2022年3月27日日曜日

地下室で8年 ― 戦禍に曝されたドンバス市民の運命


日本では数多くの一般市民がウクライナに同情を寄せている。と同時に、ロシアを侵略国扱いにしている。この構図は224日という瞬間とそれ以降の状況を捉えると必然的にそうなる。戦禍を逃れてポーランドやルーマニアへ避難する女性や子供たち、ならびに、年配者の姿を見たら同情心に駆られるのは人間として当然のことである。

しかしながら、224日以降の数週間だけを取り出して顕微鏡で覗いてもこの問題の真の姿は見えてこない。最近の数週間と比べ、224日以前の8年間、つまり、400週間余りは何処へ行ってしまったのだろうか?大手メディアは過去8年間の状況については何も伝えようとしない。これでは不公正である。これは大問題であると言える。真の姿を見ようとしないことは日本にとっても、西側世界全体にとっても大きな間違いであり、大きな不幸である。

ウクライナのゼレンスキー大統領が日本の議会でビデオ演説を行った。NHKは彼の演説の全文を公開し、岸田首相を始めとする政界の9人の重鎮がどうそれを受け止めたのかを伝えてくれた。政治家たちがゼレンスキーの演説をどう受け止めたのかに関する私の印象は極めて悲観的である。誰一人として個人的に感じたことを喋ってはいないというのが私の印象であった。政治家とは政治的な建前を美辞麗句を駆使して如何にうまく喋るかが彼らの仕事であることを思うと、この状況は当然のことかも知れない。個人的な思いはどこかに抑え込まれてしまう。老いも若きも、男性も女性も、何処か遠くの方から出て来る命令に背かないように喋っているだけだ。自分の声を失ってしまった日本の政治家たちは自分の本当の姿さえも自分には見えていないようである。そんな風に私には見えた。

日本は今集団ヒステリー状態に陥っている。そして、西側世界全体もそうだ。

ここに「地下室で8年 ― 戦禍に曝されたドンバス市民の運命」と題された記事がある(注1)。

本日はこの記事を仮訳して、読者の皆さんと共有したいと思う。ドネツクやルガンスク地域の一般市民が過去8年間に味わってきた苦難や恐怖、精神的ストレスについて詳しく学んでおこう。

***

MOSCOW発、323日、RIA Novosti, Maria Marikyan

「ロシアへ行く機会があるけど、行く?」と聞かれ、ドネツクの最前線地域に居住するインナ・セメノヴァはほとんど即座に快諾した。脳性麻痺を患っている娘と一緒に住んでいた私はもう耐えられない程になっていた。ドネツク共和国(DPR)とルガンスク共和国(LPR)からの集団疎開が始まってから23日して深刻な病を持った子供を連れた母親たちはモスクワの専門病院へ招じ入れられた。過去8年間、彼女らはどんな経験をしてきたのだろうか?RIA Novosti が所有する記録を覗いて見よう。

「私たちは慣れっこになってしまった」:

2014526日のこと。今も覚えている。軍用機がわれわれのところへ飛んできて、ドネツクを爆撃した。パニックに陥って、周り中は泣き叫ぶ声で一杯だった」とインナは言う。彼女の家はペトロフスキー地区にある。あの時以降、地下室へ行くことに慣れ切ってしまっていたが、頭上を飛び越していく砲弾で、依然として痙攣状態が引き起こされる。

「私の母はドネツク空港地区に住んでいた。あの辺りでは激しい戦闘が起こったので、彼女は私の娘の所へやって来た。しかし、ここも安全ではない。2016年に砲弾が隣家を直撃し、窓や窓枠は・・・これらはむしろ些細なことなんだけれど、一番大事なことは皆が無事だったことだわ」と言って、セメノヴァは溜息をつく。

Photo-2: ドネツクのペトロフスキー地区の町外れにある家は砲撃を受けて焼け落ちた。© RIA Novosti / Sergey Averin

彼女の11歳の娘は脳性麻痺を患っている。2014まで彼女は定期的にリハビリ治療を受けていた。そして、戦争になって中断となった。「彼らは砲撃を続けた。だが、家から大慌てに逃げ出すことはしなかった。草花が降ってくるのが窓から見えたら、それは直撃であることを意味した。特別措置が必要な子供にとってはこれは実に大きなストレスだわ」と女性は言う。

