新型コロナウィルス危機の全面的な収束については米国を見ても、ヨーロッパを見ても、さらには、お膝元の日本を見てもかなり長い期間が必要となりそうだ。早く収束して欲しいと願わずにはいられないが、現実にはそう簡単には行かないように思える。
コロナウィルス危機の震源地となったお隣の中国は2カ月以上にも及んだ都市閉鎖政策をこなして、1カ月前に閉鎖が解除された。経済活動は再開され、徐々に回復している。新規感染者は5月に入ってからはほとんどが海外から移入された事例だけであって、地元での発症はほとんどゼロ、もしくは、ゼロに近い。
日本がそのようなレベルに達するのは何時になるのであろうか?現状を見る限りでは、残念ながら、はっきりとした展望はまだ見えない。
中国からの医療用機材の海外への輸出は堅調に維持されており、4月30日の環球時報によると、米国へは3億3千万着の外科用手袋、3千8百万着の保護用衣服、6百万個の保護眼鏡、7500台の人工呼吸器が輸出されたとのことだ。
上記に示すように、中国が通常の生活や生産活動へ順調に復帰しつつある中で、西側諸国は、今、都市封鎖の解除が始まったばかりだ。この過程ではさまざまな紆余曲折が予想される感じだ。そのような混乱状態にありながらも、西側にも明るい材料がひとつある。
各国は都市封鎖政策を採用し、市民に社会的距離を取ることを要請し、経済活動は一部を除いて実質的に中断状態となった。たとえば、国際便が中断され、観光業や接客業は閉鎖され、ホテルやレストラン、バー、ジム、美容院、歯科クリニック、等が閉鎖となった。それとは対照的に、スウェーデン政府は社会的距離を維持することは強制しなかった。つまり、レストランや美容院は店内のお客さんの数を減らして、営業を続けることができた。
このスウェーデンの政策に関してはソーシャルネットワーク上ではさまざまな懸念や不満が沸き上がった。最大の懸念は死者が増えるのではないかという指摘である。しかしながら、都市封鎖の解除を始めた現時点(5月10~11日)での数値を見ると、これらの懸念は建設的な議論ではなかったように思える。人口百万人当たりのスウェーデンの死者数は319人。このレベルは都市閉鎖を行っている他のヨーロッパ諸国と大差がない。スウェーデンよりも死者の割合が多いのは、たとえば、ベルギーは746人、スペインは569人、イタリアは503人、英国は466人、フランスは403人だ。(ヨーロッパ圏の20カ国のデータを抽出して、人口100万人当たりの死者数を計算してみた。本投稿の末尾の表をご参照ください。)
この時点での最大の疑問点は「経済活動に大打撃を与える都市封鎖はコロナウィルス対策として功を奏しているのか」という点だ。
現時点では大流行が収束したわけでもないことから断定的な評価や結論は下せないが、中間点における現状を見る限りでは、都市封鎖を行わなかったスウェーデンが最高の成績ではないにしても、結構立派な成績を収めていることは注目に値すると言えるのではないだろうか。
ここに、「他の国々が失敗したにもかかわらず、スウェーデンはどうして成功したのか?」と題された記事がある(原題:Why
Sweden Succeeded While Others Failed: By Mike Whitney, April 30, 2020
)。
本日はこの記事を仮訳して、読者の皆さんと共有したいと思う。
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治療法が存在しない感染症に対処する場合、その対処に成功したのかどうかはどのように評価するべきか?
新型コロナウィルスの対処において何処の国がもっとも成功したのかを評価する前にわれわれは上記の設問に答えなければならない。特効薬やワクチンが存在しないという現実は、政治家は自分たちの目標を達成するのに効果的な社会政策を打ち出すことによってもっとも実効性のある施策を模索しなければならないという事実は大きく変わるものではない。私が思うには、ヨーロッパのほとんどの国や米国は指導者らが希求する目標を達成するのにはもっとも疎遠な政策を採用した。換言すると、自己隔離を行い、社会的距離を保つと言う「封じ込め」戦略はウィルスが広がる(ならびに、医療施設が満杯になって崩壊する)ことを一時的に食い止めてはくれるが、都市閉鎖が解除されると、感染は疑いようもなく再度現れ、感染者数や死者数が急上昇する。これが、米国を含めて、数多くの国々が直面している最大の問題点だ。指導者らは現行の規制を解除したいと思っているが、規制の解除は新たな感染をもたらす。いったい、どうするべきか?
