2016年8月10日水曜日

恐怖症に陥った超エリートのために豪華な核シェルターを作る男



モスクワの地下鉄に初めて乗った時、あのとてつもなく長いエスカレーターが地下深く下って行く様子にたいそう驚かされた。また、地下鉄の駅としては天井がすごく高くて、想像以上に大きな空間が使われていることが別の新鮮な驚きでもあった。そして、地下鉄の駅を出て凍てつく外気にさらされると、またもや鼻毛が凍り付くような感覚を覚えたものだ。

しかし、もっと驚いたのはこの非常に深い地下鉄の駅は、実は、核戦争になった場合に核シェルターとしても使われるのだという説明だった。「さもありなん」と私は納得した。

モスクワでは無数の核シェルター施設が日常の生活の場に当時すでに存在していた。多分、西側でもこれと似た話がたくさんあったに違いない。モスクワを除いては、私自身が具体的な事例を知らないだけの話だ。

以上は東西冷戦がたけなわであった頃の話である。

今、数十年前と変わらない状況があらためて現出している。少なくとも、米国の一部の超エリートたちの意識においては、核シェルターが新たな現実的な行動として考えられているのだ。

核戦争の脅威は突然目の前に現れてきたというわけではない。

東西の冷戦が終わった頃には誰もがその恐怖感から解放され、核戦争はもうあり得ないのではないかと思った。今思うに、それは西側の大手メディアが「ソ連の共産主義に対して資本主義が勝ったんだ」と喧伝していた頃の根も葉もない有頂天な気分から生まれたものであったに過ぎない。それだけではなく、長くは続かなかった。核戦争が現実味を増してきたのは米国の御用学者が相互確証破壊という冷戦時のドクトリンを捨てて、核兵器による先制攻撃を実行することによってロシアや中国の戦略核を一方的に叩き、報復能力を壊滅させることが可能だという新ドクトリンを提示した時であると思う。

2006年、「フォーリン・アフェアーズ」誌の3月・4月号にリーバーおよびプレスの共著による「米国による核戦力の優位性が始まった」と題する論文が掲載された。これが切っ掛けである。つまり、平和時の奇襲攻撃を論じたものである。

この米国の核戦力の優位性に関しては、翌年(2007年)、ロシア側から反論が出された。ロシアの専門家は「米国の数学的モデルやモデル評価の取り組みに見られる欠点から判断して、リーバーとプレスが導き出した主要な結論は正しくはない」と指摘している。要するに、「先制攻撃はあり得ませんよ、依然として相互確証破壊が実際の姿ですよ」と言っているのだ。

(詳細については、2014621日に掲載した「米国の核戦力の優位性は単なる誤謬に過ぎない」という投稿をご一覧願いたい。)

さて、核戦争に対する準備としては国家や専門家のレベルでは上記のような論戦から始まって、最新技術を駆使した潜水艦の建造とか核装備の近代化とかがある。莫大な予算が必要となる。そして、個人レベルでは核シェルターの確保がある。

ここに、「恐怖症に陥った超エリートのために豪華な核シェルターを作る男」と題された記事 [1] がある。これは昨年の10月の記事であるから、結構最近の状況を伝えるものだ。

さまざまな形で全世界の運命を握り、時にはそれをもてあそぼうとする米国の超エリートたちがいったい何を考えているのか、核シェルターという要素を介してその一端を覗いてみよう。

本日はこの記事を仮訳して、読者の皆さんと共有しようと思う。


<引用開始>

 Photo-1: 「ヴィヴォス・ヨーロッパ・ワン」の食堂。これらの写真はすべてがヴィヴォス・グループからの提供。

インディアナ州のテレホート市を通って国道41号線を南下するにつれて、ガイドは私のアイフォンを渡すようにと念を押すように私に告げた。それから、私はサテンの目隠しをさせられた。我々のこれらの旅のルールは疑いようもなく明確であった。これで、私はいったい何処へ連れていかれるのか、あるいは、どのようにしてそこへ辿りついたのかを知る可能性はゼロとなった。どんな形でこの世の終焉がやって来ようとも、世界の終末を生き永らえるために建設された地下シェルターを一目でも見ておこうとして、我々は今見知らぬ場所を訪れようとしている。

