2020年10月7日水曜日

ビル・ゲイツのワクチンがアフリカでポリオを広げている

ビル・ゲイツはマイクロソフト社の会長を務め、世界でもトップクラスの富豪のひとりとなった。その富を活用して、2000年に妻のメリンダと共に「ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団」と称する世界でも最大級の慈善基金財団(注:ウィキペディアによると、財団の現在の基本財産は363憶ドル)を創設し、世界における教育や病気、貧困への挑戦に関わっている。昨今は新型コロナウィルスに使うワクチンの開発に注力していることが広く知られている。

ポリオ(別名で急性灰白隨炎、小児麻痺)はポリオウィルスによって引き起こされ、風邪の症状を引き起こし、最悪の場合手足に麻痺が現れる。感染から発症までの期間は平均で15日。ポリオウィルスは腸内に繁殖するエンテロウィルスの一種で、糞便感染や接触感染によって人から人へと感染が広がる。成人も感染することがあるが、乳幼児の感染が多い。感染者の約0.1%に麻痺型の症状を引き起こす。

日本では1961年にカナダやソ連から輸入されたポリオ生ワクチンが登場し、集団接種を行った結果、ポリオの発症は激減した。日本国内で「野生のポリオウィルス」によるポリオの発症が確認された最後の年は1980年であったという。世界では、今でもアフリカ大陸やインド大陸で流行が続いている(2017年現在)。

しかし、生ワクチンには欠点がある。生ワクチンを接種した人からは稀に野生ウィルスと同様の症状が現れる。日本では約440万回の接種に1件、数年間に1件現れる。

さらには、生ワクチンを飲んだ人の便からは弱毒性のワクチンウィルスが12か月間排泄され、これがポリオに対する免疫を持ってはいない人の口から入ってしまうことがある。多くの場合、その人に免疫を形成するが、稀には、野生のポリオに感染した時と同様の症状を引き起こすことがある。約580万回の接種当たりに1件現れる。

ここまでがインターネット上で今日現在入手可能なポリオに関する一般的な情報である。

つい最近、「ビル・ゲイツのワクチンがアフリカでポリオを広げている」と題された記事に遭遇した(注1)。アフリカではいったい何が起っているのであろうか?

本日はこの記事を仮訳して、読者の皆さんと共有したいと思う。


マイクロソフトの創業者であるビル・ゲイツは彼の財団が新たなワクチンを世界中に広めるために何十億ドルもの金を注ぎ込み、自分自身を世界的な「ワクチンの帝王」にしてしまった。腐敗しきったWHOの背後において新型コロナに対して新たなワクチンを推進するゲイツの役割には多くの関心が向けられているが、ゲイツ財団がアフリカ諸国で推進する経口ポリオワクチンの過去の記録を見ると、ゲイツが喋り、行っていることは純粋に人道的であるとは言い難く、ハッとさせられるような証拠がある。国連は、最近、ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団からの強力な支援によって支えられてきた経口ポリオワクチンによってアフリカで小児麻痺、つまり、ポリオが発生したことを認めたばかりである。1950年代に米国で起こったポリオの大流行を髣髴とさせる。本件は詳細にわたって注目する必要がある。

ポリオを引き起こすワクチン:

ワクチン業界は1950年代に行われたワクチン開発を引用することが大好きだ。第二次世界大戦後の米国ならびに英国やドイツおよび他のヨーロッパ諸国では重症の麻痺を引き起こす疾病がピークを迎え、ワクチン業界はこれを撲滅する責任を負っていた。さて、2016年以降アフリカでは「野生ポリオ」の症例は新たに見られなくなったにもかかわらず、ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団と腐敗しきったWHOの盟友たちは40億ドルを投じ、経口ポリオワクチンを使った10年間におよぶポリオワクチン接種キャンペーンを実施し、このキャンペーンがこの恐ろしいポリオをついに排除してくれたと宣言した。この宣言は8月末に行われたばかりであった。

その一週間後の92日、WHOは前言を翻して、スーダンにおける新たなポリオの流行はチャドやカメルーンにおける一連の新たなポリオの流行と繋がりを持っていることを認めた。WHOによると、アンゴラやコンゴ、ナイジェリアおよびザンビアを含めて、アフリカの十何カ国ではいくつものポリオの発症事例が記録されている。しかし、衝撃的な点がひとつ存在する。これらの流行は(訳注:野生ポリオではなく)すべてがゲイツが支援した経口ポリオワクチンによって引き起こされたものであるのだ。