今、インナと彼女の娘はクラスノゴルスクの「ソズヴェズディエ」センターに居る。これらの子供たちは治療を受け、勉強をしている。子供たちと母親たちは221に日にバスで送り届けられることになった。総勢は50人、子供たちは28人。

「一日以上も走った」とマルガリータ・セリシチェヴァは思い出す。出発する前の数日、砲音はより激しくなった。皆が混乱状態にあった。正直言って、全員が避難することになるなんて誰も考えてもみなかった。テントでのキャンプ生活やサナトリウムで身を寄せ合うことは私たちの選択肢ではなかった。ふたりの子供が脳性麻痺で、二人とも特別な治療が必要であった。私たちは決心した。どんなことが起こっても自宅に留まると。しかし、特別ながん治療が提案された時、もちろん、彼女はそれを拒むことはなかった。

Photo-3: ロストフ地区への疎開のために「ドネツクー2駅」に集まったドネツク共和国の住民たち。© RIA Novosti / Sergey Baturin

ドネツクでは誰もがそうであるように、マルガリータと彼女の子供はサイレンが鳴る度に地下室へ駆け下りる。それに慣れっこになって行った。ふたりは廊下に非難する。窓は爆発の衝撃で窓が破壊されることがないように通気されていた。

「私たちは市の郊外に住んでいる。エレノフカの近くだ。彼女の夫の側の親戚がある。しょっちゅう停電になったり、水道が止まったりする。水道や電気は間もなく復旧するが、またもや攻撃が繰り返される。私の義理の母は3年間も地下室から去ろうとはしなかった。彼女は癌で亡くなったわ」とセリシュチェヴァは肩をすくめて言う。

彼女の夫は戦争の前は鉄道修理工場で働いていた。2014年、彼は解雇された。彼はマッサージ師の資格を取り、ジムでトレイナーとして働くことになった。彼とは特別なコネクションはなかったが、彼は動員された。だが、彼女はどちらかと言うと最善の状況を信じる方である。「結局、悪いニュースが真っ先にやって来るものよ。」

Photo-4: インナ・セメノヴァとマルガリータ・セリシュチェヴァ。© Photo : Maria Marikyan

デバルツの大釜:

アナスタシア・デミアンは17年間旅客機の乗務員として働いていたが、2014年、多くの同僚たちと同様に職場を失った。それ以降、彼女は身体不自由者に対する年金を支給されている自分の息子と住んでいる。12歳の息子のイーゴルは自閉症だった。「彼は4歳の時に歩き方を覚え、喋りだした。そして、戦争。リハビリ治療は中断されてしまったの」と彼女は言う。

彼女の家はドネツク空港の近くにあった。その場所は安全ではなく、母と息子は2015年の冬ヴーレヒルスクに住んでいるお婆さんの家へ引っ越した。われわれは「デバルツ大釜」(訳注:ウクライナ軍はデバルツエボでDPRLPR軍によって三方から包囲され、多くの死者や負傷者、行方不明者を出したことで知られている。この包囲状態を「デバルツの大釜」と称する)に入ってしまった。ウクライナ軍が敗走した後、デバルツボとその周辺地域はDPRの支配下となった。

Photo-5: アナスタシア・デミアン。© Photo : Maria Marikyan

「われわれはヤナキーエフへ避難した。3月にはすべてが鎮静化したので、私はヴーレヒルスクの家を偵察しに行った。私たちが使っていたガレージと台所は破壊されていた。ガラクタを自分で整理した。男たちは誰も居なかった。ある者は戦場へ駆り出され、また、ある者は稼いでいた」とアナスタシアは言う。どうにかこうにか修理をした。完全に飢餓状態になったというわけではなかった。庭先には野菜があって、何とか凌ぐことができた。

デバルツボの大釜について18歳のカーティアはよく記憶している。彼女は両親と寝たきりのお婆さんと一緒に住んでいた。軍隊が家から2030メートルしか離れていない所にあって、自走多連装ロケットシステム「グラド」の轟音で壁が震えた。

