2021年6月2日水曜日

今日はシリアの人たちが踊ったり、お祝いをしている様子を見た。平和が戻って来た。もちろん、西側のメディアはこのことを報じようとはしない

 

久しぶりにシリアを再訪してみたい。

「今日はシリアの人たちが踊ったり、お祝いをしている様子を見た。平和が戻って来た。もちろん、西側のメディアはこのことを報じようとはしない」と題されたエヴァ・バートレットからの報告が目に飛び込んできたからだ(注1)。これは大統領選挙の投票(526日)を翌日に控えたシリアの様子を伝え、西側メディアの現状を批判する報告だ。

彼女は独立系のジャーナリストとして長い間シリアの現地を取材し、西側の大手メディアが報じようとはしないシリア紛争における現実の姿を伝えたことでよく知られている。その姿勢には伝統的なジャーナリスト精神が明確に見える。つまり、特定の政治勢力が推し進める金儲けのための外部からの圧力や一般庶民に対する生命の脅威について現地からありのままに伝えようとする人道的な意欲が明白に汲み取れるのだ。もしも彼女や他の献身的なジャーナリストが居なかったとしたら、日本を含めて、西側の一般庶民はシリア情勢に関してはシリアの資源を略奪しようとする勢力やその支持者たちの都合のいい説明や情報操作によってすっかり誤導され、一方的な見方に洗脳されてしまっていたに違いない。

本日はこの記事を仮訳し、読者の皆さんと共有したいと思う。

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Photo-1:シリアの東グータ地区のドーマにて大統領選を祝う
市民たち。2021526日。© Eva Bartlett

西側はシリアに対して10年もの長い間戦争を継続し、多くの破壊をもたらしたが、シリア全土が廃墟と化したわけではなく、西側の制裁によって苦労をしているとは言え、人々の生活は脈打っている。

2018に東グータ地区が反政府武装勢力による支配から解放された後、国内で他の地域へ避難していた市民らが続々と戻って来たことやすでに始まっている再建努力に関して西側のメディアは予想通りに静寂を守っている。本日、ダマスカス郊外のこの地区においては埃っぽく、破壊された商店の金属製シャッターの背後において、2018年には当地で見ることができなかったような光沢のある真新しい窓があちこちに見え、再建が進んでいる様子が私の目に飛び込んできた。

ーマでは私を相手に英会話の練習をしようとする可愛らしい、笑みを浮かべた子供たちに出会った。これらの子供たちはジャイシュ・アル・イスラムやファイラク・アル・ラーマンならびに彼らのテロリスト仲間による恐ろしいほどに残虐な支配の下で生まれ育ってきたにもかかわらず、彼らの活気のある様子はまさに特筆したい程だ。子供たちが絶え忍んだ心の傷は自分の心の奥深くに隠してしまったのか、あるいは、彼らは奇跡的に回復したかのどちらかであろう。

西側のメディアや指導者らがーマにおける偽の化学兵器攻撃を通じて大袈裟に騒ぎ立てていたことからも、街の通りに通常の生活が戻って来たことを今こうして見れることに私は特別のやりがいを感じる。東グータ地区のシリア人は戦場から遥かに遠く離れた地に住んでいる西側の人たちのほとんどにとっては想像することもできないような地獄を経験させられたのだ。2018年に彼らが解放された直後、私は拷問に遭った人々の顔を見たことがある。それ故、今多くの人々が笑ったり踊ったりして今日の大統領選挙を祝っているのを見ると、殊更に感動を覚える。当時と今日との違いはまさに昼と夜ほどの違いだ。

二晩前にダマスカスのオペラハウスでシリア人の歌手と交響楽団が演奏したことについて私がソーシャルメデイアにビデオを投稿した際、西側の多くの人たちは驚きを隠さなかった。シリアは完全に破壊されてしまったと一部の人たちは思っており、他の人たちはシリアには豊かな文化があり、西側による10年もの戦争に曝されながらも崩壊はしなかったということを知らないのだ。しかしながら、解放されるまではダマスカスの住人は仕事に出かけたり、登校したり、市場へ買い物に行ったりする際には、あるいは、家に居る間でさえも東グータ地区から発射される臼砲やミサイルによって手足をもぎ取られたり、殺害されるリスクと隣り合わせだったのである。

