ネヴィル・シュートの「渚にて(On the Beach)」という小説は1957年に出版され、ベストセラーとなった。そして、映画にもなった(1959年、および、2000年)。
その内容は核による第三次世界大戦が文明を完全に破壊してしまうというものだ。この戦争がどのようにして始まったのかは明らかではない。ある国が敵国に先制攻撃を仕掛けて、世界規模の核戦争に発展していったのか、あるいは、何らかの偶発的な事故から発展したものかは誰にも分からない。しかし、今さらそれが分かったところで、何の足しになると言うのか?たまたま、一艘の米潜水艦が被害を受けることもなく、まだ放射能で汚染されてはいないオーストラリアへ辿りついた。しかし、この地にも北半球からの放射能が刻々と迫りつつある。逃げ場を失った市民たちには薬剤が配布され、安楽死を選ぶしか選択肢はない・・・
核兵器が持つ破壊力は極めて非人間的である。人間の知恵や判断だけでは核兵器を制御することはできないということをわれわれ皆に是非とも知って貰いたいという願いこそがこの小説の著者や映画監督からのメッセージである。
核兵器の恐ろしさに関しては、不幸な事には、日本人は有り余るほどの集団的体験をして来た。そして、それは今も続いている。広島・長崎への原爆の投下によって、短期間の内に多数の市民が命を落とした。そればかりではなく、何十年も健康上の問題に苦しめられ、生命を脅かされて来た市民も数多くいる。これらの人たちの総数はいったいどれほどになるのだろうか?実態は把握されているのであろうか?
1954年、第五福竜丸というマグロ漁船がビキニ環礁での水爆実験で死の灰を浴びた。無線長の久保山愛吉さんは半年後に死亡した。
被害を被ったのは第五福竜丸だけではない。ウィキペデイアから引用してみよう(斜体で示す)。
高知県の高等学校教諭山下正寿は、アメリカが1946年-1958年にビキニ環礁やエニウェトク環礁で計67回行った一連の核実験で被爆したとみられる県内の船員への聞き取り調査、アメリカの公文書の分析、厚生労働省への情報公開請求に取り組み、被災の実態を明らかにしてきた。山下がビキニ核実験から34年後に第五福竜丸以外の漁船員204名を調べた結果は、癌などの病気で3割(61人)が既に死亡。約13000人に1人発症するとされる白血病で3人も亡くなっていた。
2011年3月、三陸沖で起こった大地震とそれに伴う津波の影響を受けて、東京電力福島第一原発では原子炉3基が電力の供給を断たれて、炉心融解事故を起こした。あれから数年後の今、原発の隣接地域では若年者の間に甲状腺癌が多数発見されている。福島県に隣接する他の県や市町村においても健康被害の報告が出始めた。チェルノブイリ原発事故での低線量被ばく地帯の事例を教訓として取り上げてみると、地理的な広がりもさることながら、今後は被爆時に乳幼児であった人たちの間にも甲状腺癌が多発する可能性が高い。今まで以上に多数の健康被害が表面化して来る。物理の法則は場所が変わっても、国の政治体制が変わっても、あるいは、政府が変わったとしても、不変である。
2017年のこの夏、朝鮮半島を巡る米国と北朝鮮との間の緊張は高まるばかりである。この舌戦は何時の日にか核戦争に発展する危険性を孕んでいる。米軍基地を何個所も持っている日本にとって、この状況は非常に大きな脅威である。北朝鮮からの戦略的な攻撃目標となる大きな軍事施設を挙げると、北から三沢、横田、厚木、横須賀、岩国、佐世保、嘉手納、普天間と並んでいる。これら以外にも数多くの施設が日本全体に散らばっている。
高高度で核爆発を起こすと、地上では何百キロという広域に存在するコンピュータの電子回路が破壊されることは周知の事実である。つまり、核攻撃によって意図的に敵国のインフラを破壊することが可能なのだ。これは「電磁パルス攻撃」と称される。[注: 電磁パルス攻撃のさらなる詳細については、SAPIO 2017年8月号の記事(7月11日配信)、「インフラ破壊し1年後に9割死亡 電磁パルス攻撃の恐怖」を参照下さい。]
