2020年6月28日日曜日

戦争屋のジョン・ボルトンの新著はトランプ大統領が米国を大きな戦争に導こうとしなかったことに対する不満が呼び水

国家安全保障問題を担当した米大統領補佐官のジョン・ボルトンはトランプ大統領とは反りが合わなかった。2019910日に大統領補佐官を辞任するまでの1年半の間(ボルトンは自分から辞めたのだと言い、トランプはボルトンに辞任を勧めたのだと言うが)、ボルトンは北朝鮮やイラン、ベネズエラに対する外交あるいは軍事的戦略においては大統領と意見が合わなかったようだ。単純に言えば、ボルトンは北朝鮮やイラン、ベネズエラとの戦争を推進し、トランプ大統領は戦争を回避するというお互いにまったく相反する動きをとったと言われている。

トランプ政権の外交について中心的な役割を担ってきたボルトン前補佐官は米政権の要職を辞してからは回顧録を書いていると前々から報じられていた。トランプ大統領や現政権にとって機密事項が記載されており、これらの内容は米国の安全保障にとって有害であるとして米司法省は連邦裁判所に回顧録の発刊を差し止めるよう求めていた。しかしながら、620日、ワシントン連邦地裁のロイス・ランバース判事はボルトン前大統領補佐官の回顧録の差し止めに関する司法省からの訴えを棄却した。こうして、暴露本は発刊されることになった。

私が興味深く感じたのは、米政府のお膝元にあるワシントン連邦地裁が、何処かの国のように国家指導者の意向を忖度することはまったくなく、米政府の意向に反して暴露本の発刊の差し止めを棄却したことだ。

単にこれは連邦地裁の判事が野党の民主党贔屓であったということであろうか、それとも、まったく別の理由からであろうか。少なくとも、すでに報道されている内容によれば、ロイス・ランバース判事は、米政府が「出版差し止めによって、回復不可能な損害を防げるとは立証できなかった」と述べたという。一方でボルトンについては、米国の国家安全保障を「存亡にかけ」、すでに「国家を危険にさらしているとした。結局、同判事の裁定は告訴側に有利でもなく、被告側にも有利ではない。どちらかと言うと、非常に曖昧な印象が残る。

ここに、「戦争屋のジョン・ボルトンの新著はトランプ大統領が米国を大きな戦争に導こうとしなかったことに対する不満が呼び水」と題された記事がある(原題:Bloodthirsty John Bolton’s book on Trump is fueled by frustration that the president hasn’t led the US into a major war: By George Gallaway, RT, Jun/22/2020, https://on.rt.com/ak3q)。

著者のプロフィール:ジョージ・ギャラウェーは30年近く英国議会の議員を務めた(労働党、リスペクト党、インデペンデント党に所属)。彼はイラク戦争に反対したことで良く知られている。テレビやラジオでの司会者役を担い(RTを含む)、映画製作、著作に従事してきた。また雄弁家であることでも知られている。ツイッター:@georgegalloway

本日はこの記事を仮訳し、読者の皆さんと共有しようと思う。



Photo-1© AFP / Logan Cyrus; © REUTERS/Leah Millis

「それが起こった部屋」(原題:The Room Where It Happened)と題されたジョン・ボルトンの暴露本はドナルド・トランプのことは何ほども記述してはおらず、この本は米国がベネズエラやイラン、北朝鮮に戦争を仕掛けなかったことに対する怒りによって動機付けされたもののようだ。

セイウチのような髭をたくわえたジョン・ボルトンならびにドナルドトランプと大筋では同じ意見をもっていた政治生活を回想する彼の暴露本は熱気がこもった米大統領選前の雰囲気の中ですでにベストセラーだ、とタブロイド紙のナショナル・エンクワイアラーがハードカバー版で持ち上げている。

彼が直ちに米国の自由主義的なお喋り屋のひとりとして語られることは驚くほどのことではない。ジョージ・W・ブッシュや故ジョン・マケイン、コリン・パウェルのように、ボルトンは血に染まった最新の戦争犯罪者だ。ドナルド・トランプに対する抵抗勢力である進歩主義者らからは「プシーハット」が贈呈されよう。(訳注:「プシーハット」という新語は女性を蔑視するような発言を繰り返したトランプ大統領を批判する女性のデモ参加者らがピンク色のニット帽を被ったことに由来し、反トランプのシンボルと見做されるまでになった。帽子には猫の耳を思わせるような形がついていて、「プシーキャット」をもじっている。)

