ワレンティーナ・リシツアというウクライナ出身のピアニストをご存知だろうか?
インターネットでは彼女が演奏するクラシックのピアノ曲は非常に多く、個々の動画へのアクセス数に注目すると百万を超すものがたくさんある。ベートーベンのピアノ・ソナタ「月光」第3楽章(https://youtu.be/zucBfXpCA6s)はそのアクセス数が1400万を昨日(6月16日)突破した。端的に言って、これは彼女が世界中の聴衆から強い関心を集めているという動かぬ証拠でもある。
昨年の春、カナダではクラシック音楽界に異常事態が発生した。
トロント交響楽団が迫っていたワレンティーナ・レシツアとの演奏を解約したのである。理由はウクライナの内戦に関して彼女がツイッターでウクライナ東部の分離派の住民に肩を持った発言をしたからというものであった。この仕打ちを受けて、彼女が政治的な発言を控えるようになったのかというと、決してそうではない。彼女は一歩も後へ引かなかったのである。
トロント交響楽団側については、交響楽団へ寄付をしている大物の間にはウクライナ政府に肩入れするウクライナ系のカナダ人たちがいて、彼らが交響楽団に対してワレンティーナ・レシツアとの共演をやめるようにと圧力を掛けて来たものだと言われている。
このピアニストは個人的な政治的見解を巡ってトロント交響楽団との共演を破棄されると言う憂き目に遭遇した。本来ならばカナダの一地方のニュースではあったのだが、これが「ウクライナ紛争」という政治的な絡みから国際メディアに乗っかり、この報道はあっという間に世界中を駆け巡った。皮肉にも、すでにインターネット上では素晴らしい知名度を上げていた彼女は、新たに、世界中でそれにも勝るような注目を受けることになったのである。あれから1年以上が経過した今、さまざまな報道がインターネット上には見受けられる。しかし、どちらかと言うと、ワレンティーナを支持する声なき声が優勢となっているようだ。
彼女はこう言った。「私はラフマニノフを演奏する予定だったのよ。演奏会場で政治について説教する積りなんて毛頭ないわ!」 [注1]
ロシアの「コムソモルスカヤ・プラウダ」紙の特派員、アレクサンダー・コッツ(AK)とドミトリー・ステシン(DS)がこの著名なコンサート・ピアニストがドネツクでコンサートを開催する前に彼女とのインタビューを行った [注2]。
本日はこの記事を仮訳して、読者の皆さんと共有したいと思う。
彼女のピアニストとしての才能については、ベートーベンのソナタ「月光」であるにせよ、ショパンのノクターン変ホ長調であるにせよ、あるいは、他の数多くの曲目であるにせよ、YouTubeの動画サイトで存分に堪能していただきたいと思う。この投稿では、彼女の市民としてのスタンスやウクライナ東部の住民たちに対する彼女の思い入れに関してより具体的に、より多くご理解いただけるのではないかと期待している。
<引用開始>
Photo-1: クラシック・ピア二ストのワレンティーナ・リシツア
原典はコムソモルスカヤ・プラウダ紙にて出版された。ロシア語からの英訳:アレクサンダー・フェドトフによる。
クラシック・ピア二ストのワレンティーナ・リシツアはドンバスの人々から単に好まれているばかりではなく、敬愛されてさえもいる。それは彼女のピアニストとしての職業的な名声ばかりではない。それはドンバスの人たちに対する彼女の立ち位置のせいである。彼女は西側の反対にも面と向かって自分の立場を貫き通して来た。ドンバスの住民たちに対して彼女が支援を惜しまなかったことから、彼女はさまざまなスキャンダルに見舞われた。それは出身国であるウクライナにおいてばかりではなく、ヨーロッパ中で友人や同僚たちとの関係を壊してしまったのである。「受け入れがたい人物」として見られる危険を犯しながらも、彼女はコンサートを開催するために内戦に打ちひしがれたドンバスの地へ繰り返して足を運んでいる。彼女のコンサートの入場券は数時間の内に売り切れてしまう。彼女のドンバスでの演奏会の前に、我々(AKおよびDS)は彼女のリハーサルに立ち寄ってみた。
AK & DS – 我々は2014年の3月以降、最初の時期からこちらで演奏会をして来ました。この地へやって来て、ドンバスの人々を支援しようとする音楽家や俳優は決して多くはなく、この現状は悲しいことです。片手で数えられるほどしかいません。しかし、あなたはこちらではもう二回目ですよね。