1962年7月9日、ハワイは大規模な電磁パルス攻撃に見舞われ、州の通信システムが機能不全となり、通りの交通信号が消えた。つまり、電力で稼働していたインフラが停止してしまったのである。しかし、この電磁パルス攻撃は外国からの攻撃のせいではなく、米国政府がジョンストン環礁の上空248マイル(397キロ)の高度で、1.4メガトンの核弾頭を爆発させたことから起こったものであった。この高高度核爆発によって、ハワイ、カリフォルニア、アラスカでは大停電を引き起こし、太平洋上では6個もの人工衛星を破壊したという。ハワイは核爆発の実験地点からは850マイル(1,360キロ)も離れていたことから、こんな影響をもたらすなんて誰にも予想することはできなかった [注1]。
このような電磁パルス攻撃に対抗する手段は技術的には可能であろう。たとえば、軍事基地ではすでに防護手段を十分に備えていることだろうと思う。
しかし、問題は民生用のインフラである。これらは何の防護もされてはいない(と私は推測する)。電磁パルス攻撃に曝されると、電源やガス・水道、交通機関が止まり、テレビやラジオを作動させることができない。電話も不通となる。マンションではエレベーターも止まる。物流も遮断される。インターネットもアクセスできない。
私がもっとも心配するのは原発だ。大停電に陥った場合、非常用ディーゼル発電機が稼働する仕組みになっている。とは言え、原発の敷地外からの外部電源はダウンし、広域大停電が出現する。日本全土が大混乱となる。電話も通じない。被害が余りにも広域に広がっていることから、復旧作業は著しく困難なものとなろう。復旧にはどれだけの時間がかかるのだろうか?原発でコンピュータの電子回路が軒並み故障した場合、原子炉内の核燃料や冷却プールに貯蔵されている使用済み核燃料は万事休すだ。非常用ディーゼル発電機を自動的に始動させることもままならない。さらには、手動操作でも始動できないとしたら、冷却水を供給できなくなる。つまり、福島原発での炉心融解事故を招いた条件と同様な状況が現れるかも知れないのだ。それにも増して、もっとも大きな脅威は全国で50基もの原発があるという点だ。
いったい朝鮮半島における政治的不安定はこのままでいいのだろうか?いい筈がない。
日本は原爆の惨たらしさを体験した国として朝鮮半島の現状をただ手をこまねいて見ているだけでいいのだろうか?日本政府は米国や北朝鮮に対して緊張緩和のための仲立ちを積極的に行うべきではないのか?外務省は何らかの具体的な動きをしているのか?今こそ具体的な提案や動きが必要だ。ただ単に米国政府の言動に追従しているだけでは能がない。日本独自の発想や見識が今ほど求められている時はない。
核兵器が北朝鮮にとっても使用可能な武器となった今、朝鮮半島危機は決して朝鮮半島と言う地理的な領域だけの問題ではなくなった。これは日本全土の安全保障の問題でもある。それだけに、最近の朝鮮半島を巡るさまざまな動きを見ていると、ない知恵を試されているような気がしてならない。
時事問題に正面から取り組もうとするドキュメンタリー映画の監督さんが何人かいる。このような識者は問題点を浮き彫りにして、われわれ庶民が理解し易いような形で問題提起をする。たとえば、オリバー・スノー、ジョン・ピルジャー、アンドレ・ヴルチェックといった面々だ。
本日は、「渚にて、2017年 - 核戦争を招きよせる」と題されたジョン・ピルジャーの記事 [注2] をおさらいしておきたいと思う。
<引用開始>
米原潜の艦長はこう言う。「われわれは誰もが何時かは死ぬ。ある者は早目に死ぬかもしれないし、ある者はずっと後で死ぬかもしれない。問題は死ぬことに対しては誰も準備が出来てはいないという点だ。何時だってそうだ。何故ならば、自分の死が何時やって来るかなんてまったく分からないからだ。でも、今、われわれには分かっている。俺たちが死ぬことに関しては俺たちはどうすることも出来ないんだ。」
9月までには自分はもう死んでいることだろうと彼は言う。確実なことは誰にも言えないが、死ぬまでには約1週間かかるだろう。動物はもっと長生きをするかも知れない。
戦争は1ヶ月で終わった。米国、ロシアおよび中国が主役を演じた。この戦争が事故で引き起こされたのか、あるいは、何かの間違いで引き起こされたのかはまったく不明である。北半球は放射能で汚染されてしまって、今や生命はまったく存在しない。
