最近、大治朋子著の「勝てないアメリカ」という本[注1]を読んだ。
これは毎日新聞特派員として4年間を米国で過ごした著者が、圧倒的な強者である筈の米軍が「弱者」に翻弄される様子を見て「対テロ戦争」とは一体何だったのかを検証しようとした野心的な本だ。従軍取材をしながら得た彼女の結論がこの本の表題となっている。彼女は、「オバマの戦争」と呼ばれるアフガン戦争が物語るのは、多数の人命と莫大な戦費、膨大な時間を費やしてもなお勝てない米国の現実だ、と述べている。無人機による標的殺害のむごたらしさも詳しく報告されている。
むごたらしさの正体は無人攻撃機という戦争の道具が持つ機能から見て反論の余地はないと思うが、無人機を使うと判断させた情報そのものが間違っていたり、不十分であったりした場合、無人機攻撃が引き起こすむごたらしさはその極値に達する。テロの容疑者だと誤認された本人だけではなく、その人物の妻や子供たちも巻き添えになることが頻発する。無人機の運用の仕方に問題があるのだ。このような現実がパキスタンでも数年前から問題視され、国連人権理事会で報告されている。
無人機の一種にレイブンと呼ばれる機体がある。これには攻撃機能はなく偵察専門だ。この本によると、米軍はすでに5000機以上のレイブンをイラクやアフガニスタンに配備しているそうだ。
米国にとってはどのような意味があるのだろうか。無人機戦争は一見、「安価」で「兵士の死なない」「米国にとってメリットばかり」のように見えるが、実際には米国社会の民主主義の根幹を破壊する存在となりつつある、と米国を代表する政治・軍事研究家の一人は懸念を示している。
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英国の新聞「インデペンデント」紙の報道[注2]によると、23歳のイエメンの青年が米議会上院で米国がイエメンで行っている無人機(あるいは「ドローン」とも言う)によるテロリストに対する攻撃は反米感情を大きく煽っていると証言した。彼の言葉を借りると、「無人機による攻撃はテロリズムを撲滅するどころか、新たなテロリズムを生み出している」と、強烈な証言だった。
米無人機が彼の村を攻撃し5人の過激派を殺害した日から6日後、ファレア・アル・ムスリミという名のイエメンの23歳の作家はワシントンDCへ出かけ、米上院で無人機攻撃が彼の国に与えている衝撃について証言をした。彼は、学生時代に交換留学生として始めて米国を訪れ、米国の大学に半年間の留学をするための奨学金を得たこと、等を委員会で語った。彼が今回米国へやって来たのは無人機攻撃を止めるよう議会に訴えるためだった。
(時計回りに)「憲法、市民権および人権に関する上院司法小委員会」で証言したファレア・アル・ムスリミ氏。アザンで無人機によって破壊された建物。反米の意思表示として、無人機を形どった物体を焼いている。
まず、その証言内容を覗いてみよう。引用部分は何時ものように段下げして示す。(注:アラビア語の人名や地名の読み方は暫定的なものです。ご承知おきください。)
私の名前はファレア・アル・ムスリミ、首都のサナーアから車で9時間程かかるイエメンの片田舎、ウェッサブからやって来ました。世界の殆どの人はウェッサブなんて地名は聞いたことがないでしょう。
ちょうど6日前、私の村は無人機で攻撃され、この攻撃によってありふれた生活をしている何千人もの貧しい農民たちはすっかり震え上がってしまいました。この無人機による攻撃とその衝撃は私の気持ちを引き裂きました。先週ボストン・マラソンで起こったあの悲惨な爆発事件が皆さんや私の気持ちを引き裂いたのとまったく同様にです。
私は、本日、イエメンで米国が行っている標的殺害がもたらしている人的コストやその重大さについて話をするために米国議会へ参りました。
背景:
私の家族は農地で育てた果物や野菜ならびに家畜で生計をたてています。牛や山羊、羊および鶏を育てています。父は生涯を農夫として過ごしてきました。父の収入が月に200ドルを越すことは非常に稀です。父は後年読み書きができるようになりましたが、母はついに読み書きを学ぶ機会を逸してしまいました。
