記録映画作家であり、調査報道ジャーナリストでもあるアンドレ・ヴルチェクがシリアを巡る国際社会の矛盾ならびに偽善を伝えようとしている [注1]。
何時ものことながら、この報告においても彼はシリアの難民が何を考え、何をしようとしているのかを現地で取材を行い、その結果を伝えようとしている。一般庶民の間に入って人々の声を直接聞こうとする著者の姿勢が素晴らしいと思う。
この著者の広い視野に立った物の見方は自然と説得力を発揮する。日頃そこまでは考えることのないわれわれ一般庶民を啓蒙し、まったく馴染みのないテーマであっても、それに関して考えさせ、その結果ひとつの方向性を示してくれるのだ。
本日はこの記事を仮訳し、読者の皆さんと共有したいと思う。
<引用開始>
顔を輝かせて、今から3か月後にはダマスカスの自分の家に帰るんだと彼が言ったので、「ベイルートには何年間住んでいるのかね?」 と、床屋さんのイャッドに聞いてみた。
たった1年前であってさえも、このような会話を始めるのは難しかった。しかし、今や、すべてが急速に変化し、誰もがそれを信じようとする。まさに、不可逆的な変化として信じようとしている。
真の意味で不可逆的なことなんてないのだが、より好ましい状況がシリア国内に現れるにつれて、西側はより強烈な脅威を与えようとしてる。特に、米国がそうだ。又もや、ダマスカス政府を脅かしながら、米国はシリア軍を攻撃する準備に余念がない。この動きはロシアや他の同盟国を深刻な対立関係に招じ入れてしまうかも知れない。戦争だ!シリアの人々のほとんどが恒久的な平和を取り戻そうとしている中、西側は明らかにシリアでの戦争を永久に継続させようとしている。
カミソリを準備しながら、「もう、6年だ」と私の床屋さんは言った。彼の声には悲しみや怒りが感じられた。「6年は長すぎる!」
「故国へ戻ってからはどうするんだい?ダマスカスで自分の床屋さんを開業する積り?」 私は好奇心で一杯だった。彼は私が試した中では最高の床屋さんだ。腕前は本物で、仕事が速く、自信に満ちていて、細かい所までよく気が付く。
「いいや」と言って、彼は微笑を浮かべた。「あんたには言ってなかったが、私は機械エンジニアなんだ。どうして床屋をやっているのかって言うと、お爺さんから教わったんだよ。アラブの世界では、何百万人もの人たちが自分の本職ではない仕事に従事している・・・。しかし、私は故国へ戻って、シリアの再建に手助けをしたいんだ。」
イャッドの政治的志向については私は何も知らなかった。そんなことを聞きだすのは失礼だと思っていたからだ。今こそ聞いてみることが出来るチャンスだと感じられたが、聞きはしなかった。彼は故国へ戻り、自分の国のためになることを切望している。一番大事なことだ。
別れ際に「ダマスカスへ来たら、私のところへ寄ってくれ」と言いながら、彼は微笑した。「シリアは小さな国だけれども、素晴らしいよ!」
***
2017年2月24日、ニューヨークタイムズは膨大な数のシリア人難民を受け入れている国、レバノンに関して何時ものように辛辣な当てこすりの記事を流した:
「レバノンへやって来た難民の数は150万人にもなるが、政府の職員や支援グループによると、これはレバノンの人口の約4分の1に相当する。難民の受け入れはレバノンの経済や社会構造には重荷であるとする考えがこの国では広く行きわたっている。
自分のことを難民の保護者だと自己紹介し、すこぶる社交的なタハン氏は難民がこの国の経済に害を与え、社会サービスに歪をもたらしているという考え方を否定した。彼は政府がそのような見方を推進したのだと言う。国連からの支援を少しでも多く獲得するためだ。
難民はレバノンに恩恵を与えていると彼は言った。難民に電力を供給する発電事業者から始まって、国連発行の食品引換券を難民が消費してくれる小売店の店主たち、難民の安い労働力を満喫する土地の所有者らに至るまで。これは国際組織からしばしば聞く議論だ。彼らはこう言う。難民を受け入れることの重荷は彼らがもたらす経済的な刺激によって大きく相殺される。国連が言うには、2016年だけでも19憶ドルもの国際支援が注ぎ込まれた。
レバノンの内戦における自分自身の経験から、タハン氏はシリア人の難民は何年もここに住み続けると予測されると言った。」
ニューヨークタイムズがEU内における「難民危機」を報じている際にこのような議論に遭遇することはほとんどない。EUには超裕福で人口が遥かに多い国が何カ国もあるが、彼らは中東のちっぽけな国家が救護施設を与えている難民と同数の難民さえをも受け入れることはできないと言う。
2015年には「難民危機」がその頂点に達し、150万人もの人たちが亡命を求めてEUへやって来た。これらの150万人の難民の一部はウクライナ、コソボ、アルバニアからの「難民」であった。
私はレバノン、ヨルダン、トルコにおける難民危機だけではなく、ギリシャ(コス島)やフランス(カレー)での「危機」も取材した。西側はそれまでに世界の約半分の地域や中東の全域を不安定化していたが、極端に利己的な振舞いや無慈悲なほどの無関心、人種差別を継続し、今までの行動を悔い改めたり、状況を理解することは頑なに拒んできた。
