2013年8月20日火曜日

覚醒するアメリカ人たち


新聞の社説は新聞社の意見を述べる場である。しかし、海外の新聞では社説とはまったく違った内容の意見を掲載する場所を設けている場合もある。そこでは署名入りとして、持論を展開することができる。これは社説が掲載される頁の反対側に設けられていることから、Op-EdOpposite Editorialの短縮形)と呼ばれている。最大の利点は、新聞社の意見は絶対的に正しいとは限らないという認識の下で、たとえ正反対の意見ではあっても外部の人たちの意見を取り込むという姿勢だ。米国では1970年代にニューヨークタイムズ紙が初めてこの方式を採用したと言われている。

9-11同時多発テロの最初の報道は今でも生々しく思い出される。これを発端に、米国政府は「対テロ戦争」を宣言した。

2003年の米国主導のイラク戦争では日本政府もいち早く賛意を表明した。この軍事侵攻に当たっては、米国の新聞やテレビはその様子を大々的に報道した。当時のメデアの報道振りにはお祭り騒ぎ的な側面さえも感じたものだ。テレビに映し出され今でも覚えている映像は、百台、二百台もの戦車が登り気味の道路をこちらへ向かって一列に進んで来る光景だ。米国が有する軍事的優位性を見せ付けるという意味ではあれは非常に象徴的なシーンだったのではないだろうか。

米国では主要メデアが政府の決断を支持して、プロパガンダ・マシーンと化して大騒ぎをしている中、当時、英国では主要な新聞のひとつであるオブザーバー紙がイラクへの軍事侵攻に対して最初から反対の立場を表明していた。

結局のところ、イラクでは当初喧伝されていた大量破壊兵器はついに発見されなかった。人々の意識はイラクへの侵攻当初米国を支配していたあの騒ぎ振りは何だったのだろうかという、冷静な批判へと移行し始めた。

また、「対テロ戦争」の引き金となった9-11同時多発テロに関する米国政府の独立調査委員会は2004年に最終報告書を提出した。しかし、報告書の信憑性にさまざまな疑義が投げかけられた。一部の報告によると、当時再選を模索していたブッシュ政権はイラクへの侵攻を大統領再選のための道具として使うべく、テロ警戒レベルを「3」から「4」へ引き上げるよう国土安全保障省に対して圧力をかけていたという事実が判明した。

どの情報が信じるに値するのかを見極めることが非常に難しい時代となってきた。

特に、イラクへの武力侵攻が開始された2003年、米国では、主要メデアが政府のプロパガンダ・マシーンと化し、その規模と威力には目を見張らせるものがあった。本来在るべきジャーナリズム精神はどこかへ消えてしまった。今や、商業主義的なメデアは「プレス」と「プロステイチュート」とを組み合わせて「プレステイチュート」と揶揄される有様だ。

一方、最近は、数多くの非営利団体が真実を伝える役割を果たそうと努力している。大手の商業新聞が取りあげてくれそうもないような情報をこうした非営利団体が引き受けてくれる場合が多い。このことは、「情報量が余りにも多い昨今、しかも、ある方向に偏った情報が多い中、主要なメデアだけに頼っていてもいいのか」という問いかけに対するひとつの具体的な答でもあるようだ。

たまたま私がここに引用しようと思っている記事はInformation Clearing Houseからの配信を通じて知ることができた。

引用記事の主人公は9-11同時多発テロ以降の約10年間、イラク戦争に従軍したり、軍需産業で仕事をしたりと、何らかの形で米国の戦争マシーンの一部として毎日を過ごしていた。昨今の若者の間ではごく普通のアメリカ人であろう。その彼が、ある日、自分の国が推し進めている戦争の不条理さに気がついた。そして、自分の仕事がその戦争と深く関わっていることに気がついた。「即刻退社したい」との辞表を職場の上司や同僚宛に向けてメールで送信した。彼は自分の信条を辞表の中で述べている。

そして、彼の辞表[1]はオーストラリアとニュージーランドで活動している非営利団体であるCommon Dreamsによって一般公開された。その仮訳を下記に示そうと思う。

