2018年3月1日木曜日

米、帝国のために他国の選挙へ介入した - CIAが告白



米国の最近の様子を見ると、形振りも構わない混沌振りが続いている。米国の政治はいったい何を達成しようとしているのだろうか?

米国の対外政策が今ほど国内政治を色濃く反映したことがあっただろうか?

2016年の米大統領選以降、国内は分断され、通常ならば大統領選での勝者と敗者とは選挙後には歩み寄り、選挙民の統合を期するのが普通であるのだが、今回は選挙運動中の相手陣営に対する中傷やフェークニュースの乱発が選挙後にもそのまま継続されている。大統領選で敗北した民主党はトランプ大統領とロシアとの関係を執拗に言及する。大手メディアはチアーリーダー役を務め、恥じることもなくフェークニュースを流す。ミュラー特別検察官が捜索を行っているロシアゲート事件ではロシアが米大統領選に関与したという証拠が出て来てはいない。

結局、ロシアゲートはクリントン大統領候補の勢力が仕掛けたでっち上げであった可能性が濃くなって来ている。

ごく最近のものであるが、ここに「米、帝国のために他国の選挙へ介入した - CIAが告白」と題された記事がある [1]

表題が言おうとしていることは明白だ。米諜報界がいくつもの部門に分かれている諜報機関の総意として「米大統領選にはロシアの介入があった」と報告したことに対して、これはCIA内部から成されたひとつの反論であると読みとれる。

米国の政治は常に右へ傾いたり、左へ傾いたりする。そうすることによって試行錯誤が繰り返され、自浄作用が働く。今回の動きもそれと同じ過程なのだろうか。それとも、まったく別の動きが始まったのであろうか。

本日はこの記事を仮訳して、読者の皆さんと共有しようと思う。1年以上にもわたって、米国の国内政治や対外政策を翻弄し続け、米政府の機能をすっかり弱体化し、米ロ間の「新冷戦」を最悪の状態にしてしまった「ロシアゲート」事件の背景にある米政界の深層を少しでも理解しておきたい。


<引用開始>



Photo-1: ロック・K・ジョンソン。写真はChristopher Michelからの提供 | CC BY 2.0  
2018217日にニューヨークタイムズに掲載されたロック・K・ジョンソンの言葉: 「われわれは1947年にCIAが設立された時からずっとこの種のこと(他国の選挙に対する干渉)を行って来た。」

例の選挙に対する干渉は米国政府による厳罰を招いてすでに何ヶ月にもなるが、ロバート・ミュラー特別検察官が先週提示したように、16人のロシア人や企業に対する新たな制裁の後、さらなる経済制裁が約束されている。これらの行動は、個々にそれを受け取ると、理に適っているかのように思える。妥当な義憤を適切に示すことはあり得ることであり、砂糖衣を適当に絡めた例外主義を持ち出すことも然りだ。

ロシアによる米国の選挙に対する干渉に関して米政権が壇上で説明しようとした徳の姿勢には、実は、困難さが付きまとう。単純に言って、あれは偽善そのものだ。国際関係のゲームでは、特に、その舞台においては、強引に押しやることや譲り合うことはどれもが強力な動機となる。あらゆる手を尽くして、激怒していることを示す。しかし、相手に課した罪状とまったく同じことを自分自身も行っているという適格な自覚をもった上でそうすべきなのだ。

しかしながら、理想主義はこれらの評価を覆い隠してしまう魔法のキノコである。自尊心と目的意識に駆られて、元CIA 長官のジェームズ・ウールジーのような輩は、CIA は、「多分」、他国の選挙に鼻を突っ込むと述べ、そのことを正当化しようとする。

外国の選挙に対する米国の大国としての役割や自己を正当化する自己主張に関して何らかの弁解を表に引き出そうとした金曜日のフォックス・ニュースのローラ・イングラハムとの遭遇では、結論が出なかったとは言え、十分に率直なものであった。「われわれは外国の選挙に干渉しようとしたことがありますか?」と、イングラハムが質問した。「まあ、多分ね」と、ユーモアを交えた返事が返って来た。「でも、それは共産主義者に乗っ取られるのを防ぐために採用したものであって、国家のためだったんだ。」

いくつかの実例を挙げてみると、「たとえば、ヨーロッパ。47年、48年、49年代のギリシャやイタリア。われわれCIAは・・・。」 そこで、イングラハムは一息入れ、米国は「その後も干渉をしたのですか?」と質問をした。「他の国ではわれわれは選挙に対する干渉なんてしなかったんでしょう、ジム?」

偽りに満ちた、安物で飾り立てられた理想主義は、確かに、低俗な芸術作品を観ているようなものだ。かっては自分が率いていた組織が駆使していた暗黒の技巧や道化を知り尽くしている人物にとっては、心の底にすべてを収めておくことは困難であった。「まあ、非常に立派な理由がある時にはね・・・。」 しかし、立派な理由から始まったとしても、破壊的状況が暗黒の種子を蒔き散らすのである。 

