2016年1月23日土曜日

ロシアの原潜でまさに第三次世界大戦勃発時の緊張感を経験



ここに非常に興味深い記事がある。

原文はロシアの原子力潜水艦の乗組員がロシア語で書いたもの。その記事をロシア系米国人が英語に翻訳し、昨年の1215日にLiveLeak.comというブログ・サイトに投稿した [1]

その米国人の翻訳者は冒頭で下記のように述べている:

この記事を翻訳してから、私は今のロシア人やかってのソ連邦時代のロシア人が持っている核戦争観についてこれよりももっと長いブログを書いてみようと決心した。この決心をここで公言してしまうことによって自分自身に圧力をかけることは決して悪いことではないと思う。

全体としての重要な点は次のことにある。たとえ90パーセントの確率でロシアをユーゴスラビアやリビアおよびシリアのように解体することが可能であって、米ロ間の核戦力による正面衝突の可能性は「たったの」10パーセントにしか過ぎないと米国のネオコン連中が信じているとしても、レイセオン社に数十億ドルの利益をあげさせてやるためだけに核戦争のリスクを負う価値があるとでも言うのだろうか?

とにかく、冒頭でも述べたようにもっと長いブログを間もなく掲載する予定だ。当面はこの短いバージョンを楽しんでいただきたい。あくまでも私の意見ではあるが、結構面白い内容だ。退屈することはないと思う。

前置きは上記のような具合だ。

これは本当に第三次世界大戦が勃発してしまったのかも知れないという恐怖感にかられたロシアの原潜乗組員の体験談だ。さっそく仮訳して、読者の皆さんと共有しよう。


<引用開始>

戦闘警報:
Photo-1: 出典

第三次世界大戦を、今日、この私がどんな風に戦ったのかについて話してみたいと思う。まずは、お互いに正直になろう!皆さんは誰もが高等教育を受けていて、いろんなものを読み、何でもかんでも良くご存知だ。しかしながら、第三次世界大戦がどのように始まるかなんて誰も知らないのではないだろうか。

疑いもなく、皆さんは戦闘や包囲戦、爆撃、等についてはさまざまな映画を観ており、「戦争」という言葉を聞いた時に皆さんが何を想い起こすかを私は簡単に想像することができる。たとえば、低空を飛んでくる飛行機、サイレンの音、ラジオやテレビに流れる警報、超満員の列車、難民の群れ、険しい顔つきの男たち、離れて行く船に向かってハンカチを振る女たち、等だ。あんた方が最初に抱くイメージはこういった事柄だ。物事をもう少し深く考えれば、戦争とは悲しみや飢えであり、あるいは、窮乏や疾病である。そして、もっと大きな悲しみがやって来る。しかし、皆さんが思いつくこれらのすべてのイメージは過去の戦争についてのものだ。本当の意味で現代的な戦争のイメージはこれらとは全然違うんだ。つまり、皆さんは眠っている。そして、次の瞬間にはもう死んでいる。あるいは、皆さんにはいったい戦争が始まったのかどうかさえも分からず、多かれ少なかれ戦争はもう終わっているのだ。

(こういった文脈においては)もしも皆さんが特に幸運に恵まれていて、大都市や戦略的に重要な拠点からは程遠い田舎に住んでいるとすれば、間違いなく、あんた方は核の冬や突然変異を目撃したり、ネズミを食べることやその他諸々の厳しい状況のすべてを体験することができるかも知れない。しかしながら、それは放射能汚染によってゆっくりと死亡して行くことが避けられた場合の話だ。

ところで、軍人たちは一般人に比較すると少しばかりいい状況に恵まれている。軍人は常に戦争に対して準備ができているからだ。もちろん、全員がそうだというわけではなくて、これは戦略核の部隊に組み込まれていて、ちょうどその時点に戦闘状態にある連中の話だ。つまり、これらの記述を読み進めているこの決定的な瞬間にも、当事国の戦略核の兵力の一部は、大陸間弾道弾(ICBM)が搭載された潜水艦を含めて、大量破壊・報復兵器を発射する準備ができている。そして、少なくとも、乗組員の3分の1はその範ちゅうに入る。2番目の3分の1のグループは、理論的には、駆け足で5分から10分ほどの距離にある兵舎で待機している。残りは自分の家庭で時間を過ごしており、戦闘には加わらない。

