2016年4月5日火曜日

シリアにおけるロシア軍現地司令官とのインタビュー



シリアでは政府軍と反政府テロ集団との間の武力抗争が今も続いている。最近の動きとしては、古都パルミラが政府軍の手によってISISから奪還された。これによって、政府軍側の士気はさらに高まったと報道されている。

しかし、一般市民の反応はどうなのかについてはいまひとつ把握が困難である。とにかく、そういった情報は殆んどないに等しい。

最近の記事で「シリアにおけるロシア軍現地司令官とのインタビュー」と題したものが目についた [1]。この記事にはシリアの一般大衆の反応が、僅かではあるが、伝えられている。と言うことで、これは貴重な情報だと思う。

そこで、本日はこの記事を仮訳して、読者の皆さんと共有したいと思う。


<引用開始>

シリアに派遣されているロシア軍を指揮する現地司令官が「ロシスカヤ・ガゼタ」紙との初めてのインタビューに応じてくれた。


ロシア語からの翻訳: KAが担当

先週クレムリンでロシア連邦のウラジミール・プーチン大統領がシリアにおいて特に優れた業績を挙げた軍人に感謝の意を表明した。しかし、その際にアレクサンドル・ドヴォル二コフ准将の名前を知っている人は少なかった。ほとんど6カ月近くもの間シリアでロシア軍を指揮してきた同准将の栄誉が称えられ、「ロシアの英雄」の称号が贈られた。



Photo-1: ロシア軍のシリア派遣部隊を指揮するアレクサンドル・ドヴォル二コフ最高司令官

この任務の前は、中央軍管区の第一副参謀総長の肩書を持ったこの指揮官の名前は空軍の活動と関係して言及されることはまったくなく、テロリストに対する陸上作戦との関係についてはなおさらのことであった。ドヴォル二コフがシリアへ派遣されたことを知っていたのはごく少数の内輪の者たちだけであって、彼はロシア軍部隊を指揮し、ロシア軍とシリア政府軍との相互関係を調整する任務に当たった。

ドヴォル二コフの指揮の下で展開され、実行された戦闘作戦の多くについてはその詳細は依然として機密扱いとなっている。とは言え、「ロシスカヤ・ガゼッタ」との初インタビューで同准将は自分が関与したシリアでの軍事作戦について幾つかの出来事を初めて語ってくれた。

***

アレクサンドル・ウラジミーロヴィッチ准将、ロシア軍が初めてシリアの現地へ到着した頃の様子を想い起こして、私たちに話していただけませんか?

アレクサンドル・ドヴォル二コフ: 私の指揮下にあったロシア軍部隊は昨年の9月にシリアアラブ共和国へ到着しました。我々の任務は展開しつつあった状況に取り組み、シリア軍の苦境を解決することにありました。

あの当時の状況はダマスカスにとっては決して好ましいものではありませんで、テロリストの総数は6万人以上にも達し、シリア領土の約70パーセントが占領されていました。ギャング共はイドリブ、パルミラ、ラッカといった大都市を彼らのコントロール下に収めていたのです。

テロリストたちはホムズやダマスカスの郊外の殆んどをコントロール下に収め、ラタキア州では大規模な攻撃を行い、アレッポを包囲し、陥落させようとしていました。ダマスカスとアレッポを結ぶ幹線道路はシリアの北部と南部とをつなぐもので、この幹線道路は常に封鎖の脅威に曝されていました。

その上、政府軍は4年間もの武力抗争で疲弊しており、テロリストたちに対抗するのが困難になる一方でした。住民は大量に国外へ脱出していました。

そして、今はどのような状況でしょうか?ロシア軍の介入の結果、シリアはどのような状況になっているのでしょうか?

アレクサンドル・ドヴォル二コフ: 最近の5か月半のロシア軍の活動によってシリアの状況はガラッと変わっています。

ロシア空軍とシリア政府ならびに地上の政府軍との間の共同作業の結果、テロリストに対する軍事作戦を成功させる基本的な条件が整いました。政府軍の戦闘能力を強化するために、我々はシリア軍に対しては軍事支援の枠内で最新の武器や装備を与えました。これには大口径の火器や通信手段、諜報手段、等が含まれています。シリアには管理組織を伴った軍事顧問団が最短時間で設定されました。彼らは政府軍だけではなくクルド人の民兵やその他の親政府派の民兵グループを戦闘のために備える作業を進め、成功裏にその作業を完了しました。戦闘活動の準備に際しては我々の軍事顧問団がもっとも中核的な役割を担ってくれたことから、状況は好転して行きました。