私の目隠しが外された時、私は見通しのよい草地に立っていた。目の前には箱型のコンクリート製構造物が見えた。それは冷戦時代の政府の通信施設をヴィヴォス・インディアナとして改造したものだった。これはリッツ・カールトンの核シェルターであって、そこの住人は核の冬あるいはこの世の終末を思わせるような出来事が鎮静化するまで快適に待ち続けることができる施設である。彼ら以外の一般市民は溶けて、分解してしまうことだろう。居間の空間は天井が12フィート半もあって、見事な革張りのソファーが配され、壁にはパリの陽気な風景が飾られており、背の高い模造のシダが置いてあり、贅沢なカーペットが敷かれている。三列に並んだリクライニング式の椅子の前に大型スクリーンのテレビがあって、フェイス・ヒルが歌っている。食器棚には60種類ものフリーズドライや缶詰の食品が保管されており、夕食にはフライパンで揚げたステーキの塊りを乗せたスパゲッティ・アーリオ・オーリオ、水耕栽培で収穫された新鮮なトマトやズキーニのサラダが食卓に並べられ、退廃的なタートル・チョコレート・ケーキさえもが出てくる。 幅が8フィートで奥行きが9フィートの寝室は4人用で(6人用のもっと大きな寝室もある)、四つ星クラスのホテルに匹敵するようなクイーンサイズのダブルベッドは600番手の象牙色のシーツや羽毛掛布団で整えられている。これらはヴィヴォスのウェブサイトに記載された文章からの引用である。

私はシーリーのプレジデンシャル・ピロートップ・マットレスにドスンと体を横たえてみた。これだったら、たとえ外界の全世界が燃えていたとしても、ぐっすり眠れるだろうと私は断定した。

大型、小型のペット用施設、武器の保管庫(当たり前じゃないか!)、小さなジム、医療用施設、ジーゼル発電機用の防音処理を施したエンジン・ルーム、1年間の使用を支える3万ガロン入りのジーゼルエンジン用燃料タンク、等が備わっている。もうひとつの部屋には高機能のフィルターが装備され、入って来る空気に含まれる放射能や生物・化学兵器由来の毒性粒子を捕獲し、除去するのがその役目だ。

核戦争を生き永らえることを商売目的とするヴィヴォス・グループの創業者でありCEOでもあるロバート・ヴィチーノによると、一大事が起こった暁には、これ等の施設は35,000ドルの登録料金を支払うという先見の明を持っていた人たちを収容してくれる。「これらの顧客にはトップ・クラスの外科医や米軍の高位高官、映画スター、等が含まれている。顧客のほとんどは保守的で、災害が起こった時に政府が施してくれる施策なんてこれっぽっちも信用してはいない」と、地下深くもぐっている時に彼は私に話してくれた。

「アイン・ランドが言っているように、現実を無視することがあなたをその現実から救ってくれるわけではない」と、歌うように抑揚をつけてヴィチーノは言った。



Photo-2: ロバート・ヴィチーノ。ヴィヴォス・ヨーロッパ・ワンの入り口で。

 Photo-3: ヴィヴォス・インディアナのメイン・キッチン

この世の終焉の日に備えて快適な施設を提供することをビジネスとする人たちは別名「プレッパー」としても知られ、時には、無謀な、アルミホイル帽を被った、一風変わった人物として偏見の目で見られることが多いものだが、ヴィチーノは自分たちの恐怖を金の力で解決し、生き残りを図ろうとする人たちのニーズを満たしているのだ。このサンディエゴのビジネスマンは何十億ドルもする業界の先駆者としてエンジンを全開にして走っている。我々が起業家の論理を踏襲するならば、超富裕者たちは今日の社会においては一般庶民と同じような尺度では生活をしてはいないのであるから、この世が終焉を迎えた後にはそのライフスタイルを変えろと言ってみたところで、それは無理な相談なのではないか?