Photo-6: カーティア© Photo : Maria Marikyan

「砲弾が隣家に落下し、我が家の庭へも落下した時、われわれは叔母さんが住んでいる市の反対側へ引っ越した。砂嚢を積み上げて、バンカーを作ったわ。われわれはこのバンカーの中に座っていたが、やがて実家へ戻って来た。その一日後、武器倉庫に砲弾が飛んできたの」と少女は言う。

爆発や機関銃の音が雷鳴のように轟き渡り、通りを埋め尽くしていた。家から離れることは実に危険だった。「人道回廊が宣言された当日、40度弱の熱がありながらも私は出て行った。解熱剤は持っておらず、冷やしたぼろ切れで何とか私は救われた。有難いことにわれわれは脱出することができた。われわれを運ぶバスの中には医者が居て、その医者が私の熱を下げてくれたの。」

Photo-7: ドネツク地域のデバルツボ市におけるウクライナ軍の砲撃によって引き起こされた破壊の状況。保管写真から。© RIA Novosti / Igor Maslov

われわれはヤナキーヴへ行った。そこには私のお婆さんの家がある。後になって、デバルツボの家は跡形も無くなっていることが分かった。高層のアパートに部屋が与えられた。時間が経って、状況は改善して行った。カーティアが15歳だった頃、私はドネツクへ引っ越し、法学部へ入学した。今春、私は卒業証書を貰えることになっていたが、またもや、戦況が悪化している。

カーティアの両親とはクラスノゴルスク行きのバス乗り場で出会った。私の娘は出発したが、カーティアの両親は残った。「12歳の娘のリマの面倒を見ているの(編集者の注:子供の名前は別名にした)。私たちは家族でお付き合いをしているのよ。ここではよく一緒になるわ」と、彼女は微笑んで言った。

彼女の父親は招集されていた。近年、彼は寝たきりの母親の面倒を見、彼の妻は家族を支えるためにいくつかの仕事をしていた。カーティアは実家のことを懐かしく思うが、ロシアへの移住を夢見ている。「われわれには何の見通しもない。でも、私には計画がいくつもあるの。もうこれ以上は要らないわ。」 

Photo-8: カーティアとリマ。© Photo : Maria Marikyan

「もう怖くはない」:

ヤナキーヴの近くの住民も酷い被害を受けた。201492日、8歳のアンドレイ・ドミトリエフは散歩から帰宅する途中だった。砲弾が近くに落下した時、彼には玄関へ駆け込む時間がなかった。

「私は直ぐに屋外へ飛び出して、辺りを見回した。一方には足を切断された友達が転がっており、もう一方には私のアンドリューが血まみれになっていた」と、少年の母親、リナは回想する。涙が目に溜まって来る。「直ぐに民兵が駆け付けてきて、救急車を呼んでくれたわ。」

Photo-9: 2014年、手術後のアンドリュー。© Photo : Photo courtesy of Lina Dmitrieva

アンドリューはシュラップネルの傷を何カ所にも負った。背骨にも傷を負い、これが膝から下を麻痺させた。彼は10回以上もの手術を受けた。ドミトリエフ一家は民間の家へ引っ越した。その高層の建物にはエレベーターがなかった。

リナの夫は徴兵されていた。ふたりの子供と一緒に彼女はソズヴェズディエ・センターへ行った。その間ずっとアンドレイは著名なG. N. Speranskyの名前を冠した市立小児科病院に入っていた。少年は腰骨に問題を抱えていた。医師たちは手術を行う前に彼の病状を安定化させようとしていた。

「ここにはそれ程立派な神経外科医はいなかった。とにかく、ここにじっとしていることにしたの。もちろん、私は家へ帰りたい。私たちは心配だった。特にマリウポールのことが。あそこには親戚や知り合いが居るわ。未だ何のニュースもない」と言って、女性は溜息をつく。

Photo-10: G. N. Speranskyの名前を冠した国立病院No.9に入院中のアンドレイ。© Photo courtesy of Lina Dmitrieva

「もう年数は数えないの?」:

工作員グループがDPRLPRに侵入してきた。「私たちが出発する日の2~3日前のことだったが、10代の少年たちのグループが捕まった。最年長が17歳で、最年少は14歳」とゴルロフカ在住の18歳のパヴェルは言う(編集者の注:彼の要求に基づいて、名前は実名ではない)。

同僚と一緒にとある玄関先を通り過ぎようとすると、そこは土埃に覆われており、周りには雑草が生い茂っていた。二個の破壊性手榴弾があった。同僚が近くの部隊に連絡し、現場は速やかに立ち入り禁止にされ、発見物は無事に処理された。「2017年には、アンテナ付きの小包をアパートの建物に置いている女性が捕まった。その場所へ砲弾が飛んできた」と若者は具体的な話を続ける。

Photo-11: ヴォルノヴァハ地区のノヴォトロイツケ村の路上に設置された地雷の警告標識。© RIA Novosti / Ilya Pitalev

地雷の安全な取り扱いについて地域住民は積極的に訓練を受けた。それでもなお数多くの犠牲者が発生する。多くは子供たちだ。2018年にパヴェルはパトロンだと思って何かを拾い上げた。爆発!左手がちぎり取られてしまった。シュラップネルのせいで片目を失明した。

私がソズヴェズディエにやって来るのは初めてではなかった。ここではすでにリハビリ治療を受けていた。私は生体工学的義手を求めてやって来た。何年も経った今でもスポンサーを見つけることができた。友人たちはホロリフカに留まっていたが、この街には依然としてウクライナ軍からの砲撃が続いている。

パヴェルの母は2014年を奇跡的にも生き延びることができた。彼女はパンを買いにでかけて、「グラド」からの砲撃に遭遇したのである。幸運にも、彼女はすべてに恵まれていたと若者は詳しい話をする。彼は自分の兄のことを心配していた。兄は陸軍に徴兵され、彼はイロヴァイスクでの戦闘に参加し、そこでは戦闘が始まったばかりであったが、彼は目を負傷した。「夕方の6時頃になると、夜盲症の兆候が現れてくる。このことが考慮に入れられて、兄は激戦区へ送られることはなかった。」

パヴェルは出来るだけ早く実家へ戻りたいと思っている。そして、その後彼はホルリフカから離れることはないであろう。

Photo-13: タチアナとエヴェリナ。© Photo : Maria Marikyan

ドネツクに住むタチアナはすべてが鎮静化するのを待っている。彼女の娘は脳性麻痺を病んでいる。ふたりはソビエト時代に建てられたアパートに住んでいる。地下室があるが、住むための設備は特にない。「砲弾が降ってきたら、その地下室へ逃げ込む。他の場所へ避難するのは安全ではない。娘を連れていったい何処へ行けって言うの?」二人は地下室の廊下へと避難する。必要な物品や文書を入れた「緊急用スーツケース」を常に準備し、玄関ドア脇の目立つ場所に置いている。

「ウクライナでは母親や子供たちが苦労を強いられているのを見ると私の気持ちは張り裂けそうになるわ。でも、そんな状況がもう8年にもなるのよ。今や年数は数えないの?私たちの母親や子供たちが亡くなっているのに、誰もが静かなままで、自分が行動をおこさないことについて言い訳を探そうとしている。これはどうして?」とタチアナは不思議に思う。

DPRLPRからの客人たちは状況が安定化するまで必要なだけこの医療センターに留まるであろう。実家から離れて暮らすことなんて誰も望んではいない。そして、子供たちには平和な生活に戻る機会がやがてやって来るだろうと皆が信じているのだ。

Photo-14: ドネツクにある「天使たちの小道」に捧げられた花や人形。© RIA Novosti / Igor Maslov

***

これで全文の仮訳が終了した。

ここに収録されたエピソードはどれもがウクライナ紛争が一般市民にもたらした苦難を雄弁に物語っている。21世紀における最大の不幸は、西側の主要メディアはこういった事柄を報じようとはしない点にある。あたかも報じる必要が無いかのように彼らは振る舞っている。そして、現実にはこれらのエピソードの他に何千もの案件があるのにもかかわらず、それらは誰の関心も引かず、今日もまた放り出されたままとなっているのである。