もちろん、われわれもかっては基地で厳戒態勢をとったこともある。しかし、その場合はスケジュールがいささか違う。2日間を艦内で過ごし、2日間を家庭で過ごすというスケジュールだった。すなわち、乗組員はふたつのグループに分かれてミサイル発射の訓練をしたのだ。それだけの違いだ。もしも戦争が始まってしまって、潜水艦が岸壁からICBM を発射しなければならないような場合には、間違いなく外洋へ出て行くことは出来ないだろう。

ごく自然なことではあろうが、陸上警護やさまざまな形態の任務あるいは検査という形で俺たちは軍隊生活に見られる多くの苦労や欠乏からは開放される。そんなわけで、他に没頭することも無いことから、俺たちはプレファランスというカードゲームに熱中したものだ。特に、夜はそうだった。ご存知のように、男たちは少年みたいなもんだ。夏のキャンプでは少年たちは何をすると思う?眠りに就くだろうか?とんでもない! ところで、真夜中がとうに過ぎてから就寝するとしたらどうなると思う? 翌日、あんたは点呼に整列してから再びベッドに戻って来る。結局、日中は面白さなんて何も感じられない。

刀の刃を研ぎすましておくために、つまり、これは俺たちのことではあるが、われわれは定期的に訓練を受け、演習を行った。カードゲームは全面的に良好で手際よく進行していたのだが、先制攻撃という基本原則は依然として想定されていたからだ。艦内での警報は(比較的静かな)信号ベル、あるいは、吠えたてるような警報サイレンのどちらかによって知らされる。訓練警報は戦闘警報とは僅かに違う。つまり、訓練警報の場合はサイレンが始まる前にベルが断続的に3回鳴る。ただそれだけ。 

早朝の2時、轟き渡るような戦闘サイレンを聞き、艦内放送からは「戦闘警報!ミサイル攻撃!」という唸り声を聞いた時、俺は若い顔に笑いを浮かべてすやすやと眠っていた。俺は飛び起きた。ズボンをはき、シャツやリブリーザーを掴んで、自分の戦闘部署へ走って行った。頭の中では今何が起こっているのかを理解できないでいる。30分前に、俺は軍医さんや電気屋さん、あるいは、タービンの技術屋さんたちを徹底的にやっつけたばかりで、頭の中はまだジャックやエースで溢れかえっているまま眠りに就こうとしていたが、プレファレンスのカードゲームでは自分が世界で一番だというわけではないとすれば、この潜水艦でさえも一番上手いわけではないかも知れないといった感覚に捉われていた。そこへこのミサイル警報だ。俺は走りながらも、目を覚まそうとし、俺と同じように眠たげに、体の半分は裸のままで、水兵たちが俺の脇を飛び越して行く。いいかい?一言だけ念を押しておきたいことがある。半分眠ったままの潜水艦の乗組員が狭い通路の中をありとあらゆる方向へ走っていても、途中で立ち往生をしたり、怪我をする奴なんて一人もいない。しばらくして目が覚め、準備が完了してしまうと、「あの速度と優雅さを維持しながらもう一度繰り返せ」と命令されても、とても出来るもんじゃない!

俺は指揮所へすっとんで行く。(自宅に居る筈の)「親父」がオーバーを着こんですでにそこにいる。さらには、(親父がいない時には副司令官の役目を果たすことになっている)一等航海士もだ。また、(在宅の筈なのに、ミサイル発射キーのひとつを手にした)戦闘チーフもいる。館長は発射キーを手にし、戦闘チーフも発射キーを手にしている。二人の顔は沈んでいるが、真面目そのものだ。指令所へ半分裸で駆け込んで来た俺に対しては何らかの冗談を投げかける様子はなく、何の冷やかしもなかった。俺は制服を着用して、いそいそとネズミのように自分のコンソールへ座った。ミサイル担当の連中はPURO 装置から保護カバーを撤去し、同装置を起動する。頭の中では「何てこった。何が起こったんだ!」と喚き、この瞬間ついに目が覚めた。アントノヴィッチはいない。今、彼は別のシフトだ。ハフィジッチはWIM コンソールに張り付いている。 

「ハフィジッチ」 俺は声を潜めて言う。「ハアアアフィィィジィィィッチ」
「角度を計算し、浮上用バラストタンクに水をはってくれ。」 ハフィジッチは俺の話を遮り・・・ GEUコンソールや区画担当チーフに向かって「直ぐに準備をして、報告をするように!」と怒鳴り始める。 