放射能のカーテンが今南へと移動し、オーストラリア、ニュージーランド、南ア、南米に向かっている。9月までには、最後まで残されれいた都市や町、集落もすべてが死ぬ。北半球で起こったように、ほとんどのビルは無傷のままで残るだろう。いくつかの建物では最後の照明だけが灯っているかも知れない。
こんなふうに、世界は終わる
世界の終りは、
爆発音ではなく、すすり泣く声で。
T.S.エリオットの詩「空ろな人間」(The Hollow Men)から引用された数行がネヴィル・シュートの小説「渚にて」の冒頭に現れる。私には泣けてきた。カバーに記述された推薦者たちも同じことを言っていた。
[訳注: ここに引用されているエリオットの詩”The
Hollow Men”の邦訳は幾通りかあるようですが、もっとも新しい邦訳と思われる訳をお借りすることにした。これは「マイケルと読書と、、」というブログサイト(nikkidoku.exblog.jp/24675987/)で2015年 11月 16日 に投稿されている『和訳 “The
Hollow Men” T.S.エリオット「空ろな人間」』中にある邦訳を拝借したものです。]
この本は冷戦がその頂点に至りつつあった頃の1957年に出版された。多くの作家は沈黙し、脅えていた頃の作品であって、傑作である。まず、その言語は品のいい面影をにじませている。しかし、核戦争について今までに読んだ本の中ではこれほどまでに確固とした警告の書はない。また、これほどまでに切迫した書はない。
幾人かの読者は白黒のハリウッド映画で米海軍の司令官を演じたグレゴリー・ペックのことをご記憶だろうと思う。彼は配下の潜水艦をオーストラリアに向かわせ、生命が残っている世界としては最後の地となるこの地で、沈黙した、無形の亡霊が忍び寄って来るのを待つことにした。
この「渚にて」を先日私は初めて読んだ。丁度、米議会がロシアに対して経済戦争を遂行する法律を議決した日に読み終わった。ロシアは世界で二番目に強力な核大国である。正気を逸した米国のこの新法には、略奪を約束したものであることを除けば、正当化の理由は何もない。
この「経済制裁」はヨーロッパを狙ったものである。特に、ロシアの天然ガスに依存するドイツ、ならびに、ロシアとの間で合法的なビジネスを展開しようとするヨーロッパ企業を狙い撃ちにしたものだ。連邦議会で議論された内容に関して言うと、この経済制裁はヨーロッパを強制して、割高な米国産LNGを輸入させようと意図したものであって、お喋り好きな上院議員らはこのことについては何らの疑いも抱いてはいない。
彼らの主目的は戦争にあるようだ。しかも、本物の戦争だ。このような極端な挑発は決して戦争以外の何らかの目的を示すものではない。米国人は戦争がどのようなものであるかについてはまったく考えが及ばないけれども、彼らは戦争を切望しているかのようだ。1861~1865年の南北戦争が自分たちの国土で戦闘が行われた最後の戦争だ。米国にとっては、戦争とはよその国で行う行為なのである。
人類に対して核兵器を使用した唯一の国家として、彼らはそれ以降、数多くの政府を倒して来た。その多くは民主国家ではあったが、それらの国々の社会全体を瓦礫の山に変貌させ、百万人にも達したイラクにおける犠牲者数でさえもインドシナにおける大虐殺のほんの一部に相当するに過ぎなかった。インドシナでの大虐殺に関してリーガン大統領は「崇高な理由」と称し、オバマ大統領はその言葉を「例外的な人たち」の悲劇と言い換えた。しかし、彼はベトナム人を指してそう言った訳ではなかった。
昨年、ワシントンのリンカーン記念館で撮影をしている際に、私は米国立公園局の案内人が若い十代の学童らに説明をしているのを耳にした。彼は「良くお聞き」と言った。「われわれはベトナムで58,000人もの若い兵士を失った。これらの兵士は君たちの自由を守るために死んだんだよ。」
真実は一気にひっくり返されてしまった。自由は守られなかった。自由は破壊されたのだ。農業国が侵略され、その国の何百万もの人々が殺害され、体の一部を失い、財産を奪われ、毒物が散布された。60,000人もの侵略軍の兵士らが自分の命を絶った。本当に、良くお聞き!
