2017年5月1日月曜日

敵国の言語を習得する



仮想敵国ではなくて、毎日の生活において敵対的な状況にある相手の国で全身麻酔を必要とするような手術を受けなければならないとしたら、さらには、そうした医療行為が隣の敵国でしか得られないとしたら、そのような状況に遭遇した当人は間違いなく恐怖に襲われることであろう。たとえ当人が女性であっても、兵役年齢にある場合にはさまざまな想定が脳をかすめることになる。しかも、その国の言語がまったく分からない場合、当人の恐怖は頂点に達する。

そのような状況に陥った体験を綴る記事 [1] に偶然にも出遭った。これはイスラエルの隣、ガザに住んでいる女性の話だ。

本日のブログではその記事を仮訳して、読者の皆さんと共有したいと思う。

中東から遠く離れた日本に住んでいる日本人にとっては、パレスチナやガザとイスラエルとの間の政治的および軍事的な緊張が毎日の生活に対してどれだけ暗い影を落としているのかに関しては、正直に言って、まったく予想もつかない。

(注: このブログではアラビア語の人名や地名のカタカナ表示はできる限り調査をした上で仮訳を進めていますが、幾つかの名称については確認ができてはいません。したがって、表記の仕方には間違いがあると思います。ご容赦ください。)


<引用開始>



Photo-1: ガザ市の学校でヘブライ語を学ぶ第9学年の生徒たち。 
20132月。提供: Ashraf Amra APA images

インティサール・アイヤッドはイスラエルの病院で不安な体験をした。白血病と診断され、彼女の骨髄移植手術の予定が決まった。彼女は実際に何が行われ、何が起こっているのかに関して正しい情報をつかみたいと思ったが、大きな壁にぶつかった。手術を行うチームは全員がヘブライ語を喋るだけで、アラビア語はまったく通じなかったのである。

ガザ出身の27歳の学生、アイヤッドは「一言も分からなかった」と言った。「麻酔医が私に近づいて来た時、私の頭はグルグルと回り始めました。凄い恐怖だったわ。」 

アイヤッドは自分の体にいったい何が注射されるのかについて詳しく説明してくれるようにと要求した。誰かがアラビア語で説明してくれるまでは手術を開始したくはないと告げた。

テル・アビブの東に位置するペタク・チクヴァ市にあるベイリンソン病院の職員は結局アラビア語を喋る人を探し出してくれ、アイヤッドは手術に関する同意書に署名をすることができた。しかし、手術を終えた時、彼女は再び新たな不安に襲われた。

病院の職員は彼女に自動翻訳装置を与えてくれたのだが、24時間後には壊れてしまった。しかしながら、その装置の修理について関心を示す人はいなく、誰も代替の装置を手配しようとはしなかった。

アイヤッドの手術は2014年にベイリンソン病院で行われた。この手術の後、彼女はヘブライ語を習得しようと決心した。 

そうすることが必要であることはすでに証明済だ。イスラエルで専門的な治療を受けるには、アイヤッドはイスラエル当局宛てに定常的に許可を申請しなければならない。

個別の許可が入手できると、彼女はガザとイスラエルとを分けているエレーズの町の検問所で詳細にわたるインタビューを受けなければならなかった。

「ヘブライ語の語彙がゼロであることはそういったインタビューを地獄に変えてしまうわ」と彼女は言った。「インタビューの終りに近づく頃には兵士らはイライラしてしまって、私を非人間的に扱い始めるんです。」 

アイヤッドが通っているヘブライ語のクラスはガザにあるNafha Center for Prisoners Studies and Israeli Affairsと称される組織によって運営されている。[訳注:この組織名の冒頭に出て来る「Nafha」はガザ地区の対イスラエル抵抗運動で捕まった囚人が収容されているイスラエルの三つの刑務所(NafhaRamonおよびEshel)のひとつを指しているようだ。要するに、このセンターはNafha刑務所にて服役しているガザの住民のために奉仕活動を行う組織であって、その活動のひとつがヘブライ語学校であるようだ。しかし、推測でしかないのでさらなる調査を要する。]

このセンターはイスラエルの刑務所で19年間もの歳月を過ごしたアフメド・アルファレートが運営している。

アルファレートは2011年にイスラエルとハマス との間で実現した捕虜交換を通じて釈放された。彼はガザの住民にとってはヘブライ語を理解することが重要であると感じて、20154月にこのセンターを設立した。

「われわれの命だけではなく死さえもが、好むと好まざるとにかかわらず、ユダヤ主義者のイスラエルと直結しているのです」と、彼は「エレクトロニック・インティファーダ」紙に喋ってくれた。「彼らを理解するには、われわれは彼らの言語を習得しなければならないのです。」 


国家的な義務: 

ハリール・ウィシャフもかっては囚人であったが、今はガザでヘブライ語を教えている。

60歳代の前半にあるウィシャフは1980年代にこの言語を学んだ。彼は他の囚人たちと一緒にイスラエルの刑務所で自分たちの学校を設立した。

6か月間みっちりとこの言語を学んでからというもの、彼はヘブライ語をものにしたと感じることができた。

1982年にビールシーバの刑務所で湿っぽい壁にもたれていた頃は、あの場所が私をヘブライ語を専門に教える先生に変えてくれるなんてまったく想像もできませんでした」と彼は言う。