2014年には、旧市街の東門であるバブ・シャルキ門の傍にあるホテルを後にして、私は美しいザイタウン・ギリシャ正教の聖堂と閉鎖されたレストランの向かい側に位置している一群のテーブルに向っていた。しかしながら、そこでパソコンで予定の仕事をする代わりに、私はそのレストランの主人とお喋りをすることになってしまった。そのレストランは今はアブ・ゾルフ・バーと呼ばれている。

私がアブ・シャディと話をしている時、テロリストが発射した臼砲の砲弾が近くに落下した。私はその時こう書いた。「たまたま、私は4発の内の2発を録音した。最初の砲弾は午後75分で、アブ・シャディはここから200メートル位だと推測した。彼の友人はここから50メートル(私のホテルからは約20メートル)だろうと言って、訂正してくれた。約10分後、二発目が着弾した。他にも30分の間にもう二発が着弾した。SANAニュースによると、17人の民間人が負傷した。」

われわれのお喋りは絶え間のない砲撃についての話となった。もっとも最近の砲撃では死に損なうところだったと彼は言う。

「二度も砲弾が私のレストランのすぐ外に着弾した。ひとつは私がその直前に屋内へ入っていなかったならば私は即死になるところだった」と、ドアのすぐ側の地面を指して彼が言った。彼は臼砲がもたらした脅威についてばかりではなく、失ったビジネスについてもブツブツと小言を言った。 

先日の夜、私は友達と一緒にそのレストランへ出かけてみた。アブ・シャディを見つけて、彼と同じテーブルについて、私たちは当時の思い出話にふけった。今は、彼の旅館も開業され、人々が頻繁に出入りし、客人たちはライトが灯ったオリーブの木陰で初夏の夕刻を楽しんでいる。

Photo-2© Eva Bartlett

2014年にも、ある日の午後、照り付ける日差しを避けたくて、私は旧市街の周囲に巡らされている壁に寄りかかって、当時はテロリストによって占拠されている1キロ程離れたジョバール地区の方を見やった。当時私が書いたように、友人とお喋りをしている際に、弾丸が私の右側や左側をヒューと唸りながら飛んで行った。近くにいた人たちは誰もが飛び上がって、走り出した。見るからにパニック状態だった。私たちも50メートル程走って、明らかにテロリストの射程距離外だと思える地点に辿り着いた。一人の婦人はすっかり息が上がって、立ち上がることさえも出来ず、ゼーゼーと息をしながら十字を切っていた。気を休めるまでにはたっぷり10分はかかっただろう。しばらくして、私はホウレンソウ入りのパイを売っている男性に私が座っていた場所にまで弾丸が届くとは本当に驚かされたと言って、彼とお喋りを始めた。「弾丸はこの辺にまで届く」と彼は言った。壁に穴があいているパン屋から身を乗り出して彼が言うところによると、私が座っていた場所からさらに200メートルも先だった。

私は臼砲の砲撃に何回も曝され、それによる犠牲者は過去何年かの間に実に多数に上り、数多くの子供たちがテロリストからの攻撃によって手や足を失い、酷い怪我をし、ダマスカスの古い町並みには半壊の家が多く見られる。

Photo-3:シリアのドーマ、20184月  © Eva Bartlett

2018年、私はすごく才能に恵まれたバイオリニスト兼作曲者であり、全員が女性のメンバーで構成された「マリ交響楽団」を設立したラード・カラフにインタビューをした。その後、われわれふたりはお喋りをしたが、彼はオペラハウスの近くにあって、彼が教鞭をとっている高等ドラマ芸術院にさえも砲弾が届いたことがあると言った。

彼はその前の年にはテロリストらは同地区に一日に37個もの砲弾を撃ち込んできたと私に話した。

「学生たちは8時間も建物の中に留まっていなければならなかった。次の砲弾が何処に着弾するかはまったく分からないので、外へ出ることはできなかった。外へ出て行った学生のひとりが殺害された。」

今週の月曜日、私はオペラハウスへ出かけ、シリア人歌手のカルメン・トクマジと彼女を伴奏する交響楽団を聴きに行った。音楽堂は半分程が埋まっていただけではあるが、誰もがこの歌手の歌いっぷりを見るからに堪能していた。

