新型コロナウィルスの大流行についてこのブログが初めて取り扱ったのは2020年2月であった。
あれから満で3年が過ぎた。今や、米国や日本の政府は新型コロナに関する規制を止めると宣言した。この大流行の収束はわれわれ一般庶民にとっては嬉しいことである。だが、一部の人たちにとっては新型コロナは想像もできないような悪夢であった。新型コロナワクチンの副作用によって不幸にも死亡した夥しい数の犠牲者の家族にとっては政府当局の政策が妥当なものであったのかという疑念が高まるばかりである。今まで心の奥深くで「本当に効くのだろうか」と思っていたにしても、そのことを公に口にすることは憚られるような状況が形成されていた。
だが、最近は潮目が変わった。政府機関や主流メディア、あるいは、専門家たちによって喧伝されてきた筋書きはさまざまな研究成果によって反論され、新しい証拠を突きつけられている。こうして、最近の議論を通じて、政府当局を代弁していた専門家たちが意図的に情報操作をしてきた事実を示唆するさまざまな要素が明るみに出始めている。医療行政が「規制の虜」現象によって企業側の利益追求にまんまとハイジャックされてしまったという事実がほぼ明らかとなったのだ。不幸なことには、新型コロナワクチンが初めての悪例という訳ではなく、またもや起こったというのが現状である。
ここに、「ドイツの主要日刊紙がファイザー・ビオンテックの詐欺行為を報告」と題された記事がある(注1)。
本日はこの記事を仮訳し、読者の皆さんと共有しようと思う。
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副題:ドイツが「コロナファシズム」の現実に目覚めつつあることを示す最初の兆候
「ディ・ヴェルト」は世界でも最大級の出版社であり、メディア企業のひとつであって、アクセル・シュプリンガーによってベルリンで発行されているドイツの大手日刊新である。ドイツ人の大多数は音楽家のステファン・ミッキッシュが「コロナファシズム」と称したものを受け入れるように洗脳されていたことを考えると、ディ・ヴェルト紙がファイザー・ビオンテックのmRNA遺伝子導入ワクチンの不正な虚偽表示に関して詳細にわたる長い報告書を(2023年2月17日に)公開した事実を知ることは極めて心強いことである。
これはコロナファシズムがドイツの主流マスコミに対するグリップを失っている兆候であろうか?この記事を読んで、私はステファン・ミキッシュに対するキャンセル行為と彼の自殺について昨年の秋私が書いたことを思い起こさせてくれた。ドイツのクラシック音楽界のエリートたちがミキッシュに対して恐ろしい扱いをしたことを悔い改めることを今でも望んでいるので、ファイザーの詐欺行為に関する報告がディ・ヴェルト紙に掲載されたこの機会を捉えて、私はその記事をここに再発行しようと思う。
コロナファッシズム
ドイツで最も偉大なひとりの音楽家に対する社会的キャンセルと彼の自殺
2022年10月14日
Photo-1:ステファン・ミキッシュ |
ジョン・リーク著
何十年にもわたって悪党であって、権威主義的な、あるいは、誰にも嫌われている政治家をアドルフ・ヒトラーや彼のナチ党と比較することは極めて一般的な慣行であった。ヒトラーは独特の性格を持ち、非常に混乱していた激動の時期に権力を握ったため、これらの比較のいくつかは極めて適切なものである。だが、ドイツ国民の支配権を獲得するために彼が採用した基本的な手法は、歴史を見ると他の独裁政権によっても確かに使用されてきた。この手法には基本的に次に示すような みっつの要素がある:
ピーター・マッカロー博士とジョン・リークによって運営されている「Courageous Discourse」は読者の支援によって支えられている出版物である。新しい投稿を受け取り、私の仕事を支援するには無料または有料の登録読者になることをご検討いただきたい。
1) 危険について絶え間なく話すことによって恐怖心を増幅させる。この危険は国内または国外の脅威で構成される可能性がある。
2) 緊急時の権限を発動するには、災害(現実のもの、誇張、または、捏造)を悪用する。ヒトラーの場合、彼は国会議事堂での放火事件を巧みに利用し、全権委任法の可決へと繋げた。
3) 政権の非常事態令に対して疑問を呈する人物を検閲し、彼らを禁止し、非難する。そのような人たちを社会にとっては危険であるとしてラベル付けをした。
確かに、緊急権限のいくつかは真の意味での緊急事態によって正当化されるかも知れない。だが、それは慎重に定義しておかなければならない。危険は明かに存在しているのか?その危険によって社会の誰もが脅かされているのか、それとも、特定のグループだけが脅かされているのか?公共の安全に対する脅威は、本当に、憲法で保証された権利を停止させる危険性をも上回るものなのか?これらの質問に明確に答えるために当局が非常に勤勉な努力を示さない限り、彼らはおそらく何らかの悪意を持って行動しているに違いない。