私には12人の兄弟姉妹があります。実際には19人だったのですが、7人が亡くなりました。何人かは死産でしたが、他の兄弟姉妹は私たちの村では医療が貧弱だったために幼くして亡くなったのです。
私の生活は9学年目に大きく変わりました。米国国務省の奨学金を貰えることになったのです。この奨学金によって私はイエメンにある米国英語センターで1年間英語を勉強する機会を与えられました。これが始めて村から出て、その外に広がる世界を見るきっかけとなったのです。その後、国務省の若者のための奨学金ならびに交換留学生のためのプログラムの恩恵も受けました。このプログラムは米国の人たちとイスラム教の国々の人たちが平和を築き、互いに理解を深めることを目的としたものです。
このプログラムによって私は1年間米国人の家庭で生活し米国の高校へ通学することができました。カリフォルニア州のローザモント市のローザモント高校で過ごした1年間は私の生涯の中で最も豊かで、かつ、最も高揚した時期でした。
例外中の例外とも言える貴重な体験をしました。それは父のように私に接してくれ、米国における最高の友人となってくれた人物と出会えたことです。彼は米国の空軍に属していました。あの1年間、わたしは何時も彼と一緒で、彼の家族と行動を共にしていました。彼は私と一緒にモスクへ出かけ、私も彼と一緒に教会へ出かけました。彼は米国における自分の体験を私に話してくれ、私はイエメンにおける自分の体験を彼に話しました。私たち二人の背景はまったく違うものでしたが、私たちはそれを克服することができる素晴らしい友情を育むことができたのです。
郷里の村に対する無人機による攻撃:
現在、私は作家として生活し、様々なことについて喋り、フリーランスのジャーナストとして働いています。私は今イエメンやベイルートにおいて国際的なジャーナリストのために「仲介者」として働いていますが、これは最もやりがいがのある仕事ではないかと感じています。外国のジャーナリストたちと一緒に働く私の仕事場は、殆どの場合、アビヤン行政区域とかアデン、アル・ダレア、ラージなどです。つまり、イエメン南部の地域であって、米国が所謂「テロ戦争」で注目している地域です。
ちょうど6日前、この所謂「テロ戦争」は私の村にもやって来ました。私が自分が行う証言のことをあれこれ考え、この公聴会に出席するための米国への旅行を準備している最中に、米軍の無人機から発射されたミサイルが私が生まれ育った村を攻撃したことを知りました。
ウェッサブの村の住民の殆どにとって、私は米国と何らかの関わりを持つたった一人の住民です。あの晩、私に電話したりメッセージを送って寄こし、私がとても返事をすることができないような質問を誰もがしてきたのです。「何故米国はこのような無人機を使って我々を恐怖のどん底へ落とし入れようとするのだろうか」、「標的となった人物が今何処に居るのかは我々の間では誰でも知っており、彼らを容易に逮捕することができるにも拘わらず、米国は何故ミサイルを使って彼らを殺害しようとするのだろうか」と。
私の村は美しい場所ですが貧しく、イエメンでは遠隔の地です。今までウェッサブの人たちは米国のことは殆ど何も知りませんでした。私は自分が米国で体験したことや米国の友人たちのこと、あるいは、米国人の価値観について話をしましたが、私の話を聞いて、聞き手は私が知っている米国や私が好きな米国のことについて理解するようになりました。しかし、今米国のことを考える時、皆の思いはいやがおうでも自分たちの頭上で旋回し、何時でもミサイルを打ち込むことができる無人機が引き起こすあの恐怖心に集中してしまいます。
学校とか病院とかを通じて米国の良さを始めて体験する代わりに、ウェッサブの住民の殆どは無人機に対する恐怖を通じて米国を始めて意識したのです。私の村ではかって活動家が成し遂げなかった事柄をこの無人機は一回だけの攻撃で見事に成し遂げてしまったのです。今、皆の怒りは強まるばかりで、米国に対する嫌悪の念が沸騰しています。
犠牲者たちの様子を見て:
