2020年2月24日月曜日

まさにポストアポカリプス的である - コロナウィルスは毎日の生活をどのように変貌させたか

言論界で人気が高い哲学者のスラヴォイ・ジジェクは最近次のように言った。「われわれの中の誰かは、私自身も含めて、まさに昨今の武漢の街を訪れ、文明が死に絶えた後を示す映画のセットのような街の雰囲気を味わってみたいと密かに思っているのではないだろうか。武漢の人気のない通りはそれ自身が非大量消費社会のイメージを容易く感じさせてくれる。」(さらに詳しくは213日に掲載した「新型コロナウィルスを巡るヒステリックな大騒ぎには人種偏見が潜んでいる - スラヴォイ・ジジェク 」と題した投稿をご覧ください。)

スラヴォイ・ジジェクの述懐は日常性からは全く違う別世界を垣間見たいという好奇心を描写したものではあるが、新型コロナウィルスの大流行が日常生活に与えている影響は、間違いなく、部外者の想像を大きく超すものであると思う。ここに、「まさにポストアポカリプス的である - コロナウィルスは毎日の生活をどのように変貌させたか」と題された記事がある(注1)。

特に、武漢の通りを示す最初の写真は圧巻である。立ち並ぶビルは通常ならばかなりの人通りを想像させるのに十分である。しかしながら、それとは対照的に通りには歩行者が一人だけ。この記事は221日に出版されたものであるから、つい最近の状況である。

本日はこの記事を仮訳し、読者の皆さんと共有しようと思う。

<引用開始>



Photo-1: © ガーディアン提供。写真:Getty Images

コロナウィルスは公衆衛生上の緊急事態ではあるが、単なる医療の問題だけではない。この大流行によって何百万人もの生活が変貌させられた。中国国内では自発的に自宅内で生活することを余儀なくされ、中国人は海外で人種差別に遭遇している。武漢から始まって英国北部に至るまで、われわれはこの大流行によってさまざまな影響を受けることになった人たちを取材した。

武漢:


Photo-2: © ガーディアン提供。中国の武漢で病院に転用された展示場での人たち。
写真:STR/AFP via Getty Images

ウィーはミッドランズで博士号の取得をめざしている29歳の中国人学生であるが、彼女は武漢の出身である。この大流行の震源地となった武漢では彼女の両親は20日間以上にもわたって外出してはいない。「両親は歩き回ることができない。自分のアパートから一歩も出ることができない」と彼女は言う。「窓を開けると空気を介してウィルスが広がって来るのではないかという恐れから窓を開けることさえもできないでいる。」


Photo‐3: © 写真:Getty Images。先週の武漢の通りには人っ子ひとりいなかった。

「今、武漢ではどこもかしこも閉ざされており、公共の交通機関や自家用車はすべてがストップ。自家用車で路上をドライブすることさえもできない。皆は自宅に閉じこもって、食べ、眠り、映画を観るだけだ。これができることのすべてだ」とウィーは言う。
ウィーの両親は自分たちのアパートから外出できるのはいったい何時になるのかについては聞かされてはいない。ソーシャルメディア上ではこれ以上の隔離が続くならば自殺したほうがましだとの書き込みを見たことからも、ウィーは武漢で隔離状態になっている人たちの心の健康を心配している。

「闘うべき最大の敵はウィルスではなく、心の健康だ。ひとつの部屋で半月も続けて過ごすなんて恐ろしいことだ。外出もできず、外の新鮮な空気も吸えない。」

湖北省:

武漢からは100マイルも離れている湖北省の田舎で英国人教師のクロードは中国人のガールフレンドならびに彼女の家族と一緒に彼女の実家で自らを隔離している。二人は旧正月の休暇で同地を訪問していたところだった。