ウィシャフは1985年の捕虜交換の際に釈放された。この捕虜交換はそれよりも3年ほど前に起こったイスラエルによるレバノンへの侵攻にかかわるものであった。

すでに何十年にもわたって彼は非公式な形でヘブライ語を教えてきた。最近になって、彼はガザにあるアル・ザイトウナ大学のヘブライ語学科で教職にありついた。

「私の国の人たちは皆がイスラエル社会についてもっともっと自分で学習して欲しいと私は思っています」と彼は言った。「私にとっては敵のメディアを読み漁り、追跡することによって我が国の敵を理解し、敵を分析し、敵がどのように考えるかを知ることはまさに国家的な義務なんです。」 

「レジスタンスとは銃を手にすることだけではなく、自分の敵を知ることでもあるんです」と彼は付け足して言った。

ヘブライ語が分かるということはイスラエルの占領下で暮らすパレスチナ人にとっては基本的に重要だ。多くの人たちは「今日のイスラエル領」内へ出向かけなければならない。多くの場合、毎日のように仕事を探す要があるからだ。[訳注:「今日のイスラエル領」という言葉には、イスラエルが建国された以降今日まで拡大の一途を辿ってきたイスラエルの領土に関してたっぷりと皮肉を込めて言っている響きが感じられる。]

1970年から1993年にかけては、ガザの労働人口の35パーセントはイスラエルで働いていた。雇用条件は多くの場合搾取的なものであった。イスラエルで働くパレスチナ人に与えられる仕事は主として手作業であって、農業や建設関連に集中していた。パレスチナ人の賃金は同一分野でイスラエル人が手にする賃金に比べて3050パーセントも低かった。

最近イスラエル側によって制限が課されたことから、過去の10年間というものは、経済封鎖を含めて、ガザの住民がイスラエルで働くことは事実上殆んどが禁止されてしまった。

イスラエルで働く機会はほとんど排除されてしまったとは言え、ガザの住民の多くがヘブライ語を習得することに熱心である理由は毎日の生活に直結した現実的なものであったり、政治的なものであったりする。まず、ガザで販売されている食料品や雑貨類はほとんどがイスラエルから輸入されており、それらの包装に記された説明書きはほとんどがヘブライ語である。


翻訳で途方に暮れてしまう? 

ほぼ間違いないことではあるが、もっともっと大きな問題がある。それはガザの病院や診療所は2008年以降何度も爆撃を受けて、特定の疾病については適切な医療を提供する能力には欠けているという点だ。癌やその他の疾病で生命の危険を伴う場合は、イスラエルへ出かけ、専門医の診察を受けることが必要となる。しかし、イスラエルへ出かけるということはイスラエルの軍事的官僚制度によって設けられている幾種類ものハードルをひとつひとつ越さなければならない。

パレスチナ人の患者やその家族はイスラエルの兵士とやりとりをすることになる。さらには、医師や看護婦たちであるが、これらの人たちの第一言語はヘブライ語だ。

今年の6月、医療処置を受けるためにおよそ1,400人のパレスチナ人がガザからイスラエルへ旅行することを許可された。患者の付き添いとしてほぼ同数の人たちも旅行許可を入手した。

モハメド・アルハンマミはヘブライ語を習得することはイスラエルの政治を理解する上で非常に重要だと主張する。

「ヘブライ語を習得することによって、イスラエルの新聞を読んだり、イスラエルの作家の書物を読むことが可能となります」と彼は言う。「翻訳を介して理解しようとしても、多くのことが失われてしまうことがあります。原語での情報を探すことが最良です。」 

アルハンマミはAMIDEASTにて英語を教えている。これは米国の組織であって、中東で教育プログラムを提供している。 

彼は米国のフランクリン&マーシャルカレッジで学び、ヘブライ語コースを選択した。

当時、彼はパレスチナにおける単一国家による解決策について独自の研究論文を書いていた。

アルハンマミは歴史的なパレスチナに関しては単一国家を実現するという原則を支持している。現在、領土はイスラエルとウェストバンクおよびガザに分断されているのだ。単一国家こそがイスラム教徒やユダヤ教徒、キリスト教徒ならびに無宗教の市民の間に平等の原則を保証してくれるのだ。この考えを正しく分析するには、このテーマに関して数多くのユダヤ人の学者や政治家がヘブライ語で書いている内容を理解することがまず必要になると彼は感じたのである。

ユダヤ主義というイスラエルの国家的イデオロギーを打ち破るには、まずはそれを良く理解することが必要だ、と彼は論じる。ヘブライ語について十分な知識を持つことがそうする上で非常に役立つのだ。 

「イスラエルは占領から多くの利益を得ているのです」と彼は言った。『彼らは隔離政策や窮乏から利益を得ているんです。彼らはわれわれに対して「さあ、自分たちの自由を謳歌しなさい」なんて言う事は決してありません。ヘブライ語を学んで、われわれ自身が主導権を握らなければならないのです。』 