[訳注: ベトナム戦争に従軍した米兵士の自殺者の数は引用する情報によって大きく異なる。米国防省の公式数値は非常に小さく、反戦運動家が主張する数値は非常に大きい。自殺者数の上限の値は100,000にも達する。この状況は南京虐殺の犠牲者数を論じる時やイラク戦争における市民の犠牲者数の議論で起こる状況と瓜二つである。また、もうひとつの側面は直接要因と遠因との関係をどう見なすのかという基本的な姿勢によっても数値は大きく乖離する。たとえば、原子力産業を推進する立場にある国際原子力機関(IAEA)が主張するチェルノブイリ原発事故の犠牲者数は極めて低い。その一方、疫学的見地から推算される犠牲者数は桁違いに大きい。IAEAの場合は、犠牲者が曝された放射能レベルと犠牲者の発癌との間に有意な関係が認められる場合だけを収録して、犠牲者とするからである。低レベル放射線に長年被爆して健康被害を受けた場合はIAEAの定義による犠牲者の範ちゅうには入れてはもらえない。広大な地域の中の特定の集落における放射線レベルのデータなんて、通常、存在しない。存在したとしても、一時的なものであったり、断片的なものであったりして、現代科学の議論では相手にもされない。IAEAが報告する数値は「原子力は安全だ」と主張する原子力産業にとってはこの上なく好都合だ。]
それぞれの世代には前頭葉切断術が施される。事実は排除される。歴史は切り刻まれ、タイム誌が言うところの「永遠の存在」に置き換えられる。ハロルド・ピンターはこの状況を「世界中で権力を操り、善の世界に導く勢力であるとする仮面をまとっている。つまり、これは実に見事な、時には機知に富んでいることさえもあって、極めて巧妙に行なわれた催眠術行為だ。こんなことは今までに起こったことはない。何も起こらなかったのだ。何かが起こっていたとしても、何も起こってはいなかった。何かが起こっていたかどうかなんて決して重要ではなかった。関心なんてなかった」と描写している。
自分をリベラル派だと称したり、どちらかと言うと「左翼系」だという人たちはこの情報操作や洗脳に熱心に関与しようとする。今日、彼らは一人の名前だけに執着している。その名前は「トランプ」。
トランプは気が狂っている、ファシストであり、ロシアの手先だ。彼は「アイデンティティ政治のためにホルマリン漬けになっているリベラル派のブレーン」のための格好の贈り物だ、とルシアーナ・ボーンが印象的に書いている。永続的なシステムのひとつの症状としてのトランプでもなく、風刺の対象としてのトランプでもなく、「俺たちのトランプ」ばかりにとらわれ過ぎていると、われわれはとてつもなく大きな危険を自分たちの方へ招きよせることになる。
彼らが化石のように古めかしい対ロ政策を追求する一方で、ワシントンポストやBBC、ガーディアンといった自己陶酔的なメディアは私の人生ではまったく記憶にないような規模で戦争を挑発し、われわれの時代においてもっとも重要な政治的話題の本質をもみ消してしまう。
8月3日、ガーディアンはロシアがトランプと共に陰謀を図ったとする戯言(これはジョン・ケネディを「ソビエトの工作員」と悪口を言った極右翼を想い出させる)に膨大な紙面を費やしていた。それとは対照的に、同紙は米国の大統領は対ロ経済制裁を宣言した議会の法案に署名するよう強制されたのだと報じるニュースを16頁目に小さく埋め込でいた。
この署名はトランプが行った他のすべての署名とは異なって、実質的に秘密裏に行われ、「憲法違反だ」とする大統領自身の抗議も報じられていた。
ホワイトハウスの住人に対するクーデターが今進行中である。これは彼が醜悪な人物だからというのではなく、彼はロシアとの戦争はしたくはないと常に述べて来たからである。