真実を明らかにするコメントの中で、「グローバル・ポリオ撲滅イニシアチブ」(GPEI)と称されるアフリカの一般大衆に対するポリオ接種キャンペーンにおいてWHOやゲーツ財団と関係を持つ米疾病管理予防センター(CDC)のウィルス専門家は接種した生ワクチンが「野生ポリオ」よりも遥かに多くの麻痺症例を引き起こしていることを認めた。「われわれはポリオウィルスを撲滅するよりも多くの新しい症例を作り出してしまった」とCDCのウィルス専門家であるマーク・パランシが認めているGPEIWHOUNICEF、米CDC、ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団および国際ロータリークラブが合同で推進している事業である。

ビル・ゲイツは既報のごとく液体の経口生ワクチンを開発するキャンペーンに従事し、野生ポリオの症例がほとんど見られなくなったにもかかわらずアフリカやアジアで一般向けに大量接種を実施しようとしている。ゲーツの「ポリオ・イニシアチブ」における国際ロータリークラブからのパートナーのひとりによると、「ゲーツは今試験が最終段階に達している新しいポリオワクチンの開発を個人的に推進して来た。このアイディアが始まった時、つまり、インドにおける最後のポリオの症例が起こった頃のことであったが、多くの人たちはポリオの撲滅においてワクチンが重要な役割を演じることはもはやないだろうと思ったが、ゲーツは執拗に主張した。」誰かが彼に向かって「世界的にほとんど消えて無くなってしまったのに、どうしてポリオなのか」と尋ねると、ゲーツは「ポリオは恐ろしい病気だ」と返答した。 

アフリカでは非衛生的な飲料水や貧弱な医療環境のせいで脱水状態や栄養不足、あるいは、感染合併症を起こすことが多く、マラリアや慢性下痢症といった遥かに深刻な致死性の疾病が現地にはいくつも存在している。彼の返答は実に奇妙に思えた。これらは両者共が「恐ろしい」と私は言いたい。2016年、WHOは慢性下痢症が世界中の5歳以下の子供たちの間では二番目の死因であると報告した。 そのせいでアフリカでは約653,000人もの子供たちが死亡するが、ゲーツ氏や彼の友人たちはまったく別のことに興味を抱いているようである。

アジアやアフリカでポリオが実質的に存在してはいない時にゲーツの財団から支援を受け、新たに開発された経口ポリオ生ワクチンの大量接種をゲーツが推進しようとしている事実については多いに警鐘を鳴らすべきであろう。もしも彼の目標がより多くのアフリカの子供たちが健康的な生活を送れるようにすることにあるならば、簡単な水処理プロジェクトを推進することによって遥かに多くの生命を救うことができるであろう。あるいは、ポリオワクチンにはわれわれが知らされてはいない何かがあるのであろうか?中枢神経系に麻痺を引き起こすことが知られているアルミが補助剤として含まれているのであろうか?あるいは、何らかの別の毒性物質が・・・?

ゲーツ財団は、2018年現在、経口ポリオ生ワクチンを開発し、世界でもっとも貧困な国々を相手に集団接種を実施するために40億ドルを投じている。WHOがパキスタンおよびアフガニスタンでは350,000人の年間死者数が2018年には33人にまで低下したことを報告しているにもかかわらずである。米州や西ヨーロッパではゲーツのポリオプロジェクトが発足する何年も前からポリオの発生はすでに一件もなかった。 

定義で逃げ切る?

本件は、WHOやゲーツおよび企業によっていいように操られて、実に疑わしい言葉の綾のゲームに踏み込んで行くのである。ポリオの症例のほとんどは彼らが提唱した「急性弛緩性麻痺」(AFP)という新たな病名に分類するべきだと彼らは主張し、自分たちの行為を隠ぺいしようとしている。これは身体が衰弱する病態であって、臨床的に見れば、これはポリオと実質的には同一である。しかし、別の名称を用いることによって「ポリオ」の数を低下させることができるのだ。米CDCによると、2017年に18ヵ国で31,500件を超すAFPが記録された。これとは別に彼らが定義するものとして「ワクチン由来ポリオ麻痺」(VAPP)も存在する。ところが、急性弛緩性脊髄炎(AFM)がAFPの亜系であるように、ワクチン由来ポリオや野生ポリオ、急性弛緩性麻痺は臨床的な症状の観点からはお互いに同一なのである。 こうして、学的にはまったく同一の症状を医学的に真面目に聞こえるような新名称を乱立することによって、何らかの操作を行うために巨大な基礎がわれわれの目の前に据えられた。