ワレンティーナ・リシツア(VL) – 私はドンバスの状況を最初の頃から詳細に観察して来ました。私のハートは出血しているままで、止まりそうにもありません。マイダン革命については、私は皆さんとは違った見方をしています。私はソ連邦の崩壊を自分の目で見て来た世代です。私はウクライナ語を喋っていましたし、伝統的な刺繍を施したブラウスを着て走り回っていたものです。私たちは独立していました・・・ そして、私たちの世代は完全に騙されていたことに気付き、皆がこの国を去って行きました。私自身は、結局、米国に落ち着くことになりました。最近のマイダン革命に参加した若者たちは本当に気の毒だと思います。彼らは素晴らしい将来を夢見ていたんです。私もそういう経験をして来ていますから、すべてが分かります。オデッサは私にとっては大打撃でした。何故かと言いますと、オデッサは私の祖先の地だからです。彼の地で起こったことに私は恐怖に襲われ、目を背けることはできませんでした。そして、過去へ戻ることはもうないんだということも悟りました。ドンバスで起こった事は幸運にもクリミアでは起こりませんでした・・・ 私は人々を助けてあげたいと思ったのです。私はピアニストです。私の武器は自分の音楽だけです。そして、音楽は非常に強力な武器であることが判ったのです。私がこの地で初めて演奏をした時に私は気付いたんです。音楽はただ単に気を紛らわせるためのものではないし、すべてを所有しているエリートたちの専有物でもないのです。そういうものではなくて、人々は音楽を必要としています。それは酸素が必要であるのと同じです。ドネツクではこの地で生まれたプロコフィエフを演奏します。ここには私たちのルーツがあります。それは私の音楽を聴きにここに集まって来る人たちが帰属する我々みんなのための文明です。この地域の人たちからすべてを剥奪しようとして、流血沙汰を含めて、さまざまな試みが成されて来ました。皆さんが如何に音楽を渇望しているのかを私は感じ取っています。ここに居ることが如何に危険であるか、あるいは、西側が私の事をどのように見るのかについては考えないことにしています。仮に何かが起こったとしても、私の家はここにありますし、わたしは何時でもここへ戻って来ることができます。私はベルリンからドネツクへやって来ました。これからカナダへ飛ぶ予定ですが、私の家族や私の親戚はこの地、この場所に残ります。
AK & DS – 90年代に戻りましょう。「言論の自由」のすべてを手にしたにもかかわらず、西側には秘密のスイッチがあります。そのスイッチを切ると、たとえ有名であって、非常にタレントに恵まれていようとも、その人物は消されてしまうということが判っています。永久にです。あなたが自分の聴衆を失うといった事態が心配にはなりませんか?
VL – エリートたちは私に対しては決まって障害物を作って来ました。それこそが私がYouTubeを通じて私自身が独力で自分の居場所を築いてきた理由です。一億人を超す聴衆が私を見守ってくれています。誰かがこの聴衆を私から剥ぎ取ってしまうとはとても考えられませんし、私は私が言っているような人間ではないとして誰かが私の聴衆を騙すようなことをするとはとても思えません。昨年、私はカナダでの演奏から締め出されました。しかし、最近、私はトロントで演奏をしました。入場券は売り切れて、私が壇上に立った時には皆さんが立ち上がって私を迎えてくれました。実際には、考え深い人たちが実にたくさんいるのです。まさに想像以上にです。テレビで観たことを誰もが自動的に受け入れるわけではありません。そういう人たちに対して私は訴えたいのです。私はもう何度も脅かしを受けましたが、私はそのような脅かしを恐れてはいません。私を殺すと脅されたことさえもあります。私の家族や私は侮辱されました。しかし、そういったことは何でもありません。子供が涙を流す価値さえもありません。2日前にゴルロフカで日中にコンサートを催しました。その会場には子供たちがたくさん来ていまして・・・ 子供たちは私を取り囲んで、私のために演奏しようとしました。でも、もう遅くなったので、帰宅する時刻だと注意されたのです・・・ 私は、愚かにも、「でも、子供たちに演奏させてあげたら」との思いに駆られていました。子供たちは帰っていきました。子供たちが帰宅の途上にあった7時10分頃、ゴルロフカは砲撃を受けたのです。私は子供たちのためにプロコフィエフやバッハならびにショパンを演奏しましたが、私を見つめている姿を良く覚えています。あれは私にとっては最高の報酬でした。
AK & DS – ドンバスで起こっていることは西側でも議論されていますか?新聞やテレビに登場して来ますか?
