2016年1月17日日曜日

サウジアラビア(スンニ派)がイラン(シーア派)と戦争状態にある本当の理由は・・・



2016年の中東における騒乱状態はサウジアラビアでの47人の処刑で始まった。12日のことだった。ほとんどがアルカイダ系のテロリストであったと報道されている。

処刑された47人のうちにはシーア派の著名な指導者、ニムール・アル・ニムールが含まれていた。アル・ニムールはサウジアラビアの東部の州の出身である。処刑の報を聞いて、シーア派の信徒が抗議の声を高めた。隣のイランではサウジアラビア大使館への放火騒ぎにまで発展した。13日、サウジアラビア外相は在テヘランのサウジアラビア大使館を閉鎖し、イランとの国交を断絶すると発表した。

アル・ニムールの処刑はサウジにとっては安全保障上の問題ではなく、多分に政治的なものであったと見られているが、この事件の背景について学んでみよう。

まず、数年前の報道 [1] についておさらいをしておこう。この記事は、サウジ東部の出身で、シーア派の高位聖職者であったアル・ニムールがどんな政治的立場にあったのかを詳しく伝えている。


<引用開始>



Photo-1:サウジアラビアのカティーフで礼拝するサウジアラビアのシーア派住民。2008326日。シーア派住民の尊厳が改善されない場合にはサウジアラビアからの分離も辞さない、とある高位聖職者が述べた。この聖職者が説教の際にサウジアラビア政府に対して抗議してからというもの、サウジ国内のいくつかのシーア派地域では住民の間に緊張感が高まっている。聖職者のニムール・アル・ニムールは身を隠し、警察は彼の出身地であるアワミヤの街の入り口に検問所を設置した。(AP Photo/STR) — AP

【サウジアラビアのアワミヤにて】 ある聖職者がサウジからの「分離」を仄めかしたことから、サウジアラビア政府はこの貧しくて急進的なシーア派の街に対して取り締まりを強めた。この街はサウジの石油資源が埋蔵されている地域のど真ん中に位置している。また、それだけではなく、サウジ国内では少数派であるシーア派にとっては、ここは彼らの中核的な街でもあるのだ。

聖職者のニムール・アル・ニムールは、もしもサウジ政権がシーア派住民をもっと大切に扱うことを拒むならばサウジからの分離も辞さないと脅かした。この宗派の信者はサウジ王国の総人口である2260万人の10パーセントを占め、政府によるこの地域での差別的な扱いは長年にわたって苦情の根源となっていた。シーア派住民は軍隊や官庁では要職に就くことはできず、国家の富の分配は不公平である。

「われわれの尊厳は単なる将棋の駒のように扱われて来た。われわれの尊厳が改善されない場合は、われわれは分離を要求する」と、先月、金曜日の礼拝でアル・ニムールが述べた。「われわれの尊厳は国家の統合よりもはるかに大きな価値を持っている。」 

あの辛辣な説教以降、政府による取り締まりによって35人もの市民が逮捕され、アル・ニムールは身を隠した。警察はアワミヤに通じる道路に検問所を設けた。アワミヤはシーア派地域にある貧しい街のひとつだ。

シーア派の他の聖職者らは、「政府側は差別や貧困に関する地域住民の怒りにはもっと関心を寄せるべきだ」、「これは何時の日にか暴動に発展するかも知れない」と言いながらも、アル・ニムールの要求からは距離を置こうとしている。

サウジアラビアでは「分離」という言葉はタブー視されており、政府にとってはとてつもなく身にこたえる課題である。それは東部のシーア派住民が住む地域がこの国の原油生産の中心地であるからというだけではなく、この地域はシーア派が多数を占める他の国々、つまり、イランやバーレーンおよびイラクに隣接しているからでもある。

サウジアラビアのようなアラブ諸国はこの地域における競争相手であるイランがその影響力を拡大している事実に今まで以上に気を揉んでいる昨今、この騒乱が新たに加わった。しかも、近年ではもっとも深刻なものだ。すぐ隣の小国、バーレーンでは少数派のスンニ派が多数派のシーア派を統治しており、ここでも、イランに対する一般的な不安感に加えて、この数か月間先鋭化して来た新たな騒乱が起こっている。