問題はこの取り組みの手法が最初から十分に検討されたとは言えないことだ。この手法は政策として採用する前にこれがもたらすすべての可能性を調べておくべきであった筈だ。今ではもう遅すぎる。人々は仕事場へ戻りたいと思ってはいるが、感染の脅威が依然として存在する。これは何を意味しているのかと言うと、人々が仕事場へ復帰した後で流行が散発的に起こり、社会的な反応や騒乱を引き起こし、「職場放棄」に発展するかも知れない。こういった騒ぎは経済停滞を長引かせるだろうし、最近の歴史ではどの時代を取り上げてももっとも辛辣で、分断気味の国内政治をさらに悪化させることになるかも知れない。
この難問のすべては政府が最初に封じ込め戦略を打ち出した頃、つまり、大流行のごく初期にその端を発している。封じ込めの目標は公共医療制度の崩壊を防止することであった。それは実に結構なことではあったけれども、封じ込め策はふたつの車輪を持つ車軸上の一方の車輪でしかない。もう一方の車輪は封じ込め策と同じ程度に重要な免疫だ。問題は次の点にある。つまり、自己隔離を強要する封じ込め策を課しておきながら、いったいどうやって免疫を獲得するのか?これでは、免疫は獲得できない。獲得できるとでも思うのかい?
スウェーデンの専門家たちはお互いに相反するふたつの目標を同時に達成する手法を模索した。つまり、それはこの感染症が医療制度を崩壊させることがない程度にウィルスを封じ込め、その一方で人々を十分に感染に曝して集団免疫を達成するという考え方だ。彼らは一般大衆が自分たちに求められた社会的距離を維持するよう推奨し、それと同時に、ウィルスが一定のコントロール下で広がって行くのを許容した。これが彼らの中核的な手法だ。すなわち、封じ込めと集団免疫。それと同時に、スウェーデンは都市封鎖の実施は避け、経済を続行させて、ヨーロッパでは類を見ないやり方を採用し、いつもと何の変わりもないという雰囲気を維持し続けたのである。実際、これは驚くべき達成である。
スウェーデンの戦略は三つの主要な柱で支えられている。免疫を確立し、持続性を維持し、年配者や他の弱者を守ること。免疫の確立では封じ込め作戦を採用した他の国々の何処よりも優れた成果を収め、スウェーデンの得点はA+だ。封じ込め作戦が終わるやいなや、他の国々は感染者数や死者数の急激な増加に見舞われることであろう。いったい何がいいと言うのか?人々にドアを閉めさせ、鍵をかけ、経済の緊縮による痛みが耐えられなくなるまでべッドの下に隠れていることを強いるような政策のいったい何がいいのだろうか?これはまさに精神錯乱だ。それとは対照的に、スウェーデンの戦略はある程度の社会的距離を維持しながらも、人々が集合することは規制し、それと同時に、感染のリスクが低い人たちには通常の社会生活を許し、彼らをウィルスに曝す戦略を取った。これらの健康な人々のほとんどはまったく症状を示さないか、軽い咳や発熱を経験する程度で終わる。彼らは入院や集中治療室あるいは人工呼吸器のお世話になることはない。そればかりではなく、彼らは感染しても感染からは回復する。その過程で彼らは将来に流行が起こった際に必要となる抗体を生成する。これは非常に重要なことだ。何故ならば、免疫性が無いと、その国は無限に流行に見舞われ続け、経済を疲弊させ、公共医療制度に過度の負担を強い、老人や弱者を死に至らしめることになるからだ。
そうとは言え、批評家の幾人かはウィルスへ曝すことは免疫性を確保するのに十分な抗体を生成するのかと今も問いただす。これは確かに興味深い質問ではあるのだが、見当違いだ。スウェーデンの疫学者は彼らが以前経験したことがある基本に基づいて行動しなければならない。感染に曝すことは実際に抗体を生成させ、この抗体がウィルスがもたらす将来の感染症に対して闘う時に役立つのである。いずれにしても、この問題はできるだけ速やかに決着すべきであって、多分、二回目、三回目の流行が世界を駆け巡る今年中には決着することができるであろう。その時点で「集団免疫」という理論は本物の試験に曝されることになる。それまでは、われわれは最終的な判断を棚上げにしておこう。
