以前から「戦争による金儲け」と言う言葉がある。
戦争では多くの一般庶民が犠牲を払うが、ごく少数の者は大儲けをする。そして、通常、大儲けの話は表には出て来ない。美辞麗句で飾りたて、庶民が戦争に賛同するよう巧妙に画策する。メディアのプロパガンダによって集団意識は一色に醸成され、当事国にとってはあたかも戦争をすることだけが正義となる。過去の歴史を見ると、内外を問わずこういった展開が方々で見られた。そして、今も、繰り返されている。
ここに、「米国人はどのようにしてワシントン政府の戦争による金儲けにはまったのか ― スコット・リッターの言」と題された記事がある(注1)。
本日はこの記事を仮訳し、読者の皆さんと共有しようと思う。
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米議会から名誉勲章を二度も受賞し、元米海兵隊少将のスメドレー・バトラーは「戦争とは楽に大儲けをする商売である」という有名な言葉を残した。
バトラーは自身が国に仕えた33年間について「私は時間の大半を大企業やウォール街、銀行家のための高級な、筋骨たくましい男として過ごした」と述べている。「要するに、私は資本主義のために働くギャングのようなものだった。」
残念なことには、自身の従軍経験を振り返って1900年代の初頭にバトラーが述懐した言葉は現代にも当てはまるのである。
そうでなければならないという訳ではなかった。ベトナム戦争後の時代、特にロナルド・レーガン大統領の下で、米国は再び軍隊に惚れ込み始めた。従軍する人々の間には誇りがあり、愛国的な義務の意識が感じ取られ、それが徐々に一般の米国民にも受け入れられていったのだ。1990年5月、私は「軍事記念日」を前にしたワシントンDCの軍事奉仕週間の活動に参加し、キャピタル・モールで米ソ両国の核兵器廃絶に向けた現地査察局の活動について展示した。私たちの活動についてもっと知りたいと思って、立ち寄ってくれた何百人もの人たちは本物の関心を示していた。1991年5月、湾岸戦争での米国の成功(私も従軍した)を受けて、愛国心は最高潮に達し、軍事記念日の祝典は表面的には国を防護してくれている兵士らによって支えられている人物たちに対する尊敬の念や賞賛といった純粋な気持ちを反映しているかのように思えた。
しかし、これは永遠に続くものではない。映画「グラディエーター」が鋭どく観察しているように、それを引用すると、「暴徒は実に気紛れだ」。グラディエーターがコロセウムの中央に立って、群衆に向かって「あなたは楽しんでいるか?」と叫ぶことができる限り、彼は社会の中で居場所を保ち続けるであろう。だが、グラディエーターが「楽しませている」人たちの精神に何らかの不都合が感じられると、群衆は直ぐにも不快になり、グラディエーターはすぐに忘れられてしまうのである。
1991年の湾岸戦争は単純な娯楽であった。米国の軍事的優位性が大規模に誇示され、敵は決定的に敗北し、敗北は明瞭に特定された。人命のコストは非常に低く、戦闘による死者は154人だけであった。これらの男性や女性が命を捧げた大義、つまり、クウェートの解放は、米国がイラクのサダム・フセイン大統領を権力の座から排除するために数十年にもわたる努力に巻き込まれていたために、すぐにも忘れられた。
米議員らは湾岸戦争やイラク戦争に対する承認を終了させる法案を可決した上院の委員会を称賛: 2023年3月8日,19:58 GMT
9/11の恐ろしい出来事は米国人が再び軍隊に奉仕する人々の周りに集まることを可能にした。米国へのテロ攻撃の余波の中、国は制服を着た男性と女性に目を向け、ほとんど誰も特定することができはしない敵から、さらに言えば、ほんの少数しか理解してはいなかった敵から自分たちを救おうとした。しかしながら、米国人が特定できる大義のために軍隊を使用するという政府へのこの盲目的な信頼は、対サダム・フセインの得点を解決しようとする愛国的な熱意をもって信頼の復活を乱用しようとした政府によって台無しにされた。そして、あらゆる資源は米国を攻撃した世界的なテロ勢力を駆逐するという主要任務からはかけ離れ、それに代わって、米国の地政学的パワーを促進することと関係があり、米国を防護することとは何の関係もない目標のために米国はでっち上げられた情報に基づいて戦い、違法な侵略戦争に巻き込まれて行った。
結局のところ、戦争は金儲けである。20年以上経った今であっても、米国は米軍の制服を着ている人々との関係を定義するのに酷く苦労している。テロに対する世界的な闘いは消滅し、2021年8月、アフガニスタンのカブールから米軍が急遽撤退する という不名誉な結末に終わった。今日、米国はロシア(ウクライナで)と中国(台湾で)というふたつの軍事大国と対峙している。ヨーロッパ連合軍最高司令官である米国のクリストファー・カヴォリ将軍を引用すれば、大国間紛争の範囲と規模はほとんどの米国人が理解し得る「想像の域を超えている。」低調な紛争が20年間も続いたことにより、米国人のほとんどはこれらの武力紛争を世界的にヒットしたビデオゲーム「Call of Duty」の実写版として見なすように条件付けられている。
ウクライナにおける代理戦争は、戦争を直接知っている人たちが戦争だと常に認識していた状況とは違って、すべてが嘘であることを示している。数十万人の死者、数千万人の避難民、数兆ドルもの資源が失われ、破壊された。