外国からのジャーナリストたちとの仕事を通じて、私は無人機や軍用機によって攻撃された場所を何箇所も訪れています。住民たちはこれらの場所が蒙った被害はみな米国が行っている標的殺害のプログラムの一部であると思っています。最近、イエメン南部のアビヤンを訪問しましたが、このアビヤンは2011年の初めにAQAPと連携を持っているグループ、アンサル・アル・シャリアによって占拠されました。
アビヤンやイエメン以外の場所でも、私は標的殺害によって地域住民が深刻な被害を受けている場所を数多く訪問しています。無人機による攻撃で殺害された人たちの親戚や目撃者とも会いました。無人機による攻撃が如何に彼らの生活を変貌させてしまったかを皆が話してくれました。
2013年の3月、私はアビヤンでニューズウィークの人たちと一緒に仕事をしていましたが、その時にムネエル・ムハンメドという名の少年の母親に面会しました。彼女の18歳の息子はジャアールという町の市場で店の品物をロバに乗せて運んでいました。彼は最近婚約したばかりで結婚式の準備をしていましたが、2012年の5月にムネエルは仕事場でミサイルによって殺害されました。母親は、あのミサイルを発射した人物と会う機会があったら、口の中で「バリバリと噛み砕いてやりたい」と泣きながら私に話をしてくれました。
アビヤンで我々が話をした人たちはムネエルはAQAPのメンバーではなかったと言っています。支持者をかき集めようとするAQAPが彼の死を利用することを止めさせることはできませんでした。
アビヤンがAQAPの手から開放されてから何日か経ってから、私はアデンの病院でアリ・アル・アモデイという名の漁師と会いました。前日、アビヤンの海側に面したシャクラにある彼の自宅が米軍によって空爆されたのです。病院へ行く途中で4歳の息子と6歳の娘が彼の腕の中で死んでいくのを見ても何もなす術がなかったと、アル・アモデイは私に語ってくれました。アル・アモデイはAQAPとは何の関係も持ってはいなかったのですが。彼や他の住民の話によると、彼の家は誤爆されたのです。その空爆では他にも4人の子供と1人の女性が巻き添えとなりました。証言者によると犠牲者の誰も過激派ではなかったのです。
2012年の6月の下旬、私はジャアールの郊外にある町、アル・マカザンへ行きました。そこではナデル・アル・シャダデイを標的にした無人機による攻撃が行われました。アル・シャダデイはイエメン政府によるとテロリストとして指名手配されており、アンサル・アル・シャリアーの指導者でもあります。彼はそれぞれ違った場所で3回も標的にされていましたが、攻撃は何時も標的を外していました。今回は彼の叔母の家を標的にしていました。隣人たちの話によると、彼はその場所には居なく、彼の叔母の一人息子が殺害されたのです。彼女の息子がAQAPと関係があるとの証拠は全然ないのです。
AQAPが自分たちの信念を果たすためにもっと多くの若者を巻き込もうとして無人機による攻撃をその宣伝の道具として使っている形跡はまったくない、と米国の一部の政策立案者やイエメン政府が主張していることはこの私も知っています。しかし、それは間違っています。私も参加していた調査旅行に基づいて報告されたNPR(注:米国の公共ラジオ放送局)の放送にもあったように、マレブのトアイマン家はひとつの具体的な事例です。トアイマンの長男は2011年の10月に無人機によって殺害された民間人で無実でもあった父親の死に憤りを感じて、父親の敵を討ちたいと願っていました。この長男には同じ行動をとりたいとする28人の兄弟たちがいます。兄弟のうちで最も若いひとりは今9歳で、彼はポケットに飛行機の写真を入れています。この少年は父親の敵をとりたい、父親を殺害したのは「米国」だと公言してはばからないのです。
標的殺害を止めて欲しい:
米国に対して私以上に感謝の念を持っている人が居るとは思いません。あなた方の国が私に与えてくれたさまざまな機会や友情、暖かい気持ち、人前に現れることなどに対して私はこれからの生涯を通してあなた方のために全権大使の役割を務めることでしか償うことができないと心から思っています。これは米国に居た時に私がイエメン人のための全権大使の役割を務めていたこととまったく同じことです。多分、公の全権大使または外交官が実現し得る手法とはまったく違った方法で私は米国のイメージを改善するのに役立つものと強く信じています。