スウェーデンの致死率は隣国の数値よりも明らかに高く、このことに多くの関心が寄せられている。しかしながら、これらの数値はこの話の全体を物語るものではない。死者数の半数以上はスウェーデンの大規模老人ホームに由来している。これは悲劇であって、スウェーデンの指導者らは自分たちの失敗を認めている。指導者らはかれらの死亡の責任を認めており、二度と悲劇を起こさないために規制を強化した。たとえば、外部からの老人ホームの訪問を禁止したのである。
他の死亡原因のいくつかは老人ホームという共同体の中でより多くの感染を許してしまう戦略そのものに起因している。しかし、ここには相殺の関係がある。つまり、社会的な交流を多くすると初期段階に死者数が増加し、都市封鎖では規制が解除されるまで死者数の増加を先延ばにするだけに過ぎない。騒ぎが収束し、今日から1年後に振り返って見た場合、多分、われわれは死者数のパーセントは多くの国々の間で僅かの差があるだけだと気付くことであろう。これが、少なくとも、何人かの評判の高い疫学者たちが想定する展開である。
上記に指摘したように、スウェーデンの策は都市封鎖を行わない。つまり、経済を破壊させず、公共医療制度を過度に苦しめないようにする。そうすることによって、スウェーデン方式は二番目の目標である経済の持続性を維持する。スウェーデンの指導者らは経済に深刻な打撃を与えることもなく、この手法を際限なく継続することが可能だとさえ述べている。米国に関しても同じことが言えるのであろうか?コロナウィルスの大流行の第二波がこの秋に襲来した場合、米国は経済活動を停止し、何百万人もの労働者を解雇し、何千社もの中小企業を破産させ、何兆ドルもの金を浪費する積りか?
米国の戦略には持続性がなく、再現性もなく、決して好ましいものではない。考え方が非常に貧弱で、これは行き当たりばったりのトランプが踏んだドジであって、免疫の確立に必要となる基本的な課題に取り組もうともしない。もしも米国の市民がある程度の集団免疫さえも獲得し得なかったとしたら、将来今回の大流行と似たような事態に見舞われた際、われわれはいったいどうやってその大流行と闘うのであろうか?これこそがトランプや水晶占いを行う彼の側近たちが自問しなければならない点なのだ。しかし、われわれは彼らがそうするだろうとは思わない。下記にニューヨークタイムズからの抜粋を示そう:
アンダース・テグネルはこう言った。「われわれが思うには、ストックホルムでは25パーセント程の人たちがコロナウィルスに暴露されて、恐らくは免疫を獲得している・・・ われわれはストックホルム地域の集団免疫を数週間以内に獲得することができるかも知れない。」 (注:集団免疫は感染症を間接的に予防する形態であって、人口の大多数が前回の流行によって免疫を獲得した場合、次回の流行では免疫を持たない人たちを防護するためのひとつの策を提供する。)
「今何が起こっているのかと言うと、多くの国がスウェーデン様式に同調しようとしているのだ。多くの国々が学校を再開し、出口戦略を模索している。こうして、話は持続性に戻って来る。数カ月や数週間ではなく、さらに長期間にわたってこれを継続するには、われわれは評価尺度を持つ必要がある。(ニューヨークタイムズ紙の記事「Is
Sweden Doing It Right?」から)」
集団免疫はその国の人々に将来の感染に対して一定の防護の策を提供することになることから、それはコロナウィルスに対する社会政策における最高の目標となる。しかしながら、集団免疫がそのように好ましい策であるとするならば、集団免疫を積極的に追求しているのはどうしてスウェーデンだけなのか?この件に関してはウオールストリートジャーナル紙の記事でジョセフ・スターンバーグが興味深い背景を報じている。スターンバーグによると、数多くの専門家たちは「われわれはウィルスの拡大を中断させることはできず、われわれにできることはウィルスの広がりを遅延させることだけだ」と認識していた。しかし、自分たちが元々到達していた正論から逸脱したことからすべての混乱が始まったのである。それを下記に確認しておこう:
「問題は3月の中頃に始まった。世界中のほとんどの国にとっては集団免疫は暗黙の了解であり、最終段階として認められていたのであるが、この言葉は毒を含んだ文言となった。批判者らはウィルスがコントロール下で広がることを許すとすれば、死者が発生することになると指摘したのである。彼らは厳しい都市封鎖を提案し、そうしなければイタリアの病院で起こった苦い経験の二の舞となる。どちらか一方だと言った。しかし、もしも彼らがコントロール下で集団免疫を実現する手法よりももっと説得力のある方法を持っているならば、全世界はそれを拝聴しようと待っていた。ところが、それに代わって、専門家らはワクチンの到来を待つか、感染の試験を強化し、感染者が接触を持った人たちをきめ細かく追跡するかのどちらかだと提案した。ご成功を祈る。ワクチンが現れるとしても、それは1年かそれ以上も先のことだ・・・」(ウオールストリートジャーナル紙の記事「Maybe
the Experts Were Right About Covid-19 the First Time」から)
著者によれば、実際に専門家らはある時点では同意見ではあったが、彼らは自分たちの取り組み方を変更するよう脅かされた。それとは対照的に、スウェーデンは「自分たちの立場を固守し」、メディアからの容赦のない批判を払いのけ、理性的な政策、つまり、ウィルスをコントロール下で広めさせることによる集団免疫の確立を推進した。今やこの目標には真近にまで迫ってはいるが、これには確固たる信念と肝を据えた忍耐心とを必要とした。
スウェーデンに万歳!正気に万歳!
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これで全文の仮訳が終了した。
この引用記事を読んでみると、著者のマイク・ウィットニーは米国の住人であるだけに、自国のコロナウィルス感染の惨状を毎日目のあたりにしており、致死率を下げながらも集団免疫を確保するには何が必要なのか、スウェーデンは他の国々がとった策とは違って独自の対策を採用して比較的うまくやっているではないかといった米政府の対策に苦言を呈している。彼は焦燥感を覚えているようだ。憤りのようなものさえもが伝わって来る。
著者のマイク・ウィットニーはニューヨークタイムズを引用して、「今何が起こっているのかと言うと、多くの国がスウェーデン様式に同調しようとしているのだ」と述べている。今ヨーロッパ各国は、中国が辿った死者がゼロになるまで都市閉鎖を続ける策は中断して、ピークが過ぎたとは言えまだまだ新規の感染者や死者が毎日のように報告されている現状にあるにもかかわらず、都市封鎖を解除しようとしている。これは経済活動を再開し、諸々の規制を継続しながら、今後かなり長い期間をかけて集団免疫を確立しようという戦略に切り替えたということだ。
ところで、人口100万人当たりの死亡率で各国を比較してみると、米国の最近の死亡率は100万人当たりで319人である。5月10~11日現在のヨーロッパでのトップであるベルギー(747人)やスペイン(569人)の致死率に比べると、米国の死亡率はその半分前後である。絶対数で比べた場合は、人口が多い米国はダントツの状況を示すだけに、感情論に走ってしまうのではないかとも思われる。
参考のためにヨーロッパ各国の死亡率を下記に掲載してみよう。ただし、これはEU圏の全ての国を網羅したものではない。
Photo-1
マイク・ウィットニーはこの記事で成功例としてスウェーデンを取り上げているが、スウェーデンの死亡率はヨーロッパ圏ではトップから6番目に位置している。ところで、スウェーデンの専門家は首都のストックホルムに関しては間もなく集団免疫が確立できそうだと公言している。首都圏では感染が広がって、抗体を獲得した人が順調に増えているということだ。感染が進んでおり、数多くの死者が出ているニューヨーク市でも同じ現象が起こっている。つまり、集団全体としての抗体の獲得が進んでいる。
これらの数値を比較する場合、感染が国内や特定の地域ですでに飽和に近いのか、それとも、まだ人口の半分にも満たないのかによって、死亡率の比較や成功・不成功の議論は意味を成す場合もあれば、意味を成さない場合もある。つまり、中間の時点での比較や議論は難しい。