恐怖とプロパガンダによって、全体主義システムは如何なる社会に対しても課される可能性がある。ロシアの反体制派作家アレクサンドル・ソルジェニーツィンが「収容所群島」の英語版の序文で指摘しているように、そのような恐怖は自国では起こり得ないと誤って思い込んでいるために人々は他国の過ちからは何も学ぼうとはしない。このことは人間社会の極めて悲劇的な特徴である。この素朴な考え方は米国人の間では長い間一般的であったが、新型コロナの大流行の間にそれはドイツ(他のすべての場所)においても表面化した。戦後のドイツ人は全体主義の精神をナチス時代の特定のイデオロギーやスタイル、犯罪の中に極めて明瞭に認識していたが、今回は自国においてそれらを再出現させるまったく同じ精神(まったく異なる服を着て、異なるマナーを見せ、異なるスピーチをした)を認識することができなかったようだ。
ステファン・ミキッシュは、ドイツで最も偉大なピアニストであり、音楽学者のひとりであった。何年もの間、私はリヒャルト・ワーグナーに関する彼の講義を聞くのを楽しんだものだ。彼は情熱と理解をもって話し、すべての音楽的考えをピアノでものの見事に説明してくれたので、感動的でさえもあった。 こちらで彼はワーグナーの有名なトリスタン・コードについてイギリスの俳優兼放送局の所有者であるスティーブン・フライと話をしている。
数週間前、ミキッシュが最近何をしているのかを疑問に思い、昨年58歳で亡くなったという報告を読んで、私は大きな衝撃を受けた。問題は彼がドイツ政府のパンデミック対応を「コロナファシズム」と特徴付けて、フェースブック上で長い投稿を書いたときに始まった。これにより、お馴染みの「キャンセル」手順が発動された。つまり、彼に汚名を着せ、追放し、破壊するようになったのである。
まず最初にドイツとオーストリアのマスコミで攻撃の波が起こった。パンデミックへの対応を第三帝国と比較し、彼自身の抗議をナチスドイツに対する「白いバラ」抵抗運動の共同創設者であったハンス・ショールの仕事になぞらえたことから、彼を非難し、嘲笑した。まるでひとつの合図であるかのように、コンサート会場の責任者やイベント主催者たちはこのピアニストから距離を置くと宣言し、それによって彼の職業上の将来に疑問を投げかけた。2020年12月20日、「ヴァーンフリート邸」(バイロイトにあるワーグナーの家、現在はワーグナー博物館)から彼が追放された時、彼に対する暗殺行為は最高潮に達した。2021年2月17日、彼の人生と仕事にとって最も重要な機関から破門されてから2か月も経たないうちに、ステファン・ミッキッシュが死亡しているのが発見された。明らかに自殺であった。
ステファン・ミキッシュに対するキャンセル行為は、彼がフェースブックへの投稿で述べた点の多くが真実であったことを考えると、腑に落ちないものであった。彼の口調はイライラしており、彼の書き物は慎重な構成というよりはむしろ暴言ではあったのだが、彼が述べたことの多くは事実であったからだ。確かに、ドイツ連邦政府はその権力を大幅に拡大し、市民の基本的権利や自由を損なうことによってパンデミックに対応しようとしていたのである。国家は確かにすべての人に対して監視を強化し、反対意見を抑制していた。特に、マスクや実験的なワクチン接種はどちらも感染を予防しないことを考えると、マスクの着用義務やワクチンの接種計画は明らかに非自由主義的であり、非人間的であった。「他人を守るために」ワクチンを接種するという神聖に聞こえる文言はすべてが最悪、かつ、卑劣な種類のナンセンスであった。このプロパガンダキャンペーンは国家とファイザー、ビオンテック、モデルナなどの企業との共同運営によって実行された。
とりあえず、ミキッシュ氏がフェースブックでの投稿で有効な指摘をしなかった場合を想定してみよう。つまり、パンデミック政策をナチス政権となぞらえることはまったく根拠のないものであったとしよう。だからと言って、いったい何なのか?言論の自由とはわれわれ全員がひとつのことに同意することを保護するためのものではない。その最大の要点は大多数が保持してはいないような別の意見を述べる権利を保護することにある。もしもその通りだと言うのであれば、ドイツで最も教養があり、著名な芸術家のひとりに対して行われた、不気味な村八分の行為をいったいどのように特徴付けるべきなのであろうか?そう考えるのは私だけであろうか?それとも、この種の残忍な扱いは他の人たちにもファシスト独裁政権を彷彿とさせたのであろうか?