身長が2メートルで、体重が135キロもあるヴィチーノの体躯であってさえも、彼の並外れた人柄を収めるには何だか物足りないふうである。ある霊能者は、彼は地球上の人々を救うために優れた巨人たちが住む惑星からわざわざこの地球へ送り込まれてきたのだと彼に告げたものだ。そのためにも彼には大きな体躯が必要なんだと。自分は特定の使命を持っているんだと彼は明らかに自覚した。最近の20年間、今61歳となったこの人物は「何かが目の前にやってくる」という予感を感じていた。

ヴィヴォス・インディアナの中で、ヴィチーノは金融崩壊、体が融けてしまう病気の大流行、磁極の大転換、サイバー戦争、ノアの大洪水、といったこの世の終焉を告げるさまざまな筋書きの間を行ったり来たりした。時には話を大脱線させて、卑劣な宇宙人が英国の王室家族を演じている可能性やら惑星エックスと呼ばれる秘密の建物解体用の鉄球が宇宙の中をこちらに向かって突進しているといったことについても触れた。しかし、彼は私にひとつだけ明確にしておきたい点があったようだ。つまり、この世の終焉がやって来た時、誰もがそのような事態に対して準備ができているわけではない。事態が非常に急速に展開することを私は認めなければならない。 

自分の生涯を振り返ってヴィチーノが話しているのを聞くと、彼の一生は良いことが起こる前兆やある種の事故のようなものによって形作られて来たんだと誰もが思うに違いない。70年代、コネチカットでの美術大学の学生生活にすっかり飽きてしまっていた頃、ヴィチーノの車へ氷の塊が落下し、前方の窓ガラスを粉々にしてしまった。この悪い前兆を見て、彼はカリフォルニアへ出かけて幸運を試す時が来たんだと悟った。そこで、彼はインフレータブル・バルーン [訳注:ヘリウムガスを吹き込んで大きな動物や建物などの形に立ち上がらせる] のビジネスを始めた。このビジネスの絶頂期の仕事はクラシック映画の50年祭のためにエンパイア―・ステート・ビルのてっぺんに巨大なキングコングを立ち上がらせようというものだった。(しかし、この巨大なバルーンは突風に遭って破れて、崩れてしまった。)20歳代の終り頃には彼はロールスロイスを運転していたが、80年代にこのビジネスを失い、不動産業へ転身した、とヴィチーノは私に話してくれた。90年代、アスペンや南フランスの洒落た地区における別荘の販売を引き受けた。ここで経験した分割所有という考え方が彼が長い間切望していた夢を具体的な地下シェルターの建設へと結びつけてくれたのである。世界が終焉する中、大資産家たちは核シェルターの中で心地よく過ごすことができる。2007年、金融崩壊が起こる直前、彼はこの商売を開始する決断をした。

彼のタイミングには一分の隙もなかった。2013年以降、米国では新たに160万人の百万長者が生まれ、米国全体では3百万強のプレッパーが存在する。最近は社会が政治的に分断されていることから、富裕者らの多くは自分の富の安全性を心配する。自分の富にとってはどのような脅威があるのか、自分の富を如何にして守るのか、そして、それにも増して、貧困層が自分たちの貧困に疲労困憊し切った時いったい何が起こるのか、等の理由からである。(かの有名な2014年のウオールストリート・ジャーナルへの投書をご覧いただきたい。この投書は米国をナチ・ドイツになぞらえ、富裕者をユダヤ人になぞらえていた。) ヴィチーノはこう警告する。「富裕者らは家庭を守ろうとするスージーが小銃をかざして他人を脅かす人物に変節するという可能性に対して準備しておかなければならない。」何の皮肉も交えずに、彼は私に「自分がかって手に入れた物を入手するために、あんたは本当にゾンビ―と化した連中や他人を襲う奴ら、ギャングども、自警団、あるいは、通りを彷徨する連中と闘い抜く積りかい?」と言った。 

