが最近公開されたことで「万事休す」と判断したようではある。逆に言うと、このメモが公開されなかったとしたら、ブレア―はどこまでも嘘を言い張るつもりだったのかと責めてみたくもなる。ここには政治家が得意とする詭弁の典型を見るような思いがした。これは小生ひとりだけの印象だろうか?

ブレアー元首相はイラク戦争がイスラム国の誕生に貢献したことを認めた。しかし、全体的な印象としては、自分が犯した間違いは報告を受けた諜報の内容がいい加減であったからだと責任の転嫁をしている。自分が犯した間違いは悪意に基づくものではなく、「正直な間違い」だったと言いたいらしい。残念ながら、まだ核心には迫っていないような気がする。

英国ではイラク戦争を検証する作業が継続されている。どこまで、本当のことが明るみに出て来るのかが興味深い。今後の展開には注意を払っていきたいと思う。

何と言っても、日本では太平洋戦争から70年を経た今でさえも、太平洋戦争を国家として検証しようという取り組みはされていない現実を考えると、英国の試みは大したものだ!


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一方、大西洋の向こう側に位置する米国ではどんなか?

ブッシュ元大統領はある風刺新聞の中では自分の非を認めている [3]。つまり、この記事は興味本位に創作されたものであって、ブッシュ元大統領が実際に自分の非を述べたわけではない。

ブッシュ元大統領やチェイニー元副大統領ならびにラムズフェルド元国防長官は今どんな思いを抱いているのだろうか?何百万人もの死者を出したことについて直接的あるいは間接的に良心の呵責を感じているのだろうか?

米国の対外政策を牛耳ってきた連中のことだ。良心の呵責などは間違っても感じてはいないだろうと推測される。何はともあれ、米国は自国に関しては「例外主義」を主張する国である。彼らは国際法や従来国際的に認められてきた慣習や価値観を覆すことなどには何の躊躇も感じない。そういう国の指導者であるのだから・・・。米国にとっては国際政治はまさに「ルールのない世界」である。ルールが必要な時には、米国が自国に都合の良いように新しいルールを作ればいいだけの話だ。たとえば、TPPのように。


参照:

14 Million Muslims Killed In Western Wars. Should We Call It Genocide?: By Kit O'Connell, Information Clearing House – Mint Press, Aug/22/2015

2'I’m sorry’: Historic moment Tony Blair FINALLY apologises for Iraq War and admits in TV interview the conflict caused the rise of ISIS: By Simon Walters, Glen Owen, Martin Beckford and Daniel Bates, MailOnline, Oct/24/2015

3George W. Bush Apologizes for Iraq War: By The Daily Current, Mar/20/2013,  dailycurrant.com/2013/03/.../george-bush-apologizes-iraq-war...





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