2012年に「Indian Journal of Medical Ethics」誌に掲載されたニート・ヴァシシとヤコブ・プリエルによる論文は、インドにおけるゲーツ・CDCWHO連合の経口ポリオ生ワクチンの大量接種に関して次のように書いている。「・・・インドでは1年も前にポリオが消えてしまったが、非ポリオ急性弛緩性麻痺(NPAFP)が急増した。2011年には新たに47,500件のNPAFPに見舞われた。臨床的にはポリオ麻痺と区別することはできないが、致死率は2倍も高く、NPAFPの症例は経口生ワクチンの接種数に直接比例している。これらのデータはポリオ監視システムの枠内で収集されたが、ついぞ調査の対象とはならなかった。」

1950年代:

第二次世界大戦後の米国における流行で急性灰白髄炎あるいは小児麻痺と称せられた症例の定義は1950年代に遡り、ジョナス・ソルクによって開発されたワクチンが投与された事例において死亡事例は大幅に低減した。今日、ソルクは医学上の英雄と見なされ、彼の本当の姿は英雄以外の何者でもない。

当時の米国では急性灰白髄炎あるいは小児麻痺と呼ばれる症例の急増は1946年に爆発的に始まった。特筆すべき点は蓄積効果によって危険な毒性を示す、今では使用が禁じられている殺虫剤DDTの存在である。DDTはポリオ・ウィルスを「媒介する」と言われていた蚊や蠅をコントロールするのに「安全」に使用できるとして米国政府によって推奨されていた。急性ポリオの症状を示した子供の詳細な数とそれにマッチするDDTの散布に関するデータはそれ以降政府の記録からは抹殺されたも同然ではあるが、DDTの使用が急速に低下した1940年代後半から1950年代にかけて人のポリオはその症例がまさに鏡に映すように減少して行ったのである。1953年にコネチカット州の医師であったモートン・S・ビスカインドは公共の場で次のように主張した。「大流行となったポリオについてのもっとも明白な説明は中枢神経系の疾患であるという点だ。中枢神経系疾患、つまり、ポリオは実際には政府や産業界によって現在推進されている中枢神経系の毒物を世界中に散布したことによってもたらされた生理的ならびに症例的な兆候に過ぎない。」

ソルクのポリオワクチンはまず1955年に使用された。これはポリオ症例の記録から見れば、流行が収束してから2年後のことである。ところが、巷では新開発のワクチンがこの恐ろしいポリオを退治してくれたのだという話が行き交い、この時系列的な事実関係は都合よく忘れ去られてしまった。 

深刻な証拠が医師やその他の人たちによって米議会に提出され、夏に起こったポリオの流行とその夏に使用され、重金属を含んでいる殺虫剤、つまり、DDTの使用との間の関連性が報告された。しかし、それらの報告は無視された。DDTを無害な殺虫剤として推進することは広範に行きわたり、DDTは無害であると思い込んで子供たちは通りに殺虫剤を散布するトラックの後を追いかけ、プールにさえもDDTが散布された。極めて扇情的に書かれた宣伝が行われ、致死的なポリオは不思議にも昆虫を介して媒介され、DDTはポリオの伝染を抑えてくれるとさえ言った。農民たちは危険な昆虫を避けるために乳牛に何度もDDTを散布するよう指導された。こうして、DDTはミルク製品を汚染した。DDTの使用は1940年代の終わりまでに米国中に広がった。ある人はこう書いている。「心配した親たちは子供たちを守るためにさらに先へと進んだ。親たちはあたかも目には見えないウィルスが子供たちを追い回しているといった恐怖感さえをも覚えて、彼らは殺虫剤をしょっちゅう散布し、殺虫剤で壁を洗って、自分たちの家を無菌地帯に化してしまった。」これはよく聞いた話である。

ソルクおよびロックフェラー:

ジョナス・ソルクと彼の競争相手であったアルバート・サビンのワクチンに関する研究は国家小児麻痺財団(NFIP)、後に「25セントの行進」として知られることになった団体によって資金提供が行われた。ソルクは彼のポリオワクチンは不活性ウィルス(IPV)を含んでいるだけであって、完全に安全であると述べ、1954年に米保健当局を説得した。彼は「彼のワクチンにおいては残存生ウィルスを探知する手順は金がかかり、実施することが困難であるので、この手順は無しで済ませるべきである」と規制当局に思い込ませることに成功したのである。1954年に行われたソルク・ワクチンの実地試験は「米国統計協会誌」によって「実地試験の59%は適切な対照群が欠如していたことから使い物にはならない」ことが暴露された。しかし、同報告書は米保健当局と国家小児麻痺財団によって無視され、彼らはソルク・ワクチンについては1955年の春に行う大量接種のための準備がこれで完了したと宣言したのである。

