8月22日のフェースブックに下記のような拙文を掲載した:
「ハル・ノート」:
私にとっては毎年8月は太平洋戦争に関する歴史を読み漁る時だ。今年も例外ではない。
米国民の多くは1941年12月7日(現地時間)にハワイの真珠湾に停泊していた米艦隊に対して行われた日本軍の攻撃は宣戦を布告せずに行なわれた、破廉恥極まりない奇襲攻撃であったとして理解している。
しかしながら、その後、歴史的な公文書や資料が公開されるにつれて、新たな真実がわれわれ一般人にも理解されるようになってきた。
米国の戦史作家であるJohn Tolandの著書「Infamy: Perl Harbor and its aftermath」(1986年刊)は今でも貴重な情報源である。彼は膨大な資料を駆使して、真珠湾の奇襲は「作られた奇襲」であったとはっきりと述べている。その背景を大雑把に言えば、ルーズベルト大統領は日本海軍が真珠湾を攻撃してくることを事前に知っていながらも、ハワイの現地司令官にはそのことを伝えようとはしなかった。ルーズベルト大統領にとっては欧州への参戦が重要な政治課題であって、米国の参戦について国民の民意を大幅に変え、参戦に向かわせるにはハワイに停泊する艦隊を犠牲にする価値は十分にあったのである。そして、それは図星であった。
今日、私はウィキペディアで米国が日本に示した最後通牒であると言われている「ハル・ノート」に関する記述を覗いてみた。「ハル・ノート」とは真珠湾の攻撃よりも11日も前(11月26日)にハル米国務長官から駐米野村大使に手交された交渉文書のことである。日本側はこの文書を受け取って、12月1日に開催された御前会議で日本政府は米国に対する開戦を決意した。
ウィキペディアには膨大な量の情報が収録されている。その中には上述のジョン・トーランドの言葉もあった。非常に興味深い内容であるので、その部分だけ下記に抜粋しておこうと思う:
ジョン・トーランド:
「実はハル・ノートの内容については、日米間に悲劇的な誤解があった。ハルのいう『シナ』には満州は含まれず、だいいち彼は最初から日本による満州国の放棄など考えていなかったのである。ハル・ノートは、この点をもっと明瞭にしておくべきだった。満州国はそのままとさえわかれば、日本側はあれほど絶対に呑めぬと考えはしなかったであろう」[472][473]。
「筆者は東郷外相に近かった数人に、ハル・ノートが『シナ』の定義をもっと厳密にしていたらどうだったかと質問してみた。・・・佐藤賢了は、ひたいを叩き『そうでしたか!あなたのほうが満州国を承認するとさえ言ってくれれば、ハル・ノートを受諾するところでしたよ』と言った。・・・賀屋(興宣)は、『ハル・ノートが満州国を除外していれば、開戦決断にはもっと長くかかったはずです。連絡会議では、共産主義の脅威を知りつつ北支から撤兵すべきかどうかで大激論になったでしょう』と答えた」[474]。
つまり、これは日本側がハル・ノートをより厳密に理解していたならば、太平洋戦争を始める必要性はなかったかも知れないということだ。しかし、不幸なことには、歴史はそのようには展開しなかった。日本は敗戦という悲惨な結末を招いただけではなく、戦後75年が経過した今でさえも負の遺産に苦しめられている。実に大きな皮肉である。
戦争には常に不確実性がついてまわり、時にはそれは一国の将来を大きく左右する決定的な要素ともなり得る。何らかのご参考になれば幸いである・・・
前置きが長くなってしまったが、戦争では誤判断が常に起こる。
戦争には情報の不完全さ、誤解、誤判断、妄想、航空機の故障、等があって、それらの要素が幾重にも重なっていることが多い。戦争のきっかけ自体も同じような状況下に置かれ、その集積が開戦である。また、人間の思考そのものを考えると、相手を出し抜く、相手を騙すことが重要な作戦であると見なされ、そういった考え方が近代戦争においても戦争計画者の間で重要視されていることを思えば、開戦前ならびに開戦後、情報のすべてを大局的に冷静に理解することはもはや不可能ではないか。あるいは、不可能に近い。どこの軍隊も先制攻撃の夢を捨てることはできそうにはない。