ニューヨークタイムズのタハン氏が何者であろうとも、彼の目論見が何であろうとも、彼は間違っていた。この報告が印刷に回された頃、レバノンに住むシリア系難民の数は減少し続けている。
ロシアやイラン、中国、キューバ、ヒズボラ―による支援を受け、ダマスカス政府が西側やその同盟国から武器の供給を受け、支援されているテロリストとの戦いで勝利をしているからだ。
「シリアの現状は依然として非常に危険だ」と主張して、シリア人の難民が故国へ戻らないように警告を発しているのは、実際には、西側である。西側のNGOや政府機関なのだ。
しかし、そのような警告はシリアへ帰ろうとする難民の流れを食い止めることは出来ない。2018年2月2日のCBSニュースは次のように報じた:
「36歳の男性がアレッポの家に戻ってきている。彼は昨年の夏帰国した。ドイツのズールの町での生活には馴染めず、意気消沈し、ホームシックに陥り、次の冬を恐れていた。」
ドイツは「退屈で、退屈でどうしようもなかった」と彼は言う。
レバノン領内に住んでいるシリア難民の数はすでに100万人を割っている。国連難民高等弁務官事務氏によると、これは2014年以降で初めてのことだ。
人々は故国へ帰ろうとしている。毎週、何千人という人たちが帰って行く。
彼らはレバノンやヨルダン、トルコ、ならびに、かっては天国と見なされていた国、つまり、ドイツのようなヨーロッパの国々からさえも故国へ戻ろうとしている。ドイツを始め、ヨーロッパ各国はなぜかこの機会を捉えることには失敗した。世界でももっとも古く、もっとも素晴らしい歴史や文化を持っている国からやってきた人たちにいい印象を与えることには失敗したのである。
***
モハンマド・カナーンはレバノンの大学、ULFに通う産業・メンテナンスを専門とする学生であるが、彼はこう説明する:
「シリアにいた頃、僕は機械のデザインや開発をすでに3年間勉強していた。シリア危機が始まり、やがて戦争が始まったので、僕は国を去るしかなかった。次の3年間、勉学を中断するしかなかった。ところが、有難いことには、ユネスコのプログラムによってレバノンで勉学を続けることが受理された・・・。シリア戦争が起こってからというもの、この専門領域での勉学を続けたいという僕の動機はますます大きく膨らんでいった。具体的に言えば、インフラの復旧が必要であり、それが出来さえすれば、工場は間もなく操業を再開することができる。この国は、今、知識で武装した人がたくさん必要なんだ・・・。」
西側はこのような決意がシリア難民の間に起こるとは予想もしなかった。西側は無数の荒廃した、不安定化した国々からやって来る難民、つまり、仕事であれば何にでも飛び付き、西側に滞在することを許されさえすれば何も言わない難民にすっかり慣れ切っていたのだ。
西側はシリア人をこの種の難民にしようとしたのである。しかし、それには失敗した。2014年12月、私はイラクのクルド人自治区から下記のように報告をした:
「石油産出地域からそれほど遠くはないところに巨大な難民キャンプがある。これはシリアからの難民のためのものだ。
立ち入りについて交渉をし、私は何とかキャンプのディレクターであるカウール・アレフさんに「こちらでは何人収容されているんですか?」と訊ねてみた。「14,000人」と彼は答えた。「15,000人に達すると、このキャンプは運営が出来なくなってしまう。」
私は難民にインタビュウをすることは控えるようにと言われていたが、シリアのシャムの町から避難して来たアリ氏と彼の家族を含めて、数人の難民と何とか話をすることができた。
「新たにやって来た人たちは皆尋問されるのかい?」 その答えは「イエス」だった。彼らが尋問をする際、「バシャル・アル・アサド大統領に賛成か、それとも、反対かを聞いて来るの?」 「その通り。誰もがこの質問を受け、他にも質問される・・・」 「もしも本当に絶望的な状況にあって、あれこれを必要としていて、空腹に苛まれている人が自分はバシャル・アル・アサド政権を支持しており、自分の国が西側によって破壊されてしまったから、ここへやって来たと言ったとしたら、いったいどうなるんだい?」 彼は「その人物や彼の家族はイラクのクルド人自治区には滞在できない」と言った。
https://journal-neo.org/2018/03/16/syrian-refugees-are-going-home-the-west-ready-to-attack-2/
ヨーロッパの国々を含めて、中東の至る所で私はシリア人の難民と会った。ほとんど皆が故国から離れて、故国を懐かしく思い、絶望的でさえもあった。皆が故国へ戻りたいと言う。初めての機会が待ちきれない程であった。
自分のポケットにビザを持っているシリア人とも知り合いとなった。たとえば、カナダへの入国ビザ。それでも、彼らは、最後の瞬間には、故国からは離れまいと決心した。
シリアは比類のない国である。
西側は予想もしなかった。自分たちが多くの住民の生命を奪った国家からやって来たこれらの難民の間にこのような決意を見い出すことにはまったく慣れてはいなかったのである。