ウクライナ政府が8年前に引き起こし、今も続けているドンバス地区におけるロシア語住民に対する差別や虐殺の行為は誰が見ても言語道断であるとしか言いようがない。

マリウポールでの戦闘は、報道によると、いよいよ終わりの段階に入ってきた。つまり、ネオナチを標榜するアゾフ大隊による支配からマリウポールが完全に解放される日が近づいているのである。325日、マリウポール市役所の屋根にDPRの国旗が掲揚されたらしい。ロシア軍が設定した人道回廊を通って市内から脱出する市民の数が増えている。多くの脱出者たちはアゾフ大隊が今まで行って来た暴力、抑圧、人間の盾として民間人を使用すること、拷問、レイプ、虐殺、居住区に対する砲撃、狙撃、等、を例に挙げて、非人道的な行為について証言している。

ところで、このブログのコメント欄ですでにお馴染みとなっている方々の間に「kiyoさん」という方がいらっしゃいます。この方のブログには貴重な情報が掲載されています。まだご覧になってはいない方は是非とも下記の記事を読んでいただきたいと思います[MO1] 

「ウクライナはナチの巣窟」
https://quietsphere.info/ukraine-is-a-nazi-den/

 

参照:

1"Eight years in basements": the fate of people affected by the war in Donbass: By RIA Novosti, Mar/23/2022

 



32 件のコメント:

  1. 紹介していただき、ありがとうございます。
    今、2019年の記事ですが、SBU(ウクライナ治安局)の元中佐、ヴァシリー・プロゾロフ氏が、MH17からキエフによる拷問の使用、ドネツクおよびルガンスク人民共和国(DPR、LPR)の司令官暗殺に至る、ウクライナとドンバスに関する大量の情報をメディアに公開したという記事を訳しています。フランス語の記事しかなく”苦闘”してます。出来上がったら、投稿させていただきます。
    https://www.donbass-insider.com/fr/2019/03/26/ex-agent-du-sbu-revelations-sur-le-mh17-lusage-de-la-torture-etc/

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  2. kiyoさま、
    楽しみにしています。

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  3. ブログ主様 大分の翻訳感謝申し上げます。実に悲惨ですね。しかしロシア人らしい忍耐力のお蔭で生き残ったのでしょう。
    ”「ソズヴェズディエ」センター”のソズヴェズディエとはсозведие 「星座」のことです。”多くは子供たちだ。2018年にパヴェルはパトロンだと思って何かを拾い上げた。爆発!左手がちぎり取られてしまった。シュラップネルのせいで片目を失明した”のパトロンпатронとは「空薬莢」のことだと思います。空薬莢に綺麗な色を塗ったり、色リボンを薬莢口に差し込んであります。実は、薬莢内には無煙火薬が3グラムほど潜まされてあり、マッチの軸木の尻にリボンを結んでおき、それをマッチの頭薬を先にして、先の火薬の詰まった空薬莢に挿入し、マッチ箱の擦り紙を細くきり入り口に紙か何かで塞ぎます。おもちゃに見えるので左手に握り、綺麗なリボンを引き抜くと爆発するのです。拳銃弾の薬莢は先が絞られていませんから、爆圧はスッポ抜けますが、機関銃弾や機関砲弾の薬莢は、熱で膨張した空薬莢がスムーズに排莢されるよう、先が絞られています。それで爆圧は胴体部に加えられ、真鍮薬莢はシュラップネルшрапнель榴散弾(破片のこと)として、掌を吹き飛ばし、目に食い込んだのです。これは小生がイラク戦を題材にした軍事小説で知ったことです。ナツィストは子供を殺戮するのが”生き甲斐”です。

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    1. 前便созведиеはсозвездиеが正しい。すみません。「爆圧はスッポ抜けますが」については、火薬量によっては破裂するようです。

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    2. シモムラさま、
      「パトロン」の件、詳しい解説を有難うございます。パトロンとは何かについて十分な調査もできずに投稿しましたので、読者の皆様と共に大助かりです。感謝です!