これらの事柄に関しては、幸か不幸か、われわれ日本人は集団として歴史的な体験をしている。
ところで、今日的な最大の問題は先制攻撃のために核兵器が使用される可能性があることだ。
米国はより小型で使いやすい核兵器を開発していると言う。今や、核兵器の使用に対する敷居は低くなるばかりである。技術上からもそう言えるし、軍人や好戦的な政治家の思考論理においてもその傾向が見られる。
私は核戦争の回避に関してこのブログで何回か投稿をして来た。核大国間の睨み合いには偶発的な勘違いや設備の誤作動、故障をゼロにすることはできないからだ。
先制核攻撃に関しては、2019年2月23日に掲載した「INF条約 - ロシアの勝ち、米国の負け」と題した投稿に興味深い見解が紹介されている。たとえば、ドミトリー・オルロフは次のように述べている:
「米国は先制核攻撃を仕掛けてソ連を壊滅させようと何度も試みたことでよく知られている。しかし、この先制核攻撃は何度か見送られた。最初の見送りは核兵器の数が足りなかったからだ。あるいは、ソ連側も核兵器を開発した。さらには、ソ連が大陸間弾道弾ミサイル(ICBM)を開発した、等が見送りの理由であった。」
これらの事実は米国の戦争計画者が陥りやすい状況を余すところなく伝えている。そして、彼らに特有な思考構造は今も続いている。
ところで、将来の核戦争の可能性について思考実験をしてみてはどうかと呼び掛けている記事に最近遭遇した(注1)。「核戦争 - 思考実験」と題されている。核戦争の回避に関して個人の認識を高める観点からもこれは貴重なインプットであると思えるので、この記事の詳細に注目してみたい。
本日はこの記事を仮訳して、読者の皆さんと共有しようと思う。
21世紀の核戦争は最終的に人類の滅亡を意味する。もはや、局地戦によって何十万、何百万の市民が犠牲になるという図式では留まらない。すべての人類が地上から抹殺されてしまうであろう。しかも、地域戦争は限られた戦争計画者の手によって決断されてしまう。イラクに対する米国の軍事進攻がそうであった。シリアに対するミサイル攻撃がそうであった。
最大の問題は、このような局地戦争が引き金となって世界規模の核戦争に発展していく危険性は決してゼロではないという点にある。
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ソ連は1961年に北極圏でいわゆる「ツアー爆弾」を炸裂させ、これは最大級の核爆発であった。ロシアはそのビデオを公開した(訳注:これは8月27日の報道)。
この核爆発は広島と長崎を壊滅したふたつの原爆の和に比べて1,500倍もの破壊力を持ち、第二次世界大戦の全期間に爆発したすべての爆発物の総計の10倍もの威力をもっていた。キノコ雲はエベレスト山の高さに比べてその7倍以上に相当する42マイルの上空に達した。その広さは59マイル。この爆発力は50メガトンであったが、当時技術的にはこの2倍の威力を持つ爆発も可能であった。
この動画は必見である。われわれは何世代にもわたってこれらの恐ろしい状況に曝されながらもこの地球上で生きて来れたというだけではなく、地球上で生き永らえているのは単なる幸運の賜物であるということを思い悟らされるのである。われわれは一回や、二回だけではなく、過去の冷戦期間中には何回も政府間連絡の不十分、誤判断、誇張、技術的な欠陥、等によって全面戦争の瀬戸際に追い込まれて来た。もしも物事かがほんの僅かでも違った動きをしていたならば、これらの状況はまったく違った展開を辿り、最悪の事態に至っていたことであろう。
動画:https://youtu.be/YtCTzbh4mNQ
