新型コロナ禍においてはmRNAお注射の集団接種がグローバリズム特有の負の側面を極端なまでに発揮したことによって、われわれ一般庶民は急速に、しかも、実に強力な制約や悲惨な健康被害、薬害に見舞われた。もっとも悲惨な事例はお注射の副作用によって死亡した無数の人達だ!新型感染症によってではなく、まさにこのお注射のせいで全世界でなんと1700万人もの死者が出たと推定されているのである。グローバリズムが有する特性として、公に喧伝されてきた有効性や安全性とは裏腹に、ひとたび負の影響が出ると、それはまさにグローバルな大惨事が現出することとなる。極めて非人道的である!
ここに「カナダの大学教授、mRNAお注射の安全性について懐疑的な姿勢を見せたことから解雇」と題された記事がある(注1)。
本日はこの記事を仮訳し、読者の皆さんと共有したいと思う。
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副題:異端者として批難されているパトリック・プロヴォスト博士との会話
ラヴァル大学はカナダで最も古い高等教育機関であり、元首相のルイ・サンローランやブライアン・マルルーニー、ジャン・クレティアン、等の例に見られるように、カナダで最も優秀な息子や娘たちが同大学で教育を受けてきた。悲しいことには、現在の同大学の学長はパトリック・プロヴォスト(微生物学・免疫学教授)を解雇する決定を下すに当たっては科学的探究よりも正統派を選んだ。
ガリレオが1633年に異端審問所によって有罪判決を受けて以来、西洋においては宗教的正統派の厳格な執行よりも、むしろ言論の自由や自由な科学的探究を優先する傾向がかなり着実に維持されてきた。
ジョン・ミルトンは、1639年の夏、自宅軟禁中にあったガリレオを訪ね、その老人の状態は若きミルトンに強い印象を与えた。その6年後、ミルトンは「アレオパジティカ」と題する有名な、言論の自由を擁護する著作を出版したが、この書籍は知識の進歩に関心を持つと主張する人たちにとっては必読の書である。
ミルトンは敬虔なプロテスタントのキリスト教徒であったが、それでも、彼は言論の自由こそが知識を進歩させる唯一の方法であると主張した。現実に対するわれわれの理解は多くの場合断片的であり、不完全なものであり、完全な理解に近づく唯一の方法は観察結果や思考を自由に伝え合うことである。もしも自由に話すことができなければ、明晰に考えることすら不可能であろう。
ラヴァル大学の指導者へのメッセージ:正統派を重んじる16世紀に逆戻りし、正教授を異端として迫害することは21世紀の大学にとっては極めて酷い政策だ。やがて、あなた方は知的、ならびに、政治的な歴史の中で間違った側に立っていたことが指摘れることであろう。
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これで全文の仮訳が終了した。
こうして見ると、異端を取り締まろうとする当局側の傲岸な振る舞いは、400年前のガリレオ・ガリレイに対する異端裁判以降何も変わってはいないなあと感じさせられる。この400年間、物質文明的な進歩は確実にあった。数多くの成果が存在する。今や、航空機や新幹線、スマートフォンの便利さからわれわれの毎日の生活は切り離すことはできない。しかしながら、新型コロナ禍ではお注射について懐疑的な意見を述べる学者に対して当局側は言論統制を実行した。この状況は400年前のそれと何ら変わってはいないと言わざるを得ない。この引用記事はそのことを明確に伝えており、すこぶる重要であると思う。
太平洋を挟んで、日本でも、カナダの事例とまったく同じ状況が展開した。京都大学においては、心理を探求する筈の大学と言う環境の中で大学組織の指導者たちはカナダでの事例とまったく同じ思考経路を辿った。ウィルス学の専門家であり、SNSで発言をしてきた京都大学の宮沢孝幸准教授も大学から解雇されたのである(注:詳しくは、ユーチューブの動画「【宮沢孝幸】公表するかどうか、1年以上悩みました。【キツかった戦い 5位➡2位】」、https://youtu.be/-tWXc68wDzo?si=JFZFYxa2T036K-8aをご一覧願いたい)。京都大学は政府からの研究資金の提供に今後支障を来すかも知れないという大学経営上の懸念から学問の自由を捨てたのだと言えよう。カナダも日本もまったく同様の構図だ。G7諸国の大学は感染性が非常に高い、同一のウィルスにすっかり冒されているのである。言うまでもなく、この投稿で述べた事例は氷山の一角に過ぎない。
本感染症の大流行の名称は「グローバリズム・パンデミック」と呼ぼう!この感染症を撲滅するのに効くお注射は、誰もが知っているように、「世論」である。われわれ一般庶民が不満を表明しさえすれば、全世界を席巻している当局による言論統制を打ち破ることができるのではないか。そういう観点からも、先ず第一に、われわれ自身のより深い理解によって本質を見極めることが大事だ。倫理的に、あるいは、常識的に許せないことははっきりとそう表明することが先決である。残念ながら、当局側の説明や報道に頼り切っていると、あなたはご自分が進もうとしている方向を見失う危険性が増大する。誰もがわれわれを取り巻く情報の海を、たとえ嵐に見舞われたとしても進路を見失うことなく、倫理的羅針盤を頼りに間違いなく航行し続け、目標の港に到着しなければならない。
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