何時も思っていたことではあるのだが、一人ひとりの兵士が銃を捨てさえすれば戦争はなくなるはずだ。イラク戦争に従軍した当事、私は自分なりに戦争の正当な理由を信じていた。あの頃の私は何も知らず、初心な若者であったし、すっかり惑わされてもいた。やがて、政府が述べていた筋書きやそれに呼応して主要メデアが指し示した方向は間違っており、犯罪的でもあることが証明された。皮肉なことに、我々が戦争の相手だと思っていた対象そのものに我々自身が変貌していたのだ。

内乱を鎮圧するための「汚い」戦争、無人飛行機による一般人に降りかかるテロ、正当な裁判の拒否、拷問、大衆を対象にした盗聴、規制当局による広範な情報の独占、等を含めて、勇気のあるジャーナリストらによって最近公開された一連の情報は現行の米国政府の真の姿に光を当ててくれた。私としては皆さんが下記に示したリンクを辿ってこれらの時事問題に関してたくさんのことを学んで欲しいと思う。

ある人は私の決断は無責任で、非現実的で、分別もない、と言うことだろう。また、他の人は私は正気を失っていると言うかも知れない。私は何もしないでいることこそが正気の沙汰ではないと思うようになった。心地よく座り込んで、世界に蔓延る不正義に目をつぶっている限り、何事も変わることはないからだ。自分は決して犯罪者ではないと主張しながら、不正義の片棒を担いでいることはもっとたちが悪い。

私は一兵士だった。現在は下っ端の社員だ。何時も思っていたことではあるのだが、一人ひとりの兵士が銃を捨てさえしたら、この世から戦争はなくなるはずだ。だから、私は今ここで自分の銃を捨てるのだ。

ブランドン・トイのこの決断には脱帽だ。勇気ある行動だと思う。彼が考えている内容には多くの人が賛美を惜しまないだろう。しかしながら、彼と同様の行動をとることができる人の数は現実には極めて少ないのではないだろうか。だからこそ、彼の行動には計り知れないほどの大きな価値があると言えよう。

上記の辞表とは別に、この若者が辿った心理的軌跡を綴った投稿[2]がある。それについても仮訳を掲載したいと思う。

私はバグダッドに到着した。その当時、イラク人は文明の恩恵を必要とする単純な人たちであると思っていた。一方、我々自身は文明を謳歌しており、人が生きる正しい道を彼らに示してやることこそが自分たちの責務だと思っていた。私にとっては、イラク人は人間以下の存在だった。

3年前のある晩、画期的なことが起こった。私は妻と従兄弟を相手に自慢話をしていた。それは移動中のある家族の一団に銃口を向けて彼らを路上に停止させた時の話だった。「撃たないでくれ」と、一生懸命に私に向かって手を振っている父親と母親の滑稽な様子を思い出して私は笑った。

今まで同僚の兵士たちにこの話をした時には、同僚たちは皆が笑った。自分も同じような経験をしたことがあるというので、一緒になって笑ったものだ。ところが、私の妻、ならびに、従兄弟や彼らのガールフレンドたちの顔は恐怖にひきつっていた。ウェイトレスさえも怖がらせてしまったようだ。これは私にとっては大きな驚きだった。あの状況を笑い飛ばすことは間違いであることを、言葉にははっきりと出さなかったものの、皆が私に教えてくれた瞬間だった。

私は咄嗟に防御する立場に回った。「あんたたちには到底分からないさ!」と皆に言った。「もしあの場にいたら、分かると思うんだが...」 

しかし、皆は「決して、愉快な話ではない」と言い張った。

私が滑稽さを感じていた同じ場面で、皆は恐怖にかられた家族の姿を見ていたのだ。いったい、彼らは米国に対してどんな悪さをしたと言うのか。強いて言えば、たまたまある場所から他の場所へと一家そろって移動していただけのことだった。

この時の会話は私を十分過ぎる程に打ちのめした。私にとって滑稽であったことが皆には決してそうではないことについて私はあれこれと考えた。あの家族が抱いた恐怖感を目の当たりにして何故私は動じなかったのだろうか、と。何故皆が私の笑いを見て怖がったのだろうか、と。

自己教育

私は米国の戦争に関して情報を集め始めた。ノーム・チョムスキー、グレン・グリーンワルド、クリス・ヘッジスや他の進歩的な思想家や著述家の書き物をたくさん見つけた。ウィキリークスやアノニマス、ジュリアン・アサンジにも遭遇した。朝にはDemocracy Now!、夜になるとThe Young Turksと、さまざまな情報源を頻繁に視聴するようになった。毎日のようにCommon DreamsSalonを検索した。もちろん、ブラドレイ・マニングに関わる記事も追跡した。彼がいなかったら、このように多くの新事実を知る機会はなかっただろう。