今、米国はひとつだけではなくふたつもの核大国との新冷戦を繰り広げている。世界最終戦争を弄ぶことは世界の安全性をより高めることには何の役にも立ってはいない。核による対決では核大国の指導者の何れもが「発射ボタン」に手を伸ばす様を多くの人たちが想像するであろうが、現実には、誰からも邪魔されることなく核戦争を開始できる連中は世界中に何千人もいる。こういった連中は誰もが緊張が極度に高まっている中で起こる誤解や誤判断、連絡ミス、あるいは、未知の状況に曝され、いとも簡単に核戦争を開始することが可能なのである。
核兵器の使用も辞さないとする瀬戸際政策には非常に多くの変動要素があって、事がうまく運ばない状況は非常に多く出現する。
「Earth’s Future」と題された2014年の報告書は地球の成層圏へ何十年にもわたって煤を舞い上がらせたままにし、太陽光が地表に届くのを阻み、植物の光合成を不可能にさせてしまうのにたった100個の核弾頭の炸裂で十分であると報告している。これは放射能そのものや当初の気候変動を生き抜いた地上の生物をもいとも簡単に死に至らしめてしまう。中国は数百発の核弾頭を所有し、ロシアと米国は何千発も所有している。
われわれは今大問題に遭遇している。しかし、そのことに気付かない唯一の理由はアンダーソン・クーパーやクリス・ウオレスが、もしも大手メディアにジャーナリズムが存在していたならば連日のようにそのことに関してわれわれに告げてくれる筈であるのだが、実際にはそうしてはいないことにある。少なくとも、われわれは1961年のような大問題に見舞われている。でも、過去の冷戦においてはえらく幸運であったことから、われわれは今回の新冷戦についても安全であろうと考えてしまう。
事実、われわれはほぼ間違いなくもっと大きな危険に曝されている。どうしてかと言うと、中国が台頭し、非同盟諸国が米ドルや米国の覇権には依存しない世界秩序の構築を進める中で、米国は優位性の時代から過ぎ去りつつあるからである。この現実は米国による単独統治は如何なる代償を払ってでも維持するという現行のワシントンの正統性とは真っ向から衝突する。この不可避的な覇権からの退却は、米国には覇権からの退却は決して起こってはならないとするイデオロギーと正面からぶつかることになる。
隅に追い込まれた獣は危険極まりない。特に、鋭い牙や爪を持った獣はなおさらだ。死に瀕した帝国は危険である。特に、核兵器を持っている帝国はなおさらだ。
ICAN (訳注:ICANとは「International
Campaign to Abolish Nuclear Weapons」の短縮語であって、
「核兵器廃絶国際キャンペーン」のこと。)
本日は核実験に反対する国際デーである。核兵器を二度と使わず、核実験を行わないことを保証する唯一の方法は核兵器を排除することである。 (スレッド) #nuclearban #AgainstNuclearTests #IDANT
このことを念頭に置いて、ある思考実験を提案したいと思う。
たった今地震動を感じ、窓の外を眺めて、水平線の彼方にキノコ雲を見たと仮定してみよう。
当面は、それがどのようなものであるかを想像することに集中して貰いたい。その状況の中へ自分自身を置き、ご自分のペースで下記の質問に答えていただきたい:
何を感じたか?
自分の思いが最初に及んだ事柄は何か?
最愛の人たちについてはどう思ったか?
最近彼らと一緒に過ごした時間は幸せであったか?
彼らへの対応は幸せであったか?
今まで生きて来た人生に満足しているか?
あなたご自身の優先順位は妥当であったと言えるか?
過去の一カ月間にすべての時間とエネルギーを注ぎ込んだのはあなたが今理想的であると考えるやり方と同じか?
核戦争がいつ起こってもおかしくはないという事実に留意する場合、自分の時間やエネルギーを使いたいと思う物事に対して自分の時間やエネルギーを注いできたか?