前列の切符が2,000シリアポンド(米ドルで約80セント)、二等の席が1,500シリアポンド(60セント)、三等席が1,000シリアポンド(40セント)であったことを後になって知り、この安さはいささか驚きであった。とは言え、入場券がこのような低価格ではあっても、シリアの最貧の人たちにとってはコンサートへ出かけることなんて出来ない。何故かと言うと、この国に対する経済制裁がシリア通貨を直撃して、酷いスーパーインフレを引き起こしているからだ。これはシリア市民に浴びせた残酷で非倫理的な経済制裁がもたらした当然の結果なのである。

昨年(そして、それ以前にも)、これらの制裁がどのような影響を与えたかについて私は書いた。617日、米国はシーザー法を施行した。この法律はシリアに対する極めて過酷な経済制裁であって、シリア市民を防護することを目的とすると謳っている。米国は過去何年にもわたって民間人に対する爆撃を行い、反政府武装勢力を支援してきた。彼らは民間人に対して誘拐や投獄、拷問、障害、殺人を犯してきたのである。これらの制裁は医薬品の輸入やそれらを製造するために必要な原料、医療機器、たとえば、義手や義足を製造する装置や原料の輸入には甚大な影響を与えた。」

RT.COMからの関連記事: US sanctions are part of a multi-front war on Syria, and its long-suffering civilians are the main target

しかし、制裁は他にも残酷な影響をもたらす。つまり、それは経済に大混乱を引き起こすのだ。202153日にアビー・メイコーが 南ア放送協会のウェブサイトに寄せた意見記事で次のように記述している。「シリアの配電規制は、政府が発電のために必要な燃料の手当てが出来ないことから、今までで最も厳しいレベルに達している。これは、化学兵器禁止機関にて主役を演じているフランス、英国、米国を含めて、主として西側諸国が課した国際的な経済制裁によってもたらされたものだ。シリアポンドの通貨価値はほとんどゼロに下落した。シリア市民を防護するための2019年のシーザー法は飢餓や暗愚、疾病、窮乏、誘拐、死亡率の増加、かっては中東で希望の光を放っていた国家の破壊をもたらすものと考えられている。」

窮乏は現実のものであり、シリア人は間違いなく困窮させられており、多くの人は家族の者たちに十分な食料を供給することさえも出来ない。

オペラハウスの公演についてお喋りすることは経済的困窮に関する陳腐な話だと思えるかも知れないが、この種の公演を行うことはシリアでは今でも行われており、西側が企てたシリア政権の転覆は10年間もの戦争を遂行して来たにもかかわらず失敗に終わったことを示すもう一つの証である。

RT.COMからの関連記事: Syrian election that hasn’t happened yet ‘will neither be free nor fair,’ declare US and allies

大統領選挙の直前に出かけることができたこのコンサートは感動的ではあったが、精神的には心が痛んだ。臼砲の砲弾がわれわれの周りにまさに雨のように着弾していた2014年に会ったことがあるシリア系ブラジル人である私の友人、テベチェラニ・ハッダードはこう書いている。「生きていることを祝い、外国からの侵攻に打ち勝ち、国を再建し、シリア人の強さや大統領選、シリア国家の輝かしい将来を皆が祝っている。」

それはまさに私が本日ーマで見てきたことも含めて、シリアで見聞してきたことそのものである。ドーマでは投票のために人々が集まっていた。でも、やるべきことは山ほどもある。特に、インフラの再建について言えば、たいそう慈善家である米国やその同盟国はシリア市民に対して経済制裁を課すことでインフラの再建を直接的に妨害しているのだ。

だから、もしもあなたが依然としてシリアの大統領や政府軍に対して指を指しているならば、その指をあなたの国の政府に向けて欲しいのだ。そう、西側の政府に向けて。彼らこそがシリアの破壊と死の元凶であり、彼らこそが平和の実現や通常の生活に戻ることを妨げているのだから。

注:この記事に表明されている主張や見解、意見はあくまでも著者のものであって、それらは必ずしもRTの見解を代言するものではありません。

著者のプロフィール:エヴァ・バートレットはカナダ人のジャーナリスト兼活動家。彼女は中東の紛争地域、特に、シリアやパレスチナの現地で何年も過ごして来た。(シリアやパレスチナで彼女は4年間も生活した)。ツイッターは@EvaKBartlett 