アル・ニムールの鋭い言葉は2月下旬に聖都メジナ(またはマディーナ)で起こった衝突が引き金となったものと思われる。この衝突はシーア派の巡礼たちが崇拝の対象としているシーア派の人物の墓地を訪れた際に起こった。巡礼者の話によると、スンニ派の宗教警察は女性の巡礼者をビデオカメラで撮影した。これは女性のつつましさを侮辱する行為である。しかも、彼らはこのビデオテープを反故にすることや巡礼者に引き渡すことは拒んだのである。

警察関係者は巡礼者らが他の礼拝者や当局に対して攻撃的な儀式を行っていたとして非難した。この衝突で何人ものシーア派の市民が負傷し、刑務所に放り込まれた。アブドラー国王とシーア派代表との間で手短かに行われた会見の後、これらの拘束されていた市民は開放された。

内務大臣のナイエフ王子はメジナの衝突ではシーア派が特に攻撃の的になったわけではないと述べた。スンニ派の市民も逮捕されたという。 

シーア派に関するスンニ派側の心配の種は宗教と政治の両方にまたがっている。イスラム教の中でも強硬路線で知られるワッハーブ派はシーア派を異端者と見なし、この強硬派はシーア派の強化につながるような動きについては何でも反対する立場だ。

イラクでは2003年のサダム・フセインの排除以降シーア派が勢力を拡大して来たことから、サウジアラビア国内のシーア派をつけあがらせているとして、サウジ政府は脅威を感じていたものと見られている。また、シーア派の住民を扇動して、サウジ王国を不安定化させるのではないかとの懸念をサウジ政府は抱いているのである。

サウジの新聞によると、ナイエフ内相はサウジアラビアは「スンニ派の教義」にしたがっていると述べ、「他の教義を信じる市民もいるが、賢明な市民は特にこの教義を遵守しなければならない」と付け加えた。

ムハンマド・アル・ニムールは彼の兄弟よりも穏健であると見られている。彼の兄弟が行った説教に関しては、同宗派の苦情についても詳しい調査を実施することを含め、サウジ政府は「もっと慎重で、もっと公正に」対応すべきだったと述べた。

自分が喋った文言に関しては弾圧が加えられることを予測して、アル・二ムールはたとえ自分が逮捕され、あるいは、追跡されたとしても、反政府デモはしないようにと信者には告げていた。その代わりに、特別な祈りを捧げてくれと言っていた。

木曜日の夜、アル・ニムールとの連帯を示すために、25千人が住むこの街のモスクのほとんどはシーア派の住民で埋め尽くされ、神の助けを嘆願する祈りが大声で捧げられていた。シーア派を創立したイマーム・アリに向けた祈りである。危機に見舞われた際にはイマーム・アリは決まって祈りを捧げたと言い伝えられている。前夜、大声で祈りを捧げるために住民たちは屋上へ登った。

『市民たちはアル・ニムールが言ったことを復唱しようとはしないだろうが、彼らは「アラー、アラー」と叫ぶことができる』と、アル・ニムールの兄弟であるムハンマド・アル・ニムールは言う。木曜日には、アワミヤにある彼の農家の近くにあるモスクからは祈りの声が聞こえていた。

シーア派の住民が住む中心都市カティ-フはアワミヤに比べると、それ程には急進的ではなく、もっと裕福でもある。住民は宗教指導者よりももっと融和的な態度をとっている。

「アル・ニムールの発言はシーア派住民の大多数の意見を代表するものではない」と、カティ-フ市議会のシーア派メンバーであるジャーファル・アル・シャイエブは言う。「シーア派は分離という政治的な意図を持ち合わせてはいない。」 

「彼はどこでも見られる怒りの感情を表現したかっただけだ」と、アル・シャイエブが付け加えた。 

<引用終了>


アル・ニムールは反政府的な発言をしたことは事実のようである。しかし、この記事で知り得る限りにおいては、彼は暴力を否定していた。

別の報道 [2] によれば、シーア派に対しては公平な人権の確保を求め、サウジアラビア政府の民主化を要求していた。アル・ニムールは反政府論者であったとしても、常に平和的であったことが分かる。2011年から2012年にかけて行われた反政府運動の際には、信者に向けてアル・ニムールは次のような指示を与えていたと報じられている。「たとえ警察が銃を発射して来たとしても、あんたたちは暴力に訴えるのではなく、自分たちの声を張り上げるんだ!」。