1955年内にソルク・ワクチンについて警戒すべき結果が現れた。カッター・ラボラトリーズによって製造された彼のワクチンは40万人超の人たちに接種され、そのほとんどは学童であった。日が経つにつれて麻痺を訴える報告が表面化し始めた。このポリオに対する集団接種は1カ月以内に中断せざるを得なかった。1956年の6月、ソルク・ワクチンを接種されたシカゴの子供たちの間でポリオの症例が急増した。国家小児麻痺財団はそのメンバーに宛てて緊急書簡を送り、彼らに「現行のソルク・ワクチンは安全で効果があることを親たち、ならびに、不必要にもワクチンを疑っている各メンバーが所属する地域社会の人たちに強く訴えるよう要請した。」 

ソルク・ワクチンは70,000件の筋力低下、164件の深刻な麻痺、10件の死亡を引き起こした。これらの犠牲者の四分の三は永久的な麻痺に見舞われた。保健、教育および社会保障の大臣らは更迭され、NIHの長官も辞職となった。カッターの事故は政府によって速やかに軽視され、接種はワイエス・ラボ製のワクチンに切り替えられ、21日間の中断の後に再開された。これらふたつのワクチンは両者とも麻痺の症例をもたらした。

ソルク・ワクチンが導入される前の1923年から1953年の間に米国におけるポリオによる死亡は47%の低下を示していた。英国でも同様の傾向が観察された。1955年から1963年にかけてソルク・ワクチンを使用した結果、米国におけるポリオの症例は増加した。つまり、1957年から1958年に50%増加し、1958年から1959年にかけては80%の増加を示した。これは政府がポリオの定義を変えることによって隠ぺいされ、この動きは今日アフリカでWHOCDCが行っていることとほとんど軌を一にする。かっては「ポリオ」として同一のグループに分類されていた疾病がそれぞれ別個の疾病として報告されるようになったのである。これらのグループに含まれる症例としては、ポリオウィルスあるいは稀に起こる脊髄の炎症である横断性脊髄炎やギラン・バレ症候群との区別を行うことが困難な無菌性髄膜炎またはウィルス性髄膜炎が挙げられる。これらはすべてがワクチンに用いられた毒性物質によって引き起こされたのではないだろうか?政府やワクチン業界はそれを究明し、国民に知らせることについては何の興味さえも示さなかった。

最終的に、米政府は、1963年、ソルクのIPVワクチンをアルバート・サビンによって開発され、毒性が軽減された経口ポリオワクチン(OPV)に置き換えることにした。しかしながら、これも、ポリオ生ワクチンであることから被接種者にポリオまたはポリオ様の症状を引き起こした。ソルクは1977年に上院の委員会で証言し、1960年代の初頭以降に米国で発生したポリオの大半を引き起こしたのはサビンが開発した経口ポリオワクチンであると言った。

ロックフェラーの優生学? 

1950年代にソルクと彼の競争相手であるサビンとが行ったポリオワクチンの開発に資金を提供した国家小児麻痺財団は「ロックフェラー医学開発研究所」のふたりの医師によって運営されていた。そのひとりは同研究所で23年間勤務したヘンリー・カム博士であり、もうひとりはトーマス・リバーズ博士であった。

ヘンリー・カムはポリオの大流行の最中であった1951年に国家小児麻痺財団(NFIP)に移った。1953年の5月、カムはNFIPにてポリオ研究部門の部長となった。特筆すべきは、第二次世界大戦中にはカムはイタリアで米陸軍の軍医総監の下で民間コンサルタントとして働き、マラリアを誘発する蚊の対策にDDTを使用する実地研究を進めていたことである。

トーマス・リバーズは1922年からロックフェラー医学研究所の伝染性疾患病棟の責任者であったが、1937年には同研究所の所長となった。国家小児麻痺財団の研究開発とワクチンを諮問する委員会の委員長を務め、彼はカム博士のグループが行うジョナス・ソルクのワクチンに関する臨床試験を監督した。同国家財団はロックフェラーの大規模なポリオワクチン・プロジェクトにマスクをかける役目を担っていたのだと言えよう。 