「タンクに実際に水をはるの?」と、俺は敢えて確認することにした。

「何てこった!」と、俺の直ぐ後ろで一等航海士が言う。『艦内で、他のうすのろが上官の命令に対する返事として「実際に」なんて言葉を吐いたら、そいつには強烈なパンチを食らわして、そいつの子供が先天性の障害を持って生まれて来るようにしてやるぞ!そんな寄生用語を使うとは何事だ?一般人が使うそんな俗語をいったい何処から持ち込んで来たんだ?もし必要だったら、耳にコンドームを被せろ!もう二度と聞きたくはない!』

「サニッチ」と、親父が間に入った。「停泊チームには発射時の安全対策について指示をしてくれ。頼んだぞ!」 

「了解、セン・セイッチ!」

こんちくしょう。しょうがない、これは本物かな?俺はここで眠り、朝飯にはバターが出るのを夢見て、夜になると「裁判官ドレッド」を観て、夜中にはポテトチップをかじりながらプレファランスをして遊び、今、俺は・・・戦闘中か?何、映画のようだって?つまり、俺はここで今すぐ原爆の炎の中で焼き殺されるのか?こんちくしょう、俺にはまだやらなければならないことが山ほどあるんだ!子供だってまだ生まれてはいないんだ!待てよ、この場合子供がいない方がいいのかも。しかし、おふくろや妹たちはどうなるんだ?彼女らに電話をすることさえも出来ない!アンドレイには借金が残っている。いったいどうやって返済すればいいんだ?彼はこの時間は基地で眠っている筈で、なんにも知らないままだ!彼の娘はようやく3ヶ月になったばかり。もう、無茶苦茶だ!市民に向かってこんな仕打ちをするなんて全然正当ではないし、正直でもない!特定の日付の何時何分に俺たちは爆撃を受けるので準備をするようにと前もって知らされてさえいれば、俺たちは帰宅し、サヨナラを言い、お別れのパーティーで酔っ払い、それから、どうなるか分からないが、多分、ついにはアフリカ人の女性と一緒にランババのダンスとかを習い覚えているかも知れない。それから、俺たちは勢ぞろいして、制服に身を固めて、最後の葉巻を楽しんでから戦争へ向かうんだ。でも、多分、そんな風に事が運びそうにはないな! 

上昇用バラストタンクの計算は最初の試算でうまく行った。脳は数学とは関係が無い時には数学的な計算をより素早く、より正確に行うことができるんだということに俺は前から気付いていた。

「上昇用バラストタンクの計算が終わりました!バラストを張る許可を!」
「計算が終わったの?」と、ハフィジッチが訊いた。
「ここにあるよ。297ミリの表になっている。すべてが鉛筆で細かく書いてあるけれど、チェックしてみてくれ!」

ハフィジッチがその表を振っている。

「どんな値?」 
325トンだ。」 

ハフィジッチは耳の後側を掻いて、こちらをチラッと横目で見て言った。
350トンにしたら?」と。

ところで、彼は何時も完璧に正しいんだ。大した野郎だ! 

「俺は詳しく計算しているっていうのに、あんたやアントニッチは何時も目分量ってのはどうしてなんだ?!」 俺はぶつくさ言いながら、海水取り込みバルブを開き、超音波水位計を起動する。

「お前はまだ若造だからだ!俺たちは単に目分量で言っているわけではなくて、海軍兵士としての勘と何年もの経験に基づいて喋っているんだ!お前にも自分の勘が育ってくるよ。その時には俺たちと同じことをするようになるさ!」 
「毛で蔽われるようになってからさ!」と、館長が付け加えた。
「いったい何が毛で蔽われると言うんですか?」 ハフィジッチはすっかり混乱していた。
「彼の勘のことだよ。勘が働くようになってから、毛で蔽われるようになるんだ!」

彼は不注意にもあんな冗談を言ったのだろうか?それとも、差し迫っている運命を前にして皆の緊張を緩めようとしてあんなふうに振る舞っているんだろうか?俺は周囲を見回してみる。PURO設備の連中は大急ぎで発射前の準備をしており、表示灯は点滅し、リレーが作動している。秘密通信用コンソールは接続され、通信士官が戦闘チーフと一緒にそのコンソールへ何かを入力している(多分、発射許可コードかも)。また、BIUSは作業中のRTS要員に囲まれて、彼らのスタッフは答えを算出することも出来ないでいる。ボースンらは重い外套を着こんで、まるで出航の準備が出来ているみたいだ(恐らくは最悪の事態を何とか逃れるチャンスがあって、俺たちは海へ出ようとしているのかも?とすると、少なくとも、これはいいニュースだぞ!)。