米国が累々たる犠牲者の屍で埋まることを回避することはトランプ大統領を愚かにも選出した米国においては唯一の人物を告発するという新しい役割りを引き受けることに比べたらその重要性は小さなものだ。今や、レイチェル・マドーは何時でもボルトンが自由主義者的な理由から示した自己犠牲を見て涙にむせぶことであろう。彼らにとっては何人かの命だけが重要であり、いくらかの時間だけが重要なのである。

私はリークされた部分をいくつか読んだだけであって、彼の新著を購入して著者の金庫を太らせる積りなんて毛頭ない。メディアは大騒ぎをしているが、あれは何の価値もない。


トランプが「米国産の農産物を買ってくれ」と中国の習近平主席に頼み込んだことは明らかである。ところで、これは世間では間違いなく彼を傷つけるであろう。世界中の指導者は誰もが自分の対話相手に「英国産」、あるいは、「米国産」のこれこれを買ってくれと頼み込むのが落ちだ。しかし、(不思議なことには)このような振る舞いは「選挙干渉」とは同一視されない。

トランプはどうもテレサ・メイ英首相に「英国は核大国か」と尋ねたようだ。彼女は、恐らく、その通りだと答えたに違いない。しかし、彼は核エネルギーのことを言おうとしていたのかも知れない(訳注:nuclear-powerという用語は、文脈次第で、核兵器とも核エネルギーとも受け取れる)。発電の話になると米国の炭鉱は水没に見舞われており、核エネルギーに反対するロビー活動は後退し、風力発電が今日では大量に活用されていることからも彼の質問は妥当なものであったとさえ思われる。

あるいは、彼は厳しい現実に関して非常に正確に喋っていたのかも知れない。英国は、われわれの核兵器に比べると、真に独立した形で核兵器の能力を米国から与えられたことは一度もない。新たに整備された英国のトライデント原潜攻撃部隊は星条旗のバッジをつけているかのようでさえある。


トランプは北朝鮮の指導者である金正恩との歴史的会談が一般大衆にはどう映るのか、そして、それがどのように大統領再選の助けになるのかに関してより多くの関心を抱いていたようだ。神が禁じたまわんことを!政治家というものは再選に全力を注ぐものではあるが、いったい誰がこのことを考えただろうか?

彼は北京政府の言い分には同意しているようだ。つまり、「米国では選挙が多すぎる」と。感覚的に言えば、これとは違った風に考える者がいるであろうか?米憲法は危機に見舞われ、何世紀も時代遅れで、永遠に選挙モードに浸りっきりだ。その選挙では有権者が大統領を指名するのではなく、選挙人団が指名する。この選挙ではワイオミングは州のひとつではあるが、ワシントンDCはそうではない。上院ではバーモント州はカリフォルニア州と同等の代表権を持っている。いったい誰が米国憲法を現代的な統治における極致であると考えるであろうか?

もしもトランプが三期目を夢見ているとしたらどうだろうか?それはないだろうし、二期目さえもが怪しい話だ。


「フィンランドはロシアの一部だ」と考えることはフィンランド人の多くがまさにそうだと考えいぇいるなんて私にはとてもじゃないが想像もできない。現時点ではロシアの隣国であることに甘んじなければならない。

疑いようもなく、都会育ちの田舎者であって、あざを隠すことさえも知らないドナルド・トランプに比べるとジョン・ボルトンは世界についてより多くのことを知っている。結局のところ、ボルトンは何十年にもわたって多くの国々を侵略する計画を練ってきたのだ。とどのつまりは、ベネズエラを侵略することは格好がいいと考えたのはトランプではない。ジョン・ボルトンからは「執拗に頼み込まれた」にもかかわらず、トランプは実際に侵略をすることが格好がいいなんて考えもしなかったのだ。

トランプはジョン・ボルトンを失望させた。なぜならば、トランプはベネズエラやイランに侵攻しようとはせず、北朝鮮にも侵攻しようとはしなかったからだ。新たに何処かの国を侵略しようとはしなかった。 こうして、ボルトンは不満たらたらだった。今から11月までの間に何も起こらないとすれば、トランプは任期中に新たな戦争を開始することは一度もなく、国外に駐留する米兵を撤退させ、ロケットを発射した数は前任者の誰よりも少ないことになる。その一方で、新たにプシーハットを被せられた(つまり、反トランプ色が鮮明になった)ボルトンは依然としてアルブカーキーで野犬捕獲者として選挙に勝つことなんてできそうにはないのである。