ポリオの研究者であるデイビッド・オシスキーは次のように述べている。「実際には、最高潮を見せた1940年代から1950年代においてさえもポリオは決してメディアで騒がれているような大流行にはならなかった。当時、その10倍も多くの子供たちが事故で死亡し、三倍も多くの子供たちが癌で死亡していた。ポリオのために用意された特殊な地位は国家小児麻痺財団による喧伝の賜物であって、25セントの行進と称されるキャンペーンは宣伝や資金調達およびモチベーションの発露に最新のテクニックを採用し、恐ろしいものではあるが比較的に稀にしか起こらない疾病を当時ではもっとも恐れなければならない疾病へとその姿を変えさせたのである。国家小児麻痺財団の天才はポリオだけを特別な関心の対象に据えて、他の疾病よりも遥かに恐ろしいものであるとした。」 国家小児麻痺財団はロックフェラーの医師たちによって率いられていた。これはWHOやゲーツがポリオの集団接種キャンペーンを開始する前にポリオがすでにほとんど消滅していたアフリカにおいて経口ポリオワクチンを大規模に接種したゲーツ財団と酷似している。

こうして、優生学に対する心酔との結びつきや危険なワクチンとの結びつきはロックフェラーとビル・ゲーツとの両者を互いに結びつけているようだ。幾つもの観点から言うと、ゲーツはロックフェラーの単なる後継者に過ぎず、ロックフェラーが行った致死的な優生学的手法を継続しようとしている。コロナウィルスにおけるビル・ゲーツの偉大さや彼のワクチンが科学的に優れたものであると認める前に、これらの事はすべてがわれわれに一種のためらいを覚えさせる。

著者のプロフィール: F・ウィリアム・エングダールは戦略上のリスクに関してコンサルタント業務を行い、講演を行っている。彼はプリンストン大学で政治学の博士号を取得し、原油および地政学に関する彼の著書はベストセラーである。もっぱらオンライン誌の「New Eastern Outlook」のために執筆を続けている。

これで全文の仮訳が終了した。

ポリオとDDTとの関係については私は何も知らなかったので、この記事によって多いに啓発された。非常に教育的な記事である。

新型コロナに関しては、このブログで今年の28日以降さまざまな投稿をして来た。半年以上もの長い間、世界は「新型コロナ漬け」の状態に置かれ、それは今も続いている。しかも、何時になったら収束するのかについてはまだ誰にも分からないのが現状である。

しかしながら、大きな構図の中でこの大流行を観察すると、この大流行は「作られた」ものであって、この大流行の危険性はありのままの危険性よりも遥かに過大に喧伝されていたことがわれわれ一般大衆にさえも徐々に分かって来た。これは大手メディアの報道姿勢とは違った行動指針を持ったオンライン誌による情報提供が大なり小なり貢献したのだと言えよう。

コロナウィルスの本当の姿が分かって来た過程は本日ここに引用した記事が伝えている米国におけるポリオの大流行の真相が判明した過程と実によく似ている。驚く程である。そういう意味合いからもこの引用記事の重要性は特筆すべきであると思う。

今後もコロナウィルスに関する情報はいくつも現れることであろう。注目して行きたいと思う。


参照:

1Gates Vaccine Spreads Polio Across Africa: By F. William Engdahl, Sep/28/2020








8 件のコメント:

  1. 仰るとおり,大変啓蒙に富む記事です.読みやすい翻訳ありがとうございます.実家は半農半漁の小村で,父は水産技師で母が薬屋をやっておりました.家庭医薬品販売からの利益より,農業用殺虫剤BHCの販売からの利益が急増したと,母が語ったことがあります.農薬という表現は,この神経毒による害への注意を逸らすための造語なのでしょう.小学四年頃,水田からの水の注ぐ小川で岩名釣りに熱中していたのですが,ある日からこの鮭科の美しい魚が消えたのです.中学の兄はこれはBHC 散布の所為だと指摘しましたが,使用農家は”農薬”という名のクスリなのだから,毒物など入っているわけがないと頑として聞き入れません.しかし能書には小さい文字で”農業用殺虫剤”となっております.蠅や蚊を殺す毒物が成分となっていることは明らかです.村で絶対に農薬を使用しない農家がただ一軒ありました.この農家には小児麻痺の後遺症で左脚が不自由になり,顎の発達も未熟となった中学一年の息子さんがおりました.頭脳優秀なお子さんで,中学を卒業したら,札幌に出し定時制高校に「上げる」のだと自慢げに,”おひかりさん”という新興宗教を信仰するお母さんは,わが母に語っていたことをお覚えております.この宗教団体は”農薬”の使用を禁じておりました.わが母が「なしてBHC買ってけねの」と問いましたら,自分の息子はポリオではない,上手の水田で散布されたBHCの溶け込んだ水を飲んだのが原因だと答えたのです.農家の多くは流水から樋で水を台所にひいておりました.水産技師の父はこれを一笑にふしておりました.膨大な水量の渓流水で十分に希釈され,人体に害はないと言うのです.三年ほど前,サハリンのオハ油田の南にある湖沼地帯でエクソンモービル社後援で調査活動に従事したおり,道端で売られていたツルコケモモを買い食べてみたのです.石油の味がするのです.ロシア人教授の女性に,自分には石油(ロシア語でニエフチといいます)の味がするのだがと訊ねたところ,この辺りの漿果は悉く石油の味がするのだと答えてくれました.なんと砂浜で投げ釣りをして捕獲するカレイの身にも石油の味がするそうです.この地方ではウイルタ民族が鹿を飼養しているのですが,トナカイはこの地域のトナカイ苔を嫌がるそうです.カレイは水を拒否できませんが,鹿は動けますから拒否できるのですね.億万長者がさらに金を欲しがるのも,DDTやBHCの人体内摂取により,知的情的神経系統の機能が阻害されたことによるのではないでしょうかね.

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    1. シモムラさま

      北海道では晩秋の頃に入っているでしょうか。

      コメントをお寄せいただき、有難うございます。しかも、サハリンにおける環境汚染の具体的な状況がどの程度なのかという話は非常に興味深いものがあります。しかも、かなり深刻ですよね。

      環境汚染と言えば、日本はネオニコチノイド系農薬による食品汚染が最大級の問題であると言えるのではないでしょうか。それと並んで、放射能汚染水が垂れ流しとなっている福島原発周辺の漁業資源。また、世界的に見ると、遺伝子操作作物に使用されているラウンドアップ除草剤の残留物質による食品の汚染。これらが子供たちの発達障害の要因になっていると報告されています。日本は大量に米国産の作物や食品を輸入しており、日本の食卓に欠かせない豆腐の原料はほとんどがグリフォサートで汚染された米国産大豆。これらは環境ホルモンのように超微量で健康被害を引き起こします。今後の若い世代、ならびに、次世代への健康被害が非常に心配です。

      科学的な調査報告はすでにかなり出回っています。それは素人のような私にもさえも言えることです。

      しかしながら、こうした課題がなかなか政治課題に登場しては来ないのが現実です。まさに「金儲け優先」が事態を悪化させているのだと言えるでしょう。科学が商業主義にハイジャックされて久しいわけですが、この状況は遅かれ早かれ破綻するのではないかと決して楽観的にはなれません。



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  2. ご返信感謝もうしあげます.私にはフクシマ事故による土壌汚染と海洋汚染で日本は間もなく崩壊するのではと怖れております.最近日本で『世にも奇妙な人体実験の歴史』(Smoking Ears and Screaming Teeth, Trevor Norton)を買い,巣籠の時間を読書にあてておりました.ルーマニアはワルシャワ機構に加盟しておりましたから,ソ連北方艦隊の原潜乗組員についての一口噺をご存知かも知れません:「原潜乗りのベテランはすぐ分かるよ,裸になると暗闇でほの白く発光するんだよ」.これは実際に起こったことを上記書物から知りました.同訳書pp.193-94. 「この夜光塗料は,ラジウムにクリスタルの微粒子と甘い味のするアラビアゴムを混ぜたものだった.(アメリカ軍人の時計はすべて夜光文字盤付きのもので)文字盤の数字や針に夜光塗料を塗るのは細かい作業だった.…女工たちは筆先を唇で拭って…一日に二百五十個の文字盤に塗料を塗る作業をこなしていた…。女工たちの顎に異変が起きていることに最初に気づいたのは歯科医だった.1925年に工場住み込みの医師が死亡し,…彼の骨は強い放射能を帯びており,暗い場所で感光板の上に置いておくと骨の写真が撮れ…。その後まもなく,女工の一人が入院した.彼女の呼気にさえ放射性物質が含まれていた.…中には,暗いところで自分の体が発光していることに気づいておびえる女工もいた.原発周辺の敷地内には黒色のバッグに汚染水を溜め,百万頓もの放射性液体を密集させて保管しております.あれプールに空けたならば,夜は発光して正に”蛍雪”となるのではないでしょうか.もうポーランドの森やカルパチア山脈の高地草原ポロニーナが恋しくなりました.第二の故郷ではなく墓所の地ですから.