いや、そうではなくて、いったい何が起こっているのかを何とか理解することが必要だ!ただじっと座ったまま世界で今何が起こっているのかを知らずにいるなんてとても耐えられない!どういう風に訊ねようか?もしもこれが演習であることを告げる最初のベルの音を聞くこともなく眠りこけていたことを俺が認めてしまえば、後で皆は間違いなく俺を笑いものにし、俺のことを「政治将校」と呼ぶに違いない。まあ、それ自体は大したことじゃあないが、でも、やっぱり・・・

「司令官殿!」 俺はついに訊ねてみることにする。俺たちは本当に戦いに出ていくのかと。すると、俺は一等航海士を見て、もしも俺がこの戦闘は「本物なのか」と訊けば、彼は約束通りに俺にパンチを見舞うことだろう。ところが、不運極まりないことには、俺の脳はこの偉大で、かつ、万能なロシア語の中に「本物」という言葉の同義語をまだ見い出せないままでいるのだ!

「何をお望みだね?」 指揮官は俺の精神的混迷状態を見ることには耐えられない。

「え~と、今日は家でテレビを見ましたか?世間では今何が起こっているんでしょうね?地政学的な現状はどんな具合ですか?」 

「親愛なるエド、私は、もちろん、まったく相応しくない時に限ってくだらない話をしようとする君の意欲を評価する者のひとりではあるが、私はすでにICBMの発射準備を終えたし、敵の領土内に破壊や大混乱ならびにパニックを引き起こすべく、発射キーを首の回りから外しているところだ。それが見えんかね?どうしたんだね!」 

「同志スタニスラフ!どうして君は下級士官たちと一緒に政治情報セッションを持たなかったのかね?彼らの新鮮な脳は吟遊詩人が新しい調べを恋い焦がれるように知識に飢えているんだよ! 」

あの最後のくだりは俺たちの政治将校に向けて怒鳴ったフレーズだ。

「もちろん、私はやってますよ!定期的にセッションを持ってます!奴らの方がセッションを欠席するんです!!!」 

「スタス、若い裸の女の子のポスターを教室にぶら下げるんだ!連中は駆け足で集まってくるだろう!」と、実務的でセカンドクラスの忠告を捻り出すことではピカ一のハフィジッチが口を挟む。 

はてと、彼らは依然として冗談ムードのままだ。違うかい?こういう人たちのことを俺はよく知っているが、連中はいつも冗談を言い、特にもっとも不適切な時に限ってそうするんだ。しかし、発射前準備が完了していることや、もうすべてのことが片付いていることはPURO 指令の様子を見ただけでも俺には分かる。俺は大至急小便をしようと思った。もう耐えられそうにはないということではなくて、俺はあの特有の反応があったことだけは認める。自分の気持ちを逸らせようと思って、ノートを取り出して詩を書こうとした。その詩はぎこちなく、ひどいリズムだった。でも、だからって、今やもうどんな違いがあると言うんだ?もしも俺たちが焼き殺されてしまうとすれば、俺には才能が無かったということについては誰も知る由が無いだろうし、もしも俺たちが生き延びるとすれば、氷原の下にじっと隠れている間にもう一度推敲し直すことだって出来るだろう。

「ミサイル準備完了!発射可能!」と、BU-2のチーフが報告する。

司令官と戦闘チーフは自分のキー(赤と黄色)を差し込み、数を逆に数え始める。俺は立ち上がる。だって、これはすごく荘厳な一瞬なんだ。違うかい? 

「どうして君は立ち上がったんだ?」と、ハフィジッチが不審そうに訊いてきた。

「奴のけつがすっかり痺れてしまったのさ」と、一等航海士が彼に言う。「奴は鉢に植わったサボテンみたいに座ってばかりいるもんだからね!」 
 
何とも奇妙な連中ばかりだ!!! ほんのささやかな哀愁の存在が妥当であるとすれば、まさに今がその瞬間なんだ! 

321、発射!」 BU-2チーフのカウントダウンが終わり、司令官と戦闘チーフは自分のキーをコンソールから外し、キーを自分の首の回りに戻した。

「発射演習、終了!」と親父が宣言。「設備をゼロ状態に戻せ!」

ワーオ、神様、本当に有難う!!! 健全な睡眠は確かに体にはいいんだが、演習ベルが鳴っている時に眠っているのだけは体にはよくない。そんなことをしてみな。あんたの神経は甚大な影響を被ることになるぞ!それは俺が請け合うよ!