こうして、彼の処刑の理由はテロリストのようなサウジの安全保障に関わるものではなく、多分に政治的な範ちゅうに属するものであったことが分かる。


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世界中の市場に原油を供給するサウジアラビアは、この数十年、中東最大の経済を誇って来た。しかしながら、現在の政策を変更しないでそのまま継続していると、サウジアラビアの財政は2020年までには破たんするだろうと、昨年の10月、IMFが警告した [3]IMFはふたつの要因を挙げている。中東諸国において拡大し深化し続けている政情不安、ならびに、原油価格の低迷である。多くの専門家は原油価格の低迷はしばらく続くだろうと推測している。

ここで、サウジアラビアの国内問題からはしばらく離れて、サウジアラビアを取り巻く地政学的な側面についても学んでみたい。ここに格好の記事 [4] がある。その記事を仮訳し、読者の皆さんと共有したいと思う。


<引用開始>

スンニ派とシーア派のイスラム教徒は千年以上もの長い間お互いにしのぎを削ってきた。しかしながら、その間、両者は最近までほとんどの場合共存し続けて来た。

では、今、何故に彼らは幾つもの国が関与するような戦争を起こしているのだろうか? 

現代の地政学的な争いは殆んどが原油や天然ガスに関わるものである

これはスンニ派とシーア派との間の戦争にも当てはまるのだろうか? 

その通り!米国とその同盟国はスンニ派を支援してシーア派と戦っている。これは原油のためだ。

中東における原油の最大級の分け前はたまたまシーア派諸国に所属している。また、スンニ派が多数派を占める国では少数派であるシーア派の地域に所属する。

具体的に言うと、ジョン・シュワルツは今週「インターセプト」にて下記のように報告した

これらの紛争のほとんどは地図の製作者であり、フロリダの米空軍特別作戦学校・統合特殊作戦大学にて准教授を務めているM.R.イザディが作成した地図によって説明することが可能だ。

この地図によると、宗教的な歴史とプランクトンの嫌気的分解との間に現出した不可思議な関係によって、ペルシャ湾から産出される化石燃料のほとんどはシーア派の住民が住む足下に偏在している。スンニ派が多数を占めるサウジ国内でも同様の関係が当てはまる。大油田の殆んどはサウジの東部一帯にあり、その地域ではシーア派が多数派を占めるのだ。 

その結果、サウジ王家のもっとも深刻な脅威のひとつは、ある日サウジのシーア派が原油と共にサウジから分離し、シーア派が多数を占めるイランと同盟を図るかも知れないと言う点にある。

米国が2003年にイラクへ侵攻し、サダム・フセインのスンニ派政権を倒し、親イランのシーア多数派に権力を移譲させてからというもの、この脅威は増大するばかりであった。ニムール自身は2009年に次のように述べた 「もしもサウジ政府がシーア派住民の扱いを改善しないならば、サウジのシーア派は分離を訴えるだろう。」 



Photo-2: この地図は中東の人口の密集の状態と原油や天然ガスの産出地域を示す。さらに広範な地域を見るには地図をクリックして欲しい [訳注:クリックすると、ここに表示された地域よりも北側に位置するカスピ海周辺についても見ることができます]。濃い緑色の地域はシーア派が多数派を占め、薄い緑色の地域ではスンニ派が多数派で、紫色 [訳注:「紫」というよりも、むしろ「青色」に近いが・・・] の地域ではスンニ派の分派であるワッハーブ派・サラフィ派が多数を占める。黒と赤の部分はそれぞれ原油や天然ガスの埋蔵地域である。出典:コロンビア大学のマイケル・イザディ博士のGulf2000、ニューヨーク。 