この時期に、私は初めて、いわゆる「巻き添え殺人」を目にした[訳注:この部分は、パキスタンやイエメンで米国が実施している無人攻撃機を使用したテロリスト掃討作戦を指しており、テロリストを攻撃する際に、一般市民が巻き添えとなってしまう点を述べたもの]。一般市民の巻き添えに対してはまったく無関心なパイロットのお喋りには自分自身の挙動が投影されていることを自覚した。一般市民の苦しみに対して自分が笑ったことを思い出していた。

2012年の春、私は第二次世界大戦に没頭していた。特に、ドイツ人が犯した惨事について興味を覚え、同時に強い嫌悪感を抱いた。何百万人もの無実の市民を大量虐殺したことについて実に多くの人たちがその関与を咎められても当たり前の状態にまでなっていった。このようなことがどうして起こったのかを少しでも理解するために手に入るものは何でも読み、視聴した。どうしてドイツの市民は歴史上でも類を見ない大量虐殺に加担したのだろうか。 

もちろん、ドイツは不景気に見舞われた国家から抜け出し、一夜のうちに大量虐殺を行うスーパーパワーに変貌した訳ではない。国境はそのひとつひとつが越境の対象となり、ヨーロッパ全域の破壊はその頂点へと進行した。もっとも悲惨なものはホロコーストとして知られている。

戦争犯罪に関しては、米国政府が犯した事例も含めて、記録が残されている主要なケースをひとつひとつ調べてみた。これらの犯罪はすべてが、ひとつの例外もなく、「公共の利益」という旗印のもとで挙行されていると認識するに至った。一般市民を殺戮する場合、決まってそこにはもっともらしい口実が用意されている。しかし、それらの口実を剥ぎ取ってしまうと、これらは皆ひとつの同じ事象となる。それは、間が悪い時にたまたまそこに居合わせたという理由だけで犠牲になった無数の男性や女性、そして、子供たちである。

心の変化

私は突然のひらめきを感じた。それは、完全に精神的な目覚めとも言えるものであった。自分にとってはまったく新しい、この人間性との繋がりに私は圧倒された。私の中のある部分はそれまでは死んだも同然であった。いや、生まれてさえもいなかったのだ。ところが、それが一挙に花を開いたのだ。時々、私は根こそぎされ、洗い流されていくような感覚に浸された。友人や家族、同僚、あるいは、司祭や心理療法士に精神的な助言を求めた。私はより高い知力を求めて、まわりじゅうを探し回った。

決して終わることがない戦争と私個人との関わりについて私は十分正確に認識していた。自分は海外で起こっているさまざまな事象から完全に切り離されていると思うことはもはやなかった。私は米国の覇権構造の一部であった。私の給料の小切手にサインをしていたのは国防省だったし、私が設計の手助けをしていた装甲車両を使うのは米陸軍であった。次々と明らかにされていく政府の犯罪的な行為に関して新事実が報告されるたびに、私にはそれぞれが自分自身が犯した背信行為のように感じられた。

私はこのような認知的な不協和の中で時間を過ごしていた。ある時はそれを容認し、ある時は嫌悪感に襲われた。どちらかを選択しようとしたものだが、結局は選択をすることができなかった。たとえ自分の職業、ならびに、その職業が与えてくれる経済的な安心感や保障が倫理的には空虚そのものではあっても、それに身を委ね、それを容認すべきか、あるいは、自分の心の中で正しいと思っていることに従うべきか、と自問していた。

BBC放送アラビア語版とガーデイアン紙によって放映された「イラクにおける米国の汚い戦争」を視聴していた夜、私は完全に覚醒した。最後に残されていた自己欺瞞は、私が無意識のうちに米国の暗殺集団に対して訓練や輸送ならびに装備の支援を行っていたことを認知することだけであった。

行動を起こす

眠れない日が何日も続いた。私は怒りに駆られ、ジネラル・ダイナミック社から即座に退社したかった。週末は辞表を書くことに没頭し、なんとか出口を探そうとした。私の妻は心配の余り寝込んでしまった。妻は、現在の仕事を放り出す前に私は新しい職場を探すべきだと主張し、この計画を後戻りさせようとした。私は不承不承彼女の言い分に同意し、家族のためにこうしているんであって、他の目的のためではない、と自分に言い聞かせながら、辞表を脇に置いた。