あんたたちに助言をしておこう。意味のある睡眠をとろうじゃないか。そして、第三次世界大戦はアッ言う間に進行してしまい、みんなが間違いなく死ぬことになるんだから、戦争好きな連中の言う事なんて決して聞くんじゃないぞ!どう考えたって、ロマンチックと言えるような代物じゃあないんだから!

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[著者は数年前にアクラ級原潜に勤務していたが、現時点でもそうしているのかどうかは不明だ。]


Photo-2: 浮上航行中のアクラ型原潜。セイル前方の赤白に塗り分けられた部分はDSRV(深海救難艇)との接合用ハッチ。縦舵室上方の棒状の物は曳航ソナーの格納部 [注: 
この写真はこのブログの作成者(芳ちゃん)が付け加えたものです。出典:ウィキペディアから]

1艘のアクラ型原潜には20基のICBMが搭載され、それぞれに10個の弾頭が装備される。つまり、1個の弾頭は広島型原爆の7倍の威力を有するので、総破壊能力は広島型原爆の1400個分に相当する。 

アクラ級原潜に関するビデオ: 
https://youtu.be/Wlp1lUWqRYI

注記:

* 政治将校は米国の艦船にて勤務する従軍牧師と同じような任務をいくつか遂行し、政治的状況やイデオロギー問題に関して乗組員を教育する役目を持っている。共産主義的なイデオロギーが徐々に崩壊してしまってからというもの、政治将校が尊敬を集めることは少なくなった。下記のような言い古された言葉に出くわすことも多い: 

「掃除や整理整頓を行う任務は政治将校にとってはお安い御用だ。自分の口を閉じると、道具はすべて片付いてしまう。」 

「政治将校が乗船してはいない艦船なんておバカさんが一人もいない集落のようなものだ。」 

「スターリン時代のコミッサールと政治将校との違いは、前者は
もっとも危険な戦いの最前線に立ったものだが、後者は国家が斡旋してくれる住居を手に入れる最前線に立つ。」 

<引用終了>


これで仮訳はすべて終わった。ところどころに際どい表現が出て来るが、それは男たちだけの集団では、好むと好まざるとにかかわらず、洋の東西を問わず何処にでも起こることだとして容認してやりたいと思う。それを差し引いたとしても、ユーモアに富んだこの文章が秀逸であるという事実には変わりはない。

著者は現代の戦争、つまり、第三次世界大戦を「・・・皆さんは眠っている。そして、次の瞬間にはもう死んでいる・・・」と描写している。核戦争が持つ想像もできないような破壊力が単刀直入に描かれている。ここがこの記事においてはもっとも輝いている部分だと言えよう。

また、「本物」という言葉の同義語を見つけようとして、悪戦苦闘するくだりも原著者の文才やユーモアを大事にする態度を偲ばせてくれて、それらがこの記事全体を素晴らしい出来栄えにしているのではないか。「地政学的な現状はどんな具合ですか?」と、司令官に訊ねるところでは私は吹き出してしまった。

言うまでもないが、この原潜の乗組員がわれわれに伝えたい最終的なメッセージは「第三次世界大戦なんて起こすな!」ということに尽きる。

2016年のわれわれの世界においては、中東やウクライナでは核保有国である米国とロシアとの代理戦争が進行しているという隠しようもない現実がある。それだけに、われわれはこのメッセージの重さを率直に受け止め、その考えを全面的に支持したいと思う。このかけがえのない地球とその自然環境を次世代のために残せるように、われわれは全力を尽くさなければならない。

核戦争を考える時、その答えは二者択一だ。地球上のすべての生命を絶滅させてしまうのか、それとも、それを回避するのかのどちらかである。


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核戦争ならびに地球の温暖化の脅威が今どの辺りにあるのかを象徴的に示す手法として、米国の科学誌「原子力科学者会報」は今真夜中の何分前にあるのかを掲示している。これは「世界終末時計」と称される。この文脈においては、真夜中はまさにこの世界が滅亡する運命の時刻だ。2015年の1月、地球の温暖化は放置されたままであり、核戦争の脅威が今まで以上に高まってきたとして、今までは真夜中の「5分前」を示していたこの世界終末時計は「3分前」に訂正された [注2]。