これで思考実験の最後となる。何故かと言えば、核戦争はいつでも起こり得るからである。
これらの事実を考慮に入れることは極めて重要である。世界最終戦争の兵器としての惑星にわれわれが住んでいることや相互確証破壊に関するグローバルな契約に関しては、あなた方にとってはそれらはまったく承知済みの事柄でもあって、生存という基本的なレベルで徹底して取り組んでいる筈である。誰が何と言っても、それは自分の生命を脅かすものであり、自分の身の回りにいる最愛の人たちの生命を何時でも脅かす存在であるからである。
あなたはこのことを知っている筈であるが、この自覚はあなたを変化させるであろう。それはあなたの生き方を変えるに違いない。それはあなたの時間やエネルギーの使い方を変えるに違いない。なぜならば、あなたはこの文章を読んだ時点から一秒先であってさえも何らの保証も与えられてはいないからである。
核兵器による人類の絶滅がわれわれの頭上で常に飛び回っているという現実に取り組むことに失敗すれば、それは人類の生存という現実への取り組みに失敗することに等しい。これはそれ程までにあなたご自身とは非常に個人的なレベルで関係する事柄なのである。そのような失敗を許すことは子供の頃の心的外傷や宇宙におけるあなたの居場所を考慮に入れることに失敗することと同じ位に怠慢であると言わざるをえない。あなたが住んでいる帝国が新冷戦を展開している中で膠着状態に陥っている核問題を理解してはいないならば、あなたはご自分のことに関して現実的な考えは何ら持ってはいないということに等しいのである。
これはあなたご自身のことである。極めて個人的な課題だ。あなたの人生においては何事であってもあなた自身に関わることであるのとまったく同じように。なぜならば、それはあなたの人生を終わらせ得るあらゆるパワーを持ち、すべてのことを何時でも終わらせることができるのである。
この現実を無視することは、あなたの命を狙ってあなたの頭に銃を突きつけて四六時中あなたの後を追っかけ回すよそ者を無視することと同程度に馬鹿げた話である。もっと別の思考実験をやってみたいならば、しばらくはその思考実験に身を置いてみていただきたい。それは今起こっていることとまったく同じことであるからだ。ただひとつの違いがあるとすれば、それは、もしもその銃が放たれたとしたら、あなたを殺してしまうばかりではなく、全人類を滅亡させてしまうのだ。
最高の人生を追求し、これが最後の人生であるとしてそれぞれの瞬間を生きて欲しい。なぜならば、今の瞬間があなたの最後であるかも知れないからだ。
何にも増して、自覚を高めるためには全力を尽くし、われわれの身の回りに観察される狂気の沙汰には反対して欲しい。もしもわれわれが窓の外にキノコ雲を見ることを神様が禁止なさるならば、少なくともわれわれは出来ることはすべてやったし、持てる時間の全てを費やしたと言えるよう願うばかりである。
著者のプロフィール:ケイトリンの記事は全面的に読者からの支援によって成り立っている。もしもこの記事を興味深く読んでいただいたならば、この記事を共有し、フェースブックで「いいね」をクリックし、ツイッターで彼女の活動ぶりを追跡し、彼女の ポッドキャストをチェックし、パトレオンまたはペイパルの彼女の帽子の中へいくらかのお金を投げ込み、あるいは、彼女の書籍「Woke: A Field Guide for Utopia Preppers」を買っていただきたい。https://caitlinjohnstone.com
注:この記事に表明されている見解は全面的に著者のものであって、必ずしもインフォメーション・クリアリング・ハウスの見解を反映するものではありません。
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これで全文の仮訳は終了した。
著者が核戦争に関して言いたいことは明白である。この記事に挿入されている英国の新聞連載マンガ「カルビンとホッブス」がすべてを代弁しているようだ。6歳の少年であるカルビンは戦争ゲームの後に「何だか馬鹿げたゲームだよね」と言う。
われわれ大人もこの少年のように核戦争が持つ、あるいは、核兵器を所有し続けることがもたらす本質的な馬鹿馬鹿しさに一日でも早く目覚めなければならないと思う。しかしながら、何故かそのプロセスは遅々としたままであって、なかなか進まない。これでは、著者が言うところの「少なくともわれわれは出来ることはすべてやったし、持てる時間の全てを費やしたと言える」ような事態にはなり得ない。この様子を見て、神様は呆れ果てていらっしゃるに違いない。
参照:
注1:Nuclear War: A Thought Experiment: By Caitlin Johnstone, Information Clearing House, Aug/31/2020
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