6月の中旬頃、私は気分が滅入るのを新たに感じていた。毎日がオリンピック規模のつまらない仕事となり、毎日を重い足取りで過ごした。私は朝目を覚まして、仕事へ出かけることを思う度に吐き気を覚えた。それが何度もあった。たった25分間ほどの通勤ドライブの最中、5本も6本もたて続けにタバコを吸った。私の動きはすっかり遅くなり、自分の体をビルの中へ強制的に移動させるしかないような有様だった。

74日、私はジェレミー・スケイヒルのドキュメンタリー映画、Dirty Wars: The World is a Battlefieldを観に出かけた。米国の無人機攻撃の犠牲者となった家族の苦悩、特に子供たちの涙を見て揺り動かされた。映画館を出た時には眩暈がした。このようなことをしていたのが本当に自分の国であることを疑問視するようなことはもうなかった。心のなかでは「間違いなくそうだ!」と確信していた。 

78日、グレン・グリーンワルドがウィリアム・スノーデンにインタビューした際の第二話がガーデイアン紙によって伝えられた。そのインタビューでスノーデン氏は下記のように述べた。

「...イラク侵攻の直後、僕は志願した。われわれがやっていることの誠実さを僕は信じていた。海外で抑圧された人たちを解放するというわれわれの意図の高潔さを信じ切っていた。しかし、時間が経ち、自分の仕事に没頭し、ニュース番組を視聴し、本当の情報はメデアがいたるところで喧伝している内容とはまったく違うという事実が次第に暴露され、実際には、世界規模の意識の中に何らかの特定の考え方を形成するためにわれわれは一般大衆を誤った方向へ導こうとしていることが分かった。米国の一般大衆だけでなく、あらゆる国の一般大衆を誤った方向へ導こうとしている。僕自身も実際にこの動きの犠牲者なのだ...」

この報道を私が始めて視聴した時、自分の日頃の考えをスノーデン氏の口から聞いているような気がした。私は希望で胸が一杯になった。私が個人的に体験していたこととまったく同じ体験をしている人が世間のどこかに居るだろうと私は思っていたが、ここに、真実を伝えるためにすべてを失った、その人が居たのだ。私は元気付けられた。

私の生計は自分がすでに背を向けた戦争の継続に委ねられていた。職場で昇進し、子供たちを大学へ進学させ、家を購入し、アメリカ人が「アメリカン・ドリーム」と呼び続けてきたすべてのことを達成しようとするならば、私はさらに新しい戦争を必要とした。私がこつこつと仕事をしていた時間はすべてが自分が嫌悪する戦争で残虐行為を犯し続ける連中を支援することに繋がった。また、もっと重要なことは、私が戦争マシーンの主に仕えている限り、どうしても反対意見となってしまう私自身の声は何時も沈黙させられる始末だった。

その晩、私は妻に花束を贈った。彼女にはベッドに座って貰い、自分は「どうしてもこれをしなければならない」と言った。彼女はまたも抵抗を示したが、自分はすでに決心したと伝えることができた。私たちが所有する僅かのお金を計算し、予想される反動について話し合い、必要と思われる行動を詳細に立案した。従兄弟に電話をした。彼らがやってきて辞表の編集を手伝ってくれた。私は睡眠薬を飲んでから、ベッドへ向かった。

後戻りはあり得ない

その日の朝、私はすっかり怖気づいていた。パニック状態で起き上がり、小さなアパートの中を行ったり来たりした。ろくに考えもせずに衣類を身につけた。仕事場へ行き着くまでは長いドライブだった。通りのずっと先の空っぽのビルの背後へ駐車し、門衛が警護する入り口から入った。自分のデスクへ直行し、「誕生日パーテイー」と題して自分宛に送った辞表をダウンロードした。その辞表を注意深く2通の電子メールにコピーした。1通は会社の知人全員に宛て、もう1通は少数の限定された宛先とした。つまり、何人かの友人、自分が最も尊敬するジャーナリスト、ならびに職場の上司宛てとした。