「私たちはこれから西側へ行くわ。どうしても行かなければならない」と、ふたりの幼児を連れたシリア人の女性が言った。彼女はギリシャのコス島にある市役所の建物の前でじっと待っていた。「これは私たちの子供たちのためよ。でも、私の言うことに注意を払ってちょうだい。ほとんどはじきに戻って来るわよ。」
彼らは今故国へ戻りつつある。そして、西側はこのことが気に食わないのだ。
西側が「貧しい連中」によって如何に利用されているかに関して彼らはぶつくさと愚痴をこぼすことが好きであるようだが、実際には移民なしには生きてはいけない。特に、シリアのような教育の行き届いた国々からの移民なしには。
***
西側が作り出し、軍事訓練を施し、資金を供給し、さまざまな支援を与えたテロリストによる残虐な侵略を食い止めて、シリア人たちは勇敢に戦って来たばかりではなく、今や、シリア系難民たちはヨーロッパやカナダ、あるいは、他の国における偽物の心地よさ、多くの場合、屈辱的でさえある心地よさを返上しようとしている。
このような態度は「罰しなければならない」。このような勇気に対して、シリアの都市を解放し、勝利を収めて来たシリア軍に対して、間もなく米軍による直接爆撃が行われ、新たな攻撃が行われるのかも知れない。多分、ヨーロッパ軍も加わることだろう。
ベイルートでこの記事をほぼ書き上げた頃、ふたりの友人がやった来た。二人とも教育者で、ひとりはアレッポから、もうひとりはダマスカスからだ。
「またもや困難な時期がやって来そうだ」と、私は言った。
「その通りだ」と言って、彼らは同意した。「ダマスカスの私の近隣では、テロリストが放った弾丸で二人の子供が殺害された。ちょうど私がこの旅行に出発する直前だった。」
「米国はこの国を攻撃するぞと言ってる」と、私は伝えた。
「彼らは何時も脅しをかけようとするんだ」と私に向かって言った。「われわれは恐れてはいない。我が国の国民は断固として自分の国を防衛する。」
新たな危険が迫っているにも関わらず、ますます勇敢になって、シリアの難民は故国へ戻ろうとしている。帝国は彼らの勇気や愛国心、ならびに、断固たる決意を罰しようとする。しかし、彼らは恐れてはいないし、彼らは一人だけではない。ロシア人や他の同盟国が「シリア国内に配備」され、シリア防衛の準備を整えている。今、中東全域が見守っている。
著者のプロフィール: アンドレ・ヴルチェクは哲学者で、小説家、記録映画作家、そして、調査報道ジャーナリストでもある。彼は何十もの国で戦争や紛争を取材して来た。彼の最近の三冊の書籍:「偉大な社会主義十月革命」(The Great October Socialist Revolution)、革命に関する小説「オーロラ」(Aurora)、および、政治的ノンフィクションでベストセラーとなった「帝国の嘘を暴露」(Exposing Lies Of The Empire)。 彼の他の書籍はこちらをご覧ください。ルワンダとコンゴ民主共和国に関する画期的な記録映画「ルワンダ作戦」(Riwanda Gambit)やノーム・チョムスキーとの対談の記録映画、「西側のテロについて」(On Western Terrorism)をご視聴ください。 ヴルチェクは現在東アジアや中東に居住し、世界中で仕事をしている。彼とのコンタクトはウェブサイトやツイッターで可能です。
<引用終了>
この記事の全文の仮訳が終了した。
彼の記事を読む度にもっとも感心することは彼が徹底して一般庶民の幸福を追求してくれている点だ。西側の帝国主義的行動や多国籍企業、ウオールストリートの巨大銀行、企業メディア、等の傲慢さや矛盾ならびに偽善を暴こうとする姿勢である。それは徹底している。
自分が直接感じたことを彼は次のように報告している:
「シリアの現状は依然として非常に危険だ」と主張して、シリア人の難民が故国へ戻らないように警告を発しているのは、実際には、西側である。西側のNGOや政府機関なのだ。
しかし、そのような警告はシリアへ帰ろうとする難民の流れを食い止めることは出来ない。
彼らはレバノンやヨルダン、トルコ、ならびに、かっては天国と見なされていた国、つまり、ドイツのようなヨーロッパの国々からさえも故国へ戻ろうとしている。ドイツを始め、ヨーロッパ各国はなぜかこの機会を捉えることには失敗した。世界でももっとも古く、もっとも素晴らしい歴史や文化を持っている国からやってきた人たちにいい印象を与えることには失敗したのである。
彼が書いたさまざまな記事を読んでみると、彼は冷静な判断をすることができる極めて稀なジャーナリストであることが分かる。
参照:
注1: Syrian Refugees are Going Home, the West Ready to Attack: By Andre Vltchek, Information Clearing House, Mar/20/2018
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