今は恐怖に基づいたビジネスに従事する絶好の時期だ。地球上の何人かの富裕者らが公開したコメントは暴動に対する恐怖感から来る重圧を示している。スイスのダヴォスで開催された最近の世界経済フォーラムでは、社会不安の可能性について警鐘を鳴らすエリートたちの数が増加していることに観察者たちは気が付いた筈だ。昨年、起業家であり、ベンチャービジネスに対する資本投資家でもあるニック・ハノーアーはポリティコ誌上で彼の「超富裕者の仲間たち」に宛てた手紙を公開した。これは富裕者らの間で募ってきている不安を要約したものであった。「我々の将来に何が見えてくるか?私に見えて来るのはフォークだ」と言う。

これはヴィチーノが耳にする内容ともよく一致する。「連中はパタゴニアへ出かけ、世界の遠く離れた場所へ行こうとしている」と、彼は言う。「彼らの理由付けは経済の崩壊に続いて起こる革命や暴動、無政府状態、等から自分を隔離することにある。」 

持てる者は自分たちの所有物を保持するためにはいつも金を注ぎ込んで来た。しかし、ヴィチーノのそれに似たビジネスの台頭は、不平等感や恐怖症および極端な個人主義が混ぜ合わさって、毒物が醸成される社会・政治的なトレンドが収斂しつつあることを指し示している。

持てる者と持たざる者との間のギャップはさまざまな病的な状況を産み出すが、これらの状況は毎日を生き抜こうとする連中に影響を与えるのではなく、むしろ、トップの超富裕者層に影響を与えるのである。



Photo-4: ヴィヴォス・インディアナの居住区域



Photo-5: ヴィヴォス・ヨーロッパのバー「インスピレーション」 

ピーター・J・ベーレンスは世界の終焉にまつわる事象を研究している心理学者であるが、この種の大規模な生存計画はむしろ社会的ならびに心理的な不適応を反映したものであると見る。そこでは「恐怖症が自己中心主義と融合する。」 彼が考えるところでは、3日間ほどのために十分な食料品を確保し、何時でも使える懐中電灯を準備しておくことこそが災害に対する妥当な対応であって、外界の大多数の一般庶民から完全に遮断された地下シェルターで生き抜こうと考えることはそうとは言えない。

「自己中心主義的な人物は富裕者の間では数多く見かけられるが、彼らは自分の答えが唯一の正当な答えだと考える傾向にある。そして、彼らはとても派手な計画に惹かれる」と彼は言う。しかし、これらの幻想と現実との間にあるギャップは、ゆっくりであるとは言え、縮小しつつあるのだろうか?

ベーレンスによると、米国のプレッパーは1950年代に核戦争の脅威によってもたらされた世界の終焉という恐怖が新たに展開したものである。米国の政策や経済のトレンドはソーシャル・メディアの繁栄と相俟って(そこでは、同じ考えを持つ者同士が容易に繋がり合うことが可能だ)、世界の終焉という新たな強迫観念を煽っている、と彼は考える。彼が説明する内容は90年代にジャーナリストのマイケル・ケリーによって提唱され、流行した言葉「融合偏執症」と相通じるものがある。そこでは、陰謀論めいた世界観がありとあらゆる政治的志向から寄せ集められ、それらの情報源と継ぎはぎされた。プレッピングは米国人の生活における自由主義者的な考え方の台頭とも結び合わせることが可能だ。政府は社会や病気について適切に取り組むことはそもそも出来ないのだし、たとえそうしようと試みたとしても、政府の試みは暴政として受け取られることだろう。これは哲学だ。「隣人を愛せよ」を自己中心的で神秘的な信条に完全に取って代えようとする。一般大衆は超エリートが選択したような準備をすることを怠ったが故に彼らは消滅するのだ。その一方で、超エリートたちは核シェルターに避難して過ごす。これは自由主義者の究極的な幻想である。 