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これで全文の仮訳が終了した。

著者は自分自身が現地で経験したことを伝えようとしている。10年も続いた戦争によって悲惨な状況に追い込まれながらも、シリアの国家と一般庶民は今再建努力のプロセスに入っている。過去の記憶と比較すると、今日のシリアは昼と夜との違いのようだと言う。とは言え、シリアに対する植民地的な西側諸国の対応、つまり、資源を略奪することでしかシリアを見つめようとはしない西側は今もって頭の切り替えができないままだ。

好むと好まざるとにかかわらず、自分の言うことを聞こうとはしない独立心が旺盛な国に対して覇権国が振る舞う横暴振りや傲慢さ、ならびに、冷たさは今も昔も変わりはないということだ。

米国やイスラエルの思惑とは裏腹に、シリアでの526日の投票の結果、今回の大統領選挙では3人の立候補者の中、アサド大統領の圧勝に終わった。投票率は78%、現職のアサド現大統領が95%の票を獲得した。

参照:

1Today I saw Syrians dancing and celebrating life, and a return to peace, but, of course, the Western media won’t report that: By Eva Bartlett, May/26/2021https://on.rt.com/b90d

 




2 件のコメント:

  1. Исао Симомураです。嬉しい記事の翻訳に感謝申し上げます。レニングラードにおった時、1944年1月27日の封鎖からの解放の日の祝いを体験しました。数週間前から当時の記録映像がテレビで放映されます。900日に近いこの困難な時期に、シリアと同じく、オーケストラが公演を続けているのです。作曲中のショスタコーヴィッチも映っておりました。学究活動も続けられ、空襲下でも学位審査が行われています。私が所属していた研究機関には、ヂィヤカノーヴァВера П. Дьяконова(トゥヴァ民族専門),アレクセーエンコЕвгения А. Алексеенко(ケート民族専門), グラチョーヴァГалина Н. Грачёва(ヌガナッサン民族専門)、お三方が少女時代に封鎖を体験した女性たちでした。皆さん自分からは体験を語りません。同僚の男性が私に彼女たちの経歴を教えてくれたのです。それも大変な尊敬をはらって語ってくれるのです。私はグラチョーヴァさんと親しかったので、封鎖時代の思い出を聞く機会がありました。共同住宅の隣人の餓死した妹さんを七歳のお兄さんが子供用橇に載せて埋葬場所まで運んでいったそうです。彼女は涙はみせませんでしたが、両眼の周りは赤くなっていました。
     ロシア民族の学問芸術への情熱には頭がさがります。シリアの指導部もきっとレニングラード封鎖飢餓絶滅作戦を生き抜いたロシア民族から学ぼうとしているのでしょう。こうなると、もうシリアを敗北させることは不可能です。

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    1. シモムラさま
      コメントをお寄せいただき有難うございます。「レニングラードの包囲900日」は私も和訳を読んでいます。でも、あの時代を生きた人、グラチョーバさんから直接話をお聞きすることができたとのこと、シモムラさまの人脈はとてつもなく広いですね。
      旧ソ連が経験した壮絶な戦いはレニングラードやスターリングラードが有名ですが、戦場となった数多くの小さな村にも大きなドラマがあちらこちらにあったと思います。現代のわれわれが追体験できるのは書籍や映画、あるいは、歌からだけとなりますが、ロシア人が集団、つまり、国家として持っている粘り強さには何時ものことながら目を見張らされます。先日は「Журавли」の作曲家、ヤン・フレンケリが弾き語りしている動画に遭遇しました。この反戦歌には、まさに、魂を揺さぶられます。
      シモムラさまがご指摘のごとく、シリアは今祖国を守り、国を再建する術や精神をロシアから多くを学んでいるようですね。紆余曲折があることでしょうが、シリアの平和の追求はさらに先へ進んで欲しいものです。
      ところで、日本にも素晴らしい歌や映画がたくさんあります。最近観た映画では「雨あがる」が実に秀逸でした。剣の腕はすばらしい若い侍がお仕えが長く続かず、浪人の身となって苦労するというストーリーです。この映画(英語の字幕付き)の中では女性たちが侍社会をするどく観察し、お殿様や自分の夫に適切に助言する様子が実にうまく描かれており、この映画の質を一段と高めているように感じました。

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