この正気の兆候、あるいは、単純とも言える現実主義は国家安全保障を担当するマネジャーらにとっては受け入れ難い考え方なのである。彼らは戦争、監視、軍備、恫喝、極端な資本主義、等に基づいたシステムを守ろうとしている。マーチン・ルーサー・キングは彼らを「今日の世界では最大級の暴力をもたらす暴力提供者」と名付けた。
彼らはロシアと中国をミサイルや核弾頭によって取り囲んでいる。彼らはネオ・ナチを使って、ロシアの「辺境の地」に不安定で、好戦的な政府を樹立した。まさに、これはヒットラーが侵攻し、2千7百万人もの人命を奪うに至ったやり口と同じである。彼らの目標は近代化したロシア連邦を解体することにある。
これに対して、ウラジミール・プーチンは「パートナーシップ」という言葉を頻繁に使っている。これは米国で戦争を駆り立てようとする福音主義的な運動を、多分、ひき止めてくれるかも知れない。ロシア側の不信は今や恐怖に、恐らくは、特定の解決策に取って代わられることだろう。ロシア人はほぼ間違いなく核による反撃について予行演習を行っている。空爆の訓練はごく普通の事だ。彼らの歴史は彼らに「徹底的に準備しなさい」と間違いなく告げている筈だ。
脅かしが同時に行われる。ロシアが最初で、次は中国だ。米国はつい最近オーストラリアと一緒に「タリスマン・セーバー」と称されている大規模な軍事演習を終了したばかりである。彼らはマラッカ海峡と南シナ海の封鎖を予行演習した。この海域は中国経済の生命線である。
米太平洋艦隊を指揮する提督は「もし必要とあれば」中国を核攻撃することも辞さないと言った。誠実さに欠ける現在の雰囲気の中でそのようなことを公言することはネヴィル・シュートのフィクションを現実のものとする始まりでもある。
しかし、このようなことはニュースとしては取り上げられない。一世紀前のパッシェンデールの戦いにおける流血沙汰が記憶に蘇って来ることから、何の関連性も報じようとはしない。正直な報道はもはや多くのメディアにおいては歓迎されない。評論家として知られたお喋り屋が辺りを制してしまい、編集者は娯楽情報番組あるいはパーティーの進行を仕切るマネジャーに成り下がっている。かって予備編集が行われていた場所では、下心のある陳腐な表現が開放される。順応しないジャーナリストは窓から放り出される。
緊迫感について言えば、多くの前例がある。私のきたる対中戦争(The
Coming War on China) と題したフィルムでは、日本の沖縄に駐留する米空軍ミサイル攻撃部隊のメンバーであったジョン・ボーデンは1962年、つまり、キューバにおけるミサイル危機の際、彼とその仲間たちはサイロにある「すべてのミサイルを発射しろ」と命令された様子を語っている。
核弾頭が装備されたミサイルは中国とロシアに向けて狙いをつけていた。下級将校がこれについて質問し、この命令は撤回された。しかし、その撤回は彼らに命令が下され、拳銃が渡され、ミサイル部隊の隊員が「警備態勢を解かない」場合には彼らを撃つように命令された後であった。
冷戦の最中、米国における反共産主義のヒステリー状態は頂点に達していた。たとえば、公用で中国を訪問した米国のある高官は国家に対する反逆だとして非難され、解雇される程であった。1957年、シュートが「渚にて」を書いた年、世界でもっとも人口が多い国家の言語を話せる者は国務省には誰一人もいなかった。中国語を話せる者は非難の的となり、追放された。今、それが繰り返されている。米議会はロシアに照準を合わせた法案を通過させた。
この法案は両党によって支持された。民主党と共和党との間には基本的な相違はない。「左」とか「右」とか言う言葉は無意味だ。近世の米国の戦争はそのほとんどが保守党ではなく、リベラルな民主党によって開始されている。
オバマがホワイトハウスを去った時、彼は記録的な数となる七つもの戦争に関与していた。これには、米国のもっとも長い戦争や超法規的な殺害、つまり、殺人行為となる前代未聞のドローン攻撃も含まれる。