トーマス・ファーガソンは政治学者であり、やや左寄りのシンクタンクであるルーズベルト研究所の上級研究員でもあるが、彼は資金が潤沢なプレッピング業界においては多くの世襲財産家を発見するわけではないだろうと言う。お金が突然手に入ると、目が回るような不安を感じ始め、自分の世界に浸りきって、外界に対しては無関心さを強める。そうした態度が世界の終焉がやって来るとハイテックを駆使した繭の中へ身を置くことに繋がることが多い、と彼は指摘する。

ベーレンスは次のように観察している。フォード家やロックフェラー家ならびにヴァンダービルト家の人たちの間にはユダヤ・キリスト教系の強い倫理観があって、自分たちの富の一部を社会に還元しようとする意識が見て取れる。彼らは図書館や博物館、その他諸々の公共施設を建設した。彼の思考によると、今日の富裕者は周囲をゲートや塀で囲った住宅地に住み、自分たち専用のクラブへ通い、自家用機を用いることによって一般大衆からはますます隔絶される。また、そればかりではなく、一般庶民に何らかの借りがあるという意識はまったくない。



Photo-6: ヴィヴォス・ヨーロッパ・ワンの居住区域

 Photo-7: ドイツにおける施設で防爆タイプのドアを閉めようとするロバート・ヴィチーノ

ヴィチーノの資産には最近立ち上げたばかりのヴィヴォス・ヨーロッパ・ワンが含まれ、これはドイツにおいて冷戦時代に弾薬保管施設として用いられていたものであったが、核爆発に耐える地下シェルターとなった。この施設はヴィチーノと彼のパートナーであるドイツ人ディベロパーによって225万ドルで買い取られ、このことは昨年の夏発表された。この資産の現在の価値は10憶ドルを越し、「安全が確保された、核爆発に耐える227,904平方フィートの居住空間」は34家族の「超富裕者」が1年を通じて居住するのに十分な広さを持っている、とヴィチーノは言う。居住者たちはプールやワインの貯蔵庫で楽しい時を過ごし、自分たちのお好みのヨット設計家が手掛けた特別注文の内装品が配された居間で過ごすことができる。皆さんは法の支配が崩れてしまうのではないかと心配するだろうか?社会が崩壊した後には、それぞれのヴィヴォスの施設は個々の定款によって統治され、個々の核シェルターでは、地下空間に閉じ込められている間にややもすると神経が過敏となった居住者間の利害の不一致は彼ら自身が運営する個々の裁判所によって裁定される。ヴィヴォス社によって採用された武装ガードマンが侵入しようとする地上の持たざる連中を取り締まってくれる。

この地下に建設されたノアの箱舟の1区画の価格は3百万から5百万ドルで、ヴィヴォス・インディアナでの大人のコストの100倍以上に相当する。

ヴィヴォスの施設としてはさらに別の施設があるが、それらは個人的なものであって、公表はできない、とヴィチーノは言う。彼の顧客は自分たちを宣伝の対象にしたくはないのである。しかし、ヴィチーノのPR担当者は気に入ってくれた顧客から得た無名の見積もりを私に誇らしげに示してくれた。

その内の一人はこう書いている。「皆と同じように私にも第六感がある。近い内に何かが起こる。
今や、自分の家族のためにさまざまな面に関してまさかのために備える時がやって来た。私の生涯の中で、他の時期と比べてみても、破滅的な出来事が起こる可能性が、今や、より以上に高まっている。」 

「時間の経過と共に、これらの施設の有用さが分かる筈だ。周囲の状況は危険になる一方だ」と、他の者が言う。「大変な事態がやって来て、それを避ける術がない時、我々が行くべき場所がいったいどこかにあるだろうか?」