米国が軍事記念日を祝う中、ロシアまたは中国のいずれかとの紛争に従軍する際、われわれが表向き尊敬する人物たちによって引き起こされる犠牲は米国人の心に重くのしかかることを希望する者も居るであろう。ウクライナのいやらしいネオナチ政権を擁護するのははたして米国の軍人の仕事であろうか?あるいは、台湾の独立の問題で中国を挑発することははたしてどうなのであろうか?米国は世界の警察官になる運命にあるのか?もしそうならば、われわれはどのような法律に則っているのか?国連憲章か?われわれ自身が主張する「ルールに基づく国際秩序」とは、綿密に精査すれば、スメドリー・バトラーが何年も前に鋭く警告したシステムとまったく同じではないか。
米国の戦争のスタイルは金儲けに過ぎず、それを遂行する連中はゆすり屋に過ぎなくなった。
これは、もはや、ハリー・トルーマン大統領が1949年に「軍事記念日」を創設した際に考えていた軍隊と米国の国民との間の関係ではない。この祝日の本来の意図が永遠に失われてしまう前に、われわれ国民は現状を振り返り、是正措置を講じることをお勧めしたいと思う。
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これで全文の仮訳は終了した。
スコット・リッターはロシア・ウクライナ戦争について極めて客観的な分析を行うこと、つまり、公的な筋書きとは異なる見解を表明することで定評のある専門家である。たとえば、ブチャの虐殺をご記憶だろうか。ブチャにおける虐殺はロシア軍が行ったものではなく、ウクライナ国家警察が行ったものだとして、リッターはバイデン政権を批判した。
リッターはが問いかける「ウクライナのいやらしいネオナチ政権を支援することははたして米国の軍人の仕事であろうか?あるいは、台湾の独立の問題で中国を挑発することははたしてどうだろうか?」という言葉は非常に重い。多くの米国人は共感を覚えるであろう。極めて妥当な問いかけであると思う。
「米国の戦争のスタイルは金儲けに過ぎず、それを遂行する連中はゆすり屋に過ぎなくなった」という見解は100年前にスメドレー・バトラー少将が述べた内容とまったく同じだ。その相似性はまさに圧巻だ。
今も、米軍は大企業やウォール街、銀行家の金儲け計画のために、米国の圧力に屈しない国家に向けて空母を派遣し、武力で威嚇する。それでも屈しない国家については空爆を行い、インフラを破壊する。われわれ素人にとってさえも、この種の事例はすぐに思い浮かぶ。
これらの状況は100年前の米軍の教科書には何の改訂も成されず、今でもそのまま使用されていることを示している。
昨今、中東においては米国の存在感が低下し、それと同時にBRICS+ 勢力の拡大や米ドル離れの動きが顕著になっている。多極化された新しい秩序に移行しようとする国際的な動きが進行している。多極化した世界が自然の成り行きであり、歴史的必然であるとするならば、役者の交代は速やかに完了させ、混乱を最小限に食い止めるべきであろう!
その目標に向かって注力することが政治家に求められる最大級の倫理的規範なのではないか。軍事的混乱の中では一番大きな犠牲を強いられるのは、常に、一般庶民となるからだ。そのことはイラク戦争で見てきた。アフガン戦争でも。シリア紛争でも。そして、今はロシア・ウクライナ戦争だ。これから、台湾でも繰り返されるのだろうか?正気の沙汰ではない!
参照:
注1:Scott Ritter: How Americans Fell for Washington’s
‘War Racket’: By Scott Ritter,
Sputnik, May/20/2023
補足情報:
返信削除スコット・リッターはこの記事で、文字数は限られてはいるが、ウクライナにおける米国の対ロ代理戦争にも言及している。これは文脈上では極めて重要な要素であることから、ここに関連情報を補足しておこう。
6月16日、南アのシリル・ラマポーザ大統領が率いるアフリカ使節団がキエフを訪問し、ゼレンスキー大統領と会談し、ロシアとの和平を仲裁する用意があることを伝えた。16ヵ月も続いているロシア・ウクライナ戦争は国際市場で小麦や肥料の価格を高騰させ、アフリカ経済は直撃されているのである。その翌日、ザンクト・ペテルブルグで同代表団はプーチン大統領とも会談を持った。
これらの会談について「天木直人のメールマガジン」の6月19日号が興味深い内容を報じている。それを要約すると下記の通りだ:
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ゼレンスキー大統領もプーチン大統領も、アフリカ代表団の団長であるラマポーザ大統領に対し、仲介提案を拒否した。
ゼレンスキー大統領は、ロシアがウクライナの全土から完全撤退しない限り停戦交渉の余地はないとして、アフリカ仲介を拒否したという。これはまさしく米国の考えの代弁だ。旧ソ連を崩壊させただけではもの足らず、ソ連崩壊後のロシアまでも崩壊させるのが米国によるウクライナ戦争の目的だったということだ。
プーチン大統領は何と言って拒否したか。「交渉を拒んでいるのはウクライナだ」と言って、拒否した。プーチン大統領は、ウクライナ侵攻の直後の2022年3月に、ウクライナとの間で交わされた停戦のための合意文書なるものをみずからテレビの前に掲げ、停戦の為の合意は出来ていたのに、その直後に起きた「ブチャの虐殺事件」を理由にしてウクライナ側が一方的に合意を破棄したと訴えている。停戦を望まないのはウクライナとその背後にいる米国だと糾弾しているのだ。いったんできた停戦合意を白紙撤回させたブチャの虐殺事件は、まさしく停戦を好まない米国とその傀儡に化したゼレンスキー大統領が仕掛けたものだと言っているのである。
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