誰も居ない会議室を見つけ、インターネットと接続した。注意深く、自分の社用電話番号、ID、およびジェネラル・ダイナミック社のインターネット・プロトコールを設定した。電子メールをもう一度読み返した。

自分の人生でこれと同様の、もう決して引き返すことができなかった瞬間をひとつだけ思い浮かべていた。あれは志願兵として書類に署名した日のことだ。あの瞬間、募集担当士官の前に座り、自分自身に問いかけていた。「これが自分が本当にしたいことなのか。もう引き返すことはできないんだぞ!」

あの時と同様、私は小さな行動を起こし、自分の人生を変えた。10年前のあの日、あの小さな行動が自分ではとうとう理解することができなかった「戦争」へと自分を送り込んだ。この日、私はメールを送付し、「戦争」から離脱した。

変化は天上のどこかから与えられるものではない。少なくとも、自分が望む変化は決して外からやって来る訳ではない。変化とは国家に対して同意を与えた自分たちによって生じさせるものだ。われわれの名の下で行われている犯罪行為に対して与えた明瞭、あるいは、暗黙の了解を自分たちの手中に取り戻すまでは、何も変わることはないのだ。

ブランドン・トイ氏が作業しているドキュメンタリー・フィルムについて詳細を知りたい方はこちらをクリックしてください。

2013716日、ブランドン・トイは米国の防衛関連の契約業者であるジェネラル・ダイナミック社でのストライカーと呼ばれる装甲戦闘用車両担当のエンジニアリング・プロジェクト・マネジャーの職を辞した。それ以前は、ブランドンは多連装ロケット弾発射システムの専門家としてミシガン州の国家陸上警備隊に属し、チームリーダーを務め、車両指揮官であった。2004年から2005年、憲兵としてイラクのバグダッドへ派遣された。

以上が彼の言葉である。恐らくは、ジェネラル・ダイナミック社に勤務していた頃の彼は大多数の平均的な同世代のアメリカ人たちと比較すると、より大きな給与を得ていたのではないだろうか。しかしながら、人生にはそのような経済的に有利な職場さえをも投げ打たざるを得ないような瞬間が訪れる可能性があるのだ。そのことを、彼の個人的な体験が示してくれた。

日本では、東電に勤務していた人が会社に失望して退社したという事例がメデア(YouTube)で報じられている。この人の個人的な経験談によると、原子炉出力データの作成に当たっては東電は恒常的に低目に改ざんしたデータを国に報告していたとのことだ。また、福島第一原発は緊急用デーゼル発電機が配管からの水漏れで浸水し、使い物にならなくなるという事故に出遭った。1991年のことだった。最も重要なことは、この事故は20113月の大津波による炉心溶融を予見するような事故だったという点だ。当時、「これじゃ、津波が来たら炉心溶融になりかねない。高台に移設するべきではないか」と上司と話をしたところ、上司には「発電所が津波に襲われる可能性を議論することはタブーだ」と言われたそうだ。東電では会社側が経済性を追求する余りに、安全性の確保さえも軽視するような企業風土になっていたようだ。このような東電に嫌悪感を覚え、2001年には東電を退社。この方は、今、四国で田舎暮らしをしており、エネルギーや食料を自給自足できる生活を満喫しているそうだ。

個人のレベルではそれでいいだろうと思う。しかし、社会全体のレベルで考えると個人の持つ力が如何に些細なものであるかを思い知らされる。社会への影響力の観点からは、ブランドン・トイ氏が自分が信頼しているジャーナリストへも辞表のコピーを送ったということは前向きに評価すべきであろう。広告収入に頼らず、会員からの募金に基づいて運営し、政府や他のビジネス業界からの独立を維持するCommon Dreams はオーストラリアとニュージーランドを拠点とする非営利団体であるが、インターネット時代の今日、彼の記事は世界各国からアクセスすることが可能であり、彼が願ったであろう外の世界に対する彼の個人的な思いの表明という目的を十分に満足してくれたのではないだろうか。何と言っても、今の政治システムではこれに勝るような合法的な手段はないような気がする。 

総じて、彼の行動は正しかったと言えよう。

現在の米国政府の海外での「テロに対する戦争」に関しては、批判の声がたくさん上がっている。ここに掲載したブランドン・トイの声はそうした批判の声のひとつであり、決して稀な存在ということではない。たくさんのジャーナリストが批判をしている。ただ、問題は声なき一般大衆の意見はどのようなものか、という点であろう。