米国を支持したいという私の情熱や目標に関しては、イエメンでは無人機による攻撃が続き、その実現を不可能にしてしまったと言わざるを得ません。イエメンの幾つかの地域では無人機攻撃が醸成した反米感情が高まり、私が米国を訪れたことがあると言うことだけでも身の危険を感じさせる程です。ましてや国務省の奨学金によって如何に私の人生が変わったかなどとはとても話すことができません。米国人の友達がいるということを認めることさえも時には危険に思えることがあるのです。
昨年の暮れ、私は国際的なメデイアの支局員と共にアビヤンへでかけました。突然、周囲の地域住民がパニックに襲われました。彼らは空に向かって指を差して、ばらばらな動きをし始めました。過去の無人機攻撃の経験から、「我々の頭上で、十分に視界に入って来てはいないものの、異様な音をたてて旋回しているのは米国の無人機だ」と、彼らは直ぐに私たちに教えてくれました。私は意気消沈しました。自分ではどうすることもできませんでした。率直に言って、生涯で初めて、私は自分の生命に危険を覚え、今イエメンにいる米国人の友人の生命についても危険を覚えたのです。あの場では私は無人機のなすがままでした。
この無人機を操縦しているのは私が米国に居た頃最も深い友情を育くむことができたあの米国人であるかも知れないという思いを完全に断ち切ることができないでいました。私の頭の中ではさまざまなことが駆け巡り、私の心はすっかり乱れてしまいました。自分がよく知っている大好きなあの偉大な国と、私とAQAPの過激派との違いを見極めることができないまま頭上を旋回している無人機との間で、私は板挟みの状態に陥っていました。あの時の気分は私の人生で最も対立的で、最も困難なものでした。
本課題についてありのままの姿を詳しく知っている者の一人として、私は「米国とイエメンの両政府はAQAPとの戦いには敗北するだろう」と言わざるを得ません。たとえ無人機攻撃が意図した相手を殺害したとしても、その代価はあまりにも大きく、本日お話しましたように数多くの戦略的な課題を新たに作り出します。それぞれの戦術的な成功の影にはより多くの戦略的な課題が生まれています。しかしながら、私は今でもこの難題を解決することは可能であると思っています。イエメンでAQAPとの戦いに勝利を収めたいならば、米国は下記のステップをとるべきだと強く推奨したいと思う次第です。
* すべての標的殺害を中止する。
* 「標的リスト」に記載されている人物の名前を公表する。そうすることによって、無実の一般市民が殺害の対象に巻き込まれないようにする。
* 標的殺害の攻撃によって死亡した一般市民の家族や怪我をした人たちに対して公式にお詫びをする。
* 米国が実施した、あるいは、米国の承認の下で実施された標的殺害の攻撃によって死亡した一般市民の家族や怪我をした人たちに対して補償金を支払う。
* 標的殺害の攻撃に晒された村に対しては学校または病院を建設する。そうすることによって、地域住民の米国との体験が米国のミサイルによってもたらされた死や破壊だけで終わることがないようにする。
どうも有難うこざいました。
証言の冒頭で、このジャーナリストは「無人機による攻撃とその衝撃は私の気持ちを引き裂きました。先週ボストン・マラソンで起こったあの悲惨な爆発事件が皆さんや私の気持ちを引き裂いたのと同じようにです」と述べた。テロの悲惨さは洋の東西を問わず違いはない。そのことを具体的に指摘し、その悲惨さを訴えている。つまり、ボストン・マラソンでの爆弾テロによる犠牲者とイエメンで行われているテロ容疑者に対する標的殺害で巻き添えとなっている一般市民の犠牲者とを同位置に据えて論を進めている。この視点には説得力がある。
ボストン・マラソンの会場で爆発が起こった後容疑者が拘束されるまでの間ボストン市民や全米の市民が感じていた恐怖や不安を忘れてしまうには記憶があまりにも生々しい。それだけに、この証言は訴える力が非常に大きかったのではないかと推測することができる。反米テロ活動が本国にまで及ぶことをアメリカ市民が心配する気持ちは良く分かる。それだけに、ボストン・マラソンの教訓を生かして、新たなテロの発生の芽を摘んで行かなければならない。このことが戦略的には最も重要だ。素人目にとってさえも、平和な日常を足り戻すための有効な選択肢は他にはなさそうだ。