イザディの地図はものの見事に説明してくれている。サウジの原油は実質的にそのすべてが小さな地域に偏っており、これらの地域ではシーア派の住民が多数を占める。(たとえば、ニムールはアワミヤの街に住んでいた。この街はバーレーンの北西に位置し、サウジの油田地帯の中心地である。)もしもこの地域がサウジアラビアから分離したとすれば、サウジ王国の信奉者は王国の誕生以降80年で破産し、彼らに残るものは何もありはしない。せいぜい、あご鬚を染める染料とかバイアグラの処方箋程度であろう。

ニムールの処刑は、ひとつの要因としては、国内のシーア派が独立を求める兆しは何が何でも潰そうとする政策に起因するものであって、サウジ政府はまさに自暴自棄の状態に陥っているとして説明することも可能だ。

2011年の「アラブの春」の際には、スンニ派の王家によって統治され、シーア派が多数を占めるバーレーンをサウジが支援したという事実についても、同様の状況によって説明することができる。

まったくこれと同様の計算がジョージH.W.ブッシュの意思決定の背景にも存在していた。サダム・フセインが1991年に化学兵器を使って湾岸戦争の末期にイラク国内のシーア派による暴動を鎮圧した時、彼はサダム・フセインの側に立った。ニューヨークタイムズのコラムニストであるトーマス・フリードマンがその当時説明していたように、サダムは「イラクをひとつにして治めて、米国の同盟国であるトルコやサウジアラビアに満足感をもたらした。」 

サウジアラビアやバーレーン、オマーン、アラブ首長国連邦、カタールおよびクウェートといったスンニ派の湾岸諸国は、シーア派の住民が油田やガス田の上に座っているということから、ひたすらにイランやシーア派の世界を追い回し、中東や北アフリカ一帯でスンニ派とシーア派との間で戦争を引き起こし、地下資源をつかみ取ることを「正当化する」ことができるように何でも行っている。

<引用終了>


原油や天然ガスといったエネルギー資源は20世紀以降その重要性が誰の目にも明確になった。21世紀における中東での戦争もまさにエネルギー源が戦争の理由となっている。地下資源の偏在は個々の地域の経済的な裕福さに決定的な違いをもたらし、地上に住む人たちの宗教、特に中東や北アフリカではイスラム教の諸々の宗派が織り成す模様が火に油を注ぐ形になっている。

そして、これらの国々の背後には米国やEUおよびロシアの影が見え隠れする。

余談になるかも知れないが、「芳ちゃんのブログ」では、20111130日に「アラブの春と米国の思惑 - ある歴史家の見方」と題したブログを掲載した。その内容を今あらためて読んで見ると、あの当時からすでに数年が過ぎ、さまざまな出来事が中東や北アフリカ一帯を襲ったこと、ならびに、歴史的な事実についても多くを目にして来た今、そこに記述されている内容に関して「ああ、やっぱり、こうだったんだ」と納得させられる思いがする。ご興味がある方々には再読をお勧めしたいと思う。


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本日(117日)目にしたニュースによると、米国は対イラン経済制裁を解除した。これによって、イランは国力を急速に強化することにつながりそうだ。

一方、IMFが警告しているように、イランならびにシーア派世界との戦争を公式に、あるいは、非公式に進めるサウジアラビアは原油価格の低迷によって財政難となって、国内政策に大変更を加えなければ、数年後には財政破たんに追い込まれるかも知れないとさえ言われている。

ムスリム圏においてスンニ派とシーア派のふたつの世界のリーダー格を演じるサウジアラビアとイランは、今、陰陽を分けつつある。今後どのように展開するのだろうか?



参照:

1Saudi government cracks down on Shiite dissidents: By DONNA ABU-NASR, The Associated Press, Apr/01/2009

2 Sheikh Nimr: Martyr of World War III: By Phil Butler, Jan/08/2016, journal-neo.org/2016/01/.../sheikh-nimr-martyr-of-world-war-...

3: Saudi Arabia could be bankrupt by 2020 – IMF: By RT, Oct/23/2015, http://on.rt.com/6ui1

4: The REAL Reason Sunni Governments Like Saudi Arabia Are At War Against the Shias: By WashingtonsBlog, Jan/09/2016, www.washingtonsblog.com > ... > Politics / World News






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