「一日か二日後にはゴーストタウンになった」とクロード(46歳)が言った。「1週間目はリラックスしていた。私は香港の近くで仕事をしている。私は休暇中だった。今頃までには閉所性発熱症に罹っているだろうと思っていたが、実際には今すこぶる元気だ。ガールフレンドの家族はわれわれのためにたくさんの料理を作ってくれ、掃除もしてくれる。私は甘やかされっぱなしだ」と彼は言った。

彼はこの町をポストアポカリプス的だと描写した。人っ気がない通りで米国のスイングジャズが流され、ウオールマートの入り口ではバイオハザード防護服で身を固めた連中が買い物客が店に入る前に彼らの体温をチェックしている。彼とガールフレンドのふたりにはこの町から何時離れることができるのかはまだ分からない。しかし、
ふたりが深セン市の自分の家に戻った時には改めて2週間の隔離を要求されることであろう。

街のムードは「極めて落ち着いていた」とクロードは言ったが、何週間か後になって供給が途絶え始めるとこのムードは一変するだろうと感じられた。「日が経つにつれて、マスクを装着する人が増え、人々はお互いの間隔を開けるようになってきた」と彼は言った。

湖南省:

隣の湖南省では、28歳の中国人でメルボルンに住むユーハンもこの罠に陥ったひとりである。彼女は旧正月を祝うために帰省したところであった。

彼女は両親と一緒にほとんど3週間も自発的に隔離状態を続けた。そこから離れるのは200メートル程離れた場所に住む祖母を訪れる時だけである。ユーハンはこの隔離がさらに2週間も続くのではないかと心配している。

彼女の家族は2‐3日毎にオンラインで食料品を注文し、料理をし、テレビを観ることで時間を潰している。通常、昼食のために祖母を訪れ、彼女の夕食の分も用意する。しかし、ユーハンの友人の家族は多くが家を離れようとはしないと彼女は言う。

「私の祖母は、特に陽射しがある日には散歩のために外へ出ようとする。しかし、私は何時も彼女を制止して、彼女と一緒にアパートの中を歩き回っている」と彼女は言った。「テレビの公共放送は主にいい話だけを報じるから、状況は今でも危険であることを説明することは時には難しいことがある。」

上海:

中国で人口がもっとも多い上海では、数多くの外国人教師は自分の職場を心配し始めている。

同市の国際幼稚園に務める23歳の教師ロブはこんな話をしてくれた。子供の親たちが新学期のために子供を送り出すことをためらったので、約25人の同僚がこの大流行で職を失った。それ故、教師らは自分のビザが30日間で失効する前に職を探さなければならなくなった。

「これらの教師は労働ビザをキャンセルされた場合、健康保険もキャンセルとなる」と彼は言う。「学校側は何もできないという。利益を挙げる余裕もないので学校側は教師を解雇しなければならない。彼らが働いていないならば、彼らのビザをキャンセルしなければそれは不法行為となるのだ。」

ロブは計画した通りに英国へ飛ぶことはできなかった。その代わりに、バンコックへ飛んだ。今は、上海へ戻って、マスクは6ポンドも請求されると周囲の人たちから聞かされた。マスクを入手するために当日の登録を失念するとマスクなしで外出しなければならない。また、各所帯に配布されるべきマスクは家主の下へ配布されるので、家主がアパートの住人にマスクの割り当てを行っているのだと聞かされた。

英国への途上で:


Photo-4: © ガーディアン提供。北大興国際空港における
エアー・チャイナの旅客機。写真:TR/AP

中国を経由した旅行者の何人かはコロナウィルスの感染を予防する筈の航空会社のチェックに関しては批判的である。デイヴはパートナーと一緒にバンコックで休暇を過ごし、エアー・チャイナを使って北京経由で英国へ戻った。この旅行中彼らはマスクと水泳用のゴーグルとを装着した。

バンコックでは航空会社の職員が乗客の体温を測っていたが、4人の乗客は「明らかに限度を超していた」のだが、搭乗員との短時間の議論の末乗り込むことが許されたとこの39歳の旅行者が言った。