著者のプロフィール: ネスマ・シヤムは通訳ならびにジャーナリストであって、ガザに本拠を置いている。ツイッター: @Nesma_Seyam

<引用終了>


これで仮訳は終了した。

イスラエルに対するパレスチナ人の政治的な考えは『彼らは隔離政策や窮乏から利益を得ているんです。彼らはわれわれに対して「さあ、自分たちの自由を謳歌しなさい」なんて言う事は決してありません。ヘブライ語を学んで、われわれ自身が主導権を握らなければならないのです』という言葉にすべてが象徴されているように感じられる。

「ユダヤ主義というイスラエルの国家的イデオロギーを打ち破るには、まずはそれを良く理解することが必要だ、と彼は論じる。ヘブライ語について十分な知識を持つことがそうする上で非常に役立つのだ」と、著者が強調する言葉は非常に重い。 

パレスチナ人が対イスラエル政策で主導権を握るには今後とも長い時間を必要とするのかも知れない。あるいは、それに成功するという保証は必ずしもないのかも知れない。とは言え、上記のように明快な自覚を持っていることに関して私は敬意を表したい。


外国語を習得する動機はさまざまである。日本では自分の将来の仕事のために何らかの役に立つだろうといった動機がもっとも多くの人たちに当てはまるのではないだろうか。しかし、ここに引用したパレスチナ人の動機は自分の生命を守るためのものであり、毎日の生活のためのものでもある。さらには、自分たちの国家を建設するために敵を少しでも理解することが必要であり、そのためにもヘブライ語を習得するのだと言う。こうして見ると、今日の日本の場合とは気合いの入れ方がまったく違うことがよく分かる。

この引用記事を読みながら、江戸時代の末期から明治にかけての日本人は、もちろん、非常に限られた一部の人たちであったとは言え、これと似たような状況にあったのではないかと、ふと思った。私なりの理解からすると、かなりの相似性が見えてくる。当時の日本でも一個人が考えを巡らす領域には国家的な義務が色濃く含まれていた。しかも、国家的義務はさまざまな動機の中でも主要な位置を占めていた。

戦後70年、われわれ日本人は比較的に平和な日々を謳歌してきた。周囲の国々を見ると、悲惨な内戦や隣国との紛争が数多く見られた。この違いは日本の現行憲法に明記されている戦争放棄の精神と大きく関係しているのだと思う。平和憲法を象徴する憲法9条に関してはさまざな議論がある。しかし、われわれ一般庶民にとって基本的に必要なことは戦争のない世界である。日本が戦争に巻き込まれることがない国際環境を長く維持することこそが自分自身の世代だけではなく次世代についても絶対的に必要な条件である。これは論を待たない。さらには、193カ国もある国連加盟国の間では日本だけが誇ることができる政治理念であるとも言える。

しかしながら、今や、その平和憲法にも風化が始まっている。なぜそうなってしまったのであろうか?平和憲法に対する愛着を維持することに日本人は飽きてしまったからだろうか?毎日の生活と直結した関係を必ずしも感じ取れないからだろうか?国際的なテロ戦争という概念に便乗して導き出された集団的自衛権の議論に見られるように、米国の軍産複合体によって喧伝されている情報や論理がわれわれをすっかり洗脳してしまったからであろうか?

北朝鮮は核実験や大陸間弾道ミサイルの発射実験を行うことによって対米瀬戸際政策を進めている。韓国や日本にとっては非常にはた迷惑な話ではあるが、これは米国の軍産複合体にとっては非常に好都合な環境であると言えよう。北朝鮮を政治的に、あるいは、軍事的に挑発し、北朝鮮が北東アジアでさらに緊張を高めてくれれば、韓国や日本にTHAADミサイル防衛システムを設置させる絶好のチャンスとなるのだ。そして、このTHAADミサイル防衛システムの真の狙いは中国とロシアに対する軍事的包囲網の確立にあるのだ。

米国が朝鮮半島の非核化を真の意味で実現したいならば、空母や原子力潜水艦を朝鮮半島の海域に派遣するのは本末転倒である。米国にとっては北朝鮮政府との対話を開始し、友好的な関係を築き、それを維持するような外交努力を推進することが先決だ。

これはありもなしない「ロシアの脅威」を喧伝することによって「新冷戦」の存在を一般庶民に意識させ、ポーランドやバルト諸国とロシアとの国境地帯へNATO軍を配備することによってNATO軍の必要性を誇示し、NATO軍をさらに強化することが必要であるとするNATOの演出とまったく同じやり口だ。


要するに、真の目的が何かを見極めることが基本的にもっとも大事だ。喧伝されている政策や軍事行動の真の狙いが何かを見い出すことが必要不可欠である。

国家的義務を市民レベルで考え、個人的な信条として受け入れ、それを日々の生活の中で実行しているパレスチナの一般庶民の姿勢が私にはなぜかすごく新鮮に見えて来るのである。



参照:

1Learning the enemy’s language: By Nesma Seyam, The Electronic Intifada, Aug/11/2016, electronicintifada.net/.../learning-enemys-language/176...





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