最後の年に、公開された外交問題評議会の調査によると、「気が進まないリベラル派の戦士」であるオバマは26,171個の爆弾を投下した。これは毎時3個、毎日24時間ぶっ通しの投下に相当する。「世界を核兵器から解放する」ことを約束してはいたが、このノーベル平和賞受賞者は冷戦中のどの大統領に比べてさえもより多くの核弾頭を作ったのである。
比較をしてみると、トランプは弱虫である。近代国家であったリビアを破壊し、大量の難民をヨーロッパへ送り込んだのはヒラリー・クリントン国務長官を従えたオバマであった。米国内では、移民グループは彼のことを「国外追放最高司令官」と呼ぶ。
オバマが大統領在任中に行った最後の行為のひとつは記録的な金額となる6180憶ドルをペンタゴンに割り当てたことだ。これは米国の統治においてはファシスト的な軍国主義が台頭することを意味するものだ。トランプはこれを追認した。
詳細情報に埋没して目につきにくくなってしまった件がある。それは「情報分析対応センター」(Center for Information Analysis and Response)と称される部署の設立である。これは真実を求める省である。「事実に関して公の物語」を提供することを任務とする。われわれを核戦争のために備えることが仕事だ。しかし、これはもしもわれわれが本物の核戦争を許容するならばの話である。
注: この記事に表明されている見解は全面的に著者のものであって、必ずしもInformation Clearing Houseの意見を反映するものではありません。
<引用終了>
これで全文の仮訳が終了した。
米議会が最近可決し、その数日後にはトランプ大統領が署名したロシアやイラン、北朝鮮に対する経済制裁に関しては、ジョン・ピルジャーは「彼らの主目的は戦争にあるようだ。しかも、本物の戦争だ。このような極端な挑発は決して戦争以外の何らかの目的を示すものではない。米国人は戦争がどのようなものであるかについてはまったく考えが及ばないけれども、彼らは戦争を切望しているかのようだ」と述べている。
また、著者は「ホワイトハウスの住人に対するクーデターが今進行中である。これは彼が醜悪な人物だからというのではなく、彼はロシアとの戦争はしたくはないと常に述べて来たからである」と言う。この見方は実に秀逸だ。われわれ庶民は大手メディアが喧伝するトランプ大統領の人となりについてはすでに十分に洗脳されており、トランプはさまざまな観点から醜悪だと思っている。ところが、ジョン・ピルジャーはそうは思わない。上記のようにまったく別の見方をしている。実に明快だ。
私の個人的な意見も「米ロ戦争は絶対に引き起こすな」という点に収斂する。
核戦争に発展する危険性を孕む米ロ戦争は他の如何なる外交問題よりも優先して、議論を重ね、外交的な解決策を見い出さなければならない。これは政治に携わる人たち、つまり、国会議員や外交官に求められる最低の条件である。人権問題も大事だ。民主的な政治体制の維持も重要だ。しかし、何と言っても、地球上の文明を救うことは最優先事項である。
参照:
注1: Electromagnetic
pulse attack on Hawaii would devastate the state: By Malia Zimmerman, Fox News,
May/12/2017
注2: On the Beach 2017: The
Beckoning Of Nuclear War: By John Pilger, Information Clearing House,
Aug/07/2017
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