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  4. h
    1 https://www.youtube.com/watch?v=44mGlQ3Q4wI 
    «О тех, кого помню и люблю» — фильм о Великой Отечественной войне.

    ブログ主様 1は海岸に埋設された地雷を除去するための、女性志願兵の訓練と実務を描いた映画です。сапёрは「工兵」ですが、多くの場合「地雷開鑿工兵」を意味します。映画の時間軸5:30で少尉に昇進した主人公が少佐とともにウォッカを飲み込んだあと、黒パンを鼻に嗅がすシーンがあります。これは火酒の灼熱感を和らげる仕草です。これを衒いなく、優雅にできると一人前のムジークмужик男ですね。ラストシーンはПобедаパベーダ「勝利」を告げる場面であり、例のПращание славянкиプラシチャーニエ・スラヴャンキ「スラブ女の別れ」が流れます。

    2 https://www.youtube.com/watch?v=Imc1pAPpXr8
    Военные Фильмы БЕЛАЯ ВДОВА Русские военные фильмы 2018
    2も地雷除去女性志願兵を描いたもの。夫の戦死公報を受け取った未亡人(ロシアでは黒服を纏う)が給料欲しさに志願するのだが、地雷開鑿工兵の大尉と深い仲になります。彼は脱走兵で身分を騙っています。その後に戦死したはずの夫が生きて戻ってきます。偽大尉と帰還兵との間に争いが起こり、”白服の未亡人”は地雷原に踏み込み、跳躍型地雷の線を誤って引き抜きます。さあ、結末は実物をご覧ください。ロシア映画は、実に丁寧に作られ、演技も自然で、そして人生を深く考えさせてくれます。

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    1. シモムラさま、
      地雷工兵の映画を紹介いただき、有難うございます。今、最初の映画を観終わったところです。地雷の探索はロシアでは女性の志願兵が行っていたんですね。ロシアの戦争映画を観ると女性の活躍が広く描かれていて、戦闘機乗りであったり、狙撃兵であったり、何であっても一級の仕事をする。日本ではなかなか見られない!

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  5. ニュースがひどいです。ロシアが住民を連行していると言ってます。このまま嘘を貫き通すのでしょうが、メディアの力は圧倒的です。悔しいけれど、発信し続けるしかありません。冷静に、冷静に。いずれ、意外なところからほころび始めるかもしれませんね。
    「元ウクライナ治安局諜報員、ネオナチの実態を暴露」
    https://quietsphere.info/exposing-ukrainian-neo-nazis/

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    1. kiyo様 じっくり拝見しました。大きなお仕事をなされた。感謝申し上げます。

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    2. kiyoさま、
      ただ今拝見しました。貴重な情報を有難うございます。感謝です!

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  6. 追加情報:

    ロシア兵捕虜に対する拷問に関して国連事務総長特別代表が指摘:
    国連事務総長特別代表を務めるステファン・ドウジャリックは、彼自身はまだウクライナで起こったロシア兵捕虜に対する拷問に関するビデオを見てはいないが、戦争捕虜に関するジュネーブ協定を順守することの重要性を指摘した。
    詳細については下記をご一覧願います:”The UN reacted to the video with the atrocities of the Ukrainian military” by Russian Spring, 28.03.2022.

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  7. ブログ主様 ショイグー国防相が特殊軍事作戦の第一相は達成されたと言明しました。マウリポリも解放され、捕虜のナツィストが通りを歩かされました。これら傭兵には、軍人の品格が感じられません。チェチェンの戦闘員が入ってすぐに、この戦果があがりました。次はじっくりとキエフ攻略ですね。

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  8. シモムラさま、
    最近の私からの二つのコメントを駆除しました。内容はイスタンブールで行われたロシアとウクライナの交渉団に関するものです。錯綜する無数の情報の中で、私は自分の個人的希望によって目の出来事に対して盲目状態にあったと実感し、それらを削除することにしました。残念ながら、これではブロガーとしては失格ですね!