この世界終末時計の歴史的な推移に注目してみよう。

世界終末時計が設定された当初、つまり、1947年にはこの時計は真夜中の「7分前」を指していた。ソ連が原爆のテストに成功した1949年には「3分前」に改訂された。水爆実験が米ソ両国で始まった1953年には「2分前」として掲載された。米ソ両国が地域紛争で直接対決を避ける動きをとった最初の年、1960年には世界終末時計は「7分前」に戻された。部分的核実験禁止条約が締結され、大気中での核実験が禁止された1963年には「12分前」へ戻った。1984年には米ソ間の政治的対話はすっかり冷え込んで、核兵器削減交渉はプロパガンダの場へと変貌していった。こうして、世界終末時計は「3分前」を示した。1989年にはベルリンの壁が崩壊し、東ヨーロッパでは各国がソ連の支配から解放されていった。鉄のカーテン以降の44年間の冷戦は幕を閉じることになった。これを受けて、1990年には世界終末時計は「10分前」に戻った。1991年には冷戦が公式に終わり、世界終末時計は「17分前」となった。しかし、世界には40,000発の核弾頭があって、ソ連邦が崩壊した後のロシアでは核弾頭の保管が不十分になったとして、テロリストの手に渡る可能性が新たな安全保障上の脅威と見なされるようになった。こうして、1995年には「14分前」となった。1998年にはインドとパキスタンが核実験を行い、米ロの核兵器の削減は進展せず、米ロ間では15分以内に発射できる核弾頭の合計数は依然として7000発もあった。世界終末時計は「7分前」を示した。2007年には米ロ両国は技術的には数分以内に相手に向けて核弾頭を発射できるところまで来た。また、北朝鮮では核実験が開始された。こうして、世界終末時計は「5分前」となった。

当然ながら、これらの数値が示すように、世界終末時計は核大国間の政治的な動きによって大きな影響を受ける。さらには、世界の覇権国であることを自他ともに認める米国政府の対外政策は軍産複合体の政治的な意図によって大きな影響を受けることは衆知の事実である。

ソ連邦が崩壊した後を受ける今のロシアは常に米国の政策に反応して来たという事実がある。ロシアは地域的な覇権国になる意志は毛頭ないらしい。多くの事象がこのことを示唆している。ということは、米国の軍産複合体が「ロシアとの対決を止める」と決意しさえすれば、この世界終末時計は直ちに巻き戻すに違いない。一気に、「17分前」よりももっと前へ戻るのではないだろうか?

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米科学者連盟(FAS)の資料によると、全世界で装備されたり、備蓄されている核弾頭の数は次のような具合だ [3]。この際、核戦争の脅威をおさらいするために最新のデータを確認しておこうと思う。現時点で全世界が抱えている核弾頭の数は15,800発である。これは全人類を何回殺戮することが可能なのだろうか?

Photo-3: 核弾頭の国家別数量(2015928日現在)


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「芳ちゃんのブログ」には本日の投稿と関連が深い内容を持ったものをいくつか掲載しています。たとえば、それらの表題は下記の如くです:

2016816日: ロシアには第三次世界大戦よりももっとやりたいことがある

201475日: 核戦争による人類の絶滅

2014621日: 「米国の核戦力の優位性」は単なる誤謬に過ぎない

2014424日: 今朝は雷鳴で叩き起こされた - 亡き母に捧げる詩

20121110日: 日本に対する米国の原発支援は「原爆の製造」に好都合だったから

しかしながら、このような内容のブログを書かなければならないという気持ちにさせる今の世界情勢はいったい何時まで続くのであろうか?今もっとも不気味に思えるのは核戦争の懸念や脅威を報じる記事が数多く見られ、その数が増えているようにさえ感じられることだ。正直言って、これが私の実感である。


参照:

1Near-WWIII experience of a Russian submariner: By LiveLeak.com, www.liveleak.com/view?i=63c_1450155007, Dec/15/2015  [訳注: Tatzhit Mihailovich著の記事「In previous Cold War, USSR had plenty of reasons not to use nukes. These reasons are gone now (mostly due to US foreign policy)」にはここに引用した記事が言及されている。つまり、Tatzhit Mihailovichがロシア語の原文を英語に翻訳した当人である。結局、残念ながら、原著者であるロシアの原潜搭乗員の氏名は不明のままです。]

2Timeline: IT IS 3 MINUTES TO MIDNIGHT: By the Bulletin of the Atomic Scientists, updated on Jan/22/2015

3 Status of World Nuclear Forces: By Federation of American Scientists (FAS), Updated on Sep/28/2015

 

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