この協力体制がテロリストのインフラや兵站線を破壊し、戦闘の主導権を取り戻し、守勢から攻勢へと逆転することに大きく役立ったのです。この作業は15の目標拠点に関して同時に行ったのです。その結果、テロリストらは大規模な攻撃作戦をあきらめざるを得ず、代わりに小グループで活動するようになったのです。

同様に重要な事実としては、軍事作戦が成功すると、それがシリア市民を勇気づけ、鼓舞してくれました。ISISやアル・ヌスラ(ロシアでは両者共テロ集団として指定され、法的に禁止されている)を打ち破り、彼らを征服することが可能であると理解し始めたのです。

それに加えて、シリアの社会にはボランティアの機運が芽生え、ボランティア部隊が形成されました。今日、シリアではすでに数千人の市民が政府軍の陣営に加わって、テロリストに対抗して闘っています。

シリア住民のテロリストに対する忍耐心が極限状態になっていたことを示す格好の証拠があります。それは中部や南部の州では一般市民がアル・ヌスラの犯罪者共を地方都市から追い出してしまったことです。このような状況は数多くの都市で見られました。

シリアのクルド人社会はダマスカス当局とは相違点がありますが、彼らはシリア北部においてはテロリストに対する戦闘ではもっとも活発な役割を果たしています。今でも、彼らはISISやアル・ヌスラに対する攻撃作戦に継続して加わっています。

つまり、准将のご説明によりますとシリア社会全体がこの戦いに加わっているという事ですね? 
アレクサンドル・ドヴォル二コフ: まさにその通りです。シリアにおけるテロリズムとの闘いは真の意味で国民的な性格を帯びています。そして、前線での状況が劇的な変化を見せたのです。

さらには、ボランティア部隊が攻撃作戦で目を見張らせるような役割を演じています。

アレッポ州北東部では主要な地域をコントロール下に収めたことがトルコからジャラブルスとアザスとを結ぶ回廊を通してテロリストたちのために行われる兵站や増援部隊の輸送に対して深刻な影響を与えました。これがアレッポ北部でISISを壊滅的な敗北に導いてくれたのです。

そして、今は? 我々はクウェイレス空軍基地を解放して、3年以上もの間テロリストのコントロール下にあった多数の住民を救い出しました。ラタキア州では武装勢力を完全に追い出してしまいました。シリア住民のかなりの部分が集中して住んでいる海岸地帯でもテロリストは排除されました。

シリア東部ではパルミラを包囲し、解放作戦を進めています。歴史的にも、地理的にも重要なこの都市を奪還すると、ISIS勢力はふたつに分断され、ラッカやデイル・エズ・ゾルへの道路を開通させることにつながります。この道路はイラク国境地帯に到達し、同地域をコントロール下に収めるのに必要な条件を整えるのに役立つことでしょう。 

さらには、三つの大きな油田を再度コントロール下に収めましたが、これらの油田は以前はテロリストたちの収入源として機能していたものです。 

国防省の報告書ではハマやホムス、ダマスカスといった州の名称を頻繁に聞きます。今の状況はどんなでしょうか? 

アレクサンドル・ドヴォル二コフ: これらの州はシリアの中央部に位置しています。これらの州では殆んどの地域で不法な武装勢力は排除されました。今、和解プロセスの中でももっとも大変な作業が進行中です。軍事的な観点からは、シリアの幹線道路が政府軍のコントロール下にあることが非常に重要です。

一般論的に言いますと、この軍事作戦ではシリア軍はロシア空軍の支援を受けながら、400もの市町村を解放しました。テロリスト勢力の戦闘能力は半減し、彼らは主導権を失い、彼らがコントロール下に収めていた領域は1万平方キロも減少しました。

2千人のテロリストは元々はロシア連邦からやって来ていた連中ですが、彼らはシリア国内で殲滅されました。中でも17人は野戦指揮官でした。これらの武装勢力に対して我々が実施した予防的な措置は我が国やロシア市民のためにある種の安全保障となることでしょう。 

この軍事作戦がもたらした結果の中でも非常に重要な点は一般的にはシリア国民の意識を多いに改善したことです。また、具体的には、政府軍の士気を高揚させたことです。国家が分断される可能性がありましたが、それは回避されました。

シリアにおけるロシア軍の介入作戦は西側の政治家や諜報機関をだます積りは毛頭なかったわけですが、フメイミム基地へロシア空軍を送り込んだ際、彼らは青天の霹靂だと受け取っていました。また、私たちの将兵や機材が故国へ帰還した時の嵐のような拍手はまったく予想することも出来ませんでした。准将、あなたはどのようにしてこれらの成果をもたらしたのでしょうか? 