「パートナーと私はふたりともこのフライトは緊張をはらんでいると感じていたが、搭乗員たちは見た感じでは神経質になっていた。何人かは感染の防止をまったく気にしてはいなかったし、多くの人たちはその気にはなっていないような感じでさえあった。たとえば、マスクの装着が適切だとはとても言えなかった。」 

ヒースロー空港では何のチェックもなく、何の情報もなかった。「ごく普通の日に特別な出来事もなくヒースロー空港へ到着したような感じであった」と彼は言った。「少なくともイングランド公衆衛生局に関する何らかの情報があるだろうと私は思っていたが、ポスターさえもなかった。エアー・チャイナ便から降りた私たちや咳をしている一団の乗客らは楽々と空港を後にした。」

「手の消毒剤が方々に置いてあったが、誰もそれを使おうとする者はいなかった」と彼は付け加えた。「いささかなおざりに感じられた。」


英国内で:


Photo-5: © ガーディアン提供。イングランド北部に住むリーは
人種差別的な嫌がらせを体験した。写真:Alamy

英国内では中国人の地域社会はウィルスの影響を感じ取っている。イングランド北部で博士号の取得を目指している中国人学生のリーは、コロナウィルスのせいで、夜の外出時に人種差別的な嫌がらせに遭遇した。彼と他の二人の中国人の友人はある晩買い物のためにショッピングセンターへ出かけた。その時一台の車に乗った三人の男らが彼らに向かって叫び始めた。リーが言うには、彼らはわれわれのことを「中国ウィルス」とか「中国人のろくでなし」とか喚いた。

「われわれは本当に恐ろしく感じた。彼らを急いでやり過ごし、静かにしていた。何故かと言うと、彼らは暴力を振るうかも知れないと心配したからである。通りには誰も居なかったし、とにかく安全に過ごしたいと思ったからだ。あの時は実に危険な感じがした。」 

あの出来事以降、彼は家に居ることが多くなり、大学へ通う場合と食料の買い物をする場合だけ外出するとリーは言う。大流行が起こってからというもの、文化的な違いが問題を引き起こしているように感じられる。

英国人はマスクを装着しないが、アジア人にとってはマスクはごく普通のことだと彼は言う。「今や、私の中国人の友人たちはマスクを付けると凝視されるような始末だ。」

<引用終了>

これで全文の仮訳が終了した。

この記事を読み、写真を眺めて平均的な日本人が感じることは、恐らく、日本にもこのような事態が来るかも知れないという不安感であろう。むしろ、確実にやって来そうな感じさえする。東京は武漢の街のようには決してならないといったい誰が言えるのだろうか?日本はダイアモンドプリンセス号での感染防止は大失敗に終わり、国内に数多くの感染者を抱え、その趨勢が衰えを見せてはいない韓国と日本は、このままで行くと、世界中から隔離の対象にされるかも知れない。そんな悲観的な思いに駆られるのは私だけだろうか。

中国の湖北省は5千9百万人の人口を抱えながらもその全域に外出禁止令を出した。その規模が日本の人口の半分に相当し、韓国の人口を上回ることを考えると、外出禁止令が社会に与えた衝撃は非常に大きいことは誰にもピンと来る。しかも、武漢では今でも続いている。幸運にも新型肺炎から全快し、退院したとしても、さらに二週間は外出しないよう湖北省当局は求めている。

しかしながら、それだけの対策を取ったからこそ、震源地である湖北省の感染者数は、今、減少し始めている。湖北省当局は2月20日に省内の企業は310日以前にはビジネスを再開するなと指示した。つまり、2週間後にはビジネスを再開する自信を表明したのだ。この自信が首尾よく裏付けされることを祈るばかりである。

参照:

1It's post-apocalyptic': how coronavirus has altered day-to-day life: By Molly Blackall and Rachel Obordo, The Guardian, Feb/21/2020




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