VL – いくらか現れるようになて来ました。しかし、大多数の議論は「代替」メディアで行われています。ツイッターとかフェースブックです。私は世界中で数多くの一般の人たちと会っています。私たちは「クレムリンの回し者」と呼ばれる始末で、無残な行為のすべてについて責任を負わされます。しかしながら、ここの人たちは全世界に本当の事を伝えてくれている人たちです。私たちは石造りの壁にフォークで穴を開けようとしているのです。その穴を通して太陽の光が輝くことでしょう。情報のやり取りから判断しますと、ドンバスやウクライナで一体何が起こっているのかを理解する人たちはますます多くなっています。
AK & DS – ドンバスでは何が一番衝撃的ですか?ハートを揺り動かすようなものは何ですか?
VL – 私たちがデバルツエヴォを訪れた時のことです。私はアパートのビルを見せて貰いましたが、そのビルは壁が残っているだけでした。周りのすべては何もかもひどく陰鬱で、灰色ばかり・・・ 突然、その中に光るようなスポットがありました。赤ちゃん用のピンクの毛布です。女の子用のものでした。流血や死体を示す写真なんて必要ありません。この焼けた家屋で何とかそのまま残ったのがこの赤ちゃん用の毛布だけであったとしても、それはすべてを物語ってくれています。
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AK & DS – ドネツクでは昨年と現時点とを比べて何らかの違いがありますか?
VL – 何処へ行ってもそうなんですが、土曜日になると人々が出て来て、通りを掃除し、ドアや窓あるいは壁にペンキを塗っている姿を見かけます。誰もがこの地は自分たちのものなんだということを自覚しており、どこかへ逃れることなんてできません。ウクライナでは人々はビザ無しの体制を夢見ています。国全体が逃げ出す用意をしているのです。しかし、ドンバスの人たちには逃げ出す行き先はありません。こちらの人たちは自分の土地や自分の理想、歴史、文明、等を守ろうとしています。彼らは純粋な気持ちから自分たちの土地の面倒をみています。コンサートで行った先のシュトウットガルトでの写真とドネツクでの写真をごちゃ混ぜにして、私は実験をしてみました。これらの街の写真の中でどれがヨーロッパの写真かを問うてみたのです。私はシュトウットガルトは必ずしも好きではありません。ゴミが散らばっていたり、あらゆる場所が落書きだらけ、主要な通りには雑草が生えていたりします。ドンバスとはまったく対照的です。そのようなことを認識し、これは誰にとっても衝撃的でした。通りを掃除する人たちは自分たちが行っていることに誇りを持っています。これらの人たちは宇宙船を発明するようなことはないでしょうが、自分たちの市のために非常に重要なことを行っています。私は皆を抱きしめて、キスしたいと思いました。皆さんが行っていることは他のビジネスと同様にドンバスが存続するためには非常に重要なことなんです。
AK & DS – これは地域住民が信念を失ってはいない、くじけてはいないという確かな兆候です。我々はこれと同様の状況をシリアでも観察しています。シリアではもっとも残虐なテロリズムの影響でさえもが消え去ろうとしています。そのような様子を我々は目撃しています・・・
VL – と同時に、ドンバスの人たちは、たとえば、屋根の修理をしていますが、合板は使ってはいません。真新しいきれいなスレートを使って屋根を修理しているのです。つまり、やがて平和がやって来ることを皆さんは信じ切っており、今まさに自分たちの将来を築こうとしているのです。
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AK & DS – 意見の相違から家族が分断された事例をこの地ではいくつも見ています。あなたは何らかの理由で影響を受けていますか?ウクライナの友人たちはあなたに背を向けましたか?