注:この記事に記載されている見解や意見は全面的に著者のものであって、必ずしもRTの見解や意見を代表するものではありません。


これで、全文の仮訳が終了した。

この記事には著者の英国人らしい皮肉を込めた表現が次々と現れてくる。

著者はボルトンは「ドナルドトランプと大筋では同じ意見をもっていた」と記述しているが、その主題が何であるかについては詳述がない。思うに、これは中国に対する貿易戦争のことであろうか。軍産複合体の意を汲んで戦争を始めようとしたボルトンにとっては中国との友好関係は破棄し、同国を仮想敵国として維持し、中国の近海では米海軍に航行の自由と称して示威行為をやらせて、新彊ウィグル自治区における反政府デモについては、香港でのデモと同様に、デモ参加者に友好的な論説を書いて、軍産複合体に巨大な予算を振り向ける理由をあからさまに見せつけることが非常に重要なのだ。

著者のジョージ・ギャラウェーはトランプが新たな戦争を行おうとはしなかったことを重要視している。そのことを考えると、トランプがいくら中国との経済戦争や情報戦争を進めようとも、結局、トランプは熱い戦争に踏み込もうとはしない。中国とはどこかの時点で和平に転じるしかない。一方、ボルトンを始めとする戦争屋はどのように考えているのだろうか。ある将軍は極めてタカ派的は発言をするが、他の将軍は米将兵にもたらされる損害を考えると通常兵器による対中戦争なんてあり得ないと言う。朝鮮戦争では米国は中国に勝つことができなかったという悪夢が今でも蘇って来るのかも知れない。それに加えて、ベトナム戦争も大きなトラウマとして残っている。そして、アフガニスタンでもイラクでも、さらには、シリアでも戦争に勝った言えるような状況ではない。

世界の覇権国である米国の政治家や軍のエリートがどんな世界観を抱いているのかについては常に観察し、分析し続けなければならない。

ところで、トランプ大統領の弾劾の動きが進行していた頃のことであるが、議会での証言を求められた際、ボルトンはその役目を受け入れなかった。トランプ大統領の行為が彼にとっては真の意味で許せるものではなかったとするならば、議会と言う大きな後ろ盾を活用することによって彼は自分の名を歴史に刻む大役を担うことができたのではないか。しかしながら、これは私的な見方ではあるが、彼は暴露本の発行を目の前にして、彼にとっては本の売れ行きを損なうかも知れない議会証言は二の次であったようだ。彼にとっては1冊でも多くの本を売ることが大事だった。そんな風に思える。

しかしながら、逆説的になるけれども、この暴露本はひとつのことに貢献しているとも言えよう。つまり、先代の大統領らとは違って、トランプは米国を新たな戦争に引っ張り込もうとはしなかったということを浮き彫りにしている。米ロ新冷戦、米中新冷戦が大っぴらに囁かれている今、そして、これらの核大国には地球上の生命を何回でも繰り返して殺戮することが可能な膨大な量の核兵器が蓄えられている今、人類の存続を考えると核戦争に転じるかも知れない通常兵器による戦争を回避することは基本的に極めて重要なことだと私は言いたい。他の政治課題に比べると、戦争の回避は圧倒的に重要である。願わくば、このトランプ大統領の政策が短命に終わらず、米国で今後も長く続いて欲しいものだ。世界の覇権国である米国がその気にならない限り、世界平和は絵に描いた餅に過ぎない。具体的に言うと、あなたや私の子孫は生きる場を完全に失うことになるのだ。

ところが、最近、世界にはまったく新しい局面が現れた。それは新型コロナウィルスの大流行だ。これによって、米国を中心として進められてきたグローバル経済体制は完全に逆方向へ歩き始めた。つまり、各国は自国民の健康と安全を期すために国境を閉鎖し、人や物の往来を停止させた。経済は沈滞した。米国もその例外ではない。むしろ、国内の治安状態の悪化や世論の分断を見ると、もっとも大きな損害を被ったのは米国ではないかとさえ思われる。もしもこの閉塞状態が今後2年も3年も続くとすれば、米経済が被る損害は甚大なものになり兼ねない。そして、他の国々も同じことだ。

将来の世界は何処へ向かおうとしているのであろうか?




0 件のコメント:

コメントを投稿