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  3. シモムラさま

    この夜光塗料を扱って軍人用の時計を作っていた女工たちが放射能に被爆した話は私も何処かで読んだことがあります。

    今、ポロニーナの丘陵地帯の写真を眺めています。広大に広がった、豊かな自然ですよね。秋の景色とか雪に覆われた風景は抜群です!しかしながら、「墓所の地」とは何か特殊な、歴史的な出来事があってそう呼んでいるのでしょうか?

    「巣籠り」は予想を超える長期間になっていますよね。当地では12月に入ると、通常、日本人会の会員が集まって忘年会が開催されるのが常ですが、現状から察するに今年は忘年会そのものを忘れなければならないのかなという感じです。どうなることやら・・・




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  4. 「墓所はかしょ」とは私の将来眠る個人墓の墓碑のことであります.五十九歳で退職し,家族と常時ポーランドで過ごすようになりました.ヘンリーライクロフトのように散歩では墓地に入ります.日本の墓所の俗悪さはなく,質素な墓碑も多く,休むための椅子まで設えてあります.ルーマニアもそうでしょうね.家族三人で南部の Bieszczady ビエシチャドィのポロニーナに登りました.谷間谷間に先住民が放棄した墓碑があり,きまって盤面にはこの地方で釣れる”欧州岩魚”のレリーフが彫られてあるのです.十字架には,十字のものも,八端十字のものもあります.私はキリスト教徒なので,家内にはこのような墓碑のもとに葬ってしいと言っておいてあるのです.これを聞いてなぜか家内は,「安心した」と言っておりました.本心では,シベリアのほうが好ましいのですが.小生嘗ての勤務先のソ連邦科学アカデミー人類学民族学博物館の日本関係展示室には,当時のサンクトペテルブルクで客死された,人類学者坪井正五郎の位牌が展示されていました.同地で急づくりされたもののようです.伊語を話す家内はルーマニアが好きで,学生時代友人たちと汽車でいったそうです.列車が入境すると,裸足で子供たちが集まってきてくれた.私が「貧しかったから裸足なのか」と問うと,否,ポーランドでも田舎では子供は裸足で歩き回っていたとのこと.丈夫に育つのだそうです.

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    1. シモムラさま

      墓地の話はこういうことだったんですか?そこまでは考えてもみませんでしたので、当方は何らかの歴史的な話なのかなと勝手に想像していた次第です。
      私の場合は娘には一度話しましたことですが、私の希望としては私の遺灰は川に流してもらうことにしています。ドナウ川からやがては黒海へたどり着き、地中海へ出て、大西洋へ出ることでしょう。そこから先日本へは2年程で到達します。この2年という数値は海洋の汚染に関する記事で咳中に汚染が広がる年数として読んだことがあります。意外と短時間で世界中のどこにでも到達してしまうようです。しかしながら、黒海や地中海はまったく別の話。黒海を出るまでに何年かかるのかは分かりません。多分、何十年でしょうね。地中海の場合は水が全量入れ替わるのに75年はかかると言われていますから、黒海の場合も大なり小なりそれと似たような年数かも知れません。まあ、そんな事を時には考えながら生活している次第です。私の家内は昨年亡くなりましたが、彼女の遺灰はいずれは故郷の町へ運んで、そこで野原へばら撒くことが彼女の遺言です。所有していた墓地は親戚のひとりに贈与しました。
      ところで、黒海へ海水浴に行った際、道路端で休憩していた小学生たちの一団と会ったことがあります。チェコだったかポーランドだったか今となっては定かではありませんが、当時は夏休みになると内陸国から黒海のママイアまで何日もかけてバスでやって来ていましたよね。これはもう40数年前のことですが、ヨーロッパではこんな風に子供の頃から外国へ出かけることが日常の生活の一部であることが鮮明な印象として残っています。