冒頭で紹介した「勝てないアメリカ」の意味がよく飲み込める内容であると思う。
この23歳のイエメンの青年が米上院で行った証言は米国の政策立案者にとっては非常に耳が痛いものであったに違いない。米国では、「一般市民の被害」という言葉を「巻き添え被害」という言葉に置き換えて軍の報道担当者が記者会見で戦果を報告し始めてすでに久しい。この言葉のすり替えには「対テロ戦争」を正当化するあまり、日ごろ米国政府が口にする世界の「平和」とか「民主主義」からは程遠い響きがある。ここで取り上げた内容は米国が推進する「対テロ戦争」では如何に無意味な戦術がとられているか、如何に多くの無実の市民が巻き添えとなっているかなどを雄弁に物語っている。このような現実はイラクでもアフガニスタンでも同様である。
このジャーナリストの主張がオバマ政権の中枢に届いて欲しいものだ。
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5月23日のガーデイアン紙の報道[注3]によると、オバマ大統領の提案によって、テロ容疑者に対する標的殺害を実行するか否かの最終決定は特別法廷に任せ、新たな法的検証の下に実行されることになりそうだ。この提案は「際限のない対テロ戦争」に終止符を打つためのものだ。米国大統領は、現在、米国外で実施される標的殺害について個人的に署名を行っている。その署名に基づいてのみ標的殺害を実施することが標準的な手続きだ。これに対して、オバマ大統領は、より多くの監視の目を施すことによって議論が続いているこの殺害プログラムを法的には暗黒の状態から陽の当たる場所へ引き出したいと期待しているとのことだ。
また、将来は、標的殺人以外の選択肢をすべて試した後で始めて、CIAの手によるのではなく、米軍自体がこれに従事するようにしたいとの意向だという。
そもそも、2011年の9月にイエメンで名の知られたイスラム指導者が無人機によって殺害された時、そのイスラム指導者が米国国籍を所有していたことから、米国内では「法廷による裁きを経ないで無人機によって米国人を殺害することに合法性があるのか」という非常に根本的な議論が沸きあがっていた。対テロ戦争ではその当事国に対して宣戦布告がされているわけではない。ましてや、無実の市民が殺害されると、殺人行為として法的な責任をとらされるのが普通である。
今後オバマ大統領の方針が何処まで実現するのか、米議会での討議の様子を注視して行きたい。
日本国内の主流メデイアが本件をどのように扱っているのかを詳しく知る由もないが、無人機攻撃の非人道性を考えるとき、上記の内容はさまざまな側面を示唆していると思う。
なお、今気づいたことではあるのだが、信濃毎日新聞の「信毎web」の5月26日版に「無人機攻撃 運用の見直しは当然だ」という社説[注4]があって、無人機に関するオバマ大統領の方針変換が紹介されている。
参照:
注1: 勝てないアメリカ - 「対テロ戦争」の日常: 大治朋子著、岩波新書、2012年9月
注2: Yemeni man brings the horror of drone strikes home to US Senate: The
Independent, Wednesday 24 April 2013, www.independent.co.uk › News › World › Americas
注3: Obama restricts drone killings and foresees end
to ‘perpetual war': By Dan Roberts in Washington, guardian.co.uk, 23 May 2013
注4:無人機攻撃 運用の見直しは当然だ:信濃毎日新聞、社説、信毎web 2013年5月26日版
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