たとえば、無人機による偵察や攻撃は今や世界中に拡散しつつある。ある文献[3]によると、無人偵察機の所有は20129月の時点で76カ国にもなるそうだ。中国、パキスタン、ロシア、インド等も含まれているという。無人偵察機の延長線上には無人攻撃機がある。無人攻撃機が使用されると、一般人の巻き添え殺人が起こる頻度が非常に高くなる。そのような結末については、パキスタンやイエメンでの事例が十分に証明している。

国際世論はどうかと言うと、21カ国で行われた最近の世論調査[4]によると、米国がパキスタンやイエメンならびにソマリアで行っている無人攻撃機の使用は大多数が反対だ。過半数が賛成としたのは当の米国だけ。そして、米国に続いて賛成が反対を上回ったのは英国とインドの二カ国だけ。米国で無人攻撃機の使用が過半数の賛成を得ている理由は、対テロ戦争ではイラクやアフガニスタンで多数の米兵を失ったという事実から、米国では米兵が死亡することがない無人攻撃機の使用は容認される傾向にあるようだ。

しかしながら、そこには一般市民の巻き添え殺人という倫理的には到底許されない、非常に厄介な問題が未解決のまま放置されていると言わなければならない。この課題こそが無人攻撃機が国際的に容認されない最大の要因だ。

無人偵察機の導入を防衛省は昨日(818日)決定したとのことだ。

偵察機の使用は何れの日にか攻撃機の使用へと展開する可能性を秘めている。第一次世界大戦の歴史を見て欲しい。飛行機が偵察用に使用され始め、その有効性が各国の軍隊に知られるようになった。しかし、偵察だけしていてはもったいないということで、操縦士はピストルを携行したり、レンガを積んで出発し、敵機の操縦士に向かってピストルを撃ったりレンガを投げつけたりしたそうだ。このレンガやピストルが機銃や爆弾に取って替わられるのにそれほどの時間を要することはなかったという。軍拡競争のお手本のような話である。

もうひとつ感じた点がある。自分の職業が殺人集団のために貢献しているという冷徹な現実がある時、この現実は個人的な倫理観とは到底両立しない。このような場面は現在の世の中ではごく普通に起こり得るのかも知れない。特に、10人にひとりは軍需産業に従事しているとされる米国では、なおさらのことであろう。また、日本の部品産業の製品は、たとえば、米国の最新鋭ステルス戦闘機の部品の約40%に使用されていると言われている。一般的な民生用と軍需用との境界は必ずしも部外者の目には見えないのが現実だ。

ひょっとして、日本もまた米国と同じ程度に、ここに引用したブランドン・トイが言うところの殺人集団に何らかの形で貢献しているのではないだろうか。平和憲法を掲げる日本、原爆に反対する日本人にとって、この現実をどのように整理したらいいのだろうか。

日本では、今、たくさんの政治的課題が提起され、未解決のままとなっている。自衛隊の集団的自衛権の行使、武器輸出三原則、憲法の改正、原発の再稼動、放射能汚染、沖縄の米軍基地、歴史認識、等。何れを取り上げても議論が尽きないようなものばかりだ。

戦後半世紀以上にわたって自国の国防を日米同盟に依存し切って、自分のこととして真剣に考えようとはして来なかった日本の今までの政治のツケが廻ってきたということかも知れない。私自身も長い間ノンポリで過ごしてきたひとりだ。上記に挙げた政治的課題はどれをとってもその背景には日米同盟がある。日本人の一人ひとりがブランドン・トイやエドワード・スノーデンに匹敵するような覚悟を決めて取りかからない限り、これらの課題を抜本的に解決することはできないのではないか。

声なき一般大衆のひとりである私たちにも覚醒する時がやってきた!

 

参照

1: I Hereby Resign in Protest Effective Immediately: By Brandon Toy, Common Dreams, July 16, 2013

2: US Wars, Dehumanization, and Me: By Brandon Toy, Information Clearing House, August 09, 2013

3Living Under Drones – Death, Injury and Trauma to Civilians from US Drone Practices in Pakistan: By Stanford Law School and New York University School of Law, Sep/2012

4Poll: Global Disapproval of U.S. Drone Strikes: By By Matt Vasilogambros, National Journal, May 29, 2013  

 

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