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  5. ご返信ありがとうございます.奥様を亡くされて,まだ間もないのですね.心よりお悼みもうしあげます.「ドナウ川からやがては黒海へたどり着き、地中海へ出て、大西洋へ出ることでしょう。」の文章を読み,大学時代に読んだ劇画『汗血のシルクロード』(作:佐川美代太郎)の一節を想起いたしました.主人公二人が砂漠に斃れる場面に,”伏水江をなさず”(砂漠に浸み込んだ水は河となって地上に現れることはない)というものがあったのです.彼は死を目前にして,「己の遺骸は地中に融けこみ,やがては河として地上に湧き出て,やがては海に注ぐだろう」,と語る友に,一方の友はこの章句で応えるのでした.1939年12月12日の未明、北海道猿払村浜鬼志別沖合で,マガダンからウラジオストクに向かう囚人護送船インディギルカ号が座礁横転しました.男たちは真冬の海を泳ぎきり,村民宅へ助けを求めてきました.戦後,救助にあたった神(”じん”と読みます)さんの子孫の方が私たちの家に泊まったことがあります.酒が入るとともに私たち子供にも悲惨な遭難の様子,勇敢な救助の様子を話してくれました.怖ろしかったですね.その晩は眠れず,一晩中母に抱いてもらいましたね.長じてレニングラードの研究所で勉強しておったとき,極北民族専攻のサーシャと親しくなり,お宅に招かれて野外調査のアルバムを見せていただいたのです.開きにした魚を木造の家の壁にかけているものがあり,観察したところ,遠景の大河に気がつきました.インディギルカ河と直感しました.因縁を感じました.シベリア文化地理学のKK先生の講義で,ポーランド人地理学者のヤン・チェルスキーが確かこの近辺で結核悪化により斃れ,その場に葬られたことを教えられていたので,サーシャにそのことを訊ねました.インディギルカ河ではなく,隣のコルィマ河の支流オモロン河だと分かりました.そして彼はその写真をも見せてくれました.河口は東シベリア海に開いているとのこと.感動しました.ゴルバチョフ以来シベリアでの研究調査は容易になりました.それぞれの旅ごとに,自分が客死したならば,チェルスキーのようにシベリアのどこかの河に遺灰を溶かして欲しいと思うようになりました.家内には絶対に教えていませんが.もう七箇月ほどを日本で暮らしておりますが,母国の疲弊の凄まじさには悲しいものがあります.あらゆる食品が以前の七割ほどに量が減っているのです.ウインナーソーセージなどは空気で膨らませたビニル袋に入っているのです.遠くから見るとこの食品の山があるように見えるのです.チーズも容器の七割ほどになっております.唖然とします.フクシマ事故の所為ですね.あと数万年これが続くのです.この時間の長さは,人種の分化が確立していった長さです.フクシマ沖で泳げるようになったとき,日本人種はどのような顔つき体つきの人種に変化しているでしょう.暗闇で薄っすらと発光しているのではないでしょうか.

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  6. シモムラさま

    日本での生活がもう7カ月ですか。さまざまな不便がおありだろうと思いますが、くれぐれもご自愛願いたいと思います。当地ではコロナ禍によって他国と結ぶ商業航空便が閉ざされたままです。ヨーロッパではコロナの影響は国によってその程度が大きく異なっています。
    当地、ブカレストでは秋も深まりつつあります。今日はにわか雨、気温は20度Cとの予報。今週は20度前後のようです。

    福島原発事故後の日本は政治だけではなく経済が大きく疲弊しました。政界や経済界はその疲弊振りを隠ぺいし、うわべを繕うことに多忙を極めてきました。ご指摘のように、この隠ぺい政策は今後何万年も継続しなければならない。新たな基準による新たなスタイルの通常生活が延々と続くことになります。シモムラさまが言うところの数万年後の日本人の風貌は今とはまったく違うことでしょうね。日常生活を取り囲む自然放射能のレベル、宇宙から降り注ぐ紫外線や宇宙線の強度、多くの化学物質に汚染された食品、大気中の成分構成、気温、等、あらゆるものが想像を絶するほどに変っているのではないでしょうか。さまざまな新しい条件に順応した人類が幸いにも核戦争による絶滅を回避し、生きながらえているとしたら、その人たちはどのような容貌や特性を持っているのか・・・、実に興味深いテーマです。数万年の間に人の皮膚の色や体格が大きく分化した事実を考慮すると、今後の数万年による変化も決して小さくはないでしょうね。壮大なSF小説になるかも。一冊書いてみませんか?

    ところで、昨晩のニュースによりますと、米ロ間の核軍縮合意が成されたとのこと。中国もこの合意に参画することがトランプ側の条件だそうです。核軍拡が野放しのままに放置されるのに比較して、少しは安全な世の中になることを願っています。しかしながら、次世代の存続を実現するために必要となる核兵器の廃絶を考えますと、その道のりは気が遠くなるほど長く、気を緩めることは決してできません。

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