アレクサンドル・ドヴォル二コフ: 我々の武装兵力の戦闘準備態勢については抜き打ち検査を繰り返して実施することによって、かなりの規模の兵力を長距離輸送する訓練を行って来ました。 

こうした理由もあって、シリアへの兵力の輸送に関して命令を受けた際には、まさにそうあるべきことですが、正確に、かつ、最短の時間で兵力の輸送を実行することができたのです。この派遣グループに対してはロシア連邦からの総括的支援が迅速に、しかも、効果的に組織化されました。

この作戦でのもっとも大きな負担は軍用輸送機と海軍の船団が引き受けました。9月以降、640便もの航空機輸送と80艘にもなる船舶輸送が実施されたのです。

我々の軍においては現代的なモジュール型式による建設法が出現したことによって、フメイミム基地への最低限必要なインフラは、たとえば、空軍基地の施設から始まって、居住区や管理棟の建物、食堂やシャワールームに至るまで、すべてが数日の内に配備することができました。

シリアにおいて過去半年の間、あなたの目の前では劇的な出来事が展開してきました。今、シリアでは和平への希望が膨らんでいます。その可能性についてはどうお考えでしょうか?

アレクサンドル・ドヴォル二コフ: フメイミム空軍基地内には「和平センター」が組織化されていることはあなたもご存知だと思います。60人のロシア人士官がその仕事に配属されていますが、多くは地方の州でその任務についています。明白な違反があるにもかかわらず、シリアにおける停戦はほとんどの地域で遵守されています。和平のプロセスはハマやホムスの州においてもっとも活発になっています。これらの州では、近い将来に闘いが完全に停止するものと思います。

重要な点は停戦のプロセスが継続することです。私がシリアから出発した時点では、43もの武装グループが停戦条項に同意し、51の市町村の長老が和平協定に署名しました。彼らの数は毎日のように増えています。 

と同時に、トルコはクルド人の軍事拠点に対して砲撃をしています。クルド人たちはアレッポ州の北部でアル・ヌスラと戦闘をしており、これが心配の種です。これらの行動は、アンカラ政府はシリアにおける和平のプロセスをひっくり返そうとする武装勢力に支援をしていることを明白に示唆しています。

我々の軍が初めてシリアへ派遣された時、ひとつの疑問がありました。それは、ロシア軍が地上戦に参画するのかどうかという点です。

アレクサンドル・ドヴォル二コフ: 我々の軍事顧問は、戦術的な分野を含めて、あらゆる階層で作業をしてきましたし、今もそうしています。我々の士官たちは作戦計画やテロリストに対する戦闘作戦の実施においてはシリア軍の同僚たちを支援し、ロシア製の武器や諸々の機器についても習熟して貰うようにしています。

我々の特殊作戦部隊がシリアで行動しているという事実を私は隠す積りはありません。彼らはロシア空軍が行う空爆目標を偵察し、遠隔地における目標拠点にまで航空機を誘導し、その他の特殊任務を遂行しています。

しかしながら、米国や他の同盟国から派遣された同様な部隊もシリアにおいてはさまざまな任務についていることを留意しておかなければなりません。

ロシア軍の主要な部隊がシリアから撤退した後、いったいどの部隊がシリアに残っているのかという議論がメディアでは行われています。この点について何かお話いただけますか?

アレクサンドル・ドヴォル二コフ: もちろん、私は兵力の一人一人や個々の航空機についてまで詳細に言及する積りはありません。こうお答えしておきましょう。つまり、我々は停戦をコントロール下に収めるために必要となる兵力はシリアに残しています。また、これにはフメイミム空軍基地ならびにタルトスにおけるロシア海軍に対する兵站拠点を安全に確保し、運用する任務も含まれています。

彼のビジネス・カード:

アレクサンドル・ウラジミーロヴィッチ・ドヴォル二コフは1961822日にプリモルスキー・クライのウスリースクにて生まれた。

彼はウスリースク・スヴォロフ陸軍学校を卒業し(1978年)、ソ連邦高等陸軍学校を卒業(1982年)、M.V.フルンゼ軍事アカデミーを卒業(1991年)、ロシア連邦軍の一般幕僚軍事アカデミーを卒業した(2005年)。 

彼は極東軍管区において小隊指揮官、中隊指揮官、大隊参謀長として勤務した。西部軍管区においては機械化歩兵大隊の副指揮官を、そして、後にはその指揮官を務めた。

1995年から2000年まで、彼はモスクワ軍管区において連隊参謀長を務め、後には 連隊指揮官を務めた。2000年から2003年まで、北コーカサス軍管区において師団参謀長を、後には師団指揮官を務めた。

2005年、彼はシベリア軍管区部隊の副指揮官、後には同部隊の参謀長を務め、さらに後には極東軍管区の部隊(第5赤軍旗混成軍)指揮官を務めた(2008年から2010年)。