フォックス・ニュースが取り残されたままでいる非現実の疑惑から離れてみよう。諜報機関の元幹部らはより以上の率直さを示し、食事をとるのと変わりがないような自然な振舞いで告白することにスリルを感じている。「諜報機関の任意の職員に対してロシア人は規則を破ったのか、あるいは、何かとんでもない事をやらかしたのかと聞けば、それに対する答えはノーだ。そんなことはなかった」と言うスティーブン・L・ホールの見解が念頭に浮かぶ。彼は30年間もの勤務の後、2015年にCIAを去った。米国は選挙に対する干渉を行って来たばかりではなく、「われわれは今でも継続して欲しい」と彼は自分の希望を述べている。 

CIAで長年にわたって研究者として過ごして来た ロック・K・ジョンソンはこれらの干渉の特徴を詳しく述べている。『われわれはあらゆる物を活用して来た。たとえば、ポスター、パンフレット、メール広告、バナー、等を挙げることができる。外国の新聞へ嘘の情報を掲載して来た。英国人が「ジョージ国王陛下の騎馬隊」と称する最後の手段、つまり、現ナマが入ったスーツケースさえをも用いて来た。』 

強国が貪欲な献身振りを見せつけながら相手国へ侵入し、無理強いをし、干渉してきたことを指摘するには、Dov H. Levinが行った研究を真面目に取り上げる必要があろう。選挙制度をあれこれと研究し、候補者にはスポンサーを付け、その候補者を育成する。特定の強国との友達関係を築くことを推奨し、国内の政敵を中傷し、けなすのだ。

レヴィンがInternational Studies Quarterly (2016)の投稿で記しているように、「外国の当事者」にとっては「危険の度合い」は高い。その国が民主的な国家であろうとも、あるいは、やや独裁的な国家であろうとも、特定の国の選挙はその国の内政や対外政策に「大きな変更」をもたらす。

レヴィンは次のように指摘している。強国にとっては政策を変更する危険を持った国の無名の政治家に刺激を与えることには抑制しがたい魅力が感じられるものだ。「彼らの手法は選挙運動で推挙したい側に資金を提供すること(1958年のベネズエラの選挙でソ連がこの手法をとった)から始まって、嫌っている陣営が勝利を収めた場合にはその国に対する対外援助を打ち切ること(2009年のレバノンの選挙で米国はこの手法を採用した)まで、さまざまである。」 

米国の関与は権威主義に対抗する反対派を支援するものだ、これはいい事だという見解は間違いだらけであるが、それにも関わらずウールジーは関与しようとする。こういった干渉は立派だとは言えない。ある事例を取り上げると、チリでは政敵を殺害してしまうようなピノチェト政権を樹立し、彼らは呆れるほどの大失態を仕出かしたのである。

他の事例では、彼らは物事の秩序を明言する。たとえば、1975年、オーストラリアではウィットラム政権の崩壊後、オーストラリアが米国に隷属することを改めて強いた。彼の地でのCIAの役目は十分に文書化されているのだが、自分たちの父方の超大国の悪行を見過ごし勝ちなオーストラリア人はそれにはほとんど興味を見せず、論じることもない。これは、多分、他の何事にも増して、選挙に対する干渉についての認識としては悲劇的であるとさえ言えよう。それは行き詰まり、やがては腐食する。しかしながら、ロシアの行為を非難する米国の批評家にとってもっとも気掛かりなことは、米国のシステムが今やすっかり行き詰まっていることだ。

著者のプロフィール: Binoy Kampmarkはケンブリッジ大学のセルウィン・カレッジで「英連邦研究者」であった。現在は、メルボルンのRMIT 大学で教鞭を取っている。Email: bkampmark@gmail.com

<引用終了>


これで全文の仮訳が終了した。

著者はこう言っている。国際関係のゲームでは、特に、その舞台においては、強引に押しやることや譲り合うことはどれもが強力な動機となる。あらゆる手を尽くして、激怒していることを示す。しかし、相手に課した罪状とまったく同じことを自分自身も行っているという適切な自覚をもった上でそうすべきなのだ。」 

しかしながら、そんな自覚はさらさらない。米国がロシアに課した罪状として巷で言われている「米大統領選に対する干渉」という主張を当てはめてみると、ロシアに対する米国の非難には「相手に課した罪状とまったく同じことを自分自身も行っているという適切な自覚」がまったくないことは明らかだ。まさに、米国の政界が世界に向けて喧伝する例外主義そのものである。

このことが著者にロシアによる米国の選挙に対する干渉に関して米政権が壇上で説明しようとした徳の姿勢には、実は、困難さが付きまとう。単純に言って、あれは偽善そのものだと言わせたのであろう。



参照:

1Meddling for Empire: the CIA Comes Clean Binoy Kampmarkwww.counterpunch.org/.../meddling-for-empire-the-cia




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