因みに、今回の新型コロナウィルスの大流行の震源地となった中国の湖北省の死亡率をここで再確認しておきたいと思う。5月10日の時点での累計感染者数は68,134人、死者数は4,512人である。総人口が71,854,202人(注:ヨーロッパと比べると、ドイツの人口よりも少なく、英国の人口よりは多い)であるから、人口100万人当たりの死亡率は63人となる。この死亡率が中国では死亡率がもっとも高いと推定される地域のひとつである湖北省での第一波の結果である。この数値はヨーロッパでもっとも厳しい感染が起こった国々の十分の一のレベルである。しかも、ヨーロッパ各国ではまだ収束したわけではなく、大流行のサイクルが中国に比べて遅く始まったヨーロッパでは死者総数は今後もしばらくは増え続けるであろう。西側の批判者の中には中国政府は正確な数値を報告してはいないと主張しているが、その批判はこの辺りに理由があるのかも知れない。あるいは、そういった批判は中国叩きという政治路線から来た単なるフェークニュースなのかも知れない。
この投稿を準備し始めた時点からはまだ数日しか経ってはいないのに、中国では状況が急速に変化しているようだ。
今回の新型コロナウィルスの大流行の震源地であった武漢では、5月11日の報道によると、地元で新たに5人の感染者が報告された。この日、中国全土では前日よりも3人増加して17人の感染が新たに報告された。これらの新規感染者のうちで7人は海外での旅行が絡んでおり、10人が国内での感染であるという。4月28日以降ではもっとも多くの新規感染者が報告されたことを受けて、この記事は第二波の襲来かと懸念を表明している。
まだ即断はできないけれども、第二波が遅かれ早かれやって来るとすれば、一回目の流行でどれだけの集団免疫を確立することができたのかが非常に重要になって来る。
震源地であった湖北省では免疫の獲得はそれほど進んではいないと専門家は言っている。つまり、都市封鎖策によって大流行をくい止めたものの、集団免疫の確立にはまだまだほど遠いという。つまり、中国の手法はスウェーデンの手法とは大きく違う。ワクチンや特効薬といった治療法がない現時点では感染症と闘うことの難しさを改めて思い知らされる。
5月11日に英国政府は都市封鎖を解除するやり方について60ペ―ジから成る戦略を公開した。その中でジョンソン首相は「ワクチンの到来は1年以上も先のことだ。最悪の場合は使用可能なワクチンは見つからないかも知れない」とさえ述べている。ワクチンは見つからないかも知れないという英首相の発言は、英国民が新しい政府の戦略に従順に従うことを狙ったもので、単なる言葉の綾なのであろうか?それとも、副作用がなく、安全なワクチンの製造はまだ予定表には登場してはいないと本当のことを述べたのか?私には分からない。
何れにしても、引用記事の著者が主張する三つの目標(集団免疫の確立、持続性の維持、死亡率の低減)が重要になってくることは明白であると私には思える。
半年後、1年後あるいは2年後、世界各国のコロナウィルスとの闘いが果たして成功したのか、不成功に終わったのかがより鮮明になることであろう。それまでは一喜一憂の状態が継続することになる。そして、最終的には各国間でそれほど大きな差異は出ないかも知れないという専門家の予測もある。インフルエンザを含めて、ウィルスによる感染症はそういうものなのかも知れない。
とすると、これだけ騒いで、恐怖心を扇動した、あるいは、扇動したと推定されるメディアには何らかの隠された目標があるのかも知れない。しかし、ここから先は陰謀論めいた話になりかねないので、詳細な議論は控えたい。何といっても、それはこの投稿の目的ではないからだ。
要は、事実に基づいて理性的な判断をしなければならないという一言に尽きる。われわれはそのことだけを念頭に置きたいと思う。今後もさまざまな賛成論や反対論が出て来る筈だ。先入観に囚われず、事実を掘り起こす努力を続けたいと思う。特に、現実的な話として、コロナウィルスに関してはわれわれが知らないことや一般大衆が知らされてはいないことがまだまだたくさんあるような気がする。
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