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  9. ブログ主様 Русская Веснаに「悪名高いウクライナ女性狙撃手」をドンバスとロシア軍の戦闘員が仕留めたという記事があります。死に顔は真っ白で、哀れを誘います。恐らく戦友が彼女の遺体を隠したかったのでしょう、寝具にに包み、それを竿を通し、運ぶ途中のものだったのでしょう。彼女はインタビュウで「標的には如何なる感情も感じない」と語っていたそうです。ナツィストにも親兄弟姉妹がいるわけです。

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  10. ブログ主様 彼女はもしかするとポーランド人かも知れません。нацполкаという表現が使われております。ポーランドでは高校生から軍事教練が課されます。娘は中学の時に斥候部隊に入り、拳銃小銃射撃乗馬訓練を受けておりました。あの国はまじめにロシア侵攻を信じておりましたね。

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  11. シモムラさま、
    ただ今、この記事を読みましたが、戦争のむごたらしさについては彼女は何も感じなくなっていますね。明らかに、嫌露感情が支配的になっています。「ナツィストにも親兄弟姉妹がいるわけです」と言われましたが、より広い意味合いで言いますと、彼女もまた戦争被害者の一人です。ウクライナではナチズムが広く、そして、深く浸透しているようです。ロシアはどうやって、どこまで非ナチ化の作戦を実行するのでしょうか?第二相の展開に注目したいと思います。

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    1. 正午のNHKラヂオニュースを聞きました。ショイグー国防相の「特殊軍事作戦の第一相終了」の声明を伝えておりません。公共放送の役割を放棄しているのです。ウェッブでは、相変わらず「露軍苦戦、兵士の士気低下、装備貧弱」等々の文言が見られます。

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    2. シモムラさま、
      主流メデイアは米国でも日本でも間違いなく死に体ですね。すでに何年も前からのことですが、われわれ一般大衆は代替メデイアに頼るしかないです。

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  12. ネオナチ、ナチス「善人説」をメディアは始めたようですね。行き着く先はメディアの自滅だろうと思います。
    「ウクライナのネオナチは”正常”だとメディアは報道する」
    https://quietsphere.info/british-bullshit-corporation-whitewashes-ukrainian-nazis/

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    1. kiyo様 今読み終わったところです。感謝申し上げます。半世紀前ではBBCというと世界一信頼のおける報道機関と見做されておりましたね。あれがプロパガンダによる洗脳の結果であったとは。

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    2. ポーランドといえば、連帯が話題になっていた頃のことしか記憶にありません。あの頃から、政治の世界に興味が失せていたからです。あの当時の感覚からすれば今のポーランドはどうなったのって言う感じさえします。自分にとっては空白なのです。ポーランドではネオナチの動きとか、どんな感じなのでしょうか?

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    3. 「連帯運動」はCIAとバチカンに支援された、緩やかなクーデター運動です。私は2008年から五六年ほど前まで、主にポーランドで暮らしてきました。2014年のユーロマイダン紛争勃発後に、ワルシャワ市内で極右勢力がデモ行進するようになりました。非常に不気味でした。一般にポーランド人はナツィズムに嫌悪感を隠しません。戦前戦中、ウクライナのハリーチア地方はポーランド領であり、ドイツの占領下ではウクライナ人によるユダヤ人虐殺が数多く行われました。ポーランド人も白ロシア人も被害者でした。特にソ連占領区のポーランド人はНКВДNKVD(ンクヴデと発音)保安部に狙われました。意外と知られていないのが、独立国家クロアチア(Независьмая Держава Хорватия)ですね。ナチ以前に組織的にユダヤ人虐殺を行っているのです。カトリックと白人至上主義が結合するとユダヤ人虐殺に一直線ですね。実は私はカトリック教徒です。

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    4. kiyoさま、
      今読み終えたところです。この投稿に感謝です。
      米国のCNNやNYTとならんで、BBCも完全に賞味期限を越しています。BBC自身がそのことに気が付いていないという現実は傍から見ると実に哀れです。あるいは、気が付いていながら、公共に対して毒を流し続けているのかも。過去の栄光がそうさせているのでしょうね。
      フィニアン・カニンガムは私のブログでも何回かご紹介しています。非常にまともはジャーナリストだと思っています。