2011年から2012年まで、彼は東部軍管区の副司令官を務めた。20124月から彼は中央軍管区の参謀長兼第一副指揮官を務めている。准将の階級称を得ている。

最新のニュース:

他に160名の将兵がシリアへのロシア派遣軍から帰還した。まず、彼らはイリューシン76型輸送機によってフメイミム空軍基地からノボシビルスクのトルマチェヴォ空港へと輸送され、その後は車両でケメロヴォ州にあるユルガ駐屯地へと輸送された。

中央軍管区(CMD)の広報部によると、帰還した将兵全員はCMD兵站支援旅団に属するという。シリアでは彼らは航空機へ燃料や潤滑油を供給し、フメイミム空軍基地の兵士らに食糧を配達し、風呂や洗濯のサービスを提供し、空軍基地内の設備の修理や保全に従事した。それらに加えて、タルトス海軍基地の平坦部門からラタキア州のロシア空軍基地までさまざまな物資を輸送したのはこれらの専門の将兵たちであった。

CMD広報部によると、ユルジンスキー旅団がシリアへ再配置され、合計で200人以上の将兵がその任についた。

昨日、一機のAn-124輸送機「ルスラン」がフメイミムからロシアへと飛行した。幾つかの報告によると、その輸送機は3台のMi-35ヘリコプターおよびさまざまな装置をそれらが常時配備されていた場所へと輸送した。シリアでは「第35部隊」の隊員たちは主としてロシア空軍基地に対する空からの攻撃に対処していた。 

<引用終了>


これで仮訳は終了した。

私がもっとも興味を覚えた点は、ドヴォル二コフ准将が「シリアにおけるテロリズムとの闘いは真の意味で国民的な性格を帯びています。そして、前線での状況が劇的な変化を見せたのです。さらには、ボランティア部隊が攻撃作戦で目を見張らせるような役割を演じました。・・・ この軍事作戦がもたらした結果の中でも非常に重要な点は一般的にはシリア国民の意識を多いに改善したことです。また、具体的には、政府軍の士気を高揚させたことです。国家が分断される可能性がありましたが、それは回避されました」と描写していることだ。

米ロ両国は227日にシリアの停戦に合意した。これでシリア情勢は国際政治の枠組みにおいても、地上での戦闘においても和平への道が整ったみたいだ。


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とは言え、ロシアにとっては予断は許されないと思う。

何と言っても、米国のネオコン政治家や軍産複合体は執拗であり、あり余る程の資源を有している。何をしでかすか分かったものではない。

327日のロサンゼルス・タイムズの報道 [2] によると、米国の中東政策は混迷の極に達しているようだ。その記事の表題は「シリアではCIAによって武装された勢力がペンタゴンによって武装された勢力に向けて発砲」と記している。言わば、内輪同士の銃撃戦である。

また、目下の最大の懸念材料はトルコの動静であり、サウジアラビアが今後どう判断するかだ。

そして、トルコやサウジの背後にあって、最終的に最大の焦点となるのは米国の対ロシア政策だ。米ロ両国はシリアの停戦で政治的に歩調を揃えたとは言え、米国内では政府の意向をよそにシリアには反政府派の外国人部隊を送り込むという声さえあがっている。

さらには、ナゴルノ・カラバフを巡ってアゼルバイジャンとアルメニアが小競り合いを始めたようだ。アゼルバイジャンはNATOの一員であるトルコのもっとも近い盟友である。つい最近、バイデン米副大統領はアゼルバイジャンのアリエフ大統領と会談した。一方、アルメニアは親ロシアだ。アルメニアにはロシアの空軍基地があり、ミグ戦闘機や攻撃ヘリコプターが配備され、ロシア空軍の傘下で行動している。言わば、コーカサスにおけるロシア防空の要である。この小競り合いはコーカサスが如何に不安定であるかを示している。また、この構図にはロシアを揺さぶるためには何でも行おうとする米国のネオコン政治家や軍産複合体にとってはとびつきたくなるような地政学的側面が見て取れる。さて、どう展開するのだろうか?

ロシアがシリアに関して見せてくれた外交能力をこのナゴルノ・カラバフでも見せて欲しいと思う。



参照:

1The Commander of the Russian military grouping in Syria gives his first interview: By Saker, Mar/28/2016, thesaker.is/the-commander-of-the-russian-military-grouping-i...

2CIA-armed militias are shooting at Pentagon-armed ones in Syria: By Nabih Bulos, W.J. Hennigan and Brian Bennett, Los Angeles Times, Mar/27/2016, www.latimes.com/.../la-fg-cia-pentagon-isis-20160327-story.h...




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