検閲は、極端に知的な適合性とともに、社会が全体主義に陥っていることを示す極めて信頼できる兆候である。全体主義政府は自分たちがそのような存在であることは発表せず、全体主義運動に参加する人たちはほとんどがより大きな利益のために行動しているのだと自慢する。全体主義の指令に共感する連中は(自分の身の安全への渇望から)政権のプロパガンダを信じたいがために、手遅れになるまではいったい何が起こっているのかさえも分かってはいない。
ミキッシュ氏は全体主義精神の発現を認識して、それについて抗議した。彼が理解したように、全体主義の精神はそれが遭遇する抵抗の欠如に比例して成長していく。彼はそれを初期段階で認識し、それに反対した。彼が結果として受けた厳しい罰則は彼が正しかったことの証拠である。
安らかに眠れ、ステファン・ミキッシュ!浅はかで独善的なあなたの批判者たちには恥をかかせてやれ!
注:ドイツ語を話す人はこの動画解説を通じて 彼に対して行われたキャンセル行為や彼の死についてもっと多くを知ることができる。
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これで全文の仮訳が終了した。
この引用記事を読むまでは、私はステファン・ミキッシュに対するキャンセル行為や彼の自殺については何も知らなかった。日本の主要メディアは扱ってはいないのではないかと思う。実に悲惨な出来事である。
著者はアレクサンドル・ソルジェニーツィンの言葉を引用して、「・・・そのような恐怖は自国では起こり得ないと誤って思い込んでいるために人々は他国の過ちからは何も学ぼうとはしない。このことは人間社会の極めて悲劇的な特徴である」と強調している。人間社会は国家や民族、文化、宗教、時代の違いを乗り越えて、極めて共通した思考や振る舞いをすることが多い。われわれはこのような現実を率直に認め、歴史的な教訓から積極的に学ばなければならない。
今思うと、一時期に頻繁に喧伝されていたワクチン接種証明書の発行はワクチン反対者に対して極めてあからさまに課した差別主義政策であった。つまり、村八分であった。これは当局の権力を最大化するための措置だ。国際機関や政府、専門家によってあれこれと説明が行われ、後押しされてきた新型コロナワクチンの有効性や安全性は、今や、地に堕ちた感がある。PCR検査で陽性と判定されたとしても、陽性者の95%は擬陽性であったと推算されており、ワクチンの安全性や有効性を疑う客観的なデータが最近あちこちで提出されているのである。新型コロナ感染症を封じ込めるとして採用された施策の中核部分が今あっさりと崩れようとしている。
都市閉鎖やワクチン接種は新型コロナの感染を抑制してくれると思い込まされた。われわれ一般大衆の誰もが抱くことになった、この間違った思い込みは作為的な誤情報による洗脳作戦が功を奏した結果であろう。洗脳作戦はある特定の集団が自分たちの利益を求めて行う情報操作である。その特定集団に属さない一般大衆は犠牲者となる。
ドイツの主要日刊紙がこの極めて今日的なテーマを扱って、詳しく報じたという事実に勇気付けられる思いがした。
ドイツが「コロナファシズム」の現実に目覚めつつあることを示す最初の兆候であると述べた著者の認識は重要である。この認識がドイツから他のヨーロッパ諸国へ広がり、米国や日本へも波及して欲しいと思う。間違いは間違いとして率直に認め、新たな是正措置を講じるだけの知的な、かつ、倫理的な勇気を持ちたいものだ。過去3年間の日々を笑い飛ばしてやれるような科学的知見に基づいた客観的な認識がわれわれ一般大衆にも広く行き渡って欲しいものである。
参照:
注1:Major German Newspaper Reports Pfizer-BioNTech Fraud: By
John Leake, PETER A. MCCULLOUGH, MD, MPH™, Feb/18/2023
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