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  13. シモムラ様 Yocchan様 30年?40年?前、あの「連帯運動」に完全に騙された人間です。あの頃はロスチャイルドとか、まったく知りませんでした。ソ連崩壊、9.11以降でしょうか、そこらへんの情報を知るようになったのは。正直なところユダヤ人虐殺にまつわる話等は、にわか仕込みの僕のような人間には理解しようにも、どこから手を付ければいいのかって感じです。
    今ではネットのお陰か、調べようと思えば、いくらでも情報は拾えます。ですが、拾い方があるような気がします。どこにフォーカスするのか、考え方の枠組みというか。自分では正しいと思っている、その枠組みでさえ、信用ならないメディア等によって作られたものだということは否定できないことだと思います。答えの出ないことをぼんやりと考えながら、ごまかしや嘘がつけない世界になることを願い、そうしたいなと思っています。メディアとはゴマカシや嘘の集合意識かもしれませんね。

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    1. Kiyoさま、
      巨悪の根源は金儲けにあると思えてなりません。世界をまたにかけた金儲けのことです。若い頃の私は完全にノンポリでしたが、こういった認識をはっきりと持つようになったのはイルミナティに関する本を読んでからのことです。偶々、ロスチャイルドやロックフェラーといった世界経済を、時には、世界戦争をコントロールする組織に関する歴史を読んだのです。それに輪をかけて私を決定的に国際政治の世界に引っ張り込んだのはシリア紛争です。シリア内戦には現実とメディアが報じる内容との間には決定的な乖離が見えました。本ブログにおけるこの領域に関する最初の拙文は「乗っ取られたシリア革命」と題して2013年2月17日に投稿しました。まだ10年にもなってはいない!
      「メディアとはゴマカシや嘘の集合意識」というご指摘、まさにその通りだと思います。
      何故こんなことが起こるのかとの疑問が湧いたならば、誰が儲かるのかを考えろと言います。PCR検査を実施させ、擬陽性者を何万人、何百万人も報告させた新型コロナの大流行ではいったい誰が儲けたのか?製薬会社です。ウクライナ紛争では最終的にはいったい誰が儲けるのか?等・・・そして、このプロセスにはユダヤ人が経営するメディアがプロパガンダ役として常に介在し、恐怖を煽ったり、****を悪魔視したりする。

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  14. こちらのブログは2014年頃のシリアの記事から読ませていただいていました。いい記事を書かれているなと思っていました。それから、モンサントとかも。
    ボスニア、イラク、シリア、リビア、ウクライナ、NATOや米軍が民間人が住んでいるビルや住居を狙ってことごとく破壊し、民間人を殺してきた事実を知れば、今、ウクライナ支援とか言っている方々は卒倒するでしょうね。それでも、認めない人が多いのかな? 欧米に従わない国が増えていますけど、日本は、まともなメディアが一つもないので、知るきっかけさえ奪われています。真実を知らせないのがメディアの仕事、本当の姿ですね。

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  15. スプートニクの記事を翻訳しました。二部構成で行きます。
    「ウクライナ、アメリカの生物兵器研究の証拠① 」
    https://quietsphere.info/who-are-the-americans-coordinating-bioweapons-research-in-ukraine-labs/

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    1. kiyo様 今拝見しました。感謝申し上げます。怖いですね。日本にもあるんじゃないかな。

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  16. kiyoさま、
    新しい投稿「ウクライナ、アメリカの生物兵器研究の証拠① 」を読ませていただきました。有難うございます。
    米国の生物兵器に費やす労力や資金はまさに無尽蔵のように見えます。ウクライナは氷山の一角。そのことを思うと、まさに気が遠くなりそうです。

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    1. ブログ主様 kiyo様 マウリポリからかなりの数の脱出者―殆どが女性と子供―があるのに、彼らにインタビュする所謂西側のジャーナリストが少ないですね。一人の米国人の取材ビデオがあるだけです。脱出者の語ることには、大きなニュース価値があるのに、これはどうしたことでしょう。スペイン人、イタリア人、フランス人のジャーナリストがいるとのことだが、取材ビデオに辿りつけません。

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    2. シモムラさま、
      確かにPatrick Lancaster以外は誰も見当たりませんよね~。

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