VL – ウクライナばかりではありません。西側での友人や同僚たちの挙動を理解することの方が遥かに困難でした。赤ちゃんを食べることにさえも等しいようなあらゆる邪悪なことについて私は非難をされましたが、あれはもっとも困難な瞬間のひとつでした。ドンバスから最初に戻って来た時、オランダの新聞で誰かが「マレーシア航空のボーイング機が墜落したことに私が喜んでいると私がツイートした」という作り話を流したのです。それまでに何年にもわたって一緒に仕事をしてきた私の同僚たちの反応はどんなだったと思いますか?その内のひとりが手紙を書いて、こう言って来ました。「ワレンティーナ、あんたがこんなことを言うことはないことを私は承知している。でも、私の友人の中には親戚を失った人たちがいるんだ。だから、私はあんたと一緒に仕事を続けることはできない。」 たとえ何が起ころうとも、私はこの人物の側には立ち続けるだろうと思っていました。しかし、かの善良で、正当でもあるヨーロッパ人はテレビで何かを聴き、私との付き合いを止めてしまったのです。彼と私とはお互いに非常に近しくしていました。彼の好みの作曲家はショスタコービッチでした。ショスタコービッチは弾圧や友人の裏切りに耐え抜いた人物です・・・ そして、このオランダ人は私の市民としての立ち位置を知って、ショスタコービッチの「友人たち」と同じように私に背を向けたのです。この困難な年月が過ぎ去った後に、彼がショスタコービッチの音楽をより深く学ぶことができたのかどうかを私は彼に訊ねてみたいと思っています。あれこそが西欧スタイルなのです。何かに関与することは避けて、脇から傍観するだけ。あの出来事で私は最大級の失望を体験しました。
AK & DS – 音楽で戦争に勝つ。これは至るところで観察されて来た人類の伝統です。包囲されたレニングラードにおけるショスタコービッチを思い出してください。「サラエヴォへようこそ」という映画を思い出してください。チェロ奏者が町を見下ろす丘へ登って、演奏を始める。廃墟と化した町の人たちは彼の演奏に引き寄せられる。ところで、あなたはドネツクへやって来ました。戦争は続くのですか?戦争についてはどう思いますか?
VL – 向こう側にいる人たちは皆が戦争にはもう飽き飽きしているものと思いたいです。彼らがこの戦争で達成することなんて何もないでしょう。ここの人たちは最後の一兵になるまで戦うことでしょう。何故かと言うと、正当な理由のために戦っているからです。そして、ここの人たちは降伏のような恥ずべき平和なんてまったく望んではいません。皆が公正、かつ、正当な平和を望んでいるのです。ウクライナがドンバスと和平を実現する前にはさまざまな事が起こるに違いありません。すでに、余りにも多くの流血沙汰が起こっています。ごく平均的な西側の市民はウクライナにおける「ロシアの侵略」について知っています。でも、実際にはいったい誰が侵略者か?侵略者はキエフ政府です。過激なイデオロギーを持ったネオ・ナチがキエフから当地へ送り込まれて来ました。彼らはタンクの前に立ちはだかったおばあちゃんたちを銃撃したのです。「確かに、我々が悪かった」と彼らが認め、加害者らが扇動者らと共に裁判所へ連行されるまでは、和解をするという意識はあり得ないでしょう。明らかに、多くのごく普通の市民が兵役に取られ、彼らは上官の命令には従わなければなりません。しかし、イデオロギーに流された殺害も非常に多く、金を稼ぐためにこの地へやって来た連中もたくさんいます・・・ すべての事柄を整理し、加害者たちに対しては適切な判決を下さなければなりません。それが出来て始めて、和平や和解のプロセスを開始することが可能となります。
AK & DS – 暇な時には、どんな音楽を聴きますか?
VL – (笑) 私は毎日の時間の99パーセントはクラシック音楽に没頭しています。趣味は何かというと、民族音楽です。ロシアとか、ウクライナの民族音楽、あるいはエキゾチックなもの。音楽も無しに毎日を過ごすことは非常に難しいです。言わば、音楽が私と一緒に同居しているようなものです。夏休みも休暇もありません。何時も、仕事、仕事、仕事です。
AK & DS – ところで、あなたのプレイヤーや携帯にはどんな音楽が入っているんですか?
VL – クラシック音楽です。(笑)
Photo-4: ピンクの赤ちゃん用の毛布。ワレンティーナ・リシツアが前回ドンバスへやって来た際に彼女が撮影したもの。
・・・彼女のドンバスのファンたちの間ではもっとも若年層である子供たちと一緒に撮った写真。
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<引用終了>
頑張れ、ワレンティーナ!
ウクライナの内戦が一日でも早く収束し、誰にとっても平和な日々が戻って来て欲しいものである。
現実には、これは夢のまた夢かも知れない。人間が持つ業が経済的あるいは軍事的派遣と結びつくと、とんでもない状況が現出する。このことは歴史がつぶさに教えている。それでもなお、現実は変わろうともしないし、現実を変えようともしない。不思議な世界である。
参照:
注1: ‘I was to play Rachmaninoff, not preach politics -
fired pianist Valentina Lisitsa to RT: By RT. Apr/07/2015, http://on.rt.com/54f0qa
注2: World-Renowned Concert Pianist Continues to Play in
Donetsk Despite Threats: By Alexander Kots and Dmitry Steshin, Komsomolskaya
Pravda, Jun/07/2016
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