プレッパーと言う新しい商売で金を稼ごうとしているのはヴィチーノひとりだけと言うわけではない。この起業家は自分の競争相手であり、デベロッパーでもあるサイロ・ホームのラリー・ホールのことを賞賛している。ラリー・ホールはキャンサス州で破棄されていた弾道ミサイル用のサイロの中に一連の豪華なコンドミニアムを建設したのである。(1戸当たり200万ドルもするコンドミニアム、8戸が完売となった。)ヴィチーノの場合は、インディアナの核シェルターでは80戸の内で10戸程を除き、すべてが完売となった。何戸かは自分の近い親戚のために保留している。彼はドイツで建設した新しい施設のために顧客との交渉をしている最中だと言う。その中には超富裕なプレッパーが含まれており、同プレッパーはこの施設全体を買い取るかも知れない。

核シェルターを訪問するというこの試みが終りに近づいて来た頃、私はヴィチーノが実現しようとしているこのまったく新しい社会に思いを馳せていた。富裕者たちの間には、災害の兆し、つまり、不平等が喫緊の課題となっており、社会全体が正面から取り組まなけれならなくなっている現状を読み取ろうとはせず、自分たちの幻想の中で生き永らえようとしている者が何人もいるのである。大多数の一般庶民にとっては現実世界が完全に崩壊するような状況にあっても、ある富裕者にとっては金メッキが施されたぴかぴかの核シェルターの中へ逃避することが答えなのである。

しかしながら、この起業家は自分の企業に大きな望みをかけている。「ヴィヴォスは出来るだけ多くの核シェルターを建設し、内装を施し、完成したシェルターを保有し、時間が許す限りはそれらを販売する。需要はある。その時が果たして来るのか、来るとすれば何時になるのかに関しては予測することは出来ない。その施設にいる限りにおいては、人類を滅亡させるような自然災害や人工的な災害(核戦争)がやって来たとしても、それらの人たちは安全である。ところが、庶民は何かが起こるなんて信じようとはしない。実際にそれが起こるまでは!」 

Economic Hardship Reporting Projectと称される非営利組織のジャーナリスト集団がこの記事に対して支援を与えてくれた。

ツイッターで著者のLynnを追跡しよう。

<引用終了>


これで仮訳が終了した。

ここに引用した記事では新自由主義者の物の考え方が説明されている。一言で言えば、その最大の特徴はこうだ。つまり、周囲の一般庶民はどうなっても構わない、自分は核シェルターの中へ避難するという極端に自己中心的な考え方である。

核シェルターを購入しようとする決断はあくまでも個人レベルの行動である。これが産業界になると、新自由主義は西側の多国籍企業にとってはグローバリズムの支えとなり、TPPやTTIP、あるいは、対ロ経済制裁といった形を取る。そして、ある日、寄生虫(米国の軍産複合体が推進している対ロ核戦争)が宿主(人類)を喰い殺すところまで事態が進行してしまうかも知れないのである。


ここで、超エリートの一人であり、上記に言及されているニック・ハノーアーの持論を部分的にご紹介しておこう [2]

米国社会は不平等になるばかりだ。1980年にはトップの1パーセントは米国の国民所得の8パーセントを占め、下層の50パーセントが19パーセントを占めていた。今日ではトップの1パーセントが国民所得の約20パーセントを占め、下層の50パーセントはたったの12パーセントを占めているだけだ。

・・・我々の国家は資本主義社会から急速に封建主義社会へと変わろうとしている。我々の政策が抜本的な変化を遂げない限り、中産階級は消滅し、我々の社会は18世紀のフランスへと逆戻りすることだろう。革命前のフランスだ。

・・・我が国の経済における不平等に関して何らかの解決策を講じないと、我々に向かってフォークをかざした暴徒の群れが押し寄せてくることだろう。   



参照:

1The Man Who Builds Luxury Bomb Shelters for Paranoid One Percenters: By Lynn Parramore, Oct/11/2015

2The Pitchforks Are Coming… For Us Plutocrats: By Nick